1、観察スタート@



 夏前の朝の光は美しかった。

 十分な輝きを持って、光はそこら中を明るく照らし、緑達が風に時折揺れている。

 ただし、私にはそれを有難く味わう余裕がなかった。

 だってうんざりしていたのだ。その原因は、私の右隣を飛ぶ謎の飛行物体にある。

 いやいや、謎でも何でもないのだけれど。この物体は、昨日いきなり非常識なやり方で現れて繊細な神経の私をいたく苦しめた、自称・神(様つけでなんて呼んでやらん)の男、ダンだ。

 自称というのは、私はまだヤツが神であるなんて信じていないからだった。

 だって身分証明書だしなさいって言ってもそんなものないって返されたんだもーん。だったら何をもって神と証明するのだ!

 確かにダンは不思議な力を使う。だけど、ただ外見が派手な超能力者なのだ、とあくまでも私は思いたい。

 だから、昨日理不尽にも「長いから要約:3ヶ月の間、君の生活をストーカーさせてね(はあと)」なんていう約束を交わすにあたって、私はヤツのことをダンと呼び捨てにすることを宣言したのだ。

 だって、それがアンタの名前なんでしょ?って。

 ヤツはムスッとして(それでも綺麗な顔だったのが更にムカついた)、口元を歪めていたけれど、それに関して文句は言わなかった。

 そして、私がとりあえず今晩は帰って頂戴、というと、キョトンとしたのだ。

「何言っている。今からだと言っただろ?もう観察は始まってるんだから」

「え、じゃあまさか、ここに住むっていうの?」

 え、嘘嘘!そんな私は正体不明の男と同居をしなけりゃならないの!?

 ダンは嫌そうな顔をして私のお城をゆっくりと見回し、それからため息までついて頷いた。

 その、仕方ねーって態度に血管が切れるかと思った。だけど、もう今晩は声を失いたくない私はヤツを隣の4.5畳へ突っ込んで襖を閉めてやった。「2時間一人にして!」と叫んで。

 ヤツは2時間どころか、それ以後は姿を現さなかった。実はいたのか、それは知らないが、とにかく表面上は私はいつものように一人の時間を過ごせたのだ。・・・朝までは。

 起きると同時にベッドの足元にヤツが立っていて、泣きそうになった。

 朝がきて嬉しいと思った記憶は特にないが、今朝ほど「畜生!」と夜明けを恨んだこともなかったな。

 ・・・いるじゃん、こいつ。そう思って。

 とにかく、朝食をとって(ヤツは食べなかった)出勤準備をした。観察ってどんな?と思っていたけれど、特に凝視するとかメモをとるとかもなく、ヤツはただ近くにいただけだった。

 振り返るとそこにはやたらと美形の男がいる、そんな感じ。

 それって素晴らしいことだと思えればいいのだけれど、私にはイラつくポイントでしかなかった。電卓を叩くのに邪魔で爪は伸ばしてなかったけど、武器になるから伸ばそうか、とこっそり考える。

 あのキレーな顔に爪を付きたててやりたい。ぐぐーっと。


 で、出勤中の今、自転車を懸命に漕ぐ私の隣をヤツは空中移動中。

 ヤツは何と飛べるらしい。つか、そうよね、昨日だって飛んでいたっけな。だけど私の30年の人生経験では、チャリに乗る私の後ろを飛ぶヤツについてこられたことはないのだ。

 故に朝から不機嫌だった。

「あのさあ、さすがに外で飛んでたら目立つんじゃないの?そんな派手な外見してるんだからさ」

 ぐんぐん自転車のペダルを漕ぎながらそう言うと、隣をキラキラと無駄に光を撒き散らしながら飛んでいたダンがあははと笑う。

「大丈夫〜。パートナー以外には俺の姿は見えない。だから、俺の姿が見えている時点でムツミがパートナーってことなんだ」

 ・・・そうですか。ああ、今すぐ見えなくなりたい、私。

「勿論、他の人間には俺の声も聞こえない。ただしムツミが話している声は周囲に聞こえるぞ。そこは気をつけたほうがいいかな〜」

「・・・あっそ」

 じゃあ無視してやるよ!そう決意した。

 ・・・した、けど、実際にはこれが、難しかったのだ。

 ヤツは確かに手は出さなかった。ただ斜め後ろや天井近くをふわふわと浮かび、私を文字通り観察しているようだった。

 だけど、邪魔しないと言ったのは嘘だった。

 とにかくよく話しかけやがるのだ。他の人には聞こえないらしいから、普通の声で、いきなり。

「ムツミ、それは何だ?」

「ムツミ、今の男は何と言ったんだ?」

「ムツミ、何をしているんだ?」

 それだけでも腹立たしいのに、朝一番の会議の後で課長がバタバタと仕事が増えるぞ宣言をしたので、自分で処理するつもりだった書類を大量に私へ回した美紀ちゃんが、「お願いですから今日だけは頑張って下さい!」と言ったとき、背後からダンがこう言いやがったのだ。

「大変そうだな。頑張ってやれよ、ムツミ」

 ぶっちーん。

 私は辛抱たまらんとなって、廊下に走り出し、一番奥の壁に「ドタマに来たぜパンチ」をお見舞いした。

 バコっ!と結構いい音がして、ついでに私の拳もひりひりと痛む。ううう〜!何て可哀想なんだ、私!

