2−A
私が作る夕食に一々口も手も突っ込み、何と一緒に食べたりする。
「人間のもの、食べるの?」
私が一度そう聞いた時には、ダンはあっさりと頷いた。
「食べられる。別になくても困りはしないが、あってもいいんだ。結構美味しいものだな」
その時のメニューは牛肉と玉葱のオムレツとほうれん草の味噌汁、サラダと冷奴だった。ムツミが食べるなら俺にも作れ、さもないと――――――と私を脅したので、ぶーぶー言いながら二人分作ったのだった。
同棲などしたことはなかったから、誰かの為に晩ご飯を作るのが初めてだった。それも、家族でも友人でもない異性相手に。
フライパンを揺らしながら、何だか変な気分になったものだ。
私、二人分のご飯作ってるよ・・・そう何度も確認して。
ダンと二人で小さな食卓を囲んだ。
目の前で外国産のような極上の美男子が冷奴を食べているのは、結構シュールな光景だった。
「別にいらないなら食べないでよ!食費上がってるっちゅーの」
「俺はムツミと一緒に住むと言っただろ〜?人間のように扱ってくれ」
「なら食費や光熱費稼いで払いなさいよ!」
「天上世界へ一緒に行けば、そんなもの必要なくなるぞ。これが嫌なら一緒に来るか?」
に〜っこり。
整った顔立ちに百万ボルトの威力をもつ微笑み。私はクラクラしながらも、それをなるべき見ないようにして中指を突き立ててやった。どうせヤツには通じまい。
「悪意がある仕草だとは判ったぞ」
「気のせいよ」
「とにかく、ご飯は俺の分も用意してくれ。人間の男にするように。いいか?」
その言い方には断固とした決意が感じられたので、私はムスッとしたままで言ったのだった。なら宙に浮かぶのやめてくれない、って。人間の男は、むやみやたらに浮かんだりしないんだぜ。
とにかく、頭がイライラしたり胸がざわざわするのを避けるために私はこの現実を受け入れて、それから無視することにしたのだ。つまりヤツが一緒にいることには目を瞑るが、会話はしないぞ!って。
だけどすぐに無理だと判った。
ああ、私は非力な女・・・。
既に2ヶ月も一緒にいて人間界に慣れたらしいダンは、今では質問攻めなどないし、普通にしていれば中々面白い会話をする相手だったのだ。
ちょっと変わった視点で物事を見る。その話を聞くのが楽しかった。
だから私は、いつの間にやらダンが部屋にいて生活をするのを受け入れてしまっていた。あの宣言から1週間も経つ頃には、キラキラと光り輝くやたらと美形の男神の姿も、当たり前の風景として感じていたのだった。
この狭い一人暮らしの2DKでは、どこにいてもヤツの姿が目に入る。
それを邪魔だわ、とか、ああいたんだ、とか一々思わなくなるのが早かった。その事実に私はちょっと驚いて額を叩いてみたりした。
やばいわよ、私って。
そんなこんなで数日を過ごしたら、お盆休みに突入した。
会社は工場のみ稼働で、一事務員である私を含め、あとは皆5日間の休みとなる。
休みはどうすんの?という小暮のメールには実家に帰省すると嘘八百書いて返信し、私はクーラーをつけた部屋で、ゴロゴロと幸せに転がっていた。
側には冷えたビールグラスとサラミ。ううーん、幸せだわ!
