4、逃げ隠れ再び@



 思えばほんの1年やそこら前のこと。

 長年の片思いがこじれすぎて不毛の極地にいたり、私はようやく正輝を諦める決心をして、彼に「幸せになってね」と言い(実際はちょっと違ったかもだけど)、身を引いたのだ。

 ・・・いや、公平にしなければ。身を引いた〜なんてもんじゃなく、あの手この手を使って逃げまくったわけなのだった。

 個人的には彼の姿をみずにいれば、それで心の平安が訪れて、いつの日にが笑い話になり、次に正輝と会うときには普通の友達になっている、はずで。だけどその作戦はうまくいかなかった。まさかの追撃が始まったからだった。

 私が逃げれば彼が追ってくる、それは理不尽で大変体力も気力も消耗する日々だった。

 だけどあれがあったからこそ、私はついに正輝と恋人同士になれたはず―――――――――・・・なんだけど。


 また逃げる日々が始まっていた。


 つまり、正輝を素敵なイタ飯屋に置き去りにしたあの夜以来、私は正輝とそもそもの原因を作った新人の田中さんの二人から、逃げまくっている。

 田中さんから逃げるのは、心と体の安定の為。

 彼女がいくら私の真似をしたところで私がそれを目撃しなければ、恐怖も苛立ちも感じないと気がついた。

 正輝から逃げるのは、憎しみと苛立ちを忘れる為。

 あっさりと他の女からの接触を受け入れようとした彼氏をそれでも好きだから、可愛さ余って憎さ100倍を地でいく羽目になったのだった。だから、彼のことは目にいれない、心にも入れない、それには姿を見ないのが一番である。

 と、いう訳で、「あの夜」の正輝からの電話は無視して、翌朝の『昨日は翔子を怒らせたみたいで悪かった』という、結局何も判ってねーじゃねーかよお前、なメールには『うん』とだけの無愛想ここに極まる返信を送っておいた。

 現在私には、ラッキーなことかなり差し迫っている自分が立ち上げたイベント企画があり、今度ばかりは亀山に迷惑をかけるわけにはいかなかったしで(マジで首になるぜ)、没頭する必要のある・・・いや、せずにはいられない仕事があったのだった。

 しかも、私の戦場は主に社外なのだ。

 そんなわけで会わないでいようと思えば会わずにすむ営業事務の田中さんとは、極力顔を合わせないように努力した。そこら辺にいる亀山や田島君をフルに使いまくって。亀山は堂々とそれについて文句を言ったけれど、彼愛飲のウォッカを瓶ごと差し出すことで口を噤ませた。田島君には「彼女といってね」と高級クルージングのディナー券を握らせておいた。小道具をいかに使うかで、営業能力は変わってくるというのが私の持論だ。

 賄賂?それが何だっていうのよ!全部全部必要経費よ!

 逃げ隠れのせいで無理な体勢が多くなり、破れたストッキングの数は半端ないけどそれだってしっかり必要経費。

 勿論ストーカーの田中さんがそれで諦めるわけがない。

 私のヒール音を聞くや否や尻尾を振って飛んでくるし、毎日必ずランチに誘われる。それを私は急にネイチャーコーリングが聞こえて(つまり、尿意)トイレに駆け込んだり、クライアントとランチなのよ〜とか言って笑いながら姿を消す、というようなことを地味〜に毎日やり続けた。

 雑誌で顔を隠したり。

 足音を消すためにヒールを脱いでカーペットの上を歩いたり。

 瞬発力と観察力を要求する一瞬芸のような行動を。


 例えばある日の一日はこうだった。


 朝、慎重に正輝のメールを見ないようにして出勤し、ビルの入口で私を待つ田中さんを発見したからわざわざビルの裏側に回って守衛さんに頼んで入れて貰った。

 そして階段を使ってオフィスまで上がり、田中さんのいない間にメールのチェックや書類の準備をババっとする。それから一目散に駆け出し、待つのを諦めて上って来た彼女とエレベーターホールで出会いそうになった時には、同じく出勤組みの亀山をひっつかまえて壁になって貰った。

 それは田中さんに見付かってしまって(残念!)、彼女は嬉しそうにかけてくる。

「梅沢さん、亀山さん、おはようございます〜!」

「・・・はよ」

「あ、おはよ〜・・・」

 その間、私は無駄にデカイ亀山の体を盾にしてホールを移動しながらエレベーターへと近づく。

 田中さんが怪訝な顔で(多分ね。見てないから判らない)、どうしたんですか?と聞きながら覗き込もうとしてくるのを亀山の体で阻止する。つまり、亀山の体を両端から掴んで、田中さんが動くたびに同じように動いたわけだ。

 露骨?だから何だってのよ!必死なんですこっちはもう!

「おい梅沢〜!何の真似だよ離せこら!俺はトーテムポールじゃねえ!」

「トーテムポールならもっと役に立つわよ!動かないで」

 がっしり亀山を捕まえたまま、私と田中さんはぐるぐると周囲を回る。

「ああ!?こら梅――――」

「うるさい亀、ケチくさいこと言わないでよホラ」

「??う、梅沢さん?あの・・・?」

 田中さんも諦めない。相変わらず怪訝な顔をしたままで、しつこく私を追いかける。

「ええと私は朝一アポがあるから行くわね。あー、今日も一日頑張って頂戴!」

「離せ梅沢〜!!」

 ここで私は暴れる亀山をようやく解放し、ドアの開いたエレベーターに突進する。うしろから亀山の悪態をつく声と、田中さんの声が追いかけてきていた。

「お、お疲れ様です〜!梅沢さーん、あたしランチ待ってますね〜!」

「あ、私は遠慮するわー!」

 大声でそう言いながら、閉のボタンを神業連打しまくっていた。

 こんな感じ。エレベーターの中に言わせた他のフロアーの他社社員はドン引きして私を見ていたけれど、そんなこと痛くも痒くもねーわ。逃げなければ!それが私の使命なのだと思おう。だって、心の平安、そしてイベント大成功の為にはそうするしかない!

