B


「俺、彼女にはふられたばかりなんです。でもそれはいいんだ。でなくて、友達と、ちょっとね」

 ビールを飲み干したらしい音。お代わりはとはマスターからは聞かない。正輝はボーっとしているようだった。

「そのお友達は女性ですか?」

 マスターが正輝に聞いた。珍しい。バーテンダーが自分から突っ込んだ話を聞くなんて。

 私がここにいるからで、マスターはちょっと面白がってるに違いない。

 ちょっと!と牽制を込めて、私はマスターの黒いズボンを引っ張った。

「そうです。・・・ここで、いつも一緒に飲む女の人、判りますか?」

 正輝の返答。

 またマスターがチラリと私を見下ろした。

 私はぶんぶんと首を大きく横に振る。

「その方なら―――――――痛っ」

 声に楽しそうな調子を聞き取って、私はマスターの足を鞄ではたいた。

「いた?」

 正輝の声に、マスターは、いえ、何でもないです、と声を小さくした。

「えーっと・・・その方なら、先日お二人で一緒だったときから見てませんね」

なんとか誤魔化した模様だ。

「・・・・女って、難しい・・・」

 正輝は挙動不審のマスターに何も思わなかったらしく、そう呟いて、立ち上がった。

「ご馳走様です。すみません、一杯で」

「いえ、またどうぞ。お待ちしております」

 ありがとうございました、とマスターの声が聞こえて、見送ったらしく戻ってきた。

 私はまだしゃがみこんだままで、マスターを見上げる。

「・・・・楽しんでませんでした?」

 私が聞くと、にこにこと笑って言った。

「いいえ。それにしても、従業員スペースに乱入の上鞄で叩くとは、なかなかの女性ですね」

 ぐっと詰まる。・・・・だって、つい。

 私は勢いよく立ち上がって、深深と頭を下げる。

「すみませんでした!そして・・・助かりました」

「いえいえ。詳細判りませんが、お役に立てたようで」

 厨房から出てカウンターに座りなおして、私はああ・・・とため息をついた。

「逃げてるんですか?」

「・・・はい」

「どうしてですか?」

 私はニコニコと微笑んだままのマスターを見詰めた。なんか・・・この薄暗い店内で黒い蝶ネクタイ姿のマスターは魔術師のように見えた。

「・・・諸事情ありまして」

「複雑なんですか?」

 うーん・・・と口の中で唸る。マスターに話したところで、多分、何にも解決はしない。

 私は自分の望みはわかってるし、どうしたいかも判っている。しかも、空腹にいれたジン・トニック2杯とパスタと一緒に味わったジン・トニック1杯とで酔いかけていて、説明するのが面倒臭かった。

「・・・複雑ってわけでは、ないです。至ってシンプル」

 辛い恋から逃げ出しただけ。

 私の小さな返事に、マスターは首を傾げた。

「それなら―――――」

「・・・そのシンプルな理由を聞かせてくれ」

 マスターの声に続いて、聞きなれた声が私の耳に届いた。

 ―――――――はっ!??

 パッと、伏せていた顔を上げる。

 入口の傍、コート置き場の影に、正輝が立っていた。

 私の死角になっているところだった。

 私はマスターを振り返る。

 蝶ネクタイに黒ずくめの格好の魔術師のような風貌のマスターは、苦笑した顔で、すみませんと軽く頭を下げた。

「・・・・バレてたようで」


 ・・・・・バレてた?私が隠れてるの・・・。


 がっくりと肩を落とす。

 正輝はゆっくりとこちらに近づきながら、私に言った。

「・・・マスターが隠す前に、お前のストールに気付いた。席にはジン・トニックの飲みかけ。カウンターの中に立ったマスターは挙動不審。あれで気付かなかったら、相当なマヌケだな」

 私は隣に立った男をにらみつけた。

「・・・・もう〜・・・。何で追いかけてくるのよ。私はあんたの彼女じゃないでしょ」

 彼女にはしてくれなかったでしょ、長い間。

「大事な友達だ」

 正輝の返答にこっそりと拳を固める。

 まだ言うか。もう判ったって、友達なのは。

 マスターが気をきかせて隣の小部屋に消えた。

 正輝は私をじっと見ている。

「聞かせてくれ。そのシンプルな理由を。何で俺から逃げるんだ」

 私は無視してマスターを呼んだ。

「マスター、消えないでくださいます?お会計お願いします」

「おい、翔子――――」

「うるさいわね。マスター!」

 声を大きくしたら、申し訳なさそうな顔でマスターが出てきた。可哀想だけど、今は私の盾となって貰うんだから。

 テキパキと清算をして、マスターに笑顔を向ける。

「すみません、お騒がせしました」

「いえ、大丈夫ですが・・・」

 マスターはちらりと正輝を伺う。私も正輝を振り返ってみた。実に真面目な顔で。

 やつは機嫌を損ねた顔で私を見下ろしていた。

「もう本当に止めて。追いかけてこないで。ただの友達に執着心もちすぎじゃない?」

 正輝はぶすっと答える。

「ただの、じゃない。お前は俺の―――――」

「「大切な友達」」

 ハモってやった。毎度毎度同じ答えを返す男だ、まったく。私にハモられて、更に不機嫌そうに口元を歪めた正輝を見上げた。

 やつのスーツの胸元をぽんぽんと叩く。

「日曜日にお見合いなの。ちゃんと成立したらまた連絡するわ。じゃあね」

 体中から勇気をかき集め、最後ににっこり笑ってみせた。

「おい、翔子―――――」

 私は出口に向かいながら背中をむけて言う。

「気をつけて帰ってよ。あんたもいい女見つけなさーい」

 今度こそ、本当にあんたを愛してくれる女を。

 そして、店の外に出て、ドアを閉めると同時にダッシュした。

 ヒール音を響かせて駅まで走る。まったく、私毎日走ってるじゃないの!!

 いい運動だわ・・・とホームで上がってしまった息を整える。

 日曜日のお見合いは嘘だ。話は確かに母親が持ってきたが、写真もみずに断った。

 この日曜日には髪を切りにいこう。私は胸のうちでそう決める。電車が風と一緒にホームに入ってきた。

 湿った空気だなあ、と思ってはいたけど、電車に乗っている間に雨が降り出した。

 窓からその空を見上げる。

 きっと、疲れて窓枠に頭をつけてもたれる私の代わりに、泣いてくれてるんだろう、空が。

 そう思うことにした。




[ 5/13 ]


[目次へ]
[しおりを挟む]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -