・会いたくない男・1



 「・・・藤、だよな?」

 目の前に立つ男性が、目をマジマジと見開いてそう言った。

 だから私もつい凝視する。

 いや、しなくても判っていた。もしかしたら、彼が声を出す前に既に。それかそれか、彼がここに入ってきた時から既に!

 「うわあ!」

 私はそう叫んで仰け反った。

 危うく手に持っていた二つの空バットを放り投げるところだった。隣に立っている高峰リーダーもついでに驚いて、うわ、と小さく口の中で叫ぶ。

「藤?何だよ一体!」

 私は全身から冷や汗が噴出すのを感じながら、あわあわと回りを見回した。

 パートさんの北浦さんと前園さんもポカーンとした顔で私を見ている。それに、田内さんも。

 ・・・うわ、滅茶苦茶目立ってるよ〜!

 泣きたい気持ちで姿勢を正して、咳払いをした。

「・・・すみません、つい驚いてしまって」

「いや驚いたのはこっちだろう!」

 リーダーが隣で叫ぶ。はい、すみません、しょぼんとしてみせたけど、内心はドクドク波打つ心臓の音が聞こえているのではないかと思って緊張していた。

 目の前の男に。

「何、お前ら知り合いか?」

 リーダーがそういって、今日から入ることになった期間契約のバイトの顔を見た。私は勿論知っている。まだ紹介もしてもらってないけれど、忘れもしない、この人の名前は――――――――


「平野啓二です。藤・・・さん、とは、高校の同級生で」

 平野がそう言った。別に笑顔ではなかったけれど、穏やかと形容される静かな表情で。私がその表情を見るのは、実に5年ぶりだ。

「へえー!同級生か、それは奇遇だな〜」

 そりゃ驚くよな、そう言って高峰リーダーはケラケラと笑った。パートさん達も田内さんも納得だとばかりに頷いている。

「ほんと・・・ひさし、ぶ、り・・・」

 私は何とか声を絞り出す。たら〜りと冷や汗が流れるのが分かった。

 どくんどくんどくん。

 私の心臓の音は本当に大きくて、絶対皆に聞こえてるよねと思えたほどだった。

 バットを必要以上に強く握りしめていて、手が痛い。

 だけど痛いってことは、紛れもない事実なのだ。現実だ、認めたくないけれど。

 今、私の目の前に、平野がいるってことが。

「と、いうわけで、今日から半年間ヘルプに入ってもらうから。えーと平野君は大学生で、あとは卒業するだけらしいから2月までの約半年間結構入ってくれることになってるし、藤、お前がしっかり教え込んでくれよー」

 頭の中でリーダーの声がガンガン揺れていた。聞こえていたけれど、ちっとも理解出来なさそうだった。何何、私がこの人教えるって?うそでしょ、そんなのご免だわー、えー、やだー無理無理ー・・・。

「藤、判ったか?」

 高峰リーダーがそう言って不思議そうに覗き込む。私はハッとして、大きく頷いた。

「はい!」

「・・・何その勢いいい返事。逆に心配だぜ」

 メガネの奥で高峰さんの切れ長の目が細められる。私はまた無意識にバットを握り締めてしまう。だけど追求するのはやめることにしたらしい。リーダーは、はあ、と一度ため息をついて、平野についてこいと合図をする。

 そして二人で行ってしまった。奥の倉庫へ。

 パートさん二人が、去年よりまともそうね、と話しているのが遠くのほうから聞こえてくる。ちょっと可愛いじゃない?などという声も。

 ・・・・・あああああ〜・・・・・。なんてことだ!

 その姿を見送ったあと、私は力が抜けてへなへなになってしまったのだった。パートさん達にはばれていなかったけれど、田内さんとはばっちり目が会ってしまった。大丈夫?という風に首を傾げられたので二へっと笑って頷いておく。

 大丈夫ではない!全然ちっともま〜ったく大丈夫なんかではないのだ!だけど、それを悟られるのは勘弁願いたい。

 フラフラと自分の作業台へ戻って、目の前に山と詰まれているせせりのビニール袋を眺めて気が遠くなった。

 ・・・・何で・・・よりによって、あいつがここに・・・。

 平野啓二。すらりとした細身の体。頭一個分上から見下ろすあの目も、あの表情も、あのちょっとかすれた声も、全く変わっていない。確かに同じ高校だった。そして卒業と同時に関係のない人になった。何故か彼は今だに大学生らしいけれど、そんなことは問題ではない。問題なのは、やつが辞める残りの期間、私の心臓が無事かどうかって話なのだ。約半年も!

 喜怒哀楽の全てを彼で体験したと言っても過言ではない。

 私の高校3年間はあの男で始まり、そしてあの男で終わったのだ。


 大人になって忘れたはずの人だった。

 これからも会いたくない人だった。

 会わずに済むはずの人だった。

 その為に今まで二回ほどあった高校の同窓会だって欠席してきたのだ。
 
 なのになのになのにどうして、どーうして、私が働く作業場にきたのだろうか。

 どうしてなの神様!?ちょっと酷いんじゃあないの!?

