・何と家族になりました!



 私はぼーっと、縁側に座って日を浴びていた。

 季節は春真っ盛り、4月を半分ほど過ぎたばかりの頃。

 ここは私達漆原家の一階、庭に面した縁側で、この家の中で私の一番のお気に入り場所となっている。目の前には庭師さんと相談しながら作った4坪ほどの庭が。家の面積を少なくしても作りたかった庭が、今や目の前にあって大切な緑たちがさわさわと風に揺れている。

 私はそれを満足の微笑みで見詰めていた。

 ちょいとおさらいをしておこう。

 まず、私の名前は漆原都という。30代前半の、新米母である。

 私の人生は、20代後半から劇的に変わったのだった。

 まず、20代の後半、私は都会でOLをしていた。そこそこ大きな会社の事務職についていて、仕事に関しては、上司にも同僚にもそれなりの信頼を得ていたと自分でもいえる。ただし、恋愛に関しては世の中の最低値を彷徨い、地面に這い蹲っていた女だった。

 会社の上司と不倫の数年、結果彼の奥さんにバレ、責任をとって会社を退職(というか、実質的解雇)。失ったものは、人間としての尊厳と社会的地位や周囲からの信頼、それから若くて希望に満ちた数年と肉体だった。

 つまり、会社を辞めて実家に戻った時、私はほぼ無一文の体も精神も壊した女だったのだ。

 一人娘を大事に育ててくれた両親を心底心配させた上にガッカリさせ、私はアルバイトをしながら実家に寄生していた。恋愛に関して夢も希望も失い、人様の夫に手を出した罰なんだろうと自分を呪い、ただただ毎日を何とか過ごしていた、30歳の初め。

 人生の暗闇といえる月日を過ごしていて、それからちょっとした契機は訪れたのだ。母親が出席した高校の同窓会で、元親友に出会い、そこのやはりあぶれていてまだ独身の息子と自分のどうしようもない娘を「引っ付けてしまおう作戦」を開始したのだ。

 なんつー迷惑な話だ。迷惑よね、それってねえ!?子供には自由、いやいや、人権はないのか?!とその時は心の底から悩み、考えたりした。

 両母いわく、神様のお告げだったらしい。

 当事者である私達、つまり、私、旧姓・兼田都と、夫とされた人、漆原大地は呆れた。ただし鬼のように火を吐きまくる母親に言い返すことも難しかったので、とにかく会うことにして──────────最初の再会(言葉がおかしいのは判ってる、だけど、小学校から高校まで同じ学校だった同級生なのだ)のとき、彼が、提案を出してきたのだ。

 親の言う通りに結婚して、同居人になろうと。

 首を捻りたくなるのも判る、結婚するなら同居人って、当たり前でしょうが!ってあれでしょ?でも違ったのだ。やつが言ったのは、その通りの言葉。同居人、だった。

 一緒に住む。家事、経済的には折半、エッチはなし。不都合が生じたり、嫌になれば契約解除(つまり離婚)をする。悩んだけれど結局私はその申し出を受け入れ、それを半年ほど続けたあとで、母親たちに微妙かつ迷惑なお告げをした神様は、私か、両家の母親を不憫に思ったらしい。何と、二人をひっつけて下さったのだ!

 ぱんぱかぱーん!

 彼にしてはえらく気の利いた方法で私に告白をしてくれたので、ここに目出度く戸籍だけでなく実態も伴った
夫婦が誕生した。ひゃっほ〜う!

