3−A


 宇宙の始まりがどんなだったかを知る人間はいないはずだ。だって目視できるわけがないから、想像でものを言うしかないわけだし。

 バーンといってちりちりになってぐしゃっとなった、とかね。見たんかいな、アンタ。

 というわけで、私もよく想像でものを言う。日常生活の色んなことを。ああなのかな、こうなのかなと想像しては一人で納得したり、憤慨したり、喜んだりしている。もうその状態は混沌とした宇宙の始まり(多分)と同じような状態になっているわけだ。何が何だか判らなくて、ぐちゃぐちゃの状態。それが私という一人の人間の、この小さな頭の中で起きるわけ。

 そしてまさしく今、私の頭の中は「ビックバン」状態であると言えるのだ。

 カオス。混沌。ぐーるぐる。

 色んな情報や場面が無秩序に混じりあって、もう何が何だか判らない!って喚きだしたい状態。

 私はムスっとした顔で、とりあえずテレビの中で爽やかな笑顔をしているお天気お姉さんを睨みつけている。


 正輝が田中さんと一緒にいた。

 そして、その夜でろでろに酔っ払って帰宅した私のケータイには、結局正輝からのメールも電話もなかった。それに落ち込むには余りにもアルコールに支配されていた私は、どうでもいいや〜と鼻歌まで歌って、化粧も落とさずに布団に潜り込んだのだ。

 そして、今、朝の7時42分。

 リターン・トゥ・リアル。

 強烈な二日酔いと共に強烈な悲しみに襲われている。

「・・・・うええええええ〜・・・・」

 ダメだ、気持ち悪い。飲みすぎたわ久しぶりに。きっと亀山も立ち上がれない体になってることと思うけれど、それでも私達には今日も出勤の義務あるのだ。必ず昨日の後始末をつけなばならない。どうにかして出勤しなければ。

 大量の水を持ち込んでシャワーを浴び、その間にも泣いてるのかシャワーのお湯なのかわからない状態で、ぶつぶつと心の中で呪いと唱えていた。

 くっそう、あの女!一体ナンなのよ〜!!

 私の男に手を出すなんざ、100年早いっつーの!いやいや何なら1000年早いと言ってもいい。正輝を手にいれるのにどれだけの年月私が頑張ったと思うのよほんと!

 女は、男が浮気したときに男でなく相手の女に噛み付く生き物らしい。私は以前、その一般的女性の行動なるものを鼻で笑っていた。

 そーんなのテメエの男が悪いんじゃないの?って。

 そんな男を選んだあんたがアホだったってことじゃあないの?って。

 だけど実際は私も、新人の田中さんをこき下ろしまくっているのだ。

 すみません、あの時バカにした「よくあること」特集さん。まだ真実を確かめていない状態で、私はすでに相手の女を呪いまくっています。

 実際に正輝が何をしたのかは知らないから、浮気とは言えないだろうと思う。だけどやましいことがなきゃ、メールででも言ってきそうなものじゃない?「翔子のとこの新人さんと会ったよ」とかさ!それすらもなかったのだ。

 ってことは何よ?もしかして、あの後もまだ一緒にいたのかも?そして朝まで一緒にいたのかも?いやいやいやいや、それはさすがにないと思いたい。ええ、神様頼むからそれだけは!

