A
「・・・次のドアを開けるってこと?とりあえずどうしてここにいるのかの答えを教えてくれない?」
彼は口元を緩めて目を細めた。
笑っているのだろうと千沙はそれを見詰める。私のピノキオは、本当に人間になっちゃったのかしら、と思って。そんな複雑な表情が出来るのか、と驚いていた。
「答えは僕は知らないよ。それはいつだって、君の中さ」
ピノキオが促して、千沙はそのままで二つ目のドアを開けた。
「おい、あんた」
低い声が聞こえて、千沙はハッとした。それからブンブンと頭を振る。いけない、強烈な眠気に襲われてしまったけれど、まだ気をぬくには危険な状態だったのだ、そう考えて。
「・・・おい」
また低い声が聞こえた。汗で濡れて絡まった前髪の間から、千沙は檻の中に視線を飛ばした。さっきから檻の中にいる捕虜がこうして話しかけてくるのだった。それを無視しようと頑張っている間に、眠気に襲われてしまった。気をつけなければ、そう心の中で思って、彼女は気合を入れる。
檻の中から声をかけてくるのは泥と汗と血が入り混じった、かなり悲惨な状態の男だった。だけど自分だって外見は似たようなものだろう。だってここは、戦地なのだから。
「えらく余裕だな。勝負は目に見えてるってか?」
痛みを抑えた声で、男はそういって千沙をからかう。彼女は出来るだけ相手をしなかった。
ここ、千沙達の国から遥か南に位置する共和国で、貧困からの脱出を試みて、住民たちがレジスタンスを結成したのだった。今は戦時中で、もうこの全世界を巻き込んだ巨大な戦争は10年も続いていて、どの国もほぼ壊滅状態ではあった。
生き残りたければ軍に入るのが一番だ。そういうわけで、小さな島国出身の千沙は、15の年に連合軍に入隊した。
今は18歳。前線に入るのは4度目だ。幸運なことに、彼女はいまだ命を保てている。
「聞こえているんだろう。お前の肌や髪は俺と同じだ。出身は近いだろうから言葉も判るだろう?」
檻の中には10数人のレジスタンスの捕虜がいる。そこを、千沙と他3名で見張っているのだった。彼女はもう一度声の主へ目をやった。ベージュの肌に黒い瞳と髪の毛。鼻の形や頬骨の形も、確かに彼女のそれと似ている男だった。
千沙は小さな声で共通語で答える。
「捕虜は話すな」
男は笑い声を発して肩を竦めた。
「まだ若いんだろうに、軍に馴染んだものだな。俺はリョウという。お前の名前は何ていうんだ?」
千沙はぐっと唇をかみ締める。
捕虜と仲良くなったっていい事など一つもない。それだけはよく判っているのだ。この捕虜たちは3日後には見せしめとして広場で殺される。鬱憤の溜まった連合国の住人たちにはけ口としてなぶり殺しにされるのだ。下手に言葉を交わしてはいけない。それは自分の為にはならない。千沙は目を尖らせて周囲を見回す。
「・・・なあってば」
「捕虜は話すな」
だーめだこりゃ、そう呟いた声が聞こえた。男は掴んでいた檻の棒から手を離し、どっかりと座り込む。
もう何日もジャングルにいて汗を流していない自分の体から、キツイ匂いが立って千沙はそれにもイライラした。だけれども彼女はそれを振り切るように、森の向こうを嘗め回すようにゆっくりと目を向けた。
大丈夫だ、自分を保つこと。そうしなければ、私も危ない――――――――――――――
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「・・・大丈夫?」
ピノキオの声が聞こえて、千沙は自分が泣いていることに気がついた。
「・・・・」
「ショックだったんだね、今の世界が」
繋いだ手を、もう一つの手でなでながら、彼が言う。千沙はほお、と息を吐き出して、空いている手で涙を拭った。
「・・・戦争していたわ」
「うん」
「あなたは、もうすぐ殺される捕虜だった」
「うん」
「名前は違ったけど、あの男の人はピノキオだったわ」
「うん」
霞がかかったような視界を持て余して、千沙は小さな声で呟く。ああ。一体何がどうなってるの、って。それでも二つの違う世界へ飛んで、判ったことだってあるのだ。彼女はそれを隣のピノキオに確認するのが怖かった。だから代わりにこう聞いた。
「ねえ、元の世界に戻りたいわ。私と君で、私の部屋でご飯を食べている、あの時間へ」
私は独身の会社員で、冷めたご飯を感想も持たずに食べていた、あそこへよ、何度か言葉を変えてそう彼女は言う。またあの辛い、戦争中の世界へ入るかもしれないのは嫌だったのだ。
するとピノキオは少しばかり悲しそうな顔をする。
「だめだよ、千沙。だってまだ他のドアが4つもあるんだからね・・・。僕には、それを選択する力がないんだ。だから君が頑張らないと」
彼女は途方に暮れた。
まだ4つの、ドア。
千沙は自分をとりまく青いドアをじろりと睨みつける。今までの二つの世界で共通していたのは千沙とピノキオだけだった。彼の名前や千沙の年齢や外見は違っていたが、それでも「あの男」はピノキオだったし、「私」は千沙であった。
関係性はその都度変わる。色んな世界が、少なくともまだあと4つはあるのだろう。だけどどうして自分がそれを体験しなくてはならないのかが、千沙には判らないのだ。
こんなんだったら・・・彼女は重いため息と共に言った。
「自分の世界でよかったわ。彼はもう居ないけど、それでもあそこは平和だもの」
私は酷く寂しかったけど、それでも平和だったもの・・・千沙は彼女が生きていた場所を思い出そうと目を閉じた。
ピノキオが、繋いでいる手をユラユラと揺らす。
「ほら、次に行こうか。どれにするの?」
「行かなくちゃダメなの?」
「そうだね、もうここに来てしまったからねえ」
「・・・タバコを吸いたいわ」
「残念、僕は持ってないよ。でも前から思ってたけど、タバコは止めたほうがいいと思うよ」
千沙は思わずマジマジと隣の男を見た。つい、人形のくせに意見を?などと言いそうになって、慌てて口を閉じる。ピノキオを傷つけていいわけないじゃないの、そう考えて、千沙は仕方なく、次のドアを決めた。
ピノキオがまた、ドアにマジックで3と書く。
「目印だよ。間違えないようにね。ここはもう済んだってことだよ」
ため息を一つ落としてから、千沙は思い切ってドアを開けた。
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