1、お局OL恋愛中



 9月になっても残暑は厳しかった。

 毎日出勤中にかく大量の汗は変わらず、そのお陰で会社につくころには化粧がはげている私はなんと、化粧ポーチを持ち歩くようになったのだ。

 勿論それは、汗だけの問題じゃあない。こそばがゆいけれど、恋人になってしまった小暮の為、いや、ひいてはやつに良く思われたいという私の願望の為であった。

 今まで、あーんなに何にもしなくて、ほぼ外見を捨てた女であっても彼は私に好意をもち続けてくれたのだった。なので今更綺麗にしたってあまり意味はないかもしれない。だけどまあ目にする機会が増えた分、ちょっとでもガッカリさせたくないなんて、殊勝な心が出てきたことに驚いた。

 この私が人の視線を(女性として)気にしている!!それは結構な衝撃で、自分でもあまりにも久しぶりの感覚に丁度いい分量が判らずに、最初の頃は化粧品をそのままごっそり持ち歩いていたほどだ。・・・忘れるものなのね、感覚って。スマートにOLをしていたのが遥か昔に感じるほどだった。

 持ち歩くようになったら不安なのよね。口紅一本で足りるのか、とか。マスカラも必要かしら、とか。

 で、実際に化粧を直すようにしてみたら、一日の間に鏡を見る機会がとても増えた。その時その時でファンデが肌に馴染んでいていい光を放ち、アイラインが崩れていないと自分の機嫌がよくなることも発見した。

 そうか、とコンパクトを閉めながら私は思ったものだ。

 世の中の女性って、男や周囲の人の為でなく、自分の為に化粧をするんだ、って。そうしていれば自分が心地よくいられるから、綺麗に飾るんだって。

 おおー、だった。亀山睦、30歳になって新発見であります。


 まだ、美紀ちゃん以外には小暮と私が付き合っていることはバレていないらしい(美紀ちゃん情報だけど)。小暮にはどうやら彼女が出来たらしいって派遣社員さんとか独身組みが騒いでましたけど、相手が誰かは判らないようでしたって言ってたもん。よしよし、私は一人で頷く。バラす必要、全く無し。どうせ会社では相変わらずすれ違う課同士なのだ、気にせずにやりたい。

 記憶が曖昧なのでハッキリと覚えていないけれど、私は6月頃から何故か仕事が楽しくなり始めて、今更の開花をした。使えないお局と呼ばれていた3年間がすっかり過去のものとなったのかは知らないが、かなりあたりが柔らかくなった課長から、後輩の指導を命じられてしまったのだ。

「亀山さーん、頼めるかな〜?」

 って。ちなみに、その時総務課は何となく凍ったような空気が流れた。皆が勇気ある、もしくはちょっとおバカな課長をガン見していた。課長も汗をかいていたように思う。

 だけど、私は立ち上がって頷いたのだ。

「判りました」

 って。

 今までは瞬殺してスルーだったそんなことも、張り切ってはいないけど、とにかく私は参加するようにしているのだ。

 一つには、美紀ちゃんが喜ぶから。

 一つには、そうしていると心が安定するから、というのがわかったのだった。

 何も考えずに済むのだ。新人の事務員に仕事を教えている時や、後輩に指導している時、私の頭の中は空っぽになる。ずっとぼんやりとした考えがしめていたのが嘘のように、ハッキリと道が見えるような感覚になれるのだった。

 お茶の淹れ方、資料の整え方、それから計算の仕方と総務パソコンのイロハ。必死で働いた数年間と、何もしなかった3年間は私をほどよいレベルの先輩に変えたらしい。厳しくはなく、うるさくもなく、力を抜くこともある指導者、という立場に。新人さんは緊張もそんなにせずに嬉しそうについてきてくれるし、後輩達は「亀山さん、まるで別人ですね〜!」と、何だかなーな言葉つきで喜んでいるみたい。

 おいおいキミタチね、と苦笑するときもあるけれど、それなりに楽しくなっていた。

 会社が楽しいなんて、びっくりだわ。一人に戻るとき、たまにそう思うのだ。あんなにどうでもよかったのに、って。

 このエネルギーはどこから沸いたんだろうかって。

 ・・・ほんと、謎だらけだわ。



「悪い〜!!遅刻した!」

「悪いと思ってるなら遅刻するのやめなさいよ。もう帰ろうかと思ってたところ〜」

「苛めるなよ、急いできたんだから」

「まず最初にごめんなさい、でしょ?」

「・・・すまん」

「本当に済まんだわ。じゃあ、さよなら〜」

「カメ〜!!」

 小暮とは、こんな会話で始まるデートを数回している。忙しい営業の彼はそんなに暇が取れないけれど、元々長い間一人でいた私にはそれがそんなに苦痛じゃない。むしろ、小暮を待っている時に不思議に思うくらいだ。

 あらあ?って。男を、彼氏を待ってるんだわ、私ったら!って。

 彼のことを考えるとき、毎度何か不思議で曖昧な感情がわくのは秘密だ。何かを抜かしているような、わけわからないむずむず感。この感情、この感覚の正体はどれだけ考えても判らないけれど、とにかくそれは私だけの問題なのだろうって思うから。だって、小暮が来て、一緒に歩き出したらなくなる感覚なのだ。

 何か、忘れてる気がする。

 そう考えていた日々も、ずっと遠くになってしまった。

 私は何と恋人がいて、以前はただ通うだけだった会社でも存在感があって、しかも、それを喜んで受け入れていたのだから。

 恋って偉大ってこと?

