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 10月のはじめ、姉が出て行ってがらんとしたこの家に、龍さんが引っ越してきた。

 この家は2LDK。そして家賃は7万円。姉がガンガン龍さんと話を詰め、彼が契約主の上に高い方の家賃を支払ってくれることになった。

 私は若干悔しかったけれども、正社員の彼と自営業の末端をウロウロする私では社会的信用も天と地ほどの差があるので仕方がないと諦めた。

 それでも龍さんは、前より広いところでちゃんとした台所もあるし、何より初めて彼女と同棲〜と喜んでいる(らしい)。なんせいつでも明るくふざけている男性なので、本当のところ彼の喜びがどの程度なのかは私には判らないのだ。

 とにかく、元々物持ちで、しかも在宅で仕事をしていた姉と殆ど自分の物がなかった龍さんでは荷物の数が恐ろしく違い、彼は普通に自分の車で来ただけで引越し作業は完了してしまったのだ。

 しかも、全然もってなかった家具の、あの小さな部屋をほとんど占めていたベッドも本棚も、引越しの時に捨ててきたらしい。だから彼は衣料品のほとんどだけで私の家にきたことになる。

「え?じゃあ龍さんどこで寝るの?」

 姉が使っていた部屋が空いているから、私は勿論ここが龍さんの部屋になるって思ってた。すると龍さんは、入口に両手をかけてだら〜っと体を倒し、不服そうな顔でこう言った。

「何いってんの、ジュンコさん。俺はあんたと一緒に寝るんだよ」

「・・・」

 ・・・どっひゃー!!え、本気でそれ言ってます!??

 私は真っ赤になって口をぱくぱくさせる。一緒に住むってだけで私にしてみたらかなりの勇気だったのに、この上そんな、一緒の部屋で寝るのですかっ!?

 そ、そ、それって私、ちゃんと眠れるのですかっ!?

 まさしくそんな驚きだった。

 龍さんは垂れ目を大きく見開いて、からかうときの顔をして言う。

「ジュンコさん、本当にバツ1?結婚してたこともある女がどうしてそこで驚くわけ?元ダンナは通い婚だったのか?」

「い、い、いやいや、そんなことないけどっ!でも、夫とは結婚してたわけで――――――龍さんは彼氏だし――――――」

 私はあわくってわたわたとそういう。だけどそれは地雷だったらしい。彼は次の瞬間には機嫌を損ねた顔で、ぐぐーっと私に近づいた。

「・・・結婚してるのも同棲も、一緒だよ」

「へ・・・」

「いや、むしろ結婚より同棲の方がやらしいだろ。義務や責任がない同士が一緒に住むんだから」

「・・・えーっと、あの・・・」

「ジュンコさんは俺と寝るの、嫌なわけ?」

「い、いえいえいえ!そんな、こと、は、ないんですが・・・」

「ないけど、何?」

「い、いいいいえ、あの・・・大丈夫です」

「じゃ、同じ部屋で」

「う、あ、はい」

 龍さんがにーっこりと笑う。

 そんなわけで、姉が使っていた部屋は私の仕事部屋になり、私の寝室は二人の寝室へと変貌を遂げたのだった。



 生活がすこしずつ変わっていく。

 私は朝起きると龍さんを起こさないように部屋を出て支度をし、ゴミ拾いに行く。それから帰ってきて、二人分のブランチを作り、龍さんを起こす。

 彼はご飯を食べてから私と買い物に行ったりジムにトレーニングに行ったりして、それからお昼ご飯を作ってくれる。私は部屋で仕事をしていて、彼と一緒にランチを食べ、それから龍さんが仕事に出かける。

 夜まで一人で仕事をして、晩ご飯を食べ、私は先に休む。

 龍さんは日付を超えるころに帰ってきて、お風呂に入ったら同じベッドに入ってくる。たまに私が起きてお帰りを言うと、彼は嬉しそうに笑ってそのまま私を食べてしまうこともある。

 彼が、暗闇が苦手なことは、あの旅行で判っていた。

 だから私はいつも明りを消さないようにしたし、家の中に夜つけるための小さなランプを買ったりした。

 それはあのペンションで見たガラス細工に似た手作りのランプで、自分がサイトで販売している時に出来た知り合いの女性アーティストの作品だった。

 濃淡で色が変化する片手ほどのガラスランプ。それが夜の廊下や居間や寝室でぼうっと光るのは、何か秘密の通路を見つけたかのような不思議な感覚があって、私は小さな喜びを感じていた。

