3−A
私はいつものように素直な気持ちになって、今日実家に戻ってからの展開をつらつらと話す。それを祖父母は黙って聞く。時折、おじいちゃんの吐き出すタバコの煙が窓から入ってくる風に揺らいでいた。
「誰かに好意を寄せられるということは、素敵なことね、睦ちゃん」
おばあちゃんがそう言って、団扇で風を送ってくれる。私は慌てて自分も団扇をとり、私がやるよ、と言った。
「いいじゃあないの。返事なんて焦らなくても大丈夫よ。ゆ〜っくり考えたらいいわ。その人だって、きっと覚悟をもって気持ちを伝えたはずよ」
「そうかな・・・」
私は団扇を動かしながら、ぼんやりと呟く。
一緒に住みだしたダンと、告白してくれた小暮。一人で暮らしていた私の周りに、いきなり男性がぽこぽこ現れた感じなのだ。
私は今のところその展開についていくのがやっとのことで、正直に言えばそんなに深く考えられるかい!ってな状況だった。
だって、一人は人間ですらないわけだし。
ユラユラとタバコの煙がのぼっていく。3人でいる8畳の部屋は静かで、窓の外から小さな虫の声が聞こえていた。ダンが近くにいないのが久しぶりだった。私は、かなり寛いでいたと思う。
「ねえ・・・おばあちゃん。結婚相手って、どうやって決めるの?」
気がついたら私はそんなことを言っていた。祖父母の時代は戦前で、自分の結婚相手は自分では決められないことも普通であったと知っているのに。
だけど、あ、やっぱり何でもない、そう私が言いだす前に、おばあちゃんがゆっくりと言葉を出していた。
「睦ちゃん、難しく考えることなんてないのよ。物事は何でも案外簡単なものなんだから」
「え?」
皺だらけのおばあちゃんの顔。それを更に皺くちゃにして、おばあちゃんは笑う。
「一緒にいる相手には、自分を殺す必要がないってだけでいいと思うわ。我慢は続かないし、一緒に生活していればいい格好をつけることもない。ただでさえ、煩雑な色んなことがついてくるのが結婚生活でしょ。だから大事なのは、自分を殺さなくてもいい相手をみつけることだと思うわ」
ちょっと不思議な感覚だった。私は今まで結婚生活に対して夢や希望を持ったことなどなかったから、おばあちゃんのその言葉で救われた、みたいなことはない。だけど、それだけが相手への条件?そう思ったら、呆気に取られたのだ。
「え・・・。でも、相手を好きでなくてもいいの?」
「慣れるわよ。それに、好きだ嫌いだなんて感情をずっと持つのは疲れるわ」
祖母はそう言ってコロコロと笑う。
「出来たら好意はもっているのに越したことはないわね。だけど、自分が好きだと思っていた相手の性格や外見でさえ、それが憎らしくなったり嫌いになったりに変わることはいつでもあるの。それよりは、自分が自分でいられるということの方が大切じゃないかしら」
・・・おおー!私は団扇を持つ手を止める。
何だか、深くていい話を聞いてしまったようだった。漠然と思っていたこと、それをすっきりと言葉にしてもらったような感覚。ああ、そうか。そう簡単に頷けてしまうような感じだ。
恋愛に対しても、淡白。それは我が家の遺伝なのかもしれない。だけど、皆相手を見つけて家庭を築いてきた。その対処法なんだろうな、我が家の教え、そういうことなんだろうな、と思ったのだ。
小暮のことを考えた。
側にダンが居なかったから、本当に久しぶりに、私は私だけの空間で頭の中で喋ることが出来たのだ。
あの夜。
外灯の光。
ちょっと照れた、だけど真剣な目。
思い出す。
その時は個人的に色々忙しくてそれどころじゃない状況だったから彼の言葉は浮かんでこなかったけれど、その場面だけは、しっかりと思い出すことが出来た。
小暮は、嫌いではない。
むしろ分類するなら好きな人間だと思う。
同じ会社で仕事をする人として考えれば尊敬もしているし、確実に社会の役に立っていて、あまりふんぞり返ることなどない。それもいいと思う。
そして、彼の前では私は気取らなくてもいい。
今更気取っても仕方がない。
気の合う同僚としてみていた期間が長かった分、どちらかというとダメな部分ばかり、女性らしさとは無縁であるところばかり見せてきたように思うのだ。
―――――――――自分を殺さなくてもいい、相手・・・。
「わお」
思わず言葉が零れていた。何か、昼寝から目が覚めたような、不思議な感覚が私を包み込む。
その時、祖父母の部屋で、黙ってタバコをくゆらせていたおじいちゃんがのんびりと口を開いた。
「睦」
「え?はい、何?」
私はまだぼーっとしたままで、顔を祖父へと向ける。
「・・・前に一緒にいた、あの光はどうしたんだ?」
「え」
前に一緒にいた―――――――――光って、ダンのことかっ!?
