3、カメカミ幸福論@



 9月に入ってから、総務は激務だった。

 そのわけは、これだ。今美紀ちゃんが手に掴んでいる、チラシに全てが書いてある。

「もう1週間しかないんですよ〜!!さっさと仕上げましょう。ホウレンソウだけは皆さん、しっかりお願いしますね!」

 朝礼で、出張中の課長に代わって発言していた美紀ちゃんの顔は、まさしく般若。これ見たら婚約者も結婚を考え直すのではないか、と思うほどの迫力だった。

 はーい、と全員で仕方なく返事をする。勿論私も、小声だったけど返事はした。だって怖いんだもん。

 チラシに書かれている文字は、これ。「第1回社内運動会」。楽しげなイラストと、無駄にたくさんの装飾が施された文字でギンギラだ。

 何故か業績がよくなった我が社は、今年初めて社内運動会を催すことになったのだった。社長が現在ダイエットに励んでいるとの噂があるから、もしかしたら全社員はそれに巻き込まれただけかもしれない。

 だけどとにかく会社創立以来一回目の運動会で、前例がないために何もかもが初めてで、指揮をとる・・・いや、違った、裏方の総務はひっくり返っていたのだった。記念すべき第一回目の運動会の指揮を取るのは「運動会チーム」。それが社長により社内に特別に創設されて、そこからくる電話や予算の相談に毎日あれまくっているのだ。

 勿論、普段からちゃきちゃき動く美紀ちゃんは、一人ランニングマシーン化して飛び回っている。彼女が一般業務を出来ない分、それは私に回されたので、一度残業をしてしまった身分では断れず、そのまま勤労お局にならざるを得ない私だった。

 ・・・ああ、本当疲れたわ。


 総務中が初めての運動会にしっちゃかめっちゃかになってしまっている内に、私は通常業務をこなす。もう大分カンも戻って来ているから、それ自体はそんなに苦痛ではなかった。

 だけど、普段あまり動かない社内を色んなところまで出向くようになったので、社内でもやる気ゼロお局で有名だった私の再起が知れ渡ってしまったらしい。

「今、総務が来たんだけど・・・亀山だったよ」

 みたいな会話がいたるところでされているのだった。亀山の前に、「あの」がつけられることも多々あるらしい。それを、小暮が嬉しそうアーンド誇らしそうに報告してきたとき、私は覚悟を決めたものだ。

 ・・・私の、フリーで自堕落な社会人生活よ、さようなら、って。

 普段の業務で係わる人が増えれば増えるほど、以前は嫌味全開だった派遣社員の皆さんとか他部署の上司などが気持ち悪い笑顔で会釈をしてくるのだ。お疲れ様でーす、とかいって。

 うええええ〜・・・私は廊下に出ると同時にこっそりと顔を顰める。

 人間の対応は、案外あっさり変わるものなのね。学んだわ。

 そして10月。室内ではなく健康的に外でやろう!という社長の残念な張り切りによって、近所の広大な運動公園で我が社創立以来初めての社内運動会が開催されたのだった。

 晴れ、微風、運動会日和。

 つまり、女性陣は全身に日焼け止めを塗りたくる必要がある天気ってこと。

 開催にこじつければあとは「運動会チーム」が実行するってことで、久々に明るい顔をした総務の面々とブルーシートに座って、日ごろ運動不足なオヤジ達がドタバタ走るのを眺めていた。

「亀山さん、サンドイッチどうですか?」

 ようやくいつもの朗らかで優しい美紀ちゃんに戻って、彼女が言う。

 今日の運動会は食べ物は自己責任で持参だったのだ。来年からは業者に発注するって話になったらしいけど、今年はそれが間に合わなかった。それで社員はめいめい食べ物を持参した。

 上司クラスは結構な値段のするケータリングを皆で分け合って、まるで花見のような状態になってるし、中堅以下は男性社員を筆頭にノンアルコールを持ち込んで盛り上がっている。

 私は美紀ちゃんの手作りらしい素敵なランチボックスを覗き込んで、笑って言った。

「ありがと。でもこの後大玉ころがし出なきゃならないらしいから、今はいいわ。大玉がお腹にアタックしてリバースになったら申し訳ないから」

 話の内容が宜しくなかったらしい。美紀ちゃんが顔を顰める。

「・・・じゃあ、あとにします。亀山さん大玉ころがしなんですね〜」

 私は嫌そうなのがハッキリ判るほどにうんざりした顔をした。

「だって全員何かには参加なんでしょ?」

 最初はそんなもん休んでやる、と思ったのだ。全員参加と聞いていたけど、何が楽しくて休日に会社行事に参加しなきゃならんのよ、そう思って。

 だけど滅多にないデートで、小暮が明るい笑顔で言ったのだ。

 カメにいいとこ見せるように、俺頑張るぜーって。そのために、夜に腹筋とかしてるんだよ、って。照れながらそう言って、不覚にも私はそれにキュンとしてしまったのだった。

 ・・・・・・・・・キュン、よ、キュン。・・・この私が。オー・マイ・ガー!

