・君を探して・
あの時、君はピンクの兎の着ぐるみを着ていて、ストレートティーの小さなパックを持っていた。
時々ストローを口に運びながら、バイトの休憩時間中、ひたすら僕に向かって喋っていた。
「まっすぐまっすぐ、どこまで〜も一直線の道って、走ったことある?」
両手をぐぐーっと前に伸ばして、目を閉じて考え込みながら言っていた。
「道の両側はずっと遠くまで田園風景だったり、迫り来るような緑の林や森だったりするの。でもとにかく道は真っ直ぐに進んでいて、前にも後ろにも誰もいないの」
僕は君の前に座って、同じように紅茶のパックを飲みながら話を聞いていた。6時間遊園地の中で着ぐるみを着て動きまくるバイトの後で、へとへとに疲れ切っていたから、ぼーっと君が話すのを聞いていた。大体言葉が一度も止まらないから、どこで口を挟んでいいかも分からなかったのだ。
「余りにも景色が広大だと人間て心の中も頭の中も空っぽになるよね。ぽかーんと口があいて、全部のものをちゃんと見ようとして、目を細めたりするのよ。きっとそれはあれよね、いつも都会で、ごちゃごちゃと建物があるところにいるから、形がハッキリしたものが目の前にないと不安なのよね。だからわざわざ目を細めて必死に遠くのものの形を見極めようとしちゃうのよ。でもそれって、ちょっとバカみたいよね。だって」
君は大きく目を開けて、やっと僕の方を見た。
「砂も、草も木も道も、それから空気が動くのも、全部目の前にあるのにね?」
飲み終わった紅茶のパックを片手で握りつぶして、僕はとにかく頷くだけにした。だって、答えようがない問いだったものだから。
君は何かに対して不満そうにふんと鼻を鳴らして言ったんだ。
「わざわざ霞むくらい遠い向こうを見ようとしたりしてさ」
こんなに近くに、目の前に幸せだって探しものだって、あるのにねえ?
そう言った君は、翌日に姿を消してしまった。
僕に一枚の紙を残していた。
そこには青いボールペンで、君の細い文字。
───────────恋に破れた天使は、どこへ行くでしょうか?
・・・さっぱりワケがわかりません。
僕は結構頑張ったと思う。
あの子の友達や家族や、その他知り合いにも行方を尋ねたりしたしさ。まあ、君の家族は冷たかったけどね。娘のことはもう知りません。放って置いて下さいって言われちゃったよ。君のお母さんはかなり疲れた顔をしてた。そして僕に聞いたんだ。
「あなたはあの子の何?」
僕はちょっと考えた。何って・・・何だろう。でもそんな、全部が全部言葉ですっきりと説明できるものなのだろうか?
僕はとりあえず、無難に「友達です」と答えておいた。正しくはいくつかのバイト先で一緒だったんです、なのだろうけれど。とにかく君のお母さんは胡散臭そうに僕を見て、ドアをバタンと閉めてしまったよ。でもまあ、いいか。だって仕方ないしね。
僕にはお金がなかったけど、時間がたくさんあった。だから探すことにしたんだ、君をね。どうしてかって聞かれてもちょっと困るけど。うーん・・・暇だったから?というと違うかな。
でもそうしようって思ったんだ。君の書いて残した紙切れを見て。僕は、この子を探さないとって。
胸にぐうーっと、強くそう感じてしまったから。
とにかく暗号だよ、誰のこと、天使って。それに恋に破れたとか何の話?だって君に恋人は居なかったし、もしいたとしたなら僕でなく彼氏に残すだろうって思ったんだ。誰かに恋をしていて、ふられたとか?だから急にバイトに来なくなったのかな?それでマネージャーはかんかんに怒って、君を首にしてしまったんだ。
それにしても、僕は君とそんな会話をしていなかったよね?
