・完璧な振られ方・1
一体どういう顔をすればいいのか。
当然ながらその疑問に頭を抱える羽目になって、私はまた寝不足のままで出勤した。眠れないままだったので、破れかぶれな気持ちで1時間も早くに。
平野も出勤の日なのを事務所の壁に貼ったシフト表で確認してガックリする。今日はうちのチームが担当している5店舗の内2店舗が休みの日なので、いつもに比べると仕込みの量は少ない。だから高峰リーダーと前園さん、浜口さんの3人が休みを取っていた。
普段なら気が軽くなる、上司がいなくて仕込み量の少ない出勤日。だけど今日は、是非高峰リーダーには居て欲しかった・・・。あの罵声にびびっていれば、無駄口は減るのだ。あの切れ長の目がメガネの奥から睨んでいると思うから、緊張感をもって仕事が出来るのだ。それは平野だって同じはず。なのにリーダーがいない!昨日の今日で!ってことは、平野からの盾となる(まあ時には槍にもなるのだが)人材がいないってことではないか!
「あああ〜・・・」
まだエプロンを着ただけの今で、すでに部屋に帰りたかった。恋しい・・・私の小さな部屋。まだ皆の出勤までには時間があるから、今からさっさと帰ったら気づかれないよ、私!帰る?もう帰っちゃうー!??腹痛と頭痛を併発したってことにして。ああそれに、吐き気も!食品会社で吐き気はご法度だ。きっと休めるに違いない!
考えてから、自分の頭を拳で叩いた。・・・何を言っているんだ、私。ちょっとしっかりしろ。
「だけどホント、どうしたらいいんだろ・・・」
つい呟きになって口から出てしまった。
だって何故かキスをされてしまった過去に封印したはずの男が、今日もここにくるんだよ!どうしたらいいのよ私!
まだ平野もパートさんも来ていない。だけどその時、田内さんがタイムカードを押して、おはようと言いながら入ってきた。
「おはようございます〜。早いですね、田内さん」
「あれ、どうしたの?」
田内さんがぱちくりと目を開けて私を見た。
「何か、えらくしんどそうじゃない?今日はハッピーデーなのに」
あははは、ハッピーデーだって。田内さんが上司ナシの仕込み量が少ない日をそう呼んでいると知って面白かった。少し笑って、気持ちも軽くなる。
「睡眠不足でして。でも今日の量なら大丈夫だと思います」
「少ないの、嬉しいよな〜。月に2回しかないもんね、こんな日。朝から気楽で早めに来てしまった」
田内さんはエプロンと帽子をつけて、作業場へと行きかける。と、そこで足を止めて振り返った。
「・・・何なら、作業台、換わろうか?今日だけでも」
「え?」
私は顔を上げる。田内さんはちょっと言いにくそうにして、だけど決心したように口を開いた。
「平野君の隣が嫌なら、今日は場所を換われるよ。その・・・藤さんの睡眠不足なのもあの人が原因なら、と思って」
ガーン。
私はショックを受けた。
やっぱり見てすぐ判りますよねえ!?そう思って。それもあいつが、あの男が原因だって皆に判ってるんだ〜やっぱり〜!!この無口で周囲に興味がなさそうな田内さんでさえ、そう考えるんだもの〜!
私は泣きそうな顔をしたらしい。田内さんは慌てた様子で後ろへと下がる。
「え、ごめっ・・・あの、余計なことだった」
「いえいえいえ!ありがとうございますーっ!!優しい、優しいよう田内さん!!」
私はつい大きな声を出してしまっていた。叫ばれた田内さんは更に後ろへと一歩さがる。
「作業台、換わって欲しいです!今日だけでもお願いします!」
そりゃ隣の作業台で作業をするのは嫌だ。特に見張り番がいない今日は全力で拒否したい!
私の迫力におされて完全に引きの状態になった田内さんが、また一歩下がる。
「うん、じゃあそれで。・・・そんなに嫌なんだ、あの人が」
私はちょっと困って言葉を探す。壁の時計を見れば、まだまだ始業には時間がある。ここで田内さんには話してしまおうかな、そう思ったのだった。この穏やかな人に、今まで誰にも話したことがないことを聞いて欲しいかもって思った。
でも迷惑かもよ?頭の中でそんな声が聞こえる。田内さんは係わりたくないかもよ?
