2、酔っ払いと涙@
昼からこっち、私はそわそわしてしまっていた。
事務所に戻るとキラキラ瞳の美紀ちゃんの視線攻撃にあったけど、黙殺して自席へ戻り、パソコンの電源をいれる。
だけどちーっとも集中出来なかったのだ。それは、あの男のせい。
・・・小暮。くそ、お前何してくれんだよ・・・・。
私はぐったりと疲れきった午後3時、自席で顔を机の上においてダラダラとのびきっていた。
何と、デートの約束だぜ、この私が。
何年ぶりだ!?です、本当。
それが頭の中を駆け回り、集中力のいる計算がちっとも出来ないのだ。どうしよう、このままでは提出に間に合わない。
その時颯爽と、困った時の美紀ちゃんが登場した。
「亀山さん、コーヒーどうぞ」
私はよっこらせと体を起こして椅子に座りなおす。有難いわ〜・・・今の私にはカフェインの強烈なアタックが必要よ。
「ありがと。ちょっとこれ、間に合いそうもないわ。全然集中出来なくて・・・」
うんざりした声でそう言うと、判ってます、と肩を優しく叩く彼女。
「のびきってましたもんね。昼食から戻ってから挙動不審でしたよ、亀山さん。さあ、何があったのか私に話してください」
彼女はぐいぐいと顔を突き出してくる。私はさっさとコーヒーに口をつけながら眉を顰めた。
「え、嫌よ。とにかく仕事が進まないってだけで頭痛いのに」
「そう言わずに!小暮課長と何かあったんでしょ、ねえねえ」
「仕事に支配されてて何も思い浮かばないわ〜」
「・・・仕方ないですね、それ、半分私が受け持ちます」
だから、さあ!そう言って美紀ちゃんは椅子を持ってきて私の隣に座ってしまう。
課長は出張で不在、他の事務員達は出かけていたり同じくコーヒーブレイクに給湯室へ行ったりしているようで、部屋の中は二人きりだった。すでに面倒臭い仕事の放棄を望んでいた私は情報くらいならと進んで取引に応じる。
「小暮にご飯誘われた」
「おおおー!!!」
きらりん、と美紀ちゃんの瞳が輝いた。私はすばやく書類の半分を彼女の手に握らせる。よし、やった!
「え、え、それって今夜ですか?それでもって、どこで?」
「教えない」
「亀山さん〜!!」
何でですか!そう詰め寄る美紀ちゃんに、私は残りの書類の山を指差す。
「だってこのままだったら残業決定で、約束はキャンセルになるだろうし」
「もう半分引き受けます!」
よしよしよ〜し。私は更に書類の半分を彼女の手に載せる。処理能力は私なんかより美紀ちゃんの方がいいのだ。君がやったら物事が素早く終わるしね!
肩の荷を4分の3も下ろした私が嬉しくコーヒーを飲むと、美紀ちゃんは一度自席に戻って書類を置き、すぐに戻ってきた。
「これでデートにはいけるわけですよね?じゃあ化粧直しもして下さいね、亀山さん」
「は?何でそんなこと。私が化粧ポーチなんて持ってると思う?」
「持ってないんですかっ?!」
愕然とする美紀ちゅんにケラケラと笑って、私は手を顔の前でピラピラと振る。
「それに第一、ちょっと直した程度じゃ変わらないわよこの顔は」
その実にやる気のない返答にも、美紀ちゃんはめげなかった。さ、休憩は終わりですよ、といきなり鬼のようになって、私からコーヒーを取り上げる。
「美紀ちゃん〜?」
「仕事です仕事!私が減らしたのだから、残りはさっさと仕上げて下さい!そして今晩は是非お食事に!でないと―――――――――――」
「・・・でないと?」
私はおそるおそる事務所内での最権力者を見上げる。
そこにはにっこりと可憐な微笑みの美紀ちゃん。きゅっと口角を吊り上げて、こうのたもうた。
「社内メールで小暮課長と亀山さんのデート、ばらします」
「――――――――――――」
何だってえええええええええ〜っ!!!
