1、それはそれは「可愛い女子」
晴れて風の強い日には、青い空も全部桜の花びらでピンク色で埋まっちゃうのではないか、と思えるそんな春の日。
相変わらず多忙な我が社の我が企画グループに、中途採用の女の子が入社してきたのだ。
「田中陽菜子と言います。どうぞ宜しくお願いします」
ぺこんと頭を下げた彼女は事前に入手したペーパーによると年齢は26歳。肩までの黒髪がツヤツヤと光り、微笑めば口元にえくぼが出現するどこからみても「ピチピチの」女の子だった。
いや、世間一般的にはすでに26歳は女の子とは言わないのかもしれない。だけど、今年32歳の私にしてみれば26歳なんてまだまだ若い女の子なのだ。
私は梅沢翔子という。企画会社のここに中途採用されて、それ以来必死で仕事をこなしてきたわけで。だけどもう結構な年月が経ち、ある程度の仕事に自由もきくし、長年片思いしていた男と恋人になるという夢もかなった今、まさしく順風満帆といえる人生だった。
折りよく季節は春だし。
あたたかくなれば外回りだって楽になる。なんせコートを持ち歩かなくていいだけでも御の字ってものなのだ。そんなわけで機嫌よく、私は人生でも春、もしくは初夏あたりを満喫していた。
営業の私とシステムの亀山、それからシステムの田島君とサポートをしてくれる牛田辺さん、その4人でグループを構成している。この度サポート全般担当の牛田辺さんが結婚によりパートタイムへおりるので、補佐が必要になったのだった。
そして雇われた子が――――――――この田中陽菜子さん。
一応(といったら叱られるけれど)外資系の企画会社の我が社は、社風も何もほとんどないと言える。私は業種柄スーツ姿だけれど、これも自分が好きで着ているだけだし、システムの男共にいたってはジーンズに足元はスリッポンなのだ。私と同期入社の亀山なんて耳にでっかいヘッドフォンまで装着している。だから彼女のリクルートスーツ姿は大変浮いて見えたのだ。
だって黒髪にリクルートスーツだよ?新卒の日本企業へ入社した子みたいでしょ。
「宜しくね。私は梅沢翔子です。慣れるまで大変だと思うけど、焦らなくていいからね」
「はい」
大きな瞳をじっと私にあてて、彼女は頷く。
とにかく、パチパチと拍手を皆でおくって、その新人さんは世話係に任命されたグループで最年少の田島君(つっても28歳)に託される。そしてまたバタバタと忙しい日常業務へ戻ったのであるが―――――――
・・・視線が気になって。
私がくるりと振り返ると、いつでもその新人さんと目があうのだ。
最初はニコっと微笑んだりしてみた。あっちも勿論にこにこと微笑む。それだけで済んだので、ランチに行く頃には頭から新人さんの存在を消せていたのだけれど。
「梅沢さん、ここ一緒してもいいですかあ?」
トレーをもって、田中さんが満面の笑みで立っていた。
私と亀山は一瞬ポカンとした顔をして(多分、ほら、だって正直だから)、彼女を見上げる。
「ええと・・・あ、どうぞ。勿論よ」
なんてたって同じチームに入った子なのだ。中途採用の同期で同じグループだから、社内でランチを取る日はなんとなく一緒に食べている亀山と、バレないように目をあわせる。
―――――――お前、喋れよ。
―――――――あんたが話しかけなさいよ。
そんな短い会話を含んだアイコンタクトを亀山と交わしている間に、新人の田中さんはストンと亀山の隣に座ってしまった。瞬間、亀山が体を横にずらしたのに気がついた。
・・・やだ、亀山ったら、マジで女の子が苦手なんだわ。
私の隣も空いていたのに、どうして亀山の隣に、などとは思わなかった。その時は。
実際はこう考えていた。
教育係の田島〜!!どこ行ったあああああ〜!?って。
腐れ縁と言えるかもしれない勢いで惰性で一緒にランチをとる私達のところに、こーんなフレッシュな新人さんを一人で置いておくなんて!これではいつものように亀山と今進行中の企画の苦情や応酬も出来ないし、下品な話しも出来ないではないの!・・・ヤツ、あとで締めねばならない。私はそう心の中で決心して、仕方なく余所行きの顔で御飯を口へと運んだ。
亀山はCランチで私はAランチ。それは主に、揚げ物があまり好きでないない亀山がよく選ぶ魚系と、とにかくガソリンを突っ込んでおきたい揚げ物大好きな私のよくあるチョイスだった。そして、新人の田中さんのチョイスは――――――――定食ではなく、オムライスだった。
・・・なんか、可愛い。このキャンティーンの出す御飯が可愛らしく思えたことなんて初めてだ。きっと食べる人によって食べ物の印象も変わってしまうのだろう。
食事中、梅沢さんの髪型って、素敵です〜!それは何色なんですか?から始まって、田中さんはよく喋った。
新人さんとしての緊張はないのね、それって大物よね、そんな風に考えてニコニコと応えたのは私。亀山は手持ち無沙汰そうに食べ終わったCランチの皿を凝視していた。きっとヤツは早く大好きなスウェーデンのコンピレーションアルバムの世界へ戻りたいに違いない。だけど、窓側に亀山が座っていて通路側に田中さんが座っている。前後も一杯まで人が座っていて、亀山は身動きが取れないのだ。
それが判っていたから、私はサクッと無視した。
なんせこの子の相手が、私もちょっと辛かったのだ。同期たるもの苦楽はともにすべきであると考えている。だからここは亀山と二人で乗り切ろうって。ベタベタの甘ったるい女の子の相手なんて――――――私だってごめんだ。
「・・・ええと、じゃあ俺はコーヒー飲むんで、これで」
会話が途切れて一瞬の間があった時、普段は見せない鋭さを発揮して、亀山がぼそっと言った。私はハッと顔を上げる。ちょっと待て〜!!亀山、自分だけ逃げようったってそうは――――――――
その時、甘ったるいと形容してバッチリな声が侵入してきた。目をあわせていた(正しくは睨みあっていた)私と亀山の間に。
「あ、亀山先輩、あたしが運びますう〜」
首がなりそうな勢いで振り返って、目の前の女の子を、ついガン見した。
・・・亀山、先輩・・・?
