B



 姉は宣言通りに実家へ戻り、週に3日、彼とその娘さんと住んでいるらしい。うちの母親が心配して色々と世話を焼こうとしては姉に叱られている。

 だけど、心配したほどには軋轢はないようだった。うちの両親は突然出来た義理の孫に驚きはしたけれど、我が家には今までいなかった若い生命力を目の当たりにして可愛いと思う気持ちの方が大きいらしい。

 子供がいる〜!!という興奮だ。

 姉が何度もまだ早いと言っても、彼の娘さんと一緒に遊びに行こうと企画をするらしかった。

 姉の彼はそれを有難く思ってくれているらしいので、いいのじゃない?と私は言っておいた。困惑してオロオロしたり、どう接していいかがわからずに気まずい思いをするよりもいいはずだし。

 姉が龍さんのことを色々話したらしく、母は電話をかけてきて是非一度夕食に彼氏といらっしゃい!と強く勧める。私はそれに辟易していたけれども、龍さんはケラケラと笑っていいじゃん行こうよ、と私を誘う。それはもうちょっと覚悟が出来てからね、と私が言うと、またいつものあの、にやりとした笑顔を見せた。

「覚悟?それって何の覚悟なわけ?――――――――ジュンコさん、俺の嫁になってくれんの?」

 ゴホゴホゴホ!

「娘さんを俺に下さい!って言いに行く覚悟?別に俺、それならいつでも出来るけどさあ、問題はスーツがないってことなんだよ。穴あきジーンズではやっぱり問題でしょ?」

 ゴーホゴホゴホゴホ!!

 私はしばらく咳き込んで、無駄に苦しむ羽目にはった。ゲラゲラと大爆笑して龍さんは手を叩く。ああ、あんた
本当におもしれーなあ!そう言いながら。



 そんな風にして、秋が過ぎていく。


 去年、まだ夏の残りがあるあの夜に、救急病院で衝立の陰から倒れこんできたボロボロの男の人は、今では私の隣にいて、タレ目を優しく細めて見詰めてくれる。

 彼は最初の頃は山神に飲みに来てよって誘っていたのに、一緒に住みだしてからはちっとも言わなくなった。

 私はそのわけを問い詰めてみることにした。ある夜、仕事がない龍さんが、私の仕事部屋でダラダラ寝転んでいた時に。

「ねえ、龍さん」

「あいよー」

 彼は週間マンガを読みながら床に寝そべってその大きな体を部屋中に伸ばしていた。・・・結構、邪魔なんだわ、私はそう思ったけど、それの苦情は言わずに質問を続ける。

「以前は山神に食べにこいって結構言ってたのに、最近は言わなくなったのはどうして?」

 マンガをめくっていた彼の手が止まった。

 私がじい〜っと見ていると、彼はチラリと紙面から目を上げて私を見た。それからノロノロと口を開く。

「・・・・嫌だから」

 え、嫌なの?私は一瞬ショックを受けて凹む。・・・わ、私がいったら嫌なんだあああ〜・・・。

 曇った顔を見たらしい、彼が、あああ〜と叫んで、わしゃわしゃと髪に手を突っ込んでかき回した。

「いや、違う。嫌なのはジュンコさんが来ることなんじゃなくて、あんたが来たら虎が喜んで色々言うだろうってことなんだよ」

「・・・店長さん?どうして店長さんが私に何か言うの?」

 判らなくて首を捻る。すると彼はぶつぶつと口の中で何かをいったあと、言いにくそ〜に説明した。

「うちの虎は、史上最強の苛めっ子なんだ。去年いたバイトの大学生、シカを彼女にして、その子が就職でやめてしまってから、弄れるキャラが店から居なくなった。シカの後に春から新しくきた女の子は沈着冷静で反応がちっとも面白くないんだよ。そんなところにジュンコさんが行ったら・・・」

 ああ・・・。そう言って龍さんはガックリと額を床につける。

 私は首を傾げたままで聞く。

「ええと・・・私、からかわれるってこと?そんなに面白い反応できないと思うけど・・・」

 顔を上げた龍さんが苦笑する。ジュンコさん、自覚ないよね〜って言いながら。

「シカは、からかうと怒ったり挙動不審になったりして面白かった。ジュンコさんは傷付いて泣きそうになる。そのうるっとした目が、絶対虎のツボに入ると思うんだよな〜」

 な、泣かされるのか!私は想像して恐れおののいた。色々話ばかり聞いている噂の店長さんは、私の中ではすでにモンスター化している。そこに更に泣くまで苛められるという情報まで追加されたわけだ。

 龍さんがチッチ、と指を振る。

「ジュンコさんをからかっていいのは俺だけだよ〜。ダメダメ、虎の毒牙なんかにかかったら、あんた再起不能になっちゃうかもしんねーし」

「・・・・あの、じゃあ・・・やめときます」

 私は机に向き直ってそう言ったんだった。

 龍さんは大きく頷いて、マンガに戻る。そんなわけで、結局私は一度も居酒屋「山神」へはいけてないのだった。

 だから仕方なく、私は心の中で手を合わせる。

 「山神様」、龍さんを、どうかよろしくお願いしますって。




 晴天の秋の空を振り仰いだ。

 10月も終わりかけの土曜日のお昼前。

 龍さんと一緒に、いつもの川原を散歩しようという話になって、ついでにゴミ袋も持参して歩いていた。


 大きな国道で、この道は川沿いの3つの町を通っている。まだ知らない近くて遠いその街のことを想像すらしたことはないけれど、ここの交差点に立つたびにこの道は色んなところに繋がっているんだよねえ、と思うのだ。