まだ体がびびって後ろに引いたままの田内さんに、私はぽつんと言った。
「嫌というか、困るんです。どうしたらいいかで。だって・・・。田内さん、聞いてくれます?あの人・・・平野と、あったこと」
え。その形に田内さんの口が動いた。内心なかり葛藤したらしい。だけど彼も歪めた表情のままでちらりと壁の時計をチェックして、それから微かに頷いた。
私は誰かがきたらすぐに判るように作業場へ繋がるドアをしめて、ドアへ顔を向けて椅子に座る。それから小声で話し出した。
「高校1年で同じクラスになって、好きになったんです。私が、平野のことを。一度も告白はしなかったけれど、周囲にもバレバレの状態ですっと追いかけしてました。そんな3年間だったんです。平野は私を避けなかったし、迷惑そうでもなかった。それに他の女の子と付き合ったりもしなかった。だから、私には変な自信がわいていました」
田内さんも椅子に座る。それから頷いた。本音は迷惑なのかもしれないけれど、とにかく先を促してくれてるんだって思って、私は早口の小声で続ける。
「付き合ってって言えば、頷いてくれるかもって。少なくとも嫌われてはいないはず。ずっとそう思っていたし、3年生の最後の方は進路の話なんかも、聞いたら教えてくれたんです。同じ大学にいけるかもなって言われて有頂天になって。勉強もすごく頑張ったりして」
平野は私よりも偏差値が高かった。センター入試が始まるまで、私は志望校を平野と同じにして懸命に勉強に励んでいたのだ。
一日中、起きている間は勉強していた。自分が行きたい場所は平野が行きたい場所だ、そう思い込んで、猛勉強していたあの頃。それでも時間は過ぎていく。同じ高校で会えるのも、もう少しだけなのだ、と12月の終わり、年末のテレビ特番を見ている時にハッとしたのだ。
「それで、やっと告白しようって決めたんです。センターの結果が良かったら、同じ大学にいけるかもしれないって判ったら、告白しようって」
「・・・したんだ、結局?」
田内さんがそう聞いた。
私は首を振る。
「それが、その時は出来なかったんです。センターの結果は悪くはなかったけれど、思ったほど良くもなくて。それで・・・よく考えたら一般入試の前だし、今そんな話しても迷惑かもしれないって思って」
というか、実際は友達にストップをかけられたのだ。ちょっと待って、ちー!って。今はさ、やめといた方がいいと思う。だって皆殺気立ってるよ?ちーだって余裕綽綽ってわけじゃあないんでしょ?って。
私は遅まきながら、そうよねと納得したのだ。同じ大学にいけることが決まってからにしようって。確かに皆殺気立ってる。既に進学を決めたクラスメイトと入試を控えた生徒の間には恐ろしく固い見えない壁が立ち塞がっていたし、受験生に刺激を与えないようにと合格組は学校に来なくてもいいって言われていた時なのだ。
私はちらっと壁の時計に目をやる。もう15分で始業だ。そろそろパートさん達が来てしまう。
「でも結局私、同じ大学には受かれなかったんです。平野は合格しました。そして、私は落ちた。だから、その結果が出た時に悩んだんですけど・・・でもナシにしたくなくて。私の3年間を。だから伝えました」
2月で、雪がチラチラ降っていた。
凄く凄く寒い日で、あの日は確か、平野が大学の合格報告を担任にしにいく日だったはずだ。クラスごとに報告の日が違っていて、私は予めその日程を調査済みだった。平野が合格したってことも知っていた。だからその日に学校へくるってことも。
だから待ち伏せたのだ。
ずっと追いかけていた背中に向かって、呼び止めるために。初めてちゃんとした深い話をするために。
「で」
「で?」
田内さんに向かって私は苦笑した。
「見事に振られたんです。悪いけど、俺は藤に興味を持てないって。これきりにしてくれ、声をかけるのも。そう言われました。それで私の気持ちはぺしゃんこになって卒業になり、急いで滑り込んだ違う大学に入ったんです。同窓会もいきませんでした。だからここで平野に会って――――――――」
「まあ、そりゃあ動揺しまくるわけだよね」
田内さんが引き取って言った。もう10分前だ。田内さんは立ち上がって帽子を手に取る。
「・・・僕にはそんな経験がないから・・・うまく慰められないけど。とにかくよく判ったよ。最初に平野君が来た日、あの時の藤さんは凄かった。あれだけ焦った人間を見たことがなかったから、ちょっと驚いてたんだ。とにかく今日は作業台換わるから。秤は同じだから僕のを使って」
「ありがとうございます」
私は椅子に座ったままで頭を深深と下げる。
作業場へ行こうとしてドアをあけ、あ、と田内さんが振り返る。
「それに、今の話は誰にも言わない。高峰さんに脅されても」
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