「ジュンコさんがいるって判ってるから、もうそんなに怖くねーよ」

 私がたくさんのガラスランプを家中にばら撒いたので、彼はそう言って笑った。

 今日は居酒屋の「山神」が休みの日で、龍さんが晩ご飯を作ってくれたから一緒に食べていたのだ。

 ゴージャスな洋食を15分くらいで手早く作ってしまって、彼は平然と前に座る。

 何度見てもその素晴らしい手さばきが覚えられなくて、私は無駄に凹むのをやめるためにキッチンに一緒に入るのはやめていた。

「・・・そお?でもあのランプ、小さくて可愛いからつけててもいい?」

 私がフォークを止めてそう聞くと、間接照明の柔らかい光の中で、龍さんが勿論と笑った。

 そのタレ目が優しく細められて目尻に皺がよる瞬間が、ものすごく好きだなあ〜・・・。私はそれが見たいがために、彼が微笑む瞬間をじっと見てしまう。

 なんと贅沢な瞬間だろうか、そう思うのだ。

「私も子供の頃は家の中の闇って怖かったけど・・・今はそんなでもないかなあ〜」

 そう気軽に言ったのは、弾みだ。別に龍さんのことが聞きたかったとかではなくて、ただの世間話。だけど彼はそうは思わなかったようだった。

 チラリと私を見て、そのままガツガツとご飯を食べる。大方終わったところで、急に話し出した。

「俺の子供時代、話、聞きたい、ジュンコさん?」

「え?」

 まだ半分も食べてなかった私は、驚いて顔を上げる。

「・・・ええと・・・。あの、どっちでもいいけど・・・別に無理しなくていいよ?」

 嫌がることを無理強いはしたくない。私が困った顔でそう言うと、彼は残りのご飯を食べてからお茶を飲み干して言った。

「うーん、でも聞いて欲しいかも。こんなに近づいた彼女は初めてだし・・・俺も、話せるかも」

 そして龍さんは真面目な顔で言う。

 食べ終わったら、聞いて、って。だから私は頷いた。


 食後のコーヒーを入れて、ソファーで彼と座る。だけど龍さんはしばらく目を閉じていて、無言でいた。

 私は最初は邪魔しないようにって思っていて、それからはもしかして彼は寝てしまった?と思った。だからそっと立ち上がったのだ。彼にブランケットをかけて、自分は仕事をしようと思ったんだった。

 弱くて酷い過去、自分の記憶をそういう風に表現した龍さんに無理はさせたくなかった。

 ブラックな記憶は時に人を侵食する。

 それから立ち直ったと言った、ならばそれでもういいんじゃないかな、私はそう思ったんだった。

 過去の龍さんが好きになったんじゃない。私は、現在の彼が―――――――――――

 だけど、立ち上がりかけた私の手をパシッと彼の手が掴んだ。

「大丈夫。もう話せるから」

 彼は目を開けていた。どこかぼんやりした表情で、唐突に話し出した。


「俺の父親は、外見がいいだけのロクデナシで暴力野郎だった」


 私は目を見開く。驚いたのだ。いきなり、お父さんへの暴言から始まったから。だけど、彼の手に導かれるままソファーに座りなおした。

 私が座って顔を向けたのを確認して、彼はそっと手を離す。それから視線を台所の方へと逃がして口を開いた。

「・・・今で言う家庭内暴力で、母親は、俺が物心ついた時から父親に殴られたり蹴られたりしていた。俺と弟を庇って余計に父親を怒らせていたんだって、今なら判るけど、その時はただ怯えるばかりで判らなかったんだ。機嫌が悪くなると家族に怒りを向ける男だった。特に大した理由もなく蹴り上げられたことも何度かある」

 だけど、母親を守りたかった。

 それで反抗や口答えをすると遠慮なく殴られたし、屋根裏部屋に閉じ込められた。

 外に出してくれたらまだマシだったかもしれない。だけど父親が散々殴ったあとで放り込むのはいつも屋根裏で、そこは真っ暗で埃だらけだった。

 話す龍さんの眉間に皺が寄った。その頃を思い出しているのか、顔を歪めてぼそぼそと喋る。そこにはいつもの明るい彼の姿はなくて、私は驚いたままでとにかくと耳を傾ける。

 正直に言えば、耳をそむけたくなった。私は知らない暗い世界で、それは小さな子供が経験するにはあまりにも過酷だった。だけど、ここで耳を塞ぐわけにはいかない――――――――――

「だけどある日、俺には運命の出会いってやつがあった。小学生の5年生の時、家に帰りたくなくて裏通りをウロウロしていた。そこで喧嘩する大人にあったんだ。多勢に無勢だったのに、その人はあっさりと喧嘩に勝った。それで、驚いて動けない俺に気がついて言ったんだ」


 見てたのか、お前?・・・坊主、これは内緒だぜ。バレたら俺、リングに上がれなくなる。


 意味が判らなくてその場で聞いた。誰にバレたらダメなのって。それから、僕にもそれ、教えてくれない?って。

 その人はしばらく俺を見ていてそれから聞いた。

 誰に勝ちたいんだ?って。

 俺は先生にも話したことがなかったのに、その人には話す気になった。だから言ったんだ。お父さんを、殺したいんだ・・・

 龍さんはパチっと目を開いた。ゆっくりと首を回して私を見る。私は心臓をドキドキさせながら、彼を見返した。

「だけど」

 龍さんは言った。

「その人は、殺すのは感心しないなって言ったんだ」

 それから俺に缶ジュースを買ってくれて、話は詳しく聞いてくれた。そして真剣な顔で俺に言った。これは、ボクシングだ。合法的に誰かと戦って相手を倒す競技だ。俺はお前に教えてやれる。だけど、これをするなら約束してもらわなきゃならない。

「・・・約束」

 黙ってようと思ったのに、気がついたら私は言葉を出してしまっていた。ハッとして口を手で押さえたけれど、彼は気にしなかったようだった。ただ、頷いて続きを話す。

「そう、約束。・・・これを喧嘩に使っちゃいけない、それだけは守れって」

 母親と弟、それから自分の身を守る為なら仕方ない。だけど、他のヤツに、自分から仕掛けちゃダメだって。それだけは守れるか?そう言った。

 だから俺は頷いた。約束するって言った。お金は働いて絶対に返すから、教えてくれと。その人は笑って、坊主から金なんかとらねーよって言った。

 それで約束したんだ。

 次に父親に暴力を働かれたら、必ず学校に言うこと。それから、父親に自分から手を出してはいけない。逃げることも大事だって。耐えられないなら母親と弟を連れて警察へ駆け込めと。それも勇気だって、真剣な顔で言ってた。

「それから毎日放課後はトレーニングしたんだ。強くなって、母親と弟を守りたい。それに自分を好きになりたいってずっと思っていた」

 弱い自分はもうごめんだ。泣くばかりが自分じゃないはず。そう思って、がむしゃらだった・・・




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