 たまに、そう思う。

 あんなに全てのことに無関心だった私は何だったわけ?って。そもそもどうして小暮と恋人になったのか、そこのところがやっぱりハッキリしないのだけれど、だけど日々は過ぎて行きそれも全部過去になっていく――――――――――――――


「ねえ」

 夜の公園を歩きながら、私は隣にいる小暮に話しかけた。

「ん?」

 今晩も結構な量のお酒を飲んだ小暮は、上機嫌で見下ろしてくる。小暮は酒にも強いようだった。公園の中にある街灯の明りに顔が半分だけ照らされて、彼の骨格をハッキリと浮かび上がらせていた。

「あのさ、どうして私たち付き合うことになったんだっけ?」

 とりあえず、聞いてみることにした。

 今晩は久しぶりに会って、彼の5日間の出張話をいつもの居酒屋で聞いていたのだった。相変わらず退屈しない男で、私はまたたくさん笑わせてもらった。

 彼に会いたくて会いたくてって激しい感情はないにせよ、久しぶりに顔を見たときはふわふわと喜びがこみ上げてくるのが判った。確かに、私は小暮を好きになったようだった。

 お腹は一杯で程よくお酒も飲んでいて、二人でぶらぶら帰る途中だったのだ。

 いつもの公園に差し掛かったとき、私はふと思いついてその質問をする。どうにも小暮との最初のきっかけを思い出そうとすると、記憶がぼんやりと霞んでいるのだ。

 だけど世界中でその記憶を共有しているはずの、唯一の人物が目の前にいるのだ。聞くのが自然な流れだと思う。

 知りたかった。

 私の言葉を聞いて、小暮はひゅっと一瞬で情けない顔になった。眉毛を寄せて見下ろして、マジで?と聞く。

「ん?」

「カメ、忘れちゃったの?俺がここでお前に告ったことも?」

 人差し指を地面にむけて、彼はここ、を強調する。私はちょっと慌てて両手を振った。

「いやいや、それは覚えてるわよ!まだ1ヶ月ほど前のことじゃないの」

「あ、良かった。ショック受けるとこだった〜」

 胸を撫で下ろして小暮が苦笑する。まあ、仕方ないかもなって。あの時はお前、何だか様子がおかしくて、口をあけたり閉じたりしてたし、なんか全然話も聞いてなかったみたいだったし。小鼻をこすりながらそういう小暮に、私はちょっと首を傾げる。

 告白・・・された、ここで、確かに。うん、それは覚えている。だけど―――――――――・・・

 私は一生懸命考えて、記憶を掘り起こそうと何回目かの努力をする。

 その時って勿論二人だったわよね。そんで、そんで、ええと、美紀ちゃんと飲んでて小暮が入ってきて、だから私は酔っ払ってて・・・記憶が曖昧なのよねえ?

 その時の全部が嫌にぼんやりとしているのだ。小暮が言う私もちょっと変だったみたいだし、そんなに酔っ払ったつもりはなかったけど、実はそうだったのかな?私は一人で首を捻る。

 告白されたのがあまりにショックで記憶障害が起きてるとか?・・・それはちょっと情けないわよね。

 私は小暮を見上げて恐る恐る聞いた。

「その時私さ、付き合うって言ったっけ?」

「・・・やっぱり忘れてんじゃねーかよ」

 ため息をついて、小暮はがっかりした表情を浮かべた。あ、なんか申し訳ないぞ。

「ごめん、もういいや」

 やめよう、この話を。そう思った。今までだって過去にはこだわらなかったはず、このことだって特にこだわる必要はないでしょ、心の中でそう思った。

 どうしてだか詳細を覚えてないけど、とにかく私は小暮に気に入って貰えた。それから、付き合うことになった。で、今は一緒にいる。それでいいわよ、って。

「信じられん。あんなに一生懸命だった俺が可哀想だぜ、マジで」

 小暮はブツブツと隣で拗ねている。せっかくさっきまで上機嫌だった彼をへこませてしまったことが申し訳なくて、気分を変えてもらおうと私は彼の肩をトントンと叩く。

「上がっていくでしょ?コーヒー飲む時間はある?」

 うん?と小暮が私を見た。それから、きゅっと口の端をあげて企んだような笑顔を作る。

「時間?勿論、ある。コーヒーはいらないから、カメを抱かせて」

「ぶっ・・・」

 思わず噴出して苦しむ私を見てケラケラと笑い、小暮が歩くスピードを速める。

「ほら、早く帰ろう。滅多にない逢瀬の時間なんだからな〜」

「滅多にないって・・・まだ付き合いだして間もないでしょ」

「知り合ってからが長いからな。俺の心情的には織姫と彦星なみだぜ」

「は?」

 デートが一年に一度でいいなら、淡白な私には楽かしら?そんなことを意地悪く考えて、私はまた変な感覚に襲われる。

 ・・・うう、また、あれだ。何か忘れてる感覚・・・。織姫と彦星が悪かったの?って何、織姫と彦星といえば・・・七夕?・・・それの何がひっかかった?・・・星?

 星が、一体どうし――――――――――――

「カメ!」

「ちょっと〜!そんなに急がなくても部屋は別に逃げないわよ!」

 ぐいぐいと引っ張られる手が痛くて抗議すると、小暮は振り返ってキッパリと言った。

「タイミングを逃すとお前はちょっと面倒になるだろうが!」

 ・・・悔しいことに、言い返せないわ。

 手をひっぱる小暮に引かれて、私は仕方なくスピードを速める。結局その変なざわざわする胸の感覚は、部屋について問答無用で小暮が私を抱くまで、頑固に続いていたのだった。




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