頑張って、君と交わしてきた色んな会話を思い出したりしてみた。行った場所、買ったもの、何か、君の残したあの紙切れのヒントになるようなものはあったかな?って。
普段使わない頭を使ったからとても疲れたね。これはかなりしんどいかも、そう思ったけど、まあ乗りかかった船・・・というよりは乗り込んだ船だからね、僕は航海に出ることにしたんだ。
手がかりは一つしか思い浮かばなかった。それは、君が僕にくれた唯一のもの、絵葉書だ。
ある時君が一枚の絵葉書をヒラヒラさせながら僕のところへやってきて、言ったんだったよね。素敵な場所だと思わない?って。
ブルーの小さな湖が、白い棚田のような場所にいくつもある風景だった。トルコ共和国にある、パムッカレという場所らしい、とあとで判った。君はあの時僕に絵葉書を押し付けて、さっさと行ってしまったから、僕がまだその絵葉書を持っている。
友達とバス旅行で行ったことあるよ、そう教えてくれた女友達がいて、僕はぼんやりと思ったんだ。
君は、ここにいるかもしれないって──────────────
確信があったわけじゃない。
勿論、確率にしたら凄く低い数字が出たはずだ。
だけど僕は小さなバックパックに荷物をまとめて、出かけたんだ、トルコへ。貯金を下ろして、アルバイトは辞めてしまって、家族にはツアー旅行だよって嘘をついて。
いなかったらどうしようとか、いや、それよりもまず行方不明になった君を外国でどうやって探したらいいのだろうとか、ほとんど考えなかったな。
無謀だったって今は思うよ。地理も不案内の、言葉も通じない国で。一人で一体、どうするつもりだったのか。
だけどとにかく出発したんだ。空を飛んで、僕は君を探しにいく。
ずっと夢の中にいるような、目の前の現実がしっかりと胸の中に入ってこれないような日々を過ごしたよ。
日本語を話せる人を探して教えて貰いながら、僕は外国の中をヨロヨロと進んでいた。
でも笑顔だったよ。何となく、雰囲気があったんだよ。
君がいそうな、そんな気がしたんだ。
アジアの端の国から、アジアの端の国まで行った。広いトルコの中を、長距離バスにのって僕は動いていく。砂漠ほどではない砂でいっぱいの地帯を進んで、たまに小さな町が見えて、それを繰り返して水の都へ。砂で汚れて霞むバスの窓の向こうには、君が言っていた、道があったよ。
どこまでも、どこまでーも、真っ直ぐな、一本道。
山も川も岩もあるのに、地形を全部無視したような馬鹿みたいに真っ直ぐな一本道。
君が言うように、確かに僕も目を細めていた。
霞んで見えない遠くの視界の端を、わざわざ見ようと目を細めていた。広大な風景って、不安になるくらいに大きなものなんだね。
自分の小ささを実感するとか、よく言うけれど、あれが判ったよ。確かに、僕はなんてちっぽけなんだ、そう思った。何度も、何度も。笑えてくるくらいに、何度も思った。
砂風で服の中にまで小さな砂塵が入っていて、何だかこそばかったよ。髪も白っぽくでザラザラしてくるし、苦笑していたね。カメラなんて取り出す余裕がなかったんだ。ただ、僕は全てに圧倒されていて。
何度目かの月を見た。
白くて、日本で見るよりも大きかったね。
月を見て、僕はやたらと自由になったような気持ちにもなったよ。あの時は、楽しかったな。
やっとパムッカレへついて、地元でレストランを開いてる人の奥さんが日本人だってことで、お金を払って車に乗せてもらったんだ。
学生さん?と聞かれたので、違います、と言った。よく考えたら、今の僕には身分がない、そう気がついたよ。
「ここら辺で、日本人の女性を見ませんでしたか?若くて、多分・・・一人で」
僕は君の容姿を何とか伝えようとしたんだ。だけど難しかったね。思ったより、僕は君のことを知らないんだなって気がついた。兎の着ぐるみを着ている姿はハッキリと覚えているんだけれど。
その奥さんは笑って、恋人でも追いかけてきたのって聞いた。それに首を振るのがちょっと残念な気分だったよ。
僕はきっと一種のホームシックで、人恋しい状態だったんだと思うんだけれどもね。
帰りはバスで街の近くまでいけるということを教えて貰って、僕は観光用に作られたみやげ物屋の近くで下ろしてもらった。去っていく車に手を振って、さて、と思って振り返ったんだよ。もう本当にヒョイって。何の覚悟もしないで。
そしたら。
そしたら!