仰天して口が開いた。
確かにダンと祖父は何かを語り合っているような感じではあったけど、やっぱり存在を感じていたのね、おじいちゃん!!そんなことを思って、トリハダが立ったのだ。
うわー、これってオカルトだわ!と思って。
おばあちゃんはきょとんとした顔をして二人の顔を交互に眺めている。
「あ・・・ええと――――――・・・」
・・・いる、よ。家の中には。
おじいちゃんは柔らかい笑顔をしていた。
だから私は立ち上がって、ドアを開ける。それからダンを探しに行った。とても不思議だけど、そういうことってあるんだ、と思いながら。
結局まだ居間で兄貴の隣に寝そべりながら雑誌の盗み読みをしていたダンを、目線だけで動かして祖父母の部屋へ連れて行ったのだ。
そして私はおばあちゃんと一緒に台所に戻った。お茶でも淹れるね、と言って。煩い母の壁になって貰う為に同行をお願いしたのだけれど、それはちゃんと成功した。
まだまだ聞き足りないって顔で無駄に周囲をうろうろする母親をスルーして、私はおばあちゃんとお茶を飲む。
おじいちゃんとダンは、何か判らない話をずっとしているようだった。おじいちゃんの小さい声だけが開け放したドアから廊下へ流れ出ていて、父は、おじいちゃんが独り言を言っている、と心配そうだった。
実家の夜は騒がしい。
テレビの音は途切れることがなく、台所で母が立てる音とか、他の誰かがドアを開け閉めする音なんかが絶えず聞こえてくる。
どこにでも、誰かの存在感があった。
私はお風呂から上がってまた缶ビールを飲んで、布団を用意してくれた元自分の部屋へと上がる。長い間祖父母の部屋にいたらしいダンも、ヒョイと現れてふわふわとついて来た。
「ねえ、おじいちゃんと何喋ってたの?」
私は行儀悪く階段を上がりながらビールを飲む。
ダンは背後霊宜しく私についてきながら、にやりと笑って言った。
「教えない」
・・・くそ、感じ悪いぜこいつ。私は正直に顔を顰める。
だけど、一緒に部屋に入って扇風機のスイッチを押しに屈んだ時、後でボソッとダンが呟くのが聞こえた。
「・・・後ろ髪引かれるって、こういうことを言うんだな〜・・・」
は?
私は振り向いたけれど、そこには既に寝る体勢に入って寝転んだダン。その長くて綺麗な睫毛を柔らかく伏せて、やたらと光る人形みたいな外見で寝ようとしているところだった。
私はよく判らなかったダンの言葉が気になって、ちょっと、と話かける。
「何か言った?」
「ううん〜」
返ってきたのは簡単な返事。
ほろ苦い、ビールの回りもあった。
だから私は敢えて追求はせずに、肩をすくめて横になる。
気になるけど、ま、いいか、って。
また聞きただす機会はあるわ、そう思いながら。
・・・ああ、家の匂いがする。この安心感、それから、ダンの涼しげな香り・・・。
整った綺麗な顔、それをしばらく眺めていて、神の寝息を聞きながら私も夢の中へと入って行った。
意識が途切れるその瞬間まで、ヤツの体から出される小さな光の粒子が、瞼の裏で踊っていた。
ダンのメモDただ観察するよりも、一緒に住むほうが面白いって試験監督に言うべきかな〜。
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