 それから約一年後、これまた神様は、仕方ないからもうちょっと引っ付けようと思ったらしい。きっと仕事に
はうるさい神様だったのだろう。どうせやるなら後始末までって考えたのかしらね。

 とにかくもう一度、ぱんぱかぱーん!何と、私が妊娠した。

 そりゃ人間だって動物なんだから、することしてりゃあ子供は出来る、それはよく判っていたけれど、不倫という人様には威張れない過去がある私は勝手に業を背負っていると思っていて、かなり驚いた。え、私、母親になっていいの?みたいなね。

 我が家にもコウノトリさんは来てくれることにしたらしい。

 因みに、口を開けば面倒臭いという、世紀のダレ男、うちの漆原大地という夫は、妊娠にも驚かなかった。いつもの通り、私だけが一人でバタバタして混乱していただけだった。

 ヤツはこれから先に決定事項となってしまった引越しや諸々にうんざりし、面倒臭く思ったらしい。そこで一念発起して珍しくせっせと行動をし─────────なあああああ〜んと、土地を購入してくれたのだった。

 土地だよ、土地!この日本のある場所が、名実ともに、漆原大地のものになったんだよ!

 あの感動した夜は忘れない。

 私の実家近くに買った土地に、自分の好きな家を建てたらいい、と言ってくれたのだ。

 庭も。

 私がずっと欲しがっていた庭も、作ったらいいと。

 何て素晴らしいことだ〜!!

 そんなわけで、去年の私は、後半が忙しかったのだ。妊娠の安定期に入ってから、馬のように働いて、自分の理想の家をデザインし、建てて貰ったのだった。

 その家は一つの大きな空間を家族で共有できるようにしている。そして外せなかった縁側と、庭。

 私の大好きなアロエ、椿、木蓮と紅葉。独身時代の一人暮らしの時にも漆原大地との共同生活時代にも育てていた鉢植達。家の中も外も緑でいっぱいにして、いつもそれを眺めては喜んでいる。

 そして、大事な玄関先の鉢植達。

 新婚の時にアパートの玄関前に置かせてもらっていた棚は、補強して塗りなおし、新しい家は玄関の横あたりに専用のくぼみを作ってそこに設置して貰った。

 ミニトマトや苺などの食べられるものからサルビアやサボテンなどの観賞用まで、私のお気に入りの鉢たちを並べている。

 そして、我が家の大事な約束ごと、「大切なものはここへ」と決めているその場所、鉢棚の、上から2段目右から3番目の鉢植には黄色の花を咲かせるヒヤシンスが。

 この鉢植は、私の決意と感謝の表れなのだ。

 私と結婚してくれて、ありがとう。私に笑顔をくれて、ありがとう。そして、私は十分に幸せです、そういう
言葉をこめた、可愛い鉢植なのだ。

 今日もヒヤシンスの鉢の下には、この家の合鍵が隠されている。

 いつでも家族はここに帰ってくる。そのための鍵は、あそこにある────────────


 ふぎゃあ、と小さな泣き声が聞こえて私はハッとした。

「あ、はいはい、お目覚めですか〜」

 私は縁側から身をおこしてバタバタと部屋の中へ戻る。

 3月の終わりに生まれたばかりの娘、桜が昼寝から目覚めたらしい。

 この春先、私は予定日よりも3日遅れて、女の子を出産したのだ。いつものように我が家から徒歩5分の実家へ行って、母親とお茶を飲んでいる時に破水した。

 それですぐさま病院へ。初分娩だったにも関わらず、割と小さめの我が子はするりと出てきてくれて(素敵だわ〜)、出産はわずか2時間で終了。やたらと安産だったのを喜ぶのに忙しくて、夫に連絡をするのを忘れていたのだ。

 だって早かったから。

 ほら、一生懸命だったし。

 ね、初めてのことだらけで。

 まあそんなわけで、彼の母親である漆原冴子さんはがっつり病院で私の世話を焼いていて、ある時何気なく見上げた壁時計で視線が止まり、ポンと手を打ったわけ。

「あ、大地に連絡するの忘れてたわ」って。私と、私の母親も、一緒に、「あ」と言った。皆きれ〜いに忘れていたのだ。普段、無口で無愛想でほとんど存在感のない、息子で義理の息子で夫のことを。

 で、あらあらと思って電話をすると、史上最強の面倒臭がり屋である夫の大地はたら〜っと言った。

『・・・行かなきゃダメなのか?』

 出産で裂けた股の傷口が痛いのも忘れて、当然私は電話に噛み付いた。

「あんたの娘でしょうが!!」

『娘?』

「あ、そうそう。女の子だったのよ。とにかく君、病院に来ない?」

 怒鳴ったことに疲れた私がぐったりとそう言うと、ヤツはしれ〜っとこう言った。

『今から?だって、もう産んだんでしょ、俺が必要だとは思えない』

 私は、予想していたのだ。こういうことをヤツなら言うだろうと。なので、あっさりと諦めようとした。ま、あいつだしね、いっか。って。実際こられてもすることないし、邪魔は邪魔か、って。

 結婚した時がした時だし、プロポーズのようなものはあったにせよそれも実にヤツらしい、直接的でないまわりくどい方法だったのだ。勿論判っていた。例えば子供が生まれると聞けば病院に走ってくるとか、分娩台の横に立って頑張る妻の手を握るだとか、生まれたての我が子を最初に抱きたいだとか、よもやそれをビデオにおさめておきたいだろうとか、ヤツは思わないだろうって。

 そうそう、私は十分に理解した上で、そんな感じのデモストレーションまで脳内で何度もしていたから、実際に夫からそんな態度や言葉を貰っても傷付いたりしなかったのだ。

 あ、やっぱりね、そんな感じ。

 だけど隣でしっかりと聞き耳を立てていた彼の母、冴子母さんは、そのままでは終わらせなかった。

 はーい、じゃあまた休みの日にでも来てね、と私が言うより先に受話器をひったくり、まだあまり耳も聞こえてないはずの新生児がビックリして目を開けるほどの大声で怒鳴り散らしたのだ(通りかかりの助産師さんなんて飛び上がっていたのを私は見た)。

「大地いいいいいいいい〜っ!!!このばか息子!不届き者!奥さんが頑張って命賭けてあんたの子供を産んでくれたのに、二人の顔すら見に来ないとはどういうこと!?ふざけたこと言ってないで今すぐ病院に来なさい!!」

 私と私の母親は仰天して目が点だった。冴子母さんはガチャンと電話をたたききると(病院内に設置されてる電話を使用していたのでね)、くるりと振り返って私達親子に頭を下げた。

「本当に、本当〜にごめんね。うちのどうしようもない息子が来たらちゃんと制裁を与えるから許してね」

 って。

 うちの母が慌てて娘婿である大地をフォローしていて、私はもう笑うしかない状態に疲れてベッドに寝転んだのだった。

 まあとにかく、ダレ男はちゃんと夜には来た。かなり遅かったのは、当然予想された冴子母の制裁アンド叱責を回避するためだったのだろう。やつは母子同室の産院の私の部屋に入り、一言もないままでスタスターっとベビーベッドに近づいて、いつもの無表情でじ〜っくりと自分の娘を眺めていた。

 確かに無表情だった。

 口元はにこりともしてなかったし、相変わらず無言で、ただじっと見ていただけだった。

 だけど、ヤツが喜んでいるのが私には判った。

 彼をとりまく、いつもより柔らかい空気で。

 赤ん坊に穴が空くのではないかという勢いで見詰めていたので、ベッドから私は笑う。

「逃げないわよ、赤ちゃんは」

 そう言って。

 するとヤツはチラリと私を見て、ぼそっと言った。

「・・・名前、どうするの」

「うん?」

 出産で消耗して多少熱があった私は、ベッドに寝転んだままで唸る。

 産むまで性別が判らなかったのだ。この病院の方針でハッキリとわからない限りは性別を教えませんということだった。この子はお腹の中にいる間ずっときゅう〜っと丸まっていたので、最後まで性別がはっきりせず、考えすぎて疲れたのもあるので、私達は名前をまだ決めていなかった。

