6−B
12月に入って学校の中はざわざわしている。
3年の大学受験のために先生方は一様に固い顔をして忙しそうに廊下をいったりきたりしているし、1年生は年末年始の冬休みを楽しみにして浮き足だっているみたいだった。
廊下には足音や笑い声も響き、大量の生徒が行き来している。
マンモス学校の試験は大変だ。生徒数もクラス数も半端ないから、学校中がひっくり返る感じになる。
中学の頃から部活の為に勉強の手は抜けなかった俺は、照れくさいのもあったからデート代わりに図書館での勉強をしようって佐伯を誘ったのだった。
まあテスト期間中だし。でも折角付き合うことになったのだから、やっぱりちょっとでも一緒にいたいし。
不器用なりの精一杯。
嬉しそうな顔を見れて良かったけど、実際は大変だった。
佐伯はよく夢想するらしい。ってか、白昼夢くらいみてたかも。全然進まないのだ。ぼうっと窓の方をむいて無言になってしまっていたり、肘をついて天井を見ていたり。
一体今までどうやって勉強してきたんだ?ってマジで不思議に思ったほどだった。教えるのは苦じゃなかったし、俺が罰則を決めた時の漫画みたいなショックをうけた顔は面白かった。だから俺は楽しんだけど、彼女はもしかしたらもう一緒に勉強はしたくないって思ったかも。
とにかく、そんなこんなで恐怖の期末試験が終わったその日、俺は昼前に終わった学校の中を、携帯電話を見ながら歩いていた。
佐伯からのメールが来ていたのだ。
うちの高校は基本的には携帯電話は使用禁止ではない。ただし、実は細かいルールが決められているらしいけど、今までさほど携帯を使う必要のなかった俺は入学式で配られたそのプリントを全然読んでないのだった。
『お疲れ様。長かったね、テスト。あたしも今日は美術部出るよー』
あ、部活出るんだ。
付き合うようになってからそれなりに色々話していた。毎日のメールのやり取りや、たまに一緒になれたときの電車待ちのホームなんかで。
彼女が普段美術部でしていることや、色そのものが好きだってこと。家では何をしているかとか、仲の良い友達は誰か、とか。
それから、実は彼女も俺を気にしていた、と聞いて、本当に喜んだ。
なーんだ、ってその時は言ったのだけど。
なーんだ、俺ら、実は両思いだったんだな、って。
言ったあとに二人で照れてしまった。
えらく面倒くさい回り道をしたようで、でも実はお互いを気にし始めたのはあの9月、夕焼けの廊下でぶつかった時だと判ったから、そんなに時間は経ってないんだった。
ここ3ヶ月の話だよ、うん。
ちっとも気にしてなかった隣の席の女子。ぶつかって、口元も怪我して驚いて・・・。
そのハプニングキスで、俺の中で存在が大きくなったんだった。
つか、もう普通にキスだって出来るんじゃん?自分でそう考えて、廊下の壁に頭をぶつけたくなった。
・・・ダメだ、多分、赤面。早く外の冷たい風に吹かれよう。
順番があるだろ、順番が!ほら、まずは手を繋いだりとか・・・。
一人で悶々とそんなことを考えながら部室のドアを開ける。
「おー、航。テストどうだった?」
幸田が数人の後輩と部室を片付けていた。
「まあまあ。ってか何してんの?」
鞄を置いてそう聞くと、幸田がにやりと笑った。
「昼練なくなったぞ。コートの芝生張替えとかで、軟式の方が中庭使うらしい。さっき先生から連絡があったんだ。なあ、飯どこで食う?」
「寒いからここでいいだろ。ストーブあるし、今日は学食開いてないって――――――――」
そう言いながら、ハッとした。
メールの内容にはなかったけど、もしかしたら佐伯は今日も屋上にいくのかも。そう思ったのだった。
付き合うようになってから話した話題の中に、それもあったのだ。
屋上でね、って彼女が下をむきながら言ったあの言葉。実は、横内君がクラブしてるのを見てたんだよ、って。夕焼けも見たかったけど、練習してる姿も見たかったから、って。
今日は屋上に行くとは言ってなかった。だけど、俺の昼練はあると思ってるだろうから行くかもしれない。
綺麗好きな幸田が後輩を使って部室の片付けをしているのを止めて、パッパと鞄から弁当を出しながら俺は言う。
「腹減った、さっさと食べようぜ!」
ああ?幸田が変な顔をしたけど、無視した。
早く早く、弁当なんか瞬殺するんだ。
あの子に会いに、屋上へ行きたい。
思惑があったのだった。
例えば俺がこのクソ寒いのにマフラーなんかの防寒具を持っていなかったのは、そうすれば佐伯が心配してカイロや手袋やを貸してくれるから。
ついでに近寄れるし、ついでにドキドキも出来る。
だからクラブの時のジャージの上にコートだけを羽織った姿で屋上に行ったわけなんだけど・・・・フライングだったみたいだ。
「・・・いないし」
屋上には、誰の姿もなかったのだ。
がっかり。まさしくそんな状態で俺は寒さに首をすくめる。あの子のことだからお弁当を食べたら絶対来ると思ったんだけどな〜・・・。でもメールにも書いてなかったし、今日はもしかしたら美術部で部室の掃除とかもあるのかも。それで出れないのかも。
そういうこともあるよな。俺は仕方ないな、と両手をポケットに突っ込んで、屋上を見回した。
風がびゅうびゅうと音を立てて吹いていく。見上げる空は今日も高くてきっぱりと青く、きっとまた綺麗で強烈な夕焼けが見れるんだろうなあ、という色だった。この世の終わりみたいな、ダイナミックな光景が。
