・空白の6年間・1
喧嘩をしてしまった。
眠れなくて、暗い中、私は毛布の隙間から天井をじっと見上げている。
・・・いや、違うのか。あれは喧嘩じゃないのかも。私が一方的に怒っただけで、平野は落ち着いて話していたようだったし。
結局泣いてしまった自分が憎らしかった。泣いたってどうしようもないのに。馬鹿じゃないの私って。初めて彼氏が出来て、その人の過去のことでイライラしたりして。
あと2日で1月は終わってしまうのだ。
平野は卒論も無事に終わって、あとは卒業式だけだって言っていた。だから2月になって平野がバイトを辞めたら、私が休みの日には一緒に遊びにいけるって楽しく計画を立てたりしていたのに。
スケートとか行ってみる?映画は寝るからやめよう、って。そんなことを。平野の入社前の会社研修が始まるまでは、そうやってデートしようって、話していたのに。
「・・・・・も〜う・・・私の馬鹿馬鹿馬鹿・・・」
私が好きだったらしい平野が私の告白を断ったわけ。それって多分、今平野が大学生である理由にも繋がっているのかもしれない。
言いたくない、そういったのだ。
それにあの表情。
あの厳しくて苦しそうな表情は、それだけの苦しみを平野に与えるような出来事ってことなのだ。
どうしてあの時それを考えなかったのだろう。私は自分のことばかりで、彼に当たってしまった。
折角再会して、折角恋人になっているのに。
こんな感情は片思いのころにはなかったな。私はこっそりと涙を零す。彼を見ているだけで幸せで、ちょっとしたことで落ち込んだり楽しくなったり興奮したりしていたあの頃には。
今はきっと、あれとは全然違うのだ。
気持ちはハッキリと貰ったのに―――――――――こんなに寂しいだなんて。
「ああ・・・両思いになったって、バラ色ばかりじゃないのよね・・・」
ハッピーエンドが好きで、小説サイトでもハッピーエンドの作品ばかりを読んできた。それに自分が書くようになってからも、必ず主人公はハッピーになる、そんな結果にしてきた。
だけど現実は。
そうだよねえ〜・・・こんな風に、本当に色々な要素が絡んでくるんだよねえ〜・・・。
はあ、とため息。
やっぱり眠れない。
私は仕方ないと、眠るのを諦めて起き上がった。
こういう時は作品を書こう。それも、すんごくハッピーな結末になるように。バラ色で素敵な現実逃避をするのだ。あと5ページほどで終わることが出来るはずの『あの雨上がりの公園で』を、完結させてしまおう。
そう決めるとストーブをつけて、お湯をわかし、スープをいれる。パソコンの電源をいれて、暗い部屋の中、私はパソコンへ向き直った。
自分の気持ちがハッキリして、諸問題も片付いた美春が隼人に会いに行く。二人は最初ぎこちないけれど、その内顔を見合わせて笑顔になる。彼は彼女の手をとって、言うのだ。
『俺はお前が、ずっと前から好きだった』
美春は答える。
『そんなこと、とっくに知ってましたよ』
太陽が輝く中、二人は笑いあう。そして―――――――――
一気に書き上げた。ほとんど瞬きをしてなかったと思う。最後に丁寧に見直しをして、そのままの勢いで完結と書き込む。更新ボタンを押す。画面には完結しましたの文字が光り、私はほお〜、っと息を吐き出した。
壁の時計は午前2時をさしていた。
・・・終わった、やっと。
これを書いている間平野の乱入で思ったよりも時間はかかってしまったけれど、ちゃんと完結することが出来たのだ。伏線も全て回収できているはずだし、おかしな箇所も見当たらなかったと思う。
ゆっくりとだったけれど、口元には笑みが浮かんだ。
終わった、良かった。
これで眠れる。
私はパソコンの電源を落としてベッドに潜り込む。胸の中にはほわほわと金色の光に包まれた達成感のかたまり。それは、平野とのことで受けた悲しみを少しだけど端へとやってくれた。
よかった、私、作品を書いていて。だって・・・。
こんなに救われるのだから。
1月の終わりが来た。
私は結局平野と話せないままで、その日を迎える。
スマホをずっと握っていたけれど、平野からのメールも電話もなかったこの二日間。喧嘩をして公園から逃げたあの夜以来、出勤もすれ違っていたので顔も見ていなかった。
作品も完成させて、翌日は出勤して、昨日は私は休みだった。その間平野からのコンタクトは一度もなし。正月から一緒にいて、毎日何かのアクションがあったのに、あっさりとそれは途絶えてしまった。
朝も昼も夜も考える。あの男の子のことを。だけど自分からはメールも電話も出来ず、のろのろと真っ黒な気持ちのままで時間は過ぎて行った。
そして今日、1月31日、平野の契約が切れる日だ。
今日は絶対に平野に会えるんだ。朝からそう思って、電車の中でも緊張マックスだった。いるかな。どこかにいないかな。会社に行く前にこの緊張を解いておきたいんだけど・・・。電車の中でも会社の最寄のホームでも改札口でもキョロキョロしてみたけれど、平野の姿は見えなかった。
今日の休みはパートさん二人だし、仕込み量はいつも通りある。だから作業場ではのんびりしている暇はない。私は出勤すると、心臓をどきどき言わせながら作業を開始する。平野はまだ来てなくて、田内さんとリーダーも作業場に出てきた。
平野、遅いなー・・・。そういえば浜口さんもまだ来てないし。
その時がら、っと音がして顔を上げると、作業場のドアを開けて入ってくる浜口さんと平野がいた。二人はえらく話が弾んでいるようで、声をあげて笑っていたから驚いた。だってここではいつも無口で表情なしの平野が口をあけて笑っているのだ。リーダーや田内さんも驚いたらしい。二人そろって入口の彼らを見詰めている。
「あ、おはようございまーす」
浜口さんが軽やかな声でそう挨拶し、平野が続いて、全体に向かっておはようございます、と会釈をする。私と一瞬目があったけれど、それはすっと外された。
・・・がーん!