 熱でちょっとぼうっとしながら、私はベビーベッドを覗き込んでいる夫へ言う。

「まだ何も。何か、いい名前があった?」

 ヤツは相変わらずじい〜っと赤ん坊を見詰めながらぼそぼそと言う。

「都の希望は?」

「うーん・・・思い浮かばないのよ。顔見て考えようって思ったけど、実際生まれて顔みたら、目は君だとか鼻はうちの父ねとか、そんなことばかりが思い浮かんじゃってさ〜。母親たちは名前名前って騒いでたけれど、もう疲れたから後にしてって言ったの」

 元気はなかったけど、ケラケラと私は笑う。赤ん坊とは、本当に不思議な存在だ。自分で生んでみて本気でそう思った。

 遺伝の不思議、その結晶が、赤ちゃんなのだ、って。

 我が子を凝視する夫に声をかける。

「君は、どお?」

 すると、やっと子供から目を離したヤツは私に体ごと向き直った。

 そして、ポケットに突っ込んでいた手をゆらりと出して、すいっと窓の外へ指を向ける。

「はい?」

「桜」

 窓の外には、満開の桜の木。枝が伸びて、私が入っているこの部屋の窓わくに桜の花びらを散らしている。病院横に立つ街頭の明りで、この部屋からはラッキーなことに素晴らしい夜桜が眺められるのだった。

 私はちょっと自慢げに、ふふんと笑う。

「そうよ、夜桜。綺麗だよねえ、この部屋で入院なんて、ラッキーだったわ」

 って。するとダレ男はダラ〜ッと続けたのだ。

「・・・桜。この子の、名前」

 え。

 私は口を開けてヤツを見た。

 ・・・あ、この子の名前・・・。名前?そうか、彼は窓の外に桜があるよって言ってんじゃなくて────────

「・・・漆原、桜・・・?」

 ようやく、ヤツの口元が緩んだ。微笑のようなもの、を見せて、小さく頷く。

 私もゆっくりと笑顔になる。

 窓の外には広がる暗闇。そこに浮き上がる、ぼんやりと光を発する白とピンクの可憐な花びら。

 ・・・桜、いいかも。季節的にもいいし、誰でも読める名前だわ。

 そう思った。だから、笑顔で頷いた。いいね、って。じゃあそうしましょうか、って。私達の娘の名前は、桜で決定ねって。

 ダレ男はまたベビーベッドを覗き込む。それから気が済んだのか、私を振り返ってじゃあ、と言った。

「お帰りですか〜?」

「うん」

「その前に言うことあるでしょ〜」

「うん?」

 私は自分の額に引っ付けていた冷えピタを指差して、ひっく〜い声で言った。

「私は熱が出てるのよ。ついでに、股も裂けてるの、お尻のところまで。そこは何と縫われてるわけよ。痛い痛い痛い思いをして、桜を産んだわけよ。作るのは共同でも産むのは私だけって何か理不尽よね。と、いうことで、こお〜んなしんどい仕事をした私に、共同で作った責任者として、言うべきねぎらいの言葉があるでしょうがよ、ほらほらほら」

 ヤツは、ため息をついた。失礼なオッサンだ。何だそのあからさまな仕方ね〜な態度は。

 私は寝転んだままでヤツにむけて中指をつきたててやる。ヤツはしれっとした顔のままで呟いた。

「・・・お疲れ様」

「ため息が気に入らないけど、まあいいとするわ。それで、何なの?」

 ヤツはドアに手をかけたままで振り返った。愛想のない顔には、何が?って大きな文字が書かれている。私の質問の意味が判らなかったらしい。

 優しい私は言いなおしてあげることにした。

「桜の花言葉よ。知ってるんでしょ?それで、名前を決めたんでしょ?」

 ヤツは珍しく、表情を出した。

 にやりと笑って、また伸びている前髪の間から私を見る。そして淡々と言った。

「優れた美人・純潔・精神美・淡泊」

 するりとドアを開けてそのまま出る。そして、静かに病院の廊下を去って行った。

 部屋に残された私は苦笑した。


 ・・・淡白。・・・あなたに似たら、そうなるわねって。



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