 ふわふわと廊下を漂いながら、ダンが聞いた。

「ムツミ・・・何をしている?」

「あんた邪魔しないって言わなかった!?」

 うがあ!私は振り向きざまにそうがなりたてた。ダンをちょっと片眉を上げて、小首を傾げる。

「・・・邪魔などしていないだろー」

「してるのよ、思いっきり!!」

 痛む拳を押さえながら私は怒鳴る。やはり声は抑え気味にしていたけれども、あまりにもムカついてそのままダンを連れて資料室へと走りこむ。

 ドアをガンと閉めて、私は遠慮なく怒鳴りまくった。

「あんたが何何って一々聞くから全く落ち着かないじゃないのよ!仕事にならないのよマジで!あんたに答える私は一人でベラベラ喋ってる完全にオカシナ女になってるじゃないのよ〜っ!!」

 ダンはちょっと仰け反った。どうやら私の癇癪に驚いたらしい。それから光零れる長い髪に指を通し、平然とした顔で言う。

「そうか、それは悪かった。珍しくて、つい〜」

「ついじゃねーよ!あんた邪魔しないって言ったわよね!?なら黙って観察だけしてろボケ神〜!!」

 ぴくっとヤツの眉が動いた。私はハッとして口を片手で押さえる。

「・・・ボケ神?」

「いえいえいえいえいえいえ、ちょっと本音が出ちゃっただけよ。気にしちゃ駄目。ね、それくらい神様なら笑い飛ばせるでしょ、ほら、ちっぽけなたかが人間風情が言う言葉くらい」

 今ここで言葉を失うと、マジで仕事も失いそうだ。私はそう思って早口でまくし立てる。ダンがそれについて考えている間にさっさと自席に戻ることにした。

 あぶねー。やだわ、つい正直に。ちょっとは気をつけなきゃ。

 そう思って小走りに廊下を戻っていると、角のところで人とぶつかってしまった。

「きゃあ!」

「あ、ごめんなさい」

 反射的に謝ると、ぶつかった相手は苛立たしそうな顔で私をきっと見た。

 小顔に丁寧に巻いた髪、ナチュラルに見えるが多分相当時間がかかっている化粧。アジアンビューティーなその顔を、怒りの表情に歪めている人。

 ・・・ああ、この人、派遣できている・・・ええと、名前なんだっけ?

 私がそう考えていると、その名前が思い出せない彼女が嫌そうな口調で言った。

「亀山さん、仕事放り出して何してるんですか?それに、会社の廊下は走らないで下さい!」

 ・・・おお、攻撃的。肩をすくめたいのを我慢して、私は淡々と返事する。

「はい、ごめんなさい」

 ふん、と嫌そうにそっぽを向いて、彼女は歩き出す。そのついでに肩をぶつけてきた。私は思わずよろけて壁に軽くぶつかる。

「あ、ごめんなさ〜い」

 敵意丸出しだった。オマケに去り際に「どこにいても邪魔なんだから」と呟いたのも聞き逃さなかった。まあわざと聞こえるように言ったのだろう。

 後ろからまたダンが口を出す。

「今のは、あの女が悪いのではないのか?」

「お黙り」

 私はお局様として有名だが、使えない、覇気のない、お局様として有名だ。派遣された優秀な女の子に嫌味をぶつけられることはよくあることだった。

 一度など、面と向かって言われたこともある。あたしの方があなたなんかよりよっぽどまともに働いている、なのにあなたは正社員なんて――――――――

 因みに、私はその時「知るかよ」と答えた。そんなこと、私の知ったこっちゃない。普段嫌味を言われても言い返さず、意地悪などもしないお局の私がそう言ったので、その時の派遣さんは顔を真っ赤にしていた。

 確かあの時は、うちのデキる後輩、美紀ちゃんがどこからともなく現れて、「働かずに派遣先の人間を見下す発言している人の契約など更新しませんよ!」とその子を叱り、ついでに私にも「しっかりしてください!」と言ったのだった。

 立ち去る派遣の子の背中を見ながら、私はあーあ、とため息をつく。

 嫌なことまで思い出しちゃったわ、まったく。




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