・・・君がいたんだ。
目の前で、赤いくるぶしまでの巻きスカートにタンクトップ姿で。
ニコニコ笑って。
そして日に焼けた髪を振って、顔をほころばして言ったんだよね。
「とうとう来たんだ、待ってたよん」
覚えてるかな、僕は暫くぽかーんとしていた。え?って。まだ贈り物の箱を開ける前から中身が判ってしまったような、飛び出てきたような、そんな気持ちだったんだ。
だから言ったんだ、君に。指をさして。
「・・・どうしてここにいるんだ?」
君は首を傾げた。あら、追いかけてくれたんじゃなかったの?って。
僕はまだ呆然としていたけれど、何とか頷いた。確かに、僕は君を追いかけてきたのだから。
君は風に向かって手を伸ばして、顔を空に向けながら言った。ここのお土産もの屋さんは英語が話せるの。だからここに来て、店を手伝ってご飯を貰って、居させてもらってたの、って。
「来てくれないと思ってたわ、本当は。葉書一枚のヒントしかなかったし、恋人でもないあたしの為に、わざわざこんな遠い外国まで!ねえ?」
僕は相変わらずぼーっと見ていた。
「うちの親はきっとあきれ返って放置するだろうって思ったし・・・だから、あなたでなければ、誰も来てくれないって思ってた」
君はちょっと痩せて、日にこんがりと焼けていて、ここら辺で買ったのだろうタンクトップとスカートを身に着けていた。その姿は日本人には見えなくて、僕は知らない女の子をみているような気持ちだったんだ。
何だろう、自由な風をまとった、素敵な子がいる・・・そんなことを考えていた。
その間にも君はベラベラと喋っていた。ずっと待って、3年経って誰も探しに来なかったら、ここで死のうと思ってたの、って。
だけどすぐに来てくれたのね、一番来て欲しかった人に会えて、嬉しかったと。
「死ぬ?」
その言葉だけがハッキリと僕の耳に引っかかって、ハッとしたんだ。何だって?驚いて目を見開いた。
君はニコニコと笑ったままで、大丈夫、と大きな声で言った。
「あの頃は、日本にいて、煮詰まっていたのよあたし。多分、ね。あなたのことが好きだった、そう思っていた。だけど友達以上にはなれないし、あたしに興味がないっていうのはハッキリ判ってしまっていた。ほら、あるでしょ?何だか何も面白くなくて、夢も希望もなくってさ。若いってだけで無駄に時間があると毒なのね、きっと。それで脱出したのよ、日本とその日常から。・・・でもここにきて、毎日毎日広大な景色を見て風に吹かれていたら、そんなことどうでもよくなっちゃたわ」
僕はぽかんとしていた。
今、君は僕を好きだったって言った?何だか耳の中にまで砂風が入り込んでしまったみたいで、よく聞こえなかったよ、そう思っていた。
君はやっぱりニコニコ笑って僕を振り返る。
「だから、あなたに来て欲しかったの。それがまさか叶うだなんて思ってなかったわ!」
そして僕を誘ったんだ。ほら、行きましょう。あれを見なくちゃって。
手を引いて、一緒に走った。
僕はリュックが落ちないように何とか手で押さえて、駆けてゆく君の後ろから叫んだよね。
「あのメモって―――――――」
ちらっと僕を振り返って、太陽に目を細めた君がいう。
だから、あたしのことだったんだよ、って。好きになった人に振り向いて貰えない、退屈で死にそうな女の子!天国に―――――――憧れたの。
「だからここに・・・ほら!」
急にパッと視界が開けて、そこは白い世界。
目の前にはパムッカレの素晴らしい景色。
白い岩棚、そこに滔々と流れる豊富な水、水底は明るいブルーに光って、はるか下の街へと注ぎ込んでいるように見える。
天の、水甕みたいだった。
僕は探しにきた女の子が急に目の前に現れたことでぼんやりとしていたけれど、その光景を目にして呼吸を思い出したんだ。
圧巻。
もう、その言葉だけしか。
「ここに毎日来て、朝と夜と立ってたのよ。世界は何て広いんだろうって思ってた。もし────────もし、誰かがあたしを見つけてくれたなら、今度こそちゃんと生きていけそう、そう思ってたのよ」
君はニコニコ笑っていて、その笑顔には暗い影など全く見付からなかった。
だから僕はやっと安心して、体から力が抜けたんだ。バッグを落として、ははは、と笑う。
ああ、なんてこった。僕はあんなに・・・君を必死で探していたのに。
それから立ち上がって、隣に立つ君を抱きしめたね。
やっと会えたんだ、って。
僕はここまで結構大変だったんだよ、君を探してあっちこっちをウロウロと。
なのに、君は笑っちゃって、もう。
探している間、ずっと君のことを考えていた。続いていく外国の景色の中で、僕の意識を保たせていたのは君への想いだけだったんだ。
今、みつけることが出来て、自然に湧いて体中をまわる感情。
ああ・・・何て愛おしい感覚なんだろう・・・。
柔らかい君の体を抱きしめる。僕はすっかり疲れていたし、君のむき出しの腕や頬から感じる体温が、とっても嬉しい暖かさだったんだ。
君を探して空を飛んで、広大な台地を横切ってきた。その旅は、誰のものでもない、僕だけの宝物になったんだよ。
風と砂と水と笑う君を見つけた。
曇り空だったけど、温かくて美しかった。
贅沢な一瞬、そのようなもの。
・・・全部全部、ここに来るまでの過程も全部、僕の、宝物だ。
パムッカレの高台の上、僕は君を抱きしめながら泣いてしまった。まるで子供みたいに。
『ねえ、ずっと、ずーっと真っ直ぐな一本道を見たこと、ある?』
『人間って、形がハッキリしたものが目の前にないと不安なのよね。だからわざわざ目を細めて必死に遠くのものの形を見極めようとしちゃうのよ。でもそれって、ちょっとバカみたいよね』
『だって大事なものって案外、目の前にあるのにね』
『目に見えないだけで、目の前にね』
君は今でもそう言って、僕の前で笑っている。
・「君を探して」終わり。
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