私に驚きの告白をして以来この10日間ほど、小暮は以前にましてしっかりとアピールをしてくるようになっていた。私は男性にアピールをされるという行為自体が大変久しぶりで、ドキドキするよりも先に困惑がくるのだ。嫌では、ない。若干の喜びは確かにあると認めよう。だけど・・・何というか・・・「どないせえっちゅーねん!」と壁をグーパンチしたくなるざわざわが全身にあるのだ。
そんなわけで、お盆休みにデートしない?という小暮のお誘いからは、あっさりと逃げた。実家奉公を名目に。そりゃあ一日くらいは実家へも行かなきゃならないのだけれど、連日行くと嘘をついたのだ。勿論小姑神ダンはブーブーのたもうたけれど、それならそれで俺の居る期間が長くなるだけだぞ〜との言葉を最後に、小暮に関しての話題は姿を消した。
そのダンは今、先日私が暇潰しに買ったファッション雑誌を寝転びながら読んでいる。神は人間が作った文字など何でも読めるらしい。
大きな体で畳の上に寝そべって、機嫌よさげに足をぶらぶらさせている。私はそれをぼんやりと眺めながら、ああ、慣れちゃったわ、と呟いた。
慣れた、こいつがいるの。
昨日など、夕食の後シャワーを浴びて出てきた私が顔にパックをはっているのを見て、ダンは興奮してこういったのだ。
「ムツミ、俺にも俺にも〜!」
私はヤツのシミ一つないツヤツヤでキレーな顔をじいいっと見詰めて、あんたには必要ないでしょうが、と冷たく言った。毛穴のけの字も見えないぞ。
するとダンはふんぞり返ってこう言った。お前と同じことするって言っただろ〜って。大体元々美しいものに更に磨きをかけることの、何が悪い!って。
「あっそ・・・」
パックする神。ちょっと面白いかも、そう思って、私はそれ以上抵抗も反抗もせずに、ダンにも顔パックを張ってやったのだ。化粧水でひたひたになったヤツを、べちゃっ!と。
「おお〜」
そう言って佇むダンの姿は滑稽だった。私は床の上を転がってゲラゲラと笑う。ダンはその長い髪をポニーテールにして、ヘアバンドで止め、白いパックを顔につけてご満悦だった。私に笑われてることは気にならなかったらしい。実際自分でも鏡を見て笑っていたほどだ。
「あはははは!マヌケだわ〜!」
「いいんだってば、これで俺はピチピチになるんだろ〜?」
「あはははは!」
あんなに笑ったのは久しぶりだったな。お腹が痛くなるまで笑うなんて。そんなことを思い出しながら、私はビールをゴクゴクと喉を鳴らしながら飲んで、寝そべるダンを足先でツンツンと蹴る。
「こら、止めろ、ムツミ」
女性ファッション誌を興味深げに読みながら、ダンがむっとした声で言った。
「ねえねえ、チーズ取ってよチーズ。冷蔵庫の中にあるからさ」
「・・・神を使うな」
「あんた食費も払ってないのに食事作ってやってるでしょ、私が。冷蔵庫に近い方なんだから取るくらいいいでしょう〜。チーズが食べたい〜」
「くうう、ワガママだぞムツミ〜!」
「チーズ、チーズ」
ダンは文句を言いながら立ち上がる。どうやら歩いて台所まで行く気らしい。私はちょっと意外に思って、取り寄せないの?と聞いた。だってこいつが一瞬で遠方の物を取り寄せるところを何度も見ているのだ。それが出来るのが判っているから頼んだのに、そう思って。
ダンはサラリと優雅に立ち上がって台所まで行きながら答えた。
「俺はここに住む間は人間のようにすると決めたんだ。浮かんでないだろ〜最近」
・・・おお、確かに!
私はグラスを置いてちょっと手を叩く。本当だ、よく考えたら、ダンはこの部屋にいる間空中を浮遊しなくなっている!前は天井近くでふわふわ浮いていたけれど、一緒に住むと宣言してからはこの部屋では寝そべっている姿ばかりだ。
会社がある間は浮かんで移動していたけれど、今はお盆休みで既に家にこもって3日目だ。浮いてないじゃん、こいつ!
「・・・何で?便利な力があるのにさ」
チーズをもってぺたぺたとやってくるダンを見上げてそう聞いた。するとヤツはにやりと笑って、目元を細める。
「同棲している人間の男のようだろう?これでムツミが俺に惚れたら、そのまま天上世界へお持ち帰り〜」
・・・何だ、それ。私は一気に疲れて肩を落としながらダラダラと言った。
「・・・確かに慣れたけど、惚れるのはないと思うわ。だから天上世界もなしよ」
「慣れが一番大切なんだぞ。俺がいないと寂しいだろ〜?」
「いや、きっと清々すると思う」
ダンは私の前まできてしゃがみ込んで視線を合わせる。・・・な、何よ。私は背中を壁につけている為にこれ以上は後ろに下がれずに固まってしまう。
「同棲している人間同士は、他に何をするんだ?」
「え?」
「ご飯を一緒に食べて、テレビを観たりして笑って、それから?」
「それから?ええと・・・それからって・・・」
ダンが近いので私は伸ばしていた足を回収する。体育座りの状態で、目の前の美形を見て怪訝な顔をしていた。
「ムツミはよく笑うようになったぞ。俺のお陰だ」
「同じくらいの頻度で怒鳴っていることも忘れないでくれる?」
「怒鳴っていても、ムツミは以前より毎日が楽しそうだぞ〜」
私は返事をせずに、むすっとしたままで近距離のダンを睨みつける。認めるのは大変癪ではあるけれど、確かに以前の一人暮らしだったころよりは毎日は忙しいし、弾んでいるような気は・・・する。
すると、美しい光に見ている瞳を更に細めて、ダンが綺麗に笑った。
「ムツミ、キスしよーぜ」
「――――――は?」
「生活に張りが出て、楽しさを感じかけている。ならば次だ。あんたは女性であることを楽しむべきだろ」
私は口をあけっぱなしにしてダンの整った顔を凝視する。
・・・あんたが言っているのは――――――――つまり・・・。つーまーりー?