私は口元がひきつった。
「あ、うん、おはようさんです」
リーダーがそう言って、私と田内さんも挨拶を口にした。二人は自分達を見詰める社員組を気にせずに話しながら奥へと入っていく。それでねえ、と浜口さんの明るい声が聞こえて、タイムカードを押すときにも笑い声が上がっていた。
「・・・えらく盛り上がってるな。ってかあいつ、あんなに笑うんだな」
リーダーが呆気に取られた顔で奥を見ながらそういった。・・・うん、ほんと。何をあんなに盛り上がってるんだろう。
私は不思議だったけれど、ちょっとホッとしてもいたし、傷付いてもいた。明るい顔で出勤してくれたから気まずい雰囲気はなかった。だけど、目は反らされましたー・・・。ああ。我知らずため息をつく。
平野の顔を見たら嬉しくなるのか、それともムカつくのか。それが判らなかった。泣きたくなるのか、すがりつきたくなるのか。だけどやっと来たその瞬間は、私はただ体を固くして立っているだけだった。
「おはよ」
エプロンと帽子を装着した平野がそう言いながら作業台へ来た。こっちを見ては居ないけど、私にむかっての挨拶だって判った。
あ、挨拶はしてくれるんだ!?よし、頑張れ私!そう心の中で言い聞かせて、私も返事をする。あまりそっけなくならないように、でも慣れ慣れしすぎないように〜!だってここは作業場だもの!ああ、按配が難しいわ!
そんな私にお構いなく、平野はいつものように包丁の切れを確かめると、さっさと肉をとりにいってしまう。普通だ・・・。すごいなあの男。私は呆れると同時に感心した。
一応付き合っているはずの彼女と言い争いをして泣かせ、それから音信普通で過ごして、最初に顔をあわせたというのに、どうしてあんなに何もありませんでしたーみたいな態度が出来るのだろうか!まあニコニコ顔で覗き込まれても困るんだけど。でもあんなに普通ってあり?あんた私を無視してたんじゃなかったの?
巨大なクエスチョンマークを空高く打ち上げたい。
駄菓子菓子、私にとってもそれは都合がいいはずだ!私はこっそりと深呼吸をする。
とにかく仕事を終わらせること。そして、無事に平野がここを出る時間になったら、ちゃんと話をしよう、って。
作業中は、明るい浜口さんと喋りながら時間を過ごした。
昼食の時、一緒に外へ出た浜口さんが、キラキラと瞳を輝かせて、千明ちゃん、そういえば小説の完結おめでとう!って小さな声で言ってくれた。
「ありがとうございます」
私は照れながらお礼を言う。やっぱり読んでくれてたんだ。嬉しかった。忙しいパート主婦なのに、一体いつ時間を作ってるんだろう。
食べているうどんの味が、いきなり美味しくなった気がした。
「素敵だったわよ、あの終わり方も!感動しちゃった」
「本当ですか?良かったです〜。深夜に書いて終わらせたから、変なテンションだったらどうしようかと思ってました」
「大丈夫、隼人君は格好よかったし、美春ちゃんには感情移入しちゃって、私朝から大変だったの〜。でも幸せになってくれて良かったわ、本当に」
ああ嬉しい。作品を一つ書き終わるごとに、読んでくれた人からの感想は次を書く勇気になるのだ。私は照れてまだ熱いうどんの汁を飲み、舌を火傷をするところだった。・・・危ない危ない。
「あの題名はそういう意味だったのね〜!そんなこと最初から考えて書くの?」
「あ、今回は途中で思いつきました。題名は適当につけていたから、思いついてからあわせるのに必死で」
「そうなのね!でもちゃあんと中身をあらわせてる題名だと思ったわよ!」
「良かったです〜!」
完結してから浜口さんにも会えてなかったので、今日感想を聞けてよかった。私は嬉しく弾んだ気持ちでそう思った。お陰で、平野のことを頭からはじき出していられたし。
昼のあともひたすら仕込み作業。もう平野も仕込みは問題がなかったから、着々と作業はすすみ、問題もなく本日の業務は終わりの時間となる。
「よーし、もう終わりだな。皆お疲れ様でした〜」
リーダーがそう言って、全員がやれやれと肩や首をまわす。パートさんとバイトさんが終わる午後6時、社員組の仕事も終わっていて、作業場にはほっとした空気が流れた。それぞれの道具を洗って消毒し、着替える。
「平野ー」
彼が着替え終わったときに、そう言ってリーダーが平野を呼んだ。
「はい」
事務所の中で、いつもバイトには最初と最後しかみせない笑顔で、リーダーが平野に挨拶をする。
「仕事の覚えも早くてとても助かった。厳しい労働環境だっただろうけど、頑張ってくれて感謝してる」
心底からの言葉だろう。平野が来る前のインテリ学生のことを思えば。私だけでなく、田内さんも浜口さんもそう思ったらしい。皆無言で他のことをしながら頷いている。
「ありがとうございました。お陰さまでいい社会経験になりました」
平野もそう言って頭を下げた。ちらっと見たけれど笑顔はなかった。でもこの人はここではいつでもポーカーフェイスだったしな。最後の給料が出るのは〜ってリーダーが説明している。それを背中に聞きながら、私はエプロンを片付けて帽子を仕舞い、業務日記をつけるべく倉庫へとむかった。串やトレーのストックの在庫を調べなければならない。
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