3、正輝と「あの女」@



 平たく言うと上司の裏切りにあって、ほとんど最後まで進めていた企画がおじゃんになりかけていたのだった。

 それを私と亀山と田島君はそれぞれが心の中で悪態を付きながら、表面上も鬼のような顔でバンバン片付けにかかる。折角ここまで進めてたのに、何しやがるんだあのバカマネージャー!!次にあったら廊下で衆人環視の中無様に滑るようにバナナの皮を放り投げてやる!いや、そ〜んなことでは手ぬるいか!コーヒーには唐辛子を注入し、デスクには油をひっかけて、呪いの札でも貼り付けてやるんだ!絶対やってやる〜!!なんて、私はそんなことを企みながら方々へ電話をかけまくる。

 絶望的状況が危機的状況にまで緩和され、何とか「複雑に絡み合った面倒臭い案件」にまでレベルが下がり、ようやく目処がついたのは夜も10時になっていたころだった。

「・・・・・ああ、やれやれ」

 ぐったりと椅子に座り込む。

 バカな上司がクライアントの了解を得ずにしゃしゃり出たせいで泡と消える寸前だった企画は何とか姿を保てるように復元された。素晴らしい!私達は間違いなくプロだ!と胸を張りたいばかりの、だけど果てしなく無駄な時間を使って必要な成果をあげ、チームの内3人はぐったりして抜け殻状態になっていた。

 ほとんどボロ雑巾。スーツは皺くちゃで、髪の毛は何度も手をつっこんでかき回したせいでボサボサになっていた。

 今晩はもう何も出来ることはなく、これで解散しようと言うことになる。



「お疲れさまです!」

 よろよろした足取りで、それでも田島君は鞄をひっつかんで速攻で出て行く。あの顔は恐らくそろそろプロポーズする彼女との待ち合わせがあったのだろう。明日は彼、休みの予定だったし。多分、田島君の休みはそのまま取らせてあげられると思うけど。

 まだ見ぬ田島君の彼女、許してやってくれ。私は心の中で合掌した。ほんと、チームの皆で頭下げるからさ。

「・・・ああ、ヘビーだった・・・」

 亀山がそのデカイ図体をだら〜っと壁にもたれかけさせて呟いた。この男にしては珍しく馬力を出して頑張ったせいか、いつもよりも生気のない顔をしている。

 全く、何て顔してるのよ、私はそう言って笑う。亀山は私の投げたゴミを掴みなおして投げ返してきた。

「梅沢、腹減ったなー・・・。どっか付き合う?」

 おお、珍しく亀山からのお誘い。この男は仕事能力はあるが社交性は限りなくゼロに近い野郎で、私が誘わなければ(それもかなり強引に)一緒に飲みにいくなんてことはないのに。

 よっぽど疲れて、上司にムカついてるんだろう、それが判ったから、私は立ち上がって伸びをしながら頷いた。

「よし、行こう。気分変えたいわ」

「腹減った・・・」

「アルコールとタバコが必要よ!」

「俺は飯だけでいい」

「このヘナチョコ野郎〜」

「イカレスモーキー女」

 つい、何だと!?と威嚇しかかる私を華麗にスルーして、行くぞ〜っとヤツはさっさとフロアーを出てしまう。くそ、逃げ足は本当に早いわね・・・。とりあえず私は、亀山の椅子を蹴り飛ばすことでウサを晴らした。

 今日は折角あのバーに行こうと思ってたけど、それはまた今度にしよう、そう思って私は亀山を追う。あの素敵なバーには軽食は置いてあるが、今の二人はがっつり腹に入れたい気分なのだ。そうでもしなきゃイライラが高じて、今度はエレベーターを破壊しそうだった。

「どこいく?」

 エレベーターのランプを見詰めながらそう聞くと、隣で亀山が唸った。

「うーん・・・スペイン、インド、アメリカの中で」

「・・・・パエリア、カレー、ハンバーガーってこと?何なのよそのチョイス」

 ビルを出て、風を撒き散らしながら亀山と歩く。桜はもう散ってしまったけれど、少し湿度の高い湿った春の夜風が足元を吹きぬけていく。この春はついにお花見も一回しかしなかったなあ〜・・・。私は正輝との幸せなお花見を思い出して、一瞬頬を緩めた。

 会社の外で亀山と一緒にいるのはすこぶる珍しいことだった。二人で乱暴にどこの店で食べるかを言い合いながら歩いていると、繁華街に入りかけたところで先を歩いていた亀山が一瞬動きを止めた。

「じゃあカレーにしよう。私、ナンとキチンでビール飲みたい・・・・亀山?」

 返事がなくて振り返ると、あさっての方角を向く亀山。だけど私の声でパッと向き直り、適当に頷いた。

「じゃ、それで。いくぞ」

「ん?何よいきなり。どうしたの」

「腹減った」

「それは判ったけど、あんた今――――――――」

 何故か動きを早める亀山を不審に思って、私は思わず彼の見ていた方向へと目をやる。ほんの一瞬だけ、ちらっとだけど。

 でも、その一瞬で十分だった。

 がっつり目に入ってしまったのだ。

 夜の中、まだまだ元気な繁華街で一緒に歩く二人の姿。
 
 うちの新人と―――――――――あれは、正輝。

「―――――――」

 ・・・は?

