・お母さんのご命令
綺麗な夕焼けは、学校の屋上が一番。
あたし、何でそれに気がつかなかったんだろう。
山の上のそれも一番上に建つこの学校のコの字の一面、それは真正面から西日があたり、風もぶつかれば光も入りまくりというロケーションなのだった。
その4階、特別教室ばかりで4部屋分しかない4階の一室にある美術部。そこはいつでも夕日の強烈な光の被害を受ける場所であって、恩恵だとか絶景だとか、その点にはフォーカスがあてられていなかったのだ。いつでも太陽が眩しいからと授業中もカーテンがしめてあるし、風が入るからと窓もしめてある。そこが、美術部が活動する4階の一室だった。
だから思いつかなかったのだ。
そうだよねえ〜・・・屋上か、なるほど!
本当に目からうろこ状態だった。思わず百科事典でその言葉を調べてしまったほどに、しっくりとくる言葉だった。
電車が街へと下りていく、あの飛んでるような感覚も勿論好きだ。
大体電車をひとりじめできるってところにもかなりの魅力を感じている。
だけど。
だけど―――――――――――――
横内と一緒に見た一日の終わりの風景は、あたしの心に深く深く染み込んでしまった。
あの景色がもう一度みたいなら、そうよね、屋上に上がればいいんだ!って。
理科部という、主に実験ばかりやっているクラブがうちの高校にはあって、ちょくちょく使うということでコの字になった校舎の3階、一番端の階段からは屋上というか、ルーフテラスのようになった場所に上がることが出来る。そこは一日中生徒に解放されていて、授業中や放課後などには先生や用務員さんがサボり防止のために見回りにくるけれど、ほとんど人気はないと言ってよかった。
だからあたしは、学校をすぐに出なくては電車での夕日は見れないけれど、時間が早すぎると車輌のひとりじめは出来なくなる冬の間、屋上で夕焼けを楽しむことにしたのだ。
それからちょっと部活に顔を出して、皆と一緒に帰る。
ううーん、ナイスアイディア!
文化祭まではクラスのコーラス練習で拘束されたけど、文化祭が終わってからはもういつでも屋上へと上がるつもりでいた。
風の強い屋上は、寒い冬には生徒にすらも人気がなくなる。
だからここだってあたしの一人じめだったのだ。
コートを着てマフラーをぐるぐるにまいて、購買の前の自販機でホットココアを買ってから上がる日々。
屋上からは中庭の男子テニス部の練習もみれると気がついてからは、そんなに広くない屋上の上をあっちにいったりこっちにいったりして下を覗き込んだりしていた。
「・・・うううー、さっむーい!」
今日は曇り空だった。
灰色の大きくて分厚い雲が空一面を覆って、これじゃあちらりとも夕日なんて見れそうもない、そんな日の放課後。
だけどあたしは、またココアを買って階段を上る。
なんというか、習慣で。
面倒臭くて面倒臭い文化祭をようやく一昨日に終えて、学校中がこれからくる期末テストに怯えている時だった。
今日も男テニは、練習してるのかな。
それを見たかったのだ。
相変わらず教室では話せず、眠りん坊の横内と冴えない女子であるあたしの共通点は見つかりそうもない。美術部での11月の写生月間も終わってしまった今、あたしはいつでも屋上の片隅で上から彼の動くのを見詰めるだけ。
『そんなことでどうするの〜!!もう来週の男テニの試合、見にいっちゃって応援もしてこれば?』
優実はそういってあたしを叱り付けたけれど、そんな勇気があるくらいなら屋上からストーキングしたりしないでしょ、ってなもんなのだ。クラスメイトをストーキング・・・ああ、あたしったら。
キンキンに冷えた鉄製のドアを開けて、屋上の開けた空間へと足を踏み入れる。
途端にかなり冷たい風がふっとんできて、あたしの全身にぶつかってきた。
「うー!」
寒い寒い寒い寒い〜!!
つい体をぎゅうっと縮こまらせる。何なんだ〜この寒さは!つい先日の文化祭では、昼間はTシャツでもいけたくらいの気温だったのに〜!
