・A
「さ、寒くは・・・ないよ!大丈夫。ほら、お日様があったかくて・・・」
「うん、今日は晴れてるからな」
「ええと・・・クラブで、写生しようってなって・・・」
ふーん?そう言いながらとうとう横内はあたしの所まで上がってきてしまった。あたしは急いで頭を回転させる。ほらほら!言いたいことがあったでしょ、あたしったら、もう!!
「航〜!ボールあったかー?番、回るぞー」
「おー、行く行く」
上のコートからかけられた声に返事をしてそのまま上って生きそうになった彼に、慌てたあたしはつい、大きな声で言ってしまった。
「あの・・・お守り!」
「え?」
彼が振り向いた。
・・・どひゃー!ちょっと落ち着かないと、あたし。
冷や汗をダラダラとかきながら、あたしは何とか呼吸をする。そして、声を普通のトーンに戻して言った。
「前に貰ったお守りね、あの、ありがとう。お陰で朝学習乗り切れたから」
ああ、と呟いて横内が頷いた。ちょっと笑っている。
「結構前の話だな。お礼はあの時も聞いたし、別によかったのに」
「あ、うん。でもその、かなり励みになったから」
上半身だけ捻って見上げていたのを、全身で彼に向き直る。そう、それで、それからーーーーー
・・・笑え、あたし!
かなり頑張って笑顔になった。色んなとこから勇気をかき集めて。
「ありがとう」
言えた!
しかも、ちゃんと笑顔で。あたしはその自分に凄く満足した。
横内がキャップの下で、きゅっと口元を持ち上げた。一重の瞳が細められて柔らかくて可愛い印象を作る。
「俺の高校受験の時の御守りだったんだ。効いたなら良かった」
じゃあな、と言いかけて、横内は一瞬口ごもる。だけどすぐにまた口を開いた。
「もしかして、帰りの電車で会うかもだけど・・・またな、佐伯」
「あ、うん」
去っていく彼に、何となく手を振ってしまった。
・・・ちょっと、見てないのに何してるの、もう。
ふう、と息をついて前に向き直る。
風がさっきよりも優しく感じる。あたしは草原に座って、太陽の光を浴びながらニコニコとしていた。
わお、久しぶりに喋れた!それに、お礼もいえたし。
「よしよしよし」
地味にガッツポーズもお腹の前できめておく。
もしかしたら帰りの電車で会うかもだけど、だって!うーん、これは是非ともそれを狙わないと!多分、またあたしには後輩がいるし、あっちはあっちで一人じゃないかもだけど。
でも夕日がない電車の中、横内がいる。
あたしはくふふふと笑って、熱くなってしまった両頬を手で挟みこんだ。
校舎の向こう、ゆっくりと日が傾いているのがわかる。
今日は実力テストのあとということで、短縮授業だったから昼すぎから部活時間だったのだ。
もうすぐここには珊瑚色を通って茜色の時間がくる。
校舎が真っ黒に見えるくらい、強烈なあのオレンジの時間が。
風が通って葉っぱを揺らしていった。下のグラウンドではまだ運動部の練習する声、それから女の子たちの歓声とお喋りの声。
ヒカリちゃんは戻って来なかったけれど、あたしはそこにいて、そのままでようやく写生を始めた。
対象物は動くけど、運動部の練習風景を描こうって決めて。
夕日が眩しくて校庭が見れなくなるまで、鉛筆をずっと動かしていたんだった。
だけど、結局その日の帰宅時間では、電車で横内には会えなかった。
期待して、せめて少しでも印象良くってリップクリームなど塗りこんでしまっていたあたしはガッカリして電車の窓におでこをぶつける。・・・ちぇ。会えないじゃん・・・。
仕方ないから窓から外を見ていた。
暗くなって、眼下に広がる街にもぽつぽつと明りがともり始めている。
・・・横内は、どこに住んでるのかな。どこの中学出身で、いつからテニスをしてるのかな。
びっくりするくらい、あたしは横内のことを知らないのだった。
だけどそれは凹む要因にはならない。ならないよね、うん。だって、知っていくことが出来るんだから。何か一つ、彼について知るたびに、あたしは一々喜ぶんだろうし。
思いついて、あたしは生徒手帳を引っ張り出した。シャーペンをかまえて、揺れる電車の中で苦労して本日の一行日記を書き込む。
『Yと喋れた!お礼も言えたし、ほんと良かった』
そうよね、いいことだってある。
気分を取り直してあたしは前を向く。
明日からはクラスで歌の練習が始まるっていってた。クラス委員の飯森さんは合唱部でもあるらしいから、それはそれは張り切ってクラスを仕切りそうだった。・・・もしかして、合唱になったのは飯森さんの陰謀か?