ツヤツヤの黒髪をはらりと肩から払って、彼女は中腰で亀山に向き直り、ヤツの食器が載ったトレーを掴もうとしていた。
・・・あたしが運びますう〜??
一瞬文字が丁寧に一文字づつ点滅して頭の中を駆けて行く。
亀山、文字通り固まっている。それから、次の瞬間には覚醒したようにトレーを持ち上げかけた彼女と反対の端っこを引っつかんで、上ずった声で叫んだ。
「い、いやいやいや!お、お、俺が運ぶから!」
「どうぞ遠慮せずにい。後輩の仕事ですから〜」
「大丈夫、だから・・・離してくれ!」
最後はもう必死。亀山の叫び声に周囲の人間が何事かと振り返る。彼女、新人の田中さんはそうですかあ?と間延びした声で残念そうにいって手をトレーから離し、亀山が通れるようにと体を避けた。
私の方を見もせずに亀山はダッシュで退散する。
「ちょ、ちょっと亀!?」
私の叫び声は届いていたとしても無視することに決めたらしい。亀山は脱兎のごとくキャンティーンから姿を消した。本当に素早い動きだった。ヤツにとって、凄まじく衝撃的だったに違いない。だって、この会社でまさか?!だ。
私はしばらくあんぐりと口を開けていたけれど、周りの視線に気がついて口を閉じた。それから声を低くして、テーブルに身を乗り出して田中さんにと言葉を放つ。
「田中さん」
「はあい」
小首傾げつき。
「・・・誰のであろうと、例え上司のであろうと、食器を片付ける必要はないわ」
「え?」
大きな瞳をぱちくりさせて、彼女はじいっと私を覗き込んだ。何だその子犬のような目は!正直なところ、私はおぞ気が立った。なんていうか、その場に広がる「女の気配」にぞっとしたのだ。
私だって女だ。お洒落することは好きだし、いい男には漏れなく反応する。だけど、これは・・・「あの女」と学生時代に呼ばれるような子の気配がムンムンだ!
判るでしょ?判るよね?女性には普通の態度、もしくはきつめの対応、だけども男性陣には、特に自分がこれと決めた男には存在の全てをかけて突進する女達のことだ。ほら、無意識でもそんな行動をしてしまう人、学生時代にもいたでしょう!?
目の前で両目を大きく開ける田中さんからは、まさしく「女」の匂いがした。
「いいんですかあ?だって男性の、しかも先輩ですよ?」
がっつーん、と結構な衝撃。私の後ろに誰か立って、トレーで頭を殴られたのかと思ったほどだった。
瞬きを繰り返して何とか深呼吸をする。完全に、この子、違うわ。そう思いながら私は椅子に座りなおす。それから最初の新人教育へと乗り出したのだ。
「・・・田中さん、ここは日本であって、正しくは日本ではないの。外資系の会社はどちらかというと女性をエスコートする男性が多いくらいだし、特にうちの会社はそうなのよ。それに同僚はイコールの関係で、同じチームだとあってはそんなに上下関係はないの。いい?誰のであっても、食器・を・片付ける・必要・は・ありません」
区切って言った。それで理解してくれると有難いと思いながら。
だってチーフやマスター、部長クラスの接待ではないのだ。同僚だよ!同じチームの!!もし気を遣っているつもりならば大変な勘違いだし、それはすぐに直してもらう必要がある。
自分もコーヒー飲むから一緒に淹れましょうか、ではないのだ。どうして野郎の食べ終わった食器を片付ける必要があるのよ!?
若干顔を赤くしながら言った私をまたじい〜っと見て、彼女はにっこりと笑う。それから頷いた。はあい、判りました〜って。
本当のところ理解したのかは謎だったけれど、私はこれで良しとした。
その時はまだ判ってなかったから。
彼女の恐ろしさを。
恋人に昇格していた井谷正輝にだって、新人の転職者がチームに入ったの、と言っただけだった。だって本当にそれだけの人扱いだったのだから。
まさか。
まさか。
彼女にロックオンされたとは、その時の私は気がつきもしなかったのだ。
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