 そして別のある日には。

「梅沢さーん」

 と田中さんが寄って来たら、予め用意してあった伝票を押し付けて言った。

「これ、経理に出してね」

 また彼女が、

「梅沢さーん!」

 ときた時には書類を押し付けて「これ本社にファックスで」。

 そしてまた来たときには私はにっこり微笑んで、ダッシュで廊下を駆け抜けた。

「ネイチャーコーリングよおおおおお〜!!」

 別に尿意なんかないんだけどね。

 実際は、屋上にタバコを吸いに行った私だ。


 で、正輝には。

 メールの返信はした。いずれも無愛想極まりないものだったけれど、無視はしなかった。電話はやっぱり破壊力が半端ないので、適当に誤魔化してやり過ごした。

 だってあの愛しい声が!!私の耳に直接流れ込んでくるのよ!それを無視するのは非常な労力が必要だったのだ。

 だからある時には電波障害を装ったし―――――『あ、あれ?正輝?おーい、聞こえてるー?』と言いながらボタンを押す――――――――多忙を理由に会うのは避けていた――――――『ダメなのよ。それが。再来週まではとても。あ、電話だわ、ごめんね』といって即切る――――――――から、切なさは募っても心は折れずに済んだ。

 そして、少しずつ姿も変えたのだ。

 大きめのアクセサリーを小粒仕様に変えた。元々は正輝の好みで集めていたアクセサリー、勿体ないからって捨てなくて本当に良かった。

 控えめだけど上質なダイヤのピアスが小さく耳朶で光る。それを強調したくて、ハニーベージュだった髪色にアッシュブルーをいれて暗めにし、ふわふわに膨らませていた猫毛をストレートのボブに変える。

 ピンストライプのスーツはやっぱり好きだから変えなかったけれど、スカートをパンツにし、スカーフなどを多用するようにした。

 かなり外見の印象は変わったのだ。化粧は変えずとも、女性は自分のイメージを簡単に変えることが出来る。早朝や夜にやっと会社に戻った時、すれ違う同僚が「おお、イメチェン?いいよ似合ってるー」って声をかけてくれることで、私はいたく満足したのだ。

 よしよし、それにあまりあってないから、田中さんは私の真似をするのに追いつかない模様。

 髪色変えたんですか?の次の次の日に、え?長さも?になって、梅沢さん、スカーフにしたんですね、に変わる。その度に彼女の口調に焦るような響きを聞き取ってから、私はさほど観察時間を与えずに微笑みだけ残してとんずらしていた。

「ごめんね、今急いでるの〜」

 って。手をヒラヒラ振って。

 社内でよく使うのは、トイレ、喫煙コーナー、そこにたむろする野郎どもの背中。エレベーターで会わないように、究極に疲れている時以外は階段を使うことにしたから、最近はふくらはぎがしまってきた。

 田中さんに捕まらないように、それに気をつけながら、私は仕事の鬼となる。

 仕事は私を裏切らない。成果に応じてボーナスまで出る。自分の好きなものを買えるし、美味しいご飯も提供してくれる。ほんと、仕事って最高ー!

 いい感じだった。面倒な新人さんに対することはそれで良かったって思っていた。だけど、それでは全然よくない方が、まだあるにはある。

 正輝だ。

 彼に会わないと決めてから、私の心臓は大きな傷口を持ったまま。だってあれだけ焦がれてやっと恋人になった男なのだ。ガッカリしたけれどもまだ好き。なのに彼に会うことが出来ないし、話すことも自分で苦しくなるのだ。

 凄い勢いで流れ出ているわけではないけれど、確実に毎日血を流している。

 会わないってことは、あの笑顔を諦めるってことだ。それにあの胸。腕、私の好きな背中から腰のラインも。優しい言葉に低い声も、全部全部。

 正直に言えば、辛くて、そっちはめげそうになった。

 あうあう、と泣きくれてクッションに顔を突っ込んでいた夜だって何度かある。

 つい電話に手を伸ばしそうになって、その右手で左手で叩いたりとか。のおおおおおおおおお〜うう!!って絶叫してみたりとか。もう何でもいいから会いたいって。でもやっぱりムカつくし、冷却期間が必要なのよ!って。

 怒っているのに彼の胸に飛び込みたい。そんなジレンマを抱えたまま、悲劇のヒロインを演じるには現実的過ぎる頭を抱えて、私は一人で唸っているのだ。

 くっそう神よ、ほんと降りてこい!てめえ何してくれてるんだよ、全く私が何をしたっていうのよ〜!!と天に向かって暴言も吐きまくった。身を粉にして働いている真面目な女を苛めないでよ!ちょっとドランカーでスモーカーだけど、それでアンタに迷惑はかけてないでしょうがよ!

 泣き過ぎてマスカラも取れ、疲れきってヨロヨロになった鏡の中の私はヒドイ顔だったのだ。げーろげろ。何このお化けと言って大正解の顔。

 鏡にはタバコの煙を吹きかけてやったけど。だって見たくなくて。

 とにかくとにかくとにかく、来週の、6月中旬にあるイベントがちゃんと終わるまでは!そう思って、私は逃げまくった。

 メールも電話も無愛想。これではいくら鈍い正輝だって、これはおかしいってそりゃ思ってる。だから「どうした?」という問いかけも多かったし、「話をしよう」って電話がかかってきたのも何回かある(全部電波障害を装った)。

 でもまだ。まだだ。

 まだ会えない。まだ話せない。









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