 涙まで浮かんできてしまってビックリする。泣いてる場合じゃない。そろそろあの二人が白い作業着にエプロンに白い帽子という笑える姿になってここへやってくるはずだ。そして私は仕事として、彼に串のやり方を教えなければならないのだから。

 視界の端に、竹かごに入った数百本の竹串がうつった。

 ・・・これを頭に突き刺したら、ちょっとはハッキリするかしら。



 他の人が自分の作業に没頭する中(羨ましい)、私は新人で入ってきた元同級生に、焼き鳥の肉を串にさす作業を教えなければならなくなってしまった。

 パートのおばさん達は今日も元気よくそして機嫌よくお喋りをしながら作業している。会話はしていても彼女達の視線は手許に集中し、私などでは到底太刀打ち出来ないスピードで、せせりを美しく串刺しにしていっている。ううう、羨ましい。私はまだあのレベルには到達できていないのに、一体どうしてこんなことに。

「じゃあとりあえず、まずは手を洗って消毒から」

 私は暗い声でそう言って、平野をつれて洗い場へいく。

 嫌だけど、仕方ないのだ。だって私はここの正社員なのだもの!それによく考えたら、教えることさえ完了して彼が一人で出来るようになれば相手をしなくてもいいってわけで・・・と、いうことはアウトオブ眼中が実行できるってことで・・・・。

 よし。

 私は覚悟を決めたのだ。早く早く、一日も早くこの人に作業を覚えて貰って、彼から解放されようって。

「手首の上までちゃんと泡で洗ってね。それからアルコール消毒液がここにあるから―――――――」

 いいながらやってみせるのに、平野は黙々と従った。はい、とか何とか言えよコラ。まだ動揺した心の中で私はそう突っ込む。こっちが立場は上なんだから、注意するところは注意しなきゃ―――――――・・・

「包丁やまな板も使うたびに洗って消毒もしてください。いいですか?」

 また無言。

 くそ、何とか言えよ!苦情を言おうときっと彼に向き直ると、平野は真正面から私を見た。

 ぐっと詰まる。・・・だ、ダメだ、こんな見られ方は緊張する・・・。

 あっけなく私は身を翻し、早足で作業場に戻った。

「え、えーと、じゃあ始めます。これはせせり。鳥の首のところにある肉で、うちの会社ではここを一般的に焼き鳥と言われるものに使ってる。柔らかくて美味しいの。これを串に刺していくんだけど、やり方を見ててね」

 また無言。すっごいイライラする〜。

 だけどもしかしたら、ヤツも緊張しているのかもしれない。仕事を教わるのが私だなんて、よく考えたら平野の方が居たたまれないのかも。そう考えることで、私は少しだけ肩の力を抜いた。

「袋から肉を取り出して、包丁でまずは半分に切ります。手は十分に注意して。それから肉の細い方を串にさして、回転させながら―――――――」

 話しながらやってみせる。これはちょっとコツのいる作業で、見た目ほど簡単ではないのだ。最初は、へえ〜出来そう、と思っていた私も、まず串すらうまく扱えなくて大変な思いをしたものだった。教えてくれた高峰リーダーは苦笑していたのを覚えている。

「判る?やってみて」

 体をずらして場所をあけると、平野は無言で包丁を持った。そしてまずは肉を手にとってまな板にのせ、言われた通りに半分に切る。それから串をとって刺し始めた。

 私は隣でそれを見ながら、うくくくく、と思っていた。予想通りに苦労している。肉を回転させて串にさしていくのは、実際のところ難しいのだ。想像通りになってくれると、ささくれだった心もちょっとは丸く戻るってものだ。

「一本30グラムが目安で。秤にのせて確かめてください」

 慣れるまではやり続けてもらうしかない。それに私の今日の仕込み量だって決まっていて、それは目の前に山積みになっているのだ。だから隣に立ったままで、私は自分の分をやり始めた。

 途中で、あ、これは言わなきゃ、と思い出したことを逐一口にする。平野は無言だったけれど、こっちを見て頷いているから聞いてはいるらしい。

 まだドキドキとうるさい心臓は串刺しに集中することで忘れることにした。

 集中よ集中!今日はまだ、これから300本仕込まないといけないんだから――――――――

 しばらく没頭していたら、隣から、あ、と声が聞こえた。

「え?」

 くるりと振り返ると、平野は自分の手許をじっと見ている。せせりについた油の塊が邪魔で難儀しているらしい。包丁の先に脂身が絡まって、どうにも出来なくなっているようだった。

「あ、それは切り取るの。美味しいんだけど、それがつきすぎると肉の量が減っちゃうから」

 かして、と私は彼の包丁を手に取る。その時、包丁を離してふらついた平野の手が、私の手にぶつかった。

 その瞬間、ビビっと体に電流が走って、私の体は大いなる過剰反応をした。だって緊張と混乱でガチガチになって凍り付いている体に、いきなり熱された鉄の棒を突き刺したような状態なんだよ!

「あ!」

 ぴりっとしたのは一瞬のこと。

 手が触れたことに動揺しまくった私の包丁をもつ右手は勝手に動き、肉を持っていた左手の人差し指の上をかすめる。痛みがした箇所は少しだが血が出て、つい声を出してしまった。

 ありゃ〜・・・指を切っちゃった〜。

 私はパッと包丁を離して、切った指を肉から遠ざける。ついでに自分も平野から遠ざかった。

「どうした、藤?」

 高峰リーダーがこっちに声をかける。声に気がついたらしい。

「大丈夫です、ちょっと包丁かすって指を切ってしまいました」

 そう言いながら傷の深さを見ていると、隣からヒョイと平野の片手が飛んできた。

「俺のせいだな、悪い。でもこのくらいだったら舐めとけば――――――」

 そういって私の指を引っ張り、自分の口元に寄せようとする。

 あ、ダメ―――――そう思うのと、リーダーの罵声が聞こえたのが同時だった。







[ 2/33 ]


[目次へ]
[しおりを挟む]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -