3、追いかけっこ@


 夜。

 テレビを見ながら、交友関係を保ちたい人たちに新メルアドを送信した。

 部屋の中ではカクテルは作らないから、専らビールだ。一人で3本目の缶ビールを開けて、窓も開け放して風を入れた状態で、ぼんやりと酔っ払っていた。

 テレビの中ではこの春に始まったドラマが進行中だ。

 ・・・・こんなにうまくいくわけないじゃん、恋愛が。

 突っ込みが止まらない。

 お綺麗なヒロインが、格好いいヒーローに愛されている。

 見て判るだろうが。その男はあんたが好きなんだよ。早くラブホでもどこでもいいから行ってやっちまえ。と、これまたつい暴言を吐く。

 ・・・実際の恋愛は、そんなにうまくいかねーよ。

 酔っ払ってソファーに寄りかかり、ため息をついた。

 私は、もう4年も正輝に片思いだったんだ・・・。

 瞼を閉じると自分が諦めた男。

 一緒の会社で同期として働いていた時の正輝。よく一緒にランチに社員食堂に行って、AランチにするかBランチにするかで悩んだ。

 失敗に二人して気付かなくて、クライアントに頭を下げて回ったものだった。

 課長に怒られて喫煙室で凹んでた私を飲みに誘ってくれたものだった。

 思い出が回る。

 記憶が交差する。

 私は少しだけ泣いて、正輝の思い出を頭から追い出した。


 自分で携帯を操作して正輝を追い出したのに、もう彼からメールも電話もないかと思うと苦しかった。

 朝の光りの中、ベッドの上で、私は拳で自分の頭をボカボカ殴った。

 いい加減にしなさい!!振り向いてくれない男を追いかけるのは終わりよ!

 さて、と一々号令をかけて朝の支度をする。ともすればボーっとしてしまう自分が憎らしかった。

 何とか身支度を終えて、今日はゴミの日だからとゴミ袋を持って部屋を出た。

 カツカツとヒールを鳴らして1階に降りる。ううー、先週はバタバタしててゴミを捨て忘れたから、重い〜・・・。よろよろとエレベーターを出たところで、アパートの入口で佇む人影に気付いた。

「おはよ」

「・・・・・」

 何故、正輝がここにいるの。

 私はしばらく止まった状態で、状況の理解に努めた。

「・・・・えーっと。どうしてここにいるの?」

 とりあえず、聞いてみる。

 平日の午前7時半。正輝が私のアパートの前に居たことは、約6年の付き合いの中で一度もなかった。

 濃紺のスーツに青のストライプのネクタイをしめ、本日も実に爽やかな外見で、当然みたいな顔をして正輝はそこにいた。

「ケータイが通じないから」

「・・・・」

 正輝の返事は黙殺する。それは私がしたことだし、言い訳の必要もない。

 立ち止まったままの私に向かって、正輝はスタスタと近づいてきた。

「着信拒否にメルアド変更は、ちょっと酷くないか?俺、凹んだぜ」

 その言葉に目線を合わせず、私は口元だけで笑う。

「・・・私の本気を判ってくれるかと期待したんだけど」

 すると正輝はひらりと手を振った。

「だから、俺の本気も判って貰おうと思って」

 ・・・・それで、来た、と。

 ううーん。

 私は思わず天を仰ぐ。

 おかしいな・・・・。この人から離れるのはもうちょっと簡単だったはずだけど・・・。

 正輝はチラリと私が持ったゴミ袋をみて、かして、と手を出した。

「これ、出すの?ゴミ置き場どこ?」

 私はアパートを出て右側のゴミ置き場を指差す。正輝は私の指先を視線で追って頷くと、重いゴミ袋を持ってそちらに歩き出した。

 私は一瞬で判断した。

 脳が告げていた。この男を忘れたければ――――――――


 逃げろ!!!



 私は正輝がゴミ置き場に向かってアパートのエントランスを出たと同時に反対側にむけてダッシュした。

 靴が邪魔で脱ぎたかったけど、そんなわけにもいかないから出来る限りの速さでそこを立ち去った。

 鞄を掴んで、息を切らせて。

 責任感のある(ハズの)正輝がゴミを捨てるために私を追いかけられないことを願って。

 駅までダッシュ。汗をかきながら乗車。電車の中で一人だけ荒い息をつく変な人になっていた。

 胸の中で手を合わせる。

 ごめんね、正輝。わざわざ近くもない私の家まで来てくれてこの仕打ちは自分でもどうかと思う。・・・だけど!!!