 自分で靴脱いで頭を叩きたかった。

 残念なことに、私の彼氏となったこの男は体育会系だったらしい。皆で何かするのが好きだし、一緒に汗をかくことに興奮するタイプ。つまり、私とは正反対だ。今日だって子供みたいにはしゃいでるに違いない。営業2課はとお〜いところにテントがあるので私からは見えないが。

 とにかくそれで、カメは何に出るんだ?というキラキラした小暮の目に負けたのだ。

 だから私は、翌日には必死で少しでも楽な競技をとるべく奮闘した。そして手に入れたのが、大玉ころがしってわけ。

 ・・・デカイ玉転がすことの、一体どこが楽しいのよ!?もう。

「じゃ、いってきます・・・」

 集まってくださーい、の声がかかって、私はのろのろと立ち上がる。美紀ちゃんはガッツポーズを作って大きな声で言った。

「応援しますよ!頑張って下さいね!!」

 ・・・ああ、この子もアウトドア派だったんだ・・・。

 私はにへらっと笑って、亀のようなのろさで集合場所に向かった。


 結果は聞かないで頂戴。誰ともになく、私はそう呟く。

 とにかくこの暑い中走ったせいで、疲れがドッと出た。それを解消することが大事だわ。

 そう考えた私は一人でこっそりとその場を抜け出すべく小道に逸れていく。これで自分の出番は終わりだ、それにどうせ私がいなくても、大会は順調に進むわけだし、ちょっと休憩して―――――――――――――

「あ」

「あ」

 わき道に入った途端に、バッタリと、同期の倉井に出会ってしまった。

 ヤツも私と同じことを考えて、どこか一目につかないところでサボっていたらしい。服に草をつけてちょっと寝ぼけた顔をしていた。

 寝てたのね、倉井は。何てヤツよ。私は自分のことは棚に上げて心の中でそう毒つく。

 小道でバッタリあってしまったので体を避けて通らないと進めない。くそ、邪魔な野郎だぜ。私は出来るだけ無表情でそう思った。

 飲み会に私をハブろうとしたのが判って以来、こいつとは会ったことがなかったのだ。久しぶりの同期対面とはいえ、やはり自分にハッキリした悪意を持っている人間と出会うのは気持ちいいものではない。むすっとするのも仕方ないわよね。

「お前もサボりか?」

 倉井がにやりと笑う。私はむすっとしたままで、簡単に頷いた。

「疲れたから避難するの。ちょっとごめんね」

 横を通り抜けようとしたその時、倉井が振り返って、なあ、と言った。

「ん?」

 私も立ち止まる。

 倉井は目を細めて、素敵な表情とはお世辞にも言えない意地悪そうな顔をしてこっちを見ていた。

「亀山、最近仕事に精だしてるって噂だけど、何かあったのか?」

「・・・」

 おめーに関係ないよ。そう思ったけど、口には出さなかった。少しだけ間をあけて、私も意地悪い声を作って返す。

「給料泥棒って呼ばれるのに飽きたのよ。実は、私ったらやれば出来る人間なの」

 あんたとは違って。それを暗にこめたけど、ヤツには判ったらしい。倉井は不機嫌な顔になって低い声で言った。

「へーえ。判ってたのか、給料泥棒してたってこと。そんで、小暮と付き合いだしたって聞いたけど、本当か?仕事も男も手に入れてウハウハだってわけ?」

 何だ、こいつ。私は腕を組みたいのを我慢して、冴えない同期をじいっと見た。倉井は私の視線にちょっとたじたじとなったらしい。若干腰が引けたように声を弱くして更に言った。

「な、何だよ。お前が仕事出来ない女で彼氏もいなかったのは周知の事実だろ!」

 ・・・あー、面倒くせー。

 休憩に行こうとして余計な男に出会ってしまった。自分の運のなさを呪いながら、私は無表情のままで言葉を投げ捨てる。

「その通りよ。だけど今は、両方手に入れたの。羨ましい?」

 それから振り返りもせずに立ち去ってやった。

 倉井・・・・やっぱり、暗〜い男だわ。



 運動公園はさすがに広いだけあって、隠れ場所もいくらでも見付かった。ほんの隣の芝生広場なのに木々が邪魔して社内の人間からは見えない場所に、私はよっこらしょと寝転がる。