でもめげないぞ。横内をみるまでは――――――――――
だけどそこで、人の話し声を聞いてしまった。
え?と顔を上げるとまさかの人の姿。それも結構な数の生徒がいて、不審そうな顔でこっちを見ている。皆コートにマフラーに手袋にと完全防備だった。
うわ、もしかして・・・。あたしがそう思ったのと、一番近くにいた一年生らしい男子生徒に声をかけられたのが同時だった。
「すみませーん、理科部で使用中でーす」
「あ、はい。・・・すみません」
この寒いのに、ここ最近みかけなかった理科部が屋上で活動していたらしい。どうしてなのよ〜実験なら化学室でしなさいよ〜。
がっくり。
あたしは肩を落としてとぼとぼと階段を降りる。
くっそー・・・部活をどうして屋上でするのよ〜。もう!文句をアチコチにぶつけたかったけど、仕方ないよね。あたしは不機嫌な顔で方向をかえて、別の階段を目指した。
部活、あたしも出よ。
その日はだから、結局あたしの幸せな時間はなかった。そしてそのまま土日に入り、学校は休みとなる。
冬の休み。文化祭も終わり、期末テストまでは時間があるという、全国の学生が部活をしたりバイトをしたり友達や彼氏彼女と遊んだりしているはずの、お休み。
あたしはといえば朝から食卓で、母親の不躾な視線にさらされているところだった。
「いいーかげんに、髪を何とかしなさいよ、もう」
さっきから母親が何回もそういってくるのだ。耳栓はないか、耳栓は?
曰く、今年はもうちょっとでお父さんが帰ってくるらしい。うちではお正月よりも誕生日よりも、久しぶりにしか会えない父親が帰ってくる日が優先される。
そんなわけで数日前からそわそわした母親が、自分の娘の外見を急に気にしだしたのだった。
「髪髪髪髪〜!!七海ったら、おばけみたいになってるわよ〜。伸ばすなら伸ばすで梳いて貰ったり色いれたりしなさいよ〜」
「いや、それは校則違反ですから」
あたしは紅茶をすすりながら小さい声で返す。
「それにお父さんはきっと気にしないと思うけど。久しぶりに会うんだから、そんな細かいことには」
「久しぶりに会うんだから、綺麗にしなさいよ!」
ドン、とお母さんがテーブルを叩いた。おっと危ない、紅茶が揺れる・・・。
「私だって美容院いったのよ!七海が綺麗にしなきゃ、一体母子でどういう生活を送ってるのかってお父さんに心配されちゃうじゃない〜!!」
・・・しないでしょ、そんなこと。そう思ったけど、口には出さないでおいた。
確かに元々外見をよく気にする母親は、一段と迫力が増して・・・いやいや、綺麗になっている。だけどそれならそれでいいじゃん、と思うのはあたしだけらしい。
「もう絶対美容院いって〜!お母さんついていくから!」
辛坊堪らんとなった母親がそう叫び、あたしはぎょっとした。
「え!?いやいやいや、結構ですぜ。行くなら一人でいけるから」
「行くのね?」
「へ?」
ぐぐっとテーブルの向こうから身を乗り出して、母親がべったりとした口調で言った。
「美容室行くんでしょ?行くって今言ったわよね?あんたが逃亡しないように見張りにいくわ」
「ええー・・・勘弁してよ、お母さん」
「しないわよ!」
ギラギラとこちらを見据えた母親は、いつもよりも数倍恐ろしい。あたしは金縛りのような状態で、カップを持ったまま固まった。
「今日中にその長いだけの髪の毛を何とかしてくること!そうしないと、あらゆる手を使って期末テストの邪魔をしてやるわ!」
なんて母親だ。普通、逆でしょ。何があってもテストのためにサポートするのが親じゃないの?
あたしは唖然とした。したけれど、ここ数年落ち着いていた母親は、元はこうと決めたらテコでも動かない性格の人だったと思い出した。
そんなわけで、強制的に、あたしは美容室へと連行されたのだ。
母親の手で。母親の行き着けの美容院へ。そこの十分におばちゃんである店長が選んだ若い美容師さんに、後から母親がアレコレと指示を出す。
あたしはその間中、もしかして今まで気がつかなかったけど、あたしは人間じゃなくて人形だったのかな、などと思っていた。だって意見も聞かれなかった。あたしの髪の毛なのに!