 頭痛がひどいというのに頭をブンブンと振ってしまって、おええええ〜とソファーに倒れこんだ。

 インド料理屋では一度も携帯をチェックせずに、帰宅してから酔っ払った瞳で確認した。それは、正輝からのコンタクトは一度もなかった、という事実だった。

 そのせいで(いや、多分のアルコールも原因としてはあると思うが)寝ている間はうなされっぱなしだったはずだ。様々な悪夢を見る羽目になったのだから。

「・・・ああ、頭いたい・・・」

 心の中も頭の中も暴風雨が吹き荒れていた。

 だけど私は今日も会社へと向かう。だって、お仕事だもの。

 つつ、と一筋涙が零れた。それは寝転がっているソファーの緑色のカバーにシミを作って消えていく。私は濁った頭と瞳を持ったままで立ち上がる。

 ・・・出勤よ。とりあえず、片付ける必要がある目の前のことから、やっつけてしまおう。



 やっぱり亀山もほとんど死んでいた。

 くっきりとしたクマがある目元には光などなく、だるそ〜うにキーボードを操っている。今日はヘッドフォンもつけてなかった。頭痛がひどいに違いない。

 夜食に誘ったのはやつの方だが、それに大量の酒を加えたのは紛れもなく私だ。だからいつもよりは優しい気持ちになって、ヤツの為にカフェインをとりに行ってあげた。

「お疲れ。はい、コーヒー。ブラックで」

 お昼すぎ、私達は日がさんさんと差し込む会議室に座っていた。

 さんきゅ、と言って亀山がコーヒーをすする。静かな会議室にはさっきまでのバカ上司への対応会議の残像が残り、シーンとしているのに何やら騒がしい空気が漂っている。

「・・・やれやれ、だな」

「ほんとそれよ。あーあ、疲れた・・・」

 同時に深いため息をはいた。

 何とか企画は復活したのだ。問題の上司が相手先にお詫びにいって、昨日亀山と田島君と私とで頑張った成果を誠意という形でみせることで、仲直りが出来たのだった。

 ぐったりと倒れ伏す私と亀山に、バカ上司はお疲れさんとひょうきんな声だけをかけて逃走したところ。きっとこれ以上残っていると疲れきった部下二人の言葉のつるし上げにあうと思ったのだろう。やるつもりだったぜ、ほんと。

 窓から入り込む温かい春の日差しの中、呆けた男女が座っている。

 どちらも言葉もなく、ただ戦争のようだった昨日から今日にかけてのことを思い出しているようだった。

 その時、亀山が口を開いた。

「・・・梅沢」

「うん?」

「・・・昨日のこと、彼氏に聞いたのか、ちゃんと?」

 私はコーヒーをごくりと飲んで、カップのふちから亀山を見た。ヤツは目を閉じたままで椅子に深深ともたれかかっている。

 そりゃこいつでも気になるわよねえ〜・・・。そうダラダラ考えた。目の前で修羅場が起きるところだったわけだし。

「まだ。メールも電話もしてないわ」

 私はカップをテーブルに慎重に置きながら答えた。

「・・・きかねーの?」

「そんな暇が今までにあった?」

「もうこっちは終了したんだから、今からいくらでも時間はあるだろう」

 やっと亀山がこちらを見た。

「・・・何であんたが気にするのよ」

 ムスッとした私がそう言うと、目を半眼にした亀山がうんざりした声で答えた。

「お前が彼氏と何かがあると、途端に使い物にならなくなるのが今までで判ってる。マジでヒドイ状態になるってことが。今回は危機を乗り越えたけど、企画が完全に終わるまでは平常心でいてもらわなきゃ困るんだ。これはお前の考えたイベントだし、俺一人では到底カバー出来ない」

 ・・・おっしゃる通りです。あううう〜。

 私はテーブルに額を押し付ける。

 いつも、正輝のことで凹んだ私は仕事が出来ない女へと変わってしまうのだ。それで亀山には数々の迷惑をかけてきたわけで―――――――――今回もそうなりそうだって、ヤツが気にするのは尤もだ。

「・・・ごめん。何とかするわ」

 ふうう〜、と、亀山の大きな深呼吸が聞こえる。

「頼むぜマジで。それか、イベントが終わるまでは完全にこっちに集中するか。どっちかにして、間違っても奈落の底へ勝手に落ちるな」

「・・・へーい」

「自棄酒にももう付き合わない。オッケー?」

「・・・へーい」

 まだしばらく亀山は私を見ていたようだけど、その内音をたてて椅子から立ち上がった。

「じゃ、お疲れ。俺はさっきの内容まとめて本社に送ったら帰る」

「うん」

 足音。それからドアの閉まる音。

 ・・・・あああ〜・・・・・。私は更に強く額をテーブルへ押し当てた。

 そうだよね。さっさと話をつけたほうがいい。だって気になって仕方ないじゃない?忘れるなんて無理に決まってる。昨日はアルコールがブラボーな効果を発揮したってだけなんだから(いやそうとも言えないか)。