 公園など、一人では行かない。

 それもこんな広大な芝生広場なんて小学生の時以来かもしれない。

 広くて、温かくて、心地よい場所だった。

「ああー・・・・気持ちいい」

 閉じた瞼に太陽があたって、キラキラと光を散らしている。温かくって、草のいい匂いがして、倉井とあったことで出来た眉間の皺が、ゆっくりとほどけていくのが判った。

 ・・・こりゃあ、眠れるわね。

 私はうーんと両手両足を伸ばしてそのあと力を抜く。・・・ああ、気持ちいい。

 風が緑を揺らして通り過ぎていく。

 隣の運動広場からは、盛り上がってるらしい社内運動会の歓声と声援、それから放送。騒がしいけれど、風に運ばれてくるそれは子守唄に聞こえなくもない。

 いいや・・・しばらく、私は休憩〜っと。

 目を閉じてキャップを顔に被せる。こう眩しくっちゃ、眠れやしないじゃないの・・・。

「ムツミ」

 太陽って本当に眩しいわ。帽子の中にまで、光が入ってきてる・・・。

「ムツミ〜」

 キラキラキラキラ・・・。

「お〜いってば、ムツミ〜」

「・・・」

 ん?

 私はパッと目隠しにしていた帽子を顔の上から退けた。

「こんなところで寝ていていいのか〜?あの男が今、走ってるぞ〜」

 ダンがいた。


「―――――――――あ?」

 いつもの白い布を巻きつけたような格好で、しゃがみ込んで私を覗き込んでいる。・・・やたらと眩しかったのは、あんたが原因なわけね、なるほど。

「・・・あの男って、小暮のこと?いいのよ、私は一休みするんだから」

 ため息をついて起き上がった。神が戻ってきた。きっと私が聞いたことの返事を持ってきたのだろう。でもまさか真昼間に会社行事の最中現れるとは予想してなかった。

 きっとまた、夜の公園だろうって思っていたのだ。だっていつもこの神は「降臨」の舞台設定をしているようだったから。

 お昼じゃキラキラも霞んじゃうわね、そう思って、私は改めてダンを見上げる。

 彼はいつもの通り、一本の乱れもないプラチナブロンドの髪を煌かせ、不思議な色の瞳で私を見ていた。

「ハロー、ダン」

 私は片手を上げて、ヒラヒラと振ってやる。

 にっこりとダンが笑った。

「俺が現れて罵声を浴びせられなかったのは、初めてだなー」

「別に驚かなかったら怒らないわよ私だって。―――――――それで?」

 手の平についた土をパッパと払って、私は神を見上げる。

「どうだった?ダメだって、やっぱり?」

 ダンは暫く私を見ていたけれど、やがてゆっくりと首を振った。

「・・・認められた。今回は、俺の違反もあるからってことで。それに他言はしないって条件もあるけど、とにかくこちらはいつでも記憶を消すことは出来る。だから問題ないだろうとなった」

「それは」

 私はにっこりと微笑んだ。

「良かったわ」

 歓声をバックに、私は少し場所を移動する。芝生の広場の真ん中にいれば、誰が近づいてきてもすぐに判ると思ったからだ。ダンの姿は他の人間には見えないけれど、私の声は普通に聞こえる。こっそり草陰さから近づかれたら、私は一人でべらべら喋っている変な女だ。

 折角最近は「変人」や「使えない」や「お荷物」の名札を返上しつつあるのに、「誰もいないところで独り言を延々と喋っていた女」になるのはちょっと回避したい。


 あの公園でのダンの再来の夜、私はダンを見上げてこういったのだ。

「私は、天上世界へは行かないわ、ダン。今のところね」

 って。

 そして、観察の交換条件であったはずの幸せな記憶についての話をしたのだ。

 幸せな記憶は必要ないの。ただ、私が天上世界へ行かなかった場合、あんたが居た記憶は消さないでくれない?って。私の記憶からあんたを消すのは、やめてくれない?って。

 ダンはちょっと驚いて返答した。

 それは上に聞いてみないと判らない。前例は、聞いたことがない、って。

 それでヤツはまた天上世界へ戻っていったのだった。

 2週間ほどかかって、再び私の元へ現れたわけだ。




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