 私は目を見開いて、そちらを凝視した。

 結構な距離に人波まであったけれど、一目瞭然だった。すぐに判った愛しい男と悩みの種の新人。彼らの丁度横には最近進出してきた居酒屋があって、そのギラギラした入口の照明で、二人の表情までがハッキリと判ってしまったのだった。

 田中さんは手に小さなバックを持ち、正輝を見上げてにこやかに笑っている。正輝も話をしながら微笑んでいる。私に見せる、あの笑顔で。

 どちらも仕事帰りの姿のようだった。正輝の濃紺のスーツ。そして、私に似た格好をした、田中さんのピンストライプのスカートスーツ。

 私の頭の中で文字がぐるぐると回りだす。

 ・・・・え?どうして二人が一緒にいるの?田中さんが帰宅したのは6時の話。今は10時半で――――――――もしかして、今日は二人は一緒にいたの?正輝は今晩の予定は何て言ってたっけ?いやいや、そんな話はしてない。私、今晩の予定は聞いてない―――――――――・・・・・

 ぼーっとしてしまった私の肩を亀山が指先で叩いた。

「梅沢」

「え?」

 ハッとして、私は亀山を見上げる。

 ネオンをバックに背負って、いつものだるそうな表情を消した亀山が私を見下ろしていた。

「・・・どうする?」

 亀山の低い声。もう見てしまったものを否定する気はないらしい。最初は私に隠そうとしたけれど、もう見てしまったから――――――――


 ・・・どうする?

 どうする、私?

 ダッシュで二人のもとへ走って行って、問い詰めることも出来る。ちょっと何してるの?二人でいるってどういうこと?って。

 または、余裕綽綽でヒールを鳴らしてキャットウォークをし、笑顔で挨拶することも出来る。あ〜ら、正輝じゃない!こんなところで奇遇ねえ〜・・・。

 無視してこの場を立ち去ることも出来る。見なかったことにして、ただの風景の一部として。

 もしくは、今は二人に「見たぞ」と告げて、色んな言い訳を自分で考えて、あとで正輝と話すことだって出来る。彼の言い分をまず聞いてからってこと。

 でも。

 だけど。

 私・・・・私、は―――――――――


 亀山を見上げて、笑ってみせた。

「行こう、本当にお腹すいたわ」

 亀山がじっと私を見た。それから視線を外し、少しの間考えるように首を回す。

 だけどやがて頷いて、先に立って歩き出した。


 今日はバカ上司のせいで夜が台無しになった。私の素敵なジン・トニックも、素敵なマスターとの会話も消えた。それに今では疲れた夜のハイライト、ベッドの上での正輝との電話だって露となって消えてしまったってわけだ。

 今晩は出来そうにもない。いつもの嬉しがる声を何てことない声にかえて電話をするのも。眠たい目を無理やりこじ開けて、彼と電話で話すのも。

 インド料理のこじんまりした店のドアを押し開けて、私は明るい声でウェイターに告げる。

「二人」

 今晩は、慰労会。さっきまでの私達の頑張りと、明日どうするか、の相談もかねての同僚との夕食。

 そこに恋だの愛だのは入れたくないのよ。

 だって私は、今までだって仕事に生きてきたんだから。

 この数時間恋愛話を忘れることなんか簡単に出来る。・・・絶対に、やってやる。


 元々飲めるけれども私とは一緒には飲まない亀山が、これまた珍しく飲み放題に付き合ってくれた。

 くうう、って私はテーブルの下で拳を握りしめる。憎いことしてくれるじゃないの、亀山!あんた、いつもより格段にいい男に見えるわよ!これは絶対アルコールのせいだと断言出来るけど。

 何杯もお代わりをして、私は我慢していたタバコも自分に許しまくった。亀山もほとんど霧状態になってしまったテーブルの向こう側で、文句も言わずに座っていた。

 私達は色んなことを話した。今日の仕事のこと、バカ上司のこと、明日の天気のこと、亀山が好きなコンピレーションアルバムのこと、それから家族や友達のことまで。

 いつもの会話の30倍ほども。

 語りつくした。


 正輝と田中さん、以外のこと全部―――――――――――――








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