 うだうだと時間を潰したあと、これ以上は凹むだけだと思った私は、とりあえず先に新人さんと話すことにしたのだ。

 まだ正輝を相手にするには体力も気力も足りないわ、って。だけど、問題の相手の一人はすぐ近くにいる。

 自分のブースに戻るとそこは普段のとおり、牛田辺さんと田中さんが二人並んで事務仕事をやっていた。

「あ、梅沢さん、お疲れ様です」

 牛田辺さんが気がついてそう声をかけてくる。多分に同情のこもった声だった。チームメンバーは皆等しく上司に怒りを抱いているはずだ。

 私は何とか微笑みを浮かべて、頷いた。

「お疲れ様。何とか戻れてよかったわ。――――――ねえ、田中さん、手が離せるならちょっと付き合ってくれない?」

「あたしですか?はあい!」

 パッと顔を上げた田中さんは今日もキラキラと生命力の光を放っていた。すっきりとした細身のスーツ。完璧な化粧と若い笑顔。寝不足で二日酔いの私とはえらい違いだ。

 じゃあちょっとすみません、と牛田辺さんに言って、嬉しそうな顔でこっちへと出てくる。

 亀山が窓際から見ているのが判っていた。

 私はもう無言になって、さっきまで使っていた会議室へと戻って行く。よし、私の個人的な戦いの開始よ。攻撃は最大の防御なり。・・・というか、どういうことだったのか判らないのよ。だから田中さんから、とりあえず話を――――――――――

「入って」

「はーい」

 相変わらずニコニコと笑っている彼女を会議室へと招きいれ、私はドアをしめて椅子に座った。

 それから出来るだけ睨まないように努力して、口を開く。

「あのね、田中さん。実は昨日、あなたと私の彼氏が一緒にいるところを見てしまったの」

 言葉に出すだけで心臓が痛んだ。

 小さな傷なんかではなく、それは斧を振り下ろされたかのような大きな傷で、今でもどくどくと出血している。

「そのことを、話して欲しいのだけれど」

 あら、と声に出さずに言って、田中さんも真面目な顔を作ろうとしているのがわかった。だけど早々に諦めたようで、やっぱりニコニコと笑顔のままで喋りだす。

「はい!昨日、梅沢さんの彼氏さんには会いました!バッタリだったんです〜。まさかの遭遇!驚いたけどあたしは顔も覚えていたんで、ご挨拶しました!」

 ・・・・・・・・マジかよ、それ?

 私は目が点になる勢いだったけれど、とりあえずイメージ上での心臓の傷が、半分くらい塞がった。そお〜んな単純なこと?本気?だって時間や場所が――――――――・・・

 コホン、と空咳をして、私はまた口を開く。

「・・・ええと。そう、偶然会っただけってことなのね?」

「はい!あたしは友達と飲んでいて〜それで店を出てバイバイしたところで見かけたんです〜。彼氏さんも覚えてて下さって!だから追いかけていって、ちょっとお話ししました。梅沢さん、見てたなら声かけてくれればよかったのに」

 ニコニコニコ〜。彼女のバックにはピンク色の花びらがまかれているようだった。

 人畜無害です〜って看板が掲げてあるかのように。

 私はもう少し傷が塞がったのを感じる。そうなんだ、正輝も偶然会っただけで、自分も忙しくてコンタクトを取れなかっただけなのかも。私がイライラしまくって勝手に妄想してただけなのかも。

 ホッと息をはく。

「ええと・・・私はまだ仕事中だったの。亀山と一緒だったし、ちらっと見ただけで。・・・でも判ったわ、気になっていたから聞いたんだけど、仕事中にごめんね」

 これでもう後は正輝に確かめるだけ、そう思って、私はやっと田中さんに笑顔をみせる。

 真似されたり行動を同じにされたりでストレスがたまっていたから、変に敵対心をもってしまったんだわ。私ったら、バカなんだから――――――――――

 だけど彼女は席を立たず、更に身を乗り出して言った。





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