「俺を同棲している人間の男だと思えばいい。年齢相応の色気を出すには心地よくなることだ。俺は、ムツミを喜ばせる自信があるぞ」
「はっ!?」
何てこと言うのだあんたは!私はそう思って更に背中を壁にひっつける。喜ばせるって、つまり、ホラ、ちょっと待ってよ、今はこいつ大人モードなの!?
ババっと顔が赤くなったのが判った。
手からチーズが落ちたことにも気がつかずに凝視する真っ赤な私を見て、ダンが軽やかな笑い声を漏らした。
「人間は親愛の情を示すためにもキスをするのだろー?ならそれをしよう」
「―――――――――――」
・・・ああ、何だ、ほっぺチューかよ。私は思わずドギマギしてしまった自分を心の中で足蹴りにした。ああ、びっくりした。
ダンが読んでいた雑誌には、確かにそんな特集があったはずだ。外国の諸事情、とかそんな題名で。それを読んだのね、きっと。
私は赤くなった顔をこれは酔いのせいだと無理やり決め付けて、手でダンをしっしと追っ払う。
「嫌よ。あんたと私は別に友達でもないでしょうが」
「ムツミ〜」
「煩いわね。大体人間は神に触れないんじゃなかったっけ?なら無理でしょうが」
「俺は触れるの知ってるだろー」
「ダメよそんな一方的な。挨拶のキスだって、お互いがお互いにするものなんだから」
つか、嫌だって言ってるでしょ。私はイライラとヤツをにらみつけて、脇をすり抜けようとした。チーズは諦めて、缶を捨ててから手を洗おうと思ったのだ。
すると通り過ぎざま、パシっとダンに腕を掴まれた。
へ?
振り仰ぐと部屋の明りで逆光になったダンの顔。目を細めて、口角を上げている。
「したいんだってば、キスが」
「は?ちょ――――――・・・」
くるんとひっくり返されて、私は仰向けに寝そべる形に。すぐに降りてきた、ダンの綺麗な顔。それからキラキラツヤツヤと光る髪。あ、眩しい・・・そう思う暇もなく、唇の上に柔らかい感触が。
・・・あ。
うちゅ。音を立てて、ダンが私の唇を啄ばんだ。
それはとても柔らかくて優しい感触で、やたらと安心する温度だった。抵抗する力や怒りなどの感情をあっさりと取り去られてしまって、私はただ呆然としていた。
至近距離のダンの長い睫毛。私は見開いた目で、白くて明るいヤツの肌をじっと見詰めていた。
唇に感じるのはかなり乏しい経験しかない私にでもハッキリと判る、ダンのプルプルの唇。これは紛れもなく―――――――――キスだ。
「うん、人間とのも悪くないな〜」
そう言いながらダンがするりと起き上がる。私はまだぽかーんとしたままでそれを床の上から見ていた。
「だけどちょっと苦いな〜。これって何の味?」
「・・・」
「おーい、ムツミ〜」
超無邪気な顔でダンが私を覗き込む。だからつい答えてしまった。まだ、私の頭は停止したままで、現実に乗り遅れていたのだ。
「・・・ビール」
「あ、これがそうなのか」
ふんふん、ビールって飲み物は苦いんだな、そう言いながらダンは立ち上がってまた雑誌の方へ向かって歩いていく。それから座って雑誌を取り上げ、クーラーの風に吹かれながらまた読み始めた。
・・・・えーっと・・・・。あら?
私はまだ寝転んだままで、何度か瞬きを繰り返す。・・・今、キスしたわよね、ダンと?それも頬とかでなくて、しっかり唇に。
柔らかくて優しい、だけどひんやりとしたダンの唇。それを確かに、ハッキリと感じた。
あら、まあ・・・。
タイミングを逃してしまった私は怒りがわいてこなかった。ただそのままで、しばらく呆然としていたのだった。真夏の休み、自分の部屋で。神にキスをされるという、非常に珍しい経験をしてしまった。
ちょっと・・・どうしたらいいの、これ。
とりあえず、と私はもそもそと立ち上がる。
ダンは既に雑誌の世界へ行ってしまっている。何だか今更首根っこ引っつかんでの説教も、意味がないような気がしてしまった。
・・・えーっと・・・とりあえず。
私はフラフラと台所へ向かう。
もうちょっとアルコールが必要だわ、そう思って。
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