私は仰天して口があきっぱなしだった。間違いなく歴史的不細工な顔をしていたはずだ。だけどそんな事に構ってられるかい!まさしくそんな脅迫がありますかいな!状態だ。
「・・・み、美紀ちゃん?」
「勿論、化粧直しも込みですよ」
美紀ちゃんはその可憐な外見を著しく裏切る悪魔的笑みをみせて、悠々と自席へ戻っていく。
私は他の事務員が戻ってきたのにも気づかずに、叫びまくった。
「やーまーもーとぉぉぉ!!何てこと言うのよあんた〜!!」
「おほほほほ」
「卑怯もの〜っ!!」
「さあ、叫んでる暇があったら仕事してください、仕事」
「鬼〜!」
「ホラホラ亀山さん」
唖然としてみる後輩達。そこには涙目のお局と、笑顔の先輩事務員の姿があったのだった。
畜生〜!私はマシンガンのように電卓を叩きまくる。必死だった。
だって、そんなことされてみろ!会社内の独身男性を狙う女子社員を全て敵に回す上に、上司達からは好奇の目で見られる。その上小暮の出世を邪魔してしまうかもしれないのだ!社内恋愛は禁止ではないが、やはり大歓迎されるものでもない。
それになんというか、組み合わせが悪いのよ!
折角頑張ってここまで出世してきた小暮の将来を、私という「どうでもいい社員」が絡むことで台無しになるかもしれないのだ。それは、たとえ小暮本人が望んでも私としてはお勧めできるものではない!
結婚するとかならともかく、付き合う云々では―――――――――――――・・・
内緒内緒の出来事にしておきたい。
そんなわけで、私はまんまと出来る後輩である美紀ちゃんの策略にのってしまったのだった。それから文字通りに没頭して片付けた結果、定時前にはちゃんと終わらせることが出来、なんと化粧室へ強制連行されたので、化粧直しなんてものまでしてしまったのだった(美紀ちゃんは、自分の化粧ポーチを開けながら、また同じ脅しを使った。うぬぬ、卑怯なやつめ!)。
夜7時。
私は先日美紀ちゃんと行き、そしてその夜に小暮から告白を受けてしまう結果になった居酒屋へ、一人で入っていった。
まだ小暮は来てないようだったので、椅子について飲み物だけ注文する。とにかく先にアルコールをいれておくほうがいいかも、と思ったのだ。
小暮と二人で飲食したことなんてない(社員食堂は除く)。今までは同期の飲み会だったし、私は彼に特別なものは何も感じてなかったのだから。
ところか告白されて以来、ダンの喧しい忠告や美紀ちゃんの露骨な引っ付けよう作戦のせいで、今までただの同期だった小暮の男性らしい面や優しい性格、それから爽やかな笑顔なんかがクローズアップされてしまっていた。気づいてしまった、というのが正しいのか。ああ、こいつ、妙齢の男だったんだなあ〜、という感じ。
なんであいつ、まだフリーなの?
ちっとも気にしたことがなかったその情報に、私は不機嫌に唸った。
ダンが現れてから抱き寄せられたりキスされたりで、(その点、ダンは外見のすこぶるいい男神だったので)やはり意識をし、少しばかり女モードが戻っているらしい私の閉鎖的な脳みそも、さすがにこんな機会には緊張したらしい。
「ああ、美味しい・・・」
とりあえずと注文した生中を半分くらいまで飲んで、私はぎゅうっと目を瞑った。
ダンが消えてから、アルコールが増えていた。
とにかくヤツから考えを逸らしたくて、出来ることは何でもした。
今日は緊張を解くためだけど、やっぱりビールって最高――――――――――――
「ごめん、遅れた」
声が上から降ってきて、すぐ前の席に細身でも大きな体が座るのが判った。
私はパッと目を開く。
そこにはブルーのネクタイに指をひっかけて緩めながら笑う、小暮がいた。
「もうそんなに飲んでんの?俺も生中にしよ」
「・・・喉、渇いてて。お疲れ様」
うん、そうニコニコと笑って、小暮はやってきた店員に注文をする。私はドギマギしてしまい、目を泳がせながらビールを飲み干した。
「ほら、またキョロキョロしてる」
「違っ・・・あの、ちょっと緊張して・・・」
おっとつい滑らした!私はぐっと口をつぐんだ。弱みを見せるようでバレたくなかったのに。もう、私ったら!