いや、それは違うの知ってるけど。
一人で頭を振って、仕方ないな、とため息をつく。
ものすーごく、参加したくないけど。・・・ほんと、嫌だけど。
明日からは放課後に練習で、帰りは遅くなることが決定してしまったのだから。あたしは地味で平凡な生徒。勿論、文句は言わずに従うだけ。
ところが、あたし以外の歌が苦手なクラスのメンバーは色々考えたらしい。つまり、練習から逃げるために。
翌日。
そもそも歌うのが嫌だからと早退を企てた男子は担任に見破られて居残りになったし、クラブがあるから〜っと出て行こうとした女子には担任の命令書を印籠のように掲げてとっ捕まえ、では参加はするけど声は出さないでおこうと企んだ男子は飯森さんに見破られていた。
「ちょっとー!!寺坂君、それから横内君も!口パクしてんじゃないわよ、ちゃんと判るんですからねー!!」
腰に手をあててそう威嚇する飯森さんに、クラスメイトからは笑いが起こっていた。
名指しされた寺坂と横内は、お互いににやにや笑いながら頭を下げている。
「すんません」
「何で判ったんだ、声出してないの?」
飯森さんは元々大きな目をカッと見開いて、威嚇する。
「そーんなの一発でバレバレよ!ふざけないでちゃんと歌ってよ!あんた達部活中は大声だすんでしょ?それも判ってるんだからね、ちゃーんと聞こえるまで歌ってもらうわよ!」
「勘弁してよ飯森!俺のだみ声なんて、入らない方が歌のためだよ〜」
そう寺坂が言って変顔を披露し、更に皆が笑う。この男子はクラスの中でもお調子者で盛り上げ役だった。きっと何よりも周囲から笑いをとることを優先事項にしているに違いないよね。
あたしは目立たないように隅っこに並んでいて、皆が笑って寺坂や横内をはやすのをただ見ていた。
・・・こんな時間が無駄だと思うんだけど。もうさっさと終わらせて解散するのがいいと思うんだけど。ってか横内、君も歌が苦手なのかい?
全く傍観者の気分でそんなことを思っていたら、まさかの飯森さんの指摘がこっちにまで飛んできた。
「それからそこ!佐伯さんと渡辺さんも!二人は歌ってるかもしれないけど声が小さいよ〜。お腹から声出してね」
・・・う。
わざわざ振り返ってまで見るクラスメイトから逃げるために顔をふせる。確かに声はかなり小さかったけど・・・バレてたのか。恐るべし、飯森さん!
あたしの隣に立っていた渡辺さんが小さく呟いた。
「歌いたい人だけ歌えってーの」
あたしは心の中で大いに同意する。まったく、その通りだよ!
パンパンと両手を叩いてざわつくクラスメイトを静かにさせ、飯森さんは血管が切れてそうな顔で怒鳴った。
「はい、もう笑うのやめてよ!クラブにもいかなきゃならない人いるんだから、次で今日は終わりにするから!ちゃんと声だしてよ、佐伯さんと渡辺さん。それから口パクは禁止よ、寺坂君と横内君!」
・・・はーい。あたしは心の中で返事をした。
さんはい!そう声を張り上げて、飯森さんが指揮をはじめる。
ピアノの担当になっているのは竹崎さん。何でも出来そうな美少女だけど、やっぱり何でも出来るんだなあ〜、あたしは彼女のサラサラの色素の薄い髪を羨ましく眺めながらそう思った。
・・・あたしの重くて長いだけの黒髪・・・。もう切ろうかな。
まあ切ったところで、竹崎さんのようにはならないんだけど。
もうため息しか出てこなかった。
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