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正輝は窓を指さして言った。
「いいよ。どうせ帰りまた濡れるだろ、この雨なら」
TVの音で雨風の音が消されていたし、人と一緒に温かいご飯を食べていたのですっかり忘れていた。外はまだ、大嵐だったのだ。
「そうか。じゃあ出してくるね」
乾燥機からホカホカの正輝の服一式を取り出す。やつも後ろからついてきたので、狭い洗面所でお互いに身を細めてすれ違った。
どうしても腕や肩がぶつかってしまって、うわあ〜と思った。
居間に逃げて赤くなってしまっただろう顔を両手ではたく。
・・・・お腹が落ち着いたからか、それに多少ビールの酔いも手伝って、恋愛感情がムクムクと湧き出した感じだ・・・。
いーち、外は豪雨 (→故に、密室)
にー、成年男女が一つ屋根の下 (→しかも、女は男に惚れてる)
さーん、お風呂上り (→つまり、いつでもアレが出来る綺麗な体)
しー、食事も済んだ (→性欲を邪魔する食欲は処理完了)
指を折って、理由を考えた。
あ〜ら〜まああああああ〜・・・・・・
アルコールの入っている私は一人、妄想の世界へダイブ。
間違いが起こってもおかしくない状況じゃあないの!!・・・いや、そこは是非間違いだとは思ってほしくないけど。出来たら紳士的な狼に変身して頂いて、男日照りの私を喜んで食べて頂きたい。
檻の中の熊よろしく部屋の中をうろうろと歩き回る。
どうしましょどうしましょ!!いっそのこと、私から押し倒して既成事実を作っちゃう?ガンガン押しまくって襲っちゃう??
自分でそんなことを考えて、また自分で突っ込んで照れる。
ぎゃあああああ〜!!私ったら私ったら、今何てことを考えたのよおおお!!
ダメダメ、清純な私に戻らなくては。ってか、清純な私なんてキャラが自分の中にいたっけ?
しかし、またウロウロと部屋の中を歩き回りながら、頭の中ではつい妊娠カレンダーを計算してしまった。
襲った場合―――――――もし、アレがなくても今日なら大丈夫。安全日。
襲われた場合―――――――同上(ただし、行為が発生する可能性は低い)。
相手に狼になってもらう為のマニュアルなんてものがあるなら今すぐ私におくれ。例えその中身が『裸にエプロンで微笑め』なんてものでも、今の私なら実行してしまいそうだ。
・・・・・・うぎゃあああ!私ったら、私ったら〜!!!限りなく痛い女になっている気がするぞ!?落ち着けー!!
何が裸にエプロンだよ!第一私はエプロンなんて持ってないっつーの!!
これではいかんとテーブルの上に置きっぱなしのビールを引っつかんでがぶ飲みした。
炭酸が喉にしみて、勢い余ってむせた。ごほんごほんと咳き込む。
かなり苦しくて、涙目になりながらソファーにうずくまった。
・・・・・いったああ〜い・・・。バカだわ、私。何してんの。きっつい現実だあ〜・・・。
「―――――――大丈夫か?」
一人で妄想世界で暴れている内に正輝が戻ってきてしまった。うずくまって咳き込む私の背中を撫でてくれる。
「だ・・・だいじょっ・・・ゴホ」
「気管に入ったのか?」
更に数回空咳をして、やっとマトモに戻った。
「あー・・・苦しかった」
涙目で見上げると、スーツに着替えた正輝が心配そうに覗き込んでいた。ネクタイはせずに胸ポケットに突っ込んである。その開いた襟元に色気を感じてしまった。
「・・・乾いてた?」
聞くと、ヤツはうんと頷いて立ち上がった。
「俺、帰る。結局濡れちゃって悪かったな」
・・・・・・・・帰る、のね。やっぱり。
私はビールでむせたせいにして、新しく目を潤ませた。そしてごしごしと腕でぬぐって立ち上がった。
「正輝が謝ることないでしょ。私こそごめんね。あ、ピザ代払うから待って」
鞄を持って玄関へ向かう正輝を追いかけた。
「いいよ。風呂も洗濯もしてもらったし」
あーあ、靴が気持ち悪ィ〜と文句を言いながら、ぐしょぐしょに濡れた靴に足を突っ込んでいた。
私はつったってそれを見る。
雨の贈り物はお終いか。これでまた、元に戻る。
私はため息をついた。
チャンスもモノに出来ませんでした。・・・・あーあ。これからどうしよう。まだ正輝から逃げる?それとも最後の最後と思って告白なんてしてみる?
壁に頭をもたれかけた。
・・・・・出来ない。出来ないっす、私には。
つい、ゴンゴンと頭を打ち付ける。驚いた正輝がのばした大きな手で私の頭をかばった。
「お前何してんの?」
「放っといて」
またもや打ちつけようとすると、こらこらとたしなめられた。
「やめなさいって」
私は正輝を睨んだ。
「私は正輝のバカな友達なのよ。放っといてってば」
すると正輝は大きな手を私の頭からどけて、俯いて呟いた。
「・・・・友達・・・か、どうか、判らなくなってきた・・・」
―――――――何!??
私は目を見開いて固まる。打ち付けた頭の痛みもぶっ飛んだ。
「・・・翔子は・・・大切な友達だった、けど・・・」
正輝は途方にくれたように立ったままで、困った顔をしていた。
・・・けど?
・・・・けーどーおおおおお????
私は正輝をじっと見詰める。
心臓がいきなり存在を主張しだした。どくどくと鳴り響き、耳の中でうるさい。
使えなくなった耳の代わりに全身を聴覚にしていた。
正輝が困った顔のままで、ぼそっと呟く。
「・・・・さっき、女として見てしまった」
おおおおおお〜!!!
外見には絶対判らないだろうけど、私の中ではファンファーレが鳴り響き、紙ふぶきが舞い、盛大な拍手が聞こえて、大変騒がしかった。
一気に上昇した体温と血圧にくらくらする。
「・・・えっと・・・」
言葉にならず、日本語を忘れてしまったみたいに私は恐る恐る口を開いた。
正輝は顔をあげて私を見た。決心したような強い目で。
「お前を恋愛対象の女性として見てしまって、今ちょっと混乱してる。だから今日は帰る。このままここに居たら、手を出さない自信がない」
鼻血が出るかと思った。
興奮のあまり。
どうぞ手を出してくれ。今すぐに!!どうしても声が出てこないから、心の中で絶叫した。目から光線とか出せないものだろうか。ビームを発射してこの男を捕らえたい。あああ・・・人間の体って何て不便なんだ!
体の底から強烈な喜びがわきあがって来て、震えた。
ちょっとちょっと遂に!!遂に私は両親から授かった性を認めて貰ったんだあ〜!!
ああああ・・・・・神様、仏様、その他世界各地信仰の対象の皆様にご先祖様・・・ありがとうございます。私、私、遂に――――――
極度にパニくって固まる私を見て、正輝が続ける。
「驚くよな。悪い。とにかく、帰る。また――――」
心配そうに顔を曇らせて、言った。
「・・・電話していいか?」
口を開けたままで、まるでバカ丸出しのスッピン顔で、私はコクコクと頷く。何とか首は動いた。
それを見てやっと少し笑って頷き、正輝はじゃあ、とドアを開けた。
「・・・風邪、ひかないように」
はい、と心の中で返事した。言葉はまだ出てこない。
そして正輝は帰っていった。台風みたいな夜の中。
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