・・・廊下で佐伯とぶつかって・・・。
口元に出来た傷もとっくに消えている。俺はその女子を気にするようになって、なんと今では彼女になっている。彼女だって、うわ〜だよマジで。
寒さで我慢できなくなるまでは屋上にいようって思っていた。どうせまたすぐに部活が始まるし、体を動かせば半袖でも十分な熱を持つ。部室へいけばストーブもあるし、大体ここ数年間風邪なんて引いたことがなかった俺は、変な自信も持っている。
もしかしたら、佐伯が来るかもしれないし―――――――――――
ほんの3ヶ月前まで全く関心のなかった恋愛に、ここまで自分がはまるとは思ってなかった。だけどよく考えたら何でも始めて3ヶ月くらいが一番面白いっていうし、きっとそういうことなんだろう。
好きだなって凄く感じる時期。
あの子が何をしてても、その姿をぼーっと見てしまう時期。
近寄って触れたくてたまらない時期。
あの頬とか、手とか、髪とか―――――――――
その時、冷え切って重くなっているだろう屋上の入口ドアが、がちゃっと音を立てた。パッと振り返るとそこにはいつものあの子の姿。思わず、あ、と声を出していた。
「来た来た。もう今日はこないのかと思ったー」
そう声をかけるとびっくりした顔で俺を凝視して、佐伯が一瞬立ち止まる。
「え、ええ!?あれ?部活は?」
言いながら駆け寄ってきた。はははは、驚いてる驚いてる。俺は笑いながら答える。
「コートの問題で、なくなったんだ、昼練。弁当食べたらここに来るかなって思って待ってたけど中々こないから、もう戻ろうかと思ってたとこ」
「あ、そうなんだ〜!メールくれたらよかったのに」
佐伯は一瞬悔しそうな顔をしてから、急いでポケットからカイロと買って来たばかりらしいホットジュースの缶を取り出した。
「温かいよ、飲んで飲んで」
「おー、さんきゅ。ううー、あったけー!」
ほら、望んだとおりになった。俺は満足してニコニコと笑う。彼女が心配して温かいものをくれる、そんな単純なことがやたらと嬉しいのも、恋愛最初の魔法なのかも。だけどそれならそれで、しっかりと味わっておこう。
鼻の頭を寒さで赤くして、二人で一緒に缶ジュースを飲んだ。今は別に夕方じゃなんだし、風のないところに行けばいいのにって自分に突っ込んでいたけど、屋上にいたかったのだ。
だって、ここは人気がないのだから。校舎の中ではいつ誰に見付かるとも限らない。特別この付き合いを秘密にしているわけではないけれど、誰かに発表したわけでもない。まだまだ気恥ずかしい状態にいて、二人だけっていう時間をひたすら大事にしたいのだった。
人気がない、それが実は、一番重要・・・。
口に含んだ蜂蜜レモンをごくりと飲み込んで、俺は勝手に上昇する体温を感じていた。
だって、もうちょっと近づきたいのだ。
今日。ってか、今。もう本当に、今この瞬間。
誰もいないから。
それに、この青空が綺麗だから。それにそれに、風も強いから。テストが終わったから昼練がなくなったからお弁当も食べたあとだから。
要するに理由は何だっていいのだ。それこそ佐伯が今、そこにいるから、それだけも十分だ。
楽しい雰囲気のままでお互いが黙って空や町並みを眺めていた。
俺は心の中で無駄に数字をカウントしてからゆっくりと深呼吸をする。
ほら、言え。チャンスはものにして始めて意味が出来るんだぞ!
俺はコホンと空咳をした。
「あのさ、佐伯」
「うん?」
隣から、彼女が振り返って俺を見たのが判った。視線を感じてざわっと体の奥で血が沸き立つの感じがした。
「その・・・9月に、廊下の角でぶつかっただろ?」
「あー、うん。痛かったよね、結構吹っ飛んだよあたし。君は鼻も打っちゃって」
あはははと佐伯は笑う。思い出しておかしかったようだ。
顔から突っ込んで口元もぶつけて吹っ飛んで、二人とも呆然として、お互いを見詰めていたあの廊下で。俺は流血していたし、佐伯は散らばったプリントを心配していた。
「うん、あれは滅茶苦茶痛かった。・・・だから、さ」
「ん?」
笑うのをやめて、佐伯が俺を覗き込んでくる。何か俺が挙動不審だなと思っているのかも。だって仕方ないんだ、これから言うこと考えたら―――――――・・・
頭の中でぐるぐると渦巻いている願い事。ペロリと唇を舐めたら、佐伯と一緒に飲んだ蜂蜜レモンの味がした。
・・・俺は君と、ちゃんとしたキスがしたい。
もう既にマックスで緊張していた俺は、到底彼女を見ることなんか出来ずに、掠れる声を無理やり押し出した。
「・・・痛くないやつ、しないか?」
神様お願い。
どうか佐伯が嫌がったりしませんように。
もう十分俺は、死にそうなんだから。
風の冷たさなんて全く感じなくなって、全身が心臓になったみたいに震えていた。
返事がないけれど嫌がっている雰囲気はない。そう思ってちらりと彼女を見ると、そこには真っ赤な顔をして目を伏せる姿があった。
・・・わお、めちゃ可愛い。それに、嫌がってるようには見えない、よな。
と、いうことは――――――――
喜びよりも緊張が大きかった。
俺は熱すぎる顔を風にさらし、息を止めて、そおっと佐伯に近づいた。
やたらと空が青い。
その後もずっと、俺はその日その時の、空の色ばっかりを覚えているんだろうと思う。
「コントラスト」終わり。
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