「ジュンコさん、ほら、信号が変わるよ〜」

 龍さんが青信号を渡りかけながら私を呼ぶ。

「あ、はい」

 私は大きな返事をして、焦って通りを渡りに小走りになって近づいていく。

 その時、風が吹いて、髪が視界を覆った。驚いて顔を振る。目にかかった髪を手で退けて横を向いた。

 視界の隅に、信号待ちのトラックが目に入ったのは、本当に偶然だった。

 だけどその一瞬、私の目はそのトラックから離れなくなった。

 軽トラックの荷台に積んであるのは灯油やビール瓶の詰まった籠。樽、それに様々な細かいもの達。トラックの車体には、平林酒店と文字が見えた。


 ―――――――――あ。


 私は歩きをやめなかった。だけど、目はそのトラックから離せずに、そのまま視線を荷台からずらして運転席へと向ける。

 そこには明るい笑顔で何かを話しているらしい若い女性の姿。灰色のフードつきパーカーを着ていて、腕をまくってハンドルを握っている。

 知らない女の人だった。

 だけど、このトラックを私は知っている。

「ジュンコさん、早く!」

 歩道の向こう側で龍さんが私を見て叫ぶ。私は、はい、とまた返事をしながら横断歩道を渡りきって―――――――改めて、トラックの運転席へ目を向けた。

 トラックの助手席にうつる人影。ハンドルを握る女性よりもかなり高い背らしい男性。その男性の、見開かれた目と私の目がばっちりあった。

 黒い短髪、大きな口、それにあの、懐かしい瞳。

 横断歩道を渡りきったところで、私は足を止めてしまった。


 ―――――――――孝太、君。


 驚いた顔の元夫が、トラックの助手席から私を見ていた。彼の唇が動きかけたのを見て、私はそっと首を振る。運転席の女性は明るい笑顔で何かを楽しそうに話していた。

 頭の中で、高田君の声が流れ出す。

 ・・・孝太にも、付き合っている女性が・・・。

 私は、ああ、そうか、って心の中で呟いた。

 彼女が、その―――――――――・・・


 彼の目がパッと私を呼んだ龍さんにうつる。そして、ゆっくりと笑顔になった。目が細められ、口元が大きく引き上げられる。それはかつては私に向けられていた笑顔、彼の優しいお母さんに似た、大きくて愛嬌たっぷりの笑顔。

 交差点の信号待ちで止まったトラックと、その前を通り過ぎた歩行者。二人が視線を交わしたのはきっと1分にも満たなかった、いや、もしかしたらもっと短かったかもしれない。

 だけど、私と孝太君にとって、それは永遠にも似た長い時間だった。

 そして、とても幸せな時間。

 彼にとってもそうだったはずだ。

 だって、あの懐かしい笑顔が。


 信号が変わって、トラックがゆっくりと動き出す。それと同時くらいにトラックの窓が開いて、懐かしい手が伸びて出てヒラリと一度だけ振られた。

 私も胸の所に手をあげる。指先だけを軽く曲げる、挨拶を送った。

 ・・・ああ、あなた、今幸せなんだね。

 私の瞳が潤みだした。

 交差点を渡りきったところで動かなくなった私を、先に進んでいた龍さんが振り返ってみる。

「おーい、ジュンコさん?どうした〜?」

「・・・ううん、何でもない」

 ちょっと風で、目に埃がね、そう言って、私は彼に向かって歩き出す。


 実家に寄り付かなくなったと聞いていた彼が、実家の酒屋のトラックに乗っていた。それも休日に。それは素晴らしいことだとすぐに判った。

 ・・・あの女性が鎹(かすがい)になって、彼は、実家に戻ったのかも・・・。そうなのかも。休日に、彼が保険の営業に出ずに実家の手伝いをしているのだとしたら―――――――――

「・・・ほんと、良かった」

 思わず呟きが声に出てしまった。

 先を歩く龍さんが振り返る。

「何か言った?」

 私は笑顔で首を振った。そして足を速めて彼に近づいた。手を伸ばして―――――――龍さんの腕に自分の手を絡める。

「・・・お?ジュンコさんにしては積極的」

 龍さんがからかうように瞳を細める。


 私も彼を見上げて大きく笑う。私も、幸せです。心の中で、たった今偶然すれ違った元夫にそう話しかける。

 ・・・私も、今、すごく幸せです。

 お互いに、大事にしましょう。この新しい縁を。そう呟いた。


 風に髪を流しながら、龍さんが手で日光を遮って言った。

「ジュンコさん、俺腹減っちゃった〜。何か食べようぜ」

 私はそうね、と返事をする。時計を見ればまだ11時をやっとすぎたところだけど。お腹が空いたなら、それを満たしに歩けるのだから。

 私達は、二人で。

 声に希望を込めて、笑顔には精一杯の感謝を込めて、私は彼の腕を引っ張って先へと促した。


「二人で――――――――美味しいものを、食べにいきましょう」


 見上げた空には秋のうろこ雲。

 高い高い場所でいくつもの模様を作っては風に千切れて流されていく。


 私は彼の手を握ってそれを見上げる。


 あの端っこの方のは・・・龍さんの、ピアスみたいだ、そう思って微笑んだ――――――――――




「3つのR」終わり。


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