全て母親の指示に沿って、鋏は使われ、髪の毛は床へと散らばっていく。もう煮るなり焼くなり好きにして、状態だ。魂もぬけてしまったわ。
2時間後。
専用のシャンプーとコンディショナーでツヤツヤのサラサラになったあたしの腰まであった真っ黒な髪は、肩を少し過ぎるくらいの長さで整えられた。毛先には絶対枝毛なんてないんだろうし、髪の量もついさっきまでの3分の1に減らされたのかと思うくらいに頭が軽い。
「うーん、いいわね、ようやく清純そうな高校生に見えるわ!」
その微妙なコメントを残して、忙しい母親はお金を払いにすっとんでいく。あたしは大きな鏡にうつった自分を見て、ちょっと呆然としていた。
顔は、当たり前だけど前と全然変わらない。だけど・・・何というか、垢抜けた感じがするって。
あれ?あたし、だよね?って。
なんか可愛い子みたいになってるけど?って。
髪型一つで人の印象って劇的に変わるものなのだなあ〜って、この週末であたしは学んだわけだ。外見を整えるというのは、時間もお金もかかるけれど、それでもお釣りがくるくらいに世の中を変えることが出来るものなのかも、って。
産まれて初めてといっていい勢いで、母親の外見を気にする性格に感謝をした。
「あー、佐伯さん髪の毛切ったんだね〜!めちゃ可愛いよ〜!!」
教室に入って一番初めに自分に飛んできた声がそれで、あたしは硬直して止まる。
・・・・・・・え?今、あたしにいいましたか?
教室の入口側にいた女子数人に、口々に褒められるなんて経験をしたことは勿論ない。
「おー!サラサラじゃん!」
「ほんと、凄く長かったもんねぇ!よく似合ってる〜!」
「ええと、ありがとう」
きゃあきゃあと囲まれるのが恥ずかしくてぼそぼそとそう言い、自分の席へと逃げた。
・・・ああ!ビックリした!うわああお!髪型を変えるってこんなにも恥かしいものなのか!
ずっと伸ばしっぱなしだったあたしは、そんな経験をしたことがないのだ。教室に入って外見が変わったことに気がついたクラスメイトに褒められる、それってこんなにふわふわして恥かしいものだったんだ!そう思って、顔が赤くなったのが判った。
なんか、視線を感じる気がする・・・。だけどきっとそれは自意識過剰ってやつよね。そうは思っても振り返れない。体を出来るだけ小さくして、椅子に座っていた。
斜め後ろ、はるか向こうにいる横内を見ることが出来ない。
だってだって、彼があたしを見ていたらどうする?それで目なんか会っちゃったらどうする?
その場でブンブン頭を振りたい欲求に必死で耐えた。
そんなことないはず。だって横内は眠りん坊だもん。あたしのことなんか見てないはず。さっきの女子達の声は大きくてクラス中に聞こえたかと思ったし、いつもはギリギリに教室に入ってくる横内が既に自分の席に座っているのは視界の端で確認済みだけど!
見てない。
きっと、彼はつっぷして寝ている。
見てない。
絶対、横内は寝てるはず――――――――――
そう思うなら振り返りなさいよ、そういう声が自分の頭の中でガンガン怒鳴っている。だけどそれにはかなりの勇気が必要だった。だからあたしは、担任が入ってきて号令をかけ、皆が立ち上がる騒音に紛れてちらっとだけ、振り返ってみたのだ。
あくまでも立つ過程で後ろを見ただけです、なイメージで。
ちらっと一瞬だけ。
・・・ほら、横内は眠っ――――――――――――――て、なかった。
バチっと音がしたかと思った。
椅子を引いて立ち上がるクラスメイトの体をぬって、教室の端と端で、あたしの視線は横内のそれと出会ってしまったのだ。
・・・・・・・わあ!
慌てて前を向いた。
だけど瞼の裏に、まだ残像が残っていた。
立ち上がる皆に従わず、自席に座ったままで肘をついて顔を片手に乗っけた横内の姿を。
眠ってない、はっきりと開かれた彼の一重の両目を。
・・・見ちゃった。
朝礼とその後に続いた1限目、控えめに言って、あたしの脳みそは沸騰状態だった。
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