案の定、小暮はそれを聞いてにやりと笑う。
「緊張?俺と飲むのに?おおー、いいね、それって意識してるってことじゃん」
・・・くそ。
やっきになって否定するのも悔しかったので、私は不機嫌な顔で肩を竦める。彼は全然気にしていないように、どれ食う?とメニューを見せてきた。
「好きなの頼んで。私つくねチーズがあればそれでいいや」
「カメ、チーズが好きだよな。前から思ってたけど」
楽しそうにそう言ってから、小暮は慣れた感じで注文を済ませた。
私のお代わりのビールが運ばれてくるのを待って、さて、と彼がジョッキを持ち上げにっこりと微笑む。
「まずは乾杯だな。待ち望んだシチュエーションに」
「・・・」
返事のしようがないぜ。若干顔が赤くなったのを感じながら、私は控え目にヤツのジョッキに自分のを当てる。ああ、恥かしい・・・。どうしたらいいの?少なすぎる自分の恋愛経験は、こういう時全く役に立ってくれないものなのだ。
さっきから小暮の視線が気になる。彼は、前に座ってからやたらと私の顔を見ているようで、こっちはどんどん視線が下がってしまうのだ。
何なのよ〜!!
「カメ」
「何」
やっと言葉が来た、と思ったら、ヤツはさらりと爆弾を落とした。
「今晩はえらく綺麗だな。化粧直し、してきたんだ?」
ぶぶーっ!
ビールでなく、鼻水が噴出すかと思った。恥かしさの余り。私はパッと顔面を手で覆って、心の中で美紀ちゃんをとっつかまえてハリセンでどつきまくった。
もう、もうもうもうもう〜!!あんたのせいよ〜!!
「たっ・・・たまにはちょっとそんな事もするのよ。悪い!?」
頭に血がのぼり、食って掛かる。だけどそれにも平然と微笑んで、小暮は更に追い討ちをかけた。
「うんにゃ。普段そんなことしないカメが、してきた。俺は特別扱いされてるようで嬉しいねー」
にやにや。そんな効果音が聞こえそうな笑顔だった。
あううううう〜・・・。私は額に手をやり覚悟を決める。元々、ここへきた時点で間違いだったのだ。そうに違いないって。
前から小暮は、その回転の早い頭でタイミングよく言葉を出し、場を支配していた。私一人相手にするなどきっと朝飯前なんだろう。
・・・ああ、今晩は弄られるんだろうなぁ、て。
だけど、その後の小暮は完璧な紳士だった。
今までの営業経験をフルにいかしてか、飲み屋でのおもしろトークを披露してくれたのだ。私はお代わりのビールにつまみをどんどん食べながら、笑いながらヤツの話を聞く。
日がな一日中同じ建物の中にいて、同じパソコンの画面をみている私のとは全然違う一日が、彼にはあった。その話や過去の酷い接待、面白かった面談なんかの話がどんどん小暮から溢れ出てきて、私は退屈なんて言葉は知らなかった人みたいに笑い転げた。
ダンがいなくなって、こんなに笑ったのは久しぶりだった。
そして、誰かといて楽しいと思ったことも。
自分でも気がつかないままビールのグラスは重ねられていき、美紀ちゃんと飲んでいた時とは比べ物にならないほどの量を消化した午後11時、私たちはやっと立ち上がったのだ。
「だーいじょうぶか〜?カメ〜」
そういう小暮もフラフラだった。
私はケタケタと笑ってヤツの肩を叩く。
「あんたもフラフラでしょ〜!お互い様じゃないのよ〜」
前回と同じ、酔っ払っていてもスマートに会計を済ませる小暮。私はフラフラと外へ出て、夏の夜の、ひんやりとして湿気を多分に含んだ空気を吸い込んでいた。
・・・・ああ、気持ちいい。
たくさん笑ったあとで、折角美紀ちゃんが綺麗にしてくれた私の顔は崩れているに違いない。ファンデーションはよれて、目元のアイラインは滲んでいるはずだ。
だけど、気持ちよかった。
心地よかった。
気分がスッキリしていて、実に満たされていた。
今まで、誰かといたいと思ったことなどなかった。だけどダンが出てきて私につきまとい、それから今晩の小暮も、それからそれからお昼の美紀ちゃんも、すごく有難いことかもしれない、そう思った。
話す相手がいるということ。
笑顔を分かち合えて、視線を交わせるということ。
そういう細かい、私が今まで忘れていた何か。
それが確実に今晩はあったのだって。
「お待たせ」
小暮がやって来た。駅前の喧騒が二人を包み込んでいた。私は返事も出来ないで、ただぼーっと彼を見る。
誰かが私と一緒にいる・・・それって、不思議だわ。そう思いながら。
アルコールの影響で視界がユラユラと揺れる。一日の仕事終わりの疲れと、思いっきり笑ったことで出た疲れ、それから眠気が私の頭を止めてしまっていた。
小暮が、やたらと格好よく見える。
これってアルコールマジック・・・?
「どうした、カメ」
小暮の笑顔がネオンに滲む。
「・・・」
言葉が出なかった。
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