 本気で辛くなってくるので、どうか、私のことは忘れてくれたまへ。

 もう、神様、いや、悪魔にだって祈る心境だった。お願いですから、どうか―――――――

 ストレートで彼を、わすれさせて。



 罪悪感で、一日仕事に手がつかなかった。

 消費したタバコの数、2箱。朝8時から夕方4時までで。・・・・立派なヘビースモーカーだよ、私・・・。

 でもでも、と一向に進まない企画書を前にして、デスクに座ったままで拳を握り締める。

 何回も同じ事を思うのだ。

 もう、この恋は手放して、一気に新しい私にむかって駆け抜けるべきだ。

 正輝が私のことを友達としてしか見てないことは、ハッキリしている。泣けないくらいにハッキリしている。まさか追いかけてくるとは思ってなかったが、それでも友達の地位から抜け出してないのは判ってる。

 ならば、もういらないんだから。

 ぐだぐだと抜け出せない思考にまた陥ってしまった。

 すると、ポン、と頭に雑誌が落下してきた。

「こら、梅沢」

 けだるく見上げると、転職組みでこの会社に同時に入った、同期の亀山が立っていた。

「・・・・何よ」

 私の低い声に、眉間に皺をよせた亀山は不機嫌そうに言った。

「お前、一日顔怖かったぞ。何があったかしらねーけど、プライベートを仕事に持ち込みすぎ。もう仕事にならないんなら、帰れば?」

 うう・・・言い返せない。今日の私は本当に使い物にならなかったから、仕方ない。

 っつっても、まだ終業のチャイムは鳴らない時間だ。

「・・・・ごめん、迷惑かけてる自覚はある」

 仕方ないので素直に謝ったら、え、と驚かれた。

「・・・・どうしたの。お前が素直に謝るなんて、雪でも降るんじゃねー?」

 降るかっつーの。今5月でしょうが・・・。

 私は、あーあ、と呟いて、亀山に向けて鉛筆を放り投げる。それを器用に避けて亀山が文句を垂れた。

「本当に鬱陶しいな。昼間電話かけてきたヤツが関係あるのか?」

 私はじろりと同期を睨んだ。

 そう、正輝は懲りもせずに昼間、うちの会社に電話をかけてきた。亀山が取り次いで、私が受話器を取り、相手が判った瞬間に受話器を置いて電話を切ったので、亀山はドン引きしていた。

「そうよ」

 唸るような私の返事に、雑誌を丸めて頭を掻きながら亀山が言う。

「あれ、お前の彼氏?」

「・・・私に彼氏がいないことは君は知っているはずではなかったっけ?」

「いや、だから出来たのかな、と。何で拒否してんの?」

「放っといて」

「いや、このまま続くと更に仕事がはかどらなくて、俺、迷惑だからさ」

「・・・・・ううう〜」

 長年片思いをしていた男性から今では逃げるハメになった状況を説明するのが面倒臭いので、私はジャケットを着て鞄を持ち立ち上がった。

「挨拶周りしてくるわ。それで、そのまま直帰するね。明日には立ち直るから今日は許して」

 亀山はずり落ちた眼鏡を指で上げると肩をすくめて、なら、と私にお使いを頼んだ。

「笹山コーポレーションの担当の有川さんに届けてくれる?」

 ずっしりと思い茶封筒を受け取る。

 ・・・・笹山コーポレーション・・・。正輝の会社が近くにあるので出来たら行きたくないけど、そんなわけにもいかないよね。

 一日一回くらいはちゃんと仕事をしよう。

 仕方なくそれを鞄に仕舞った。

「了解。電話だけいれといてね」

 オッケー、と手を上げる亀山に、お先、と頭を下げて会社を出た。

 5月の夕方で、強い風に髪が巻き上がる。

 今日一日で摂取したコーヒーとタバコでお腹はえぐい状態だったけど、爽やかでしっとりとした風に吹かれて少しだけ気分も持ち直す。

 ・・・髪、切ろうかなあ〜・・・。

 肩を越えるくらいの長さでここ数年過ごしてきた。その長さは正輝が好みだと知ってからは、ずっと。

 いっそ、ショートカットにしてみようか。

 これから夏だし。

 外見も気分も変えて。

 私はヒール音を響かせながら、どんな髪型にしようかと考えつつ歩いていた。



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