・大切な儀式
そして1月4日、山神は今年最初の開店だった。
正月でそれぞれの実家に戻ったメンバーが、各地のお土産を配りあいっこした後、龍さんが自信満々に作った新メニューを皆で食べた。
「おおー!美味しいっす!」
まずウマ君が叫んで、ツルさんが頷いた。
「確かに美味しい。ビール飲みたーい!トラさん、奢りで一杯お願いします!」
店長がツルさんに向かって手をヒラヒラと振る。
「・・・あのね、ツル。今の色んなところにいちゃもんつけたいけど、とりあえず開店前だからね、ビールは却下」
「美味いだろう、そうだろう!やっぱり俺ってば天才だよな〜!日々立さんにいって給料上げてくれって交渉しよう!」
「それは無理でしょ。龍さんまだ去年の暴行事件の支払い残ってるんですよ、一応言うけど〜」
「・・・お前、嫌なやつだよな、虎」
皆の会話を聞いて私は笑う。
龍さんの作った、ナスを焼いて味噌とひき肉を炒めたものをかけてチーズをのっけて焼いた料理を食べて、幸せに浸る。
・・・・美味しいいいいい〜・・・。本当、ビールが欲しいです〜。
今日は外は雪が降っていて、昼間からどんよりと薄暗く、静かな日だった。それに久しぶりに顔をあわせた皆のテンションもハイだった。
アルコールも入ってないのに皆で機嫌よくゲラゲラと笑う。夕方の4時から全員で集まってのことで、皆で掃除した店内も綺麗で、山神様まで光って見えるようだった。
私は奥の壁を見詰める。
何てことかしらって。
私もしっかり、山神信仰者になってるわ、って。
小さい頃の店長を支えた色んなものの気配、その存在と柔らかさ。厳しさと優しさ、そのようなもの。
それが形を変えて、今はあそこに。
初めはよく判らずに、え、何この店って思った私も8ヶ月後の今はここで、当たり前に両手を合わせてお祈りしている。
家も特に信仰する宗教はなく、私には神仏に祈るということがよく判ってなかった。
だけど、今なら判るな。
お箸を置いて、皆が笑ってふざけるのを見ていた。
神様の存在を完全に信じるか、そういうことはもう最後でいいんだ。
手を合わせて何かに祈る。その時に発生する、ものすごいパワーが、あの力が、色んなことが起きる毎日を生きていく全てのものには必要なのかもしれないって。
想いはこうして形を変える。
あやふやだった気持ちも、お祈りしようとすることで形がハッキリ見える。
それは自分自身での確認。自分の気持ちを確認するための大切な儀式。
自分が今、望むもの、大切に思うこと、それらの為に懸命に力を飛ばすこと。
心の中でより処にするもの、それは自分にとって大切であればそれでいいのだって。
姿が見えない山神様が、耳元で笑った気がした。
そうだよって。
私もニッコリ微笑んだ。
2月がくるのは早かった。
店長が知っていると判ってからは私の気持ちは軽く軽くなり、部屋探しも手伝って貰ったし、色んな片づけを休日にした。それも店長は手伝ってくれた。
母親がこっちに出てきて卒業の為の袴をレンタルし、研修と入社式の為のスーツを新調しにいったときは、俺は遠慮しておくよって言ったけど、妹から色々聞いてしまっていた母親があなたの彼氏さんに会いたいといったので、店長も出てきてくれたのだ。
珍しくキッチリとした格好の彼は格好良かった。
そして、うちの母親とも上手に話していた。いつものたら〜っとした軽い言い方はどこへいったか、そんな会話も出来るんですかっ!?って胸倉つかんで詰め寄りたいほどに礼儀正しい話し方をしていた。
いつかのヤンキーのお客が、店長の後輩だったと今も信じられない私だ。だって、この人まともに見えるよ?って。
「じゃあね、ひばり。卒業式にはお父さんとこっちにくるわね」
そう言って母親が帰ったあと、私の部屋に来た店長は、私を新しいスーツごと抱いたのだ。
しかも!玄関で。部屋に入った瞬間にドアに押し付けられて、いきなり襲われるだなんて誰が思うだろうか!
少なくとも私は思わなかった。だから仰天して、抵抗もしてみたのだ。・・・まあ、意味ないジタバタでしたけど〜。
「叫んでもいいけど、近所の人に警察に電話されちゃうよ〜?皆が来た時素っ裸なんて、シカって勇気あるんだね〜」
そう楽しそうに私を脅して、彼は私を黙らせたのだ。
こんな恥かしいことは絶対に人には言えない。彼曰く、「シカのスーツ姿なんて萌えるものずっと見せられてて、我慢出来ると思う?」だそうな。新しいスーツを汚さないで下さい〜!ってそれだけしかいえなかった私は無力である。
それも店長は、汚さないけど破いていい?ここ、ちょっと邪魔で、などと言ったのだから!(勿論お断り申し上げた)
私が山神を辞める最後の日、何と龍さん達が花束を用意してくれていた。
お疲れ様、ってツルさんが代表で渡してくれて、それだけで私は化粧を崩してしまった。
龍さんが、俺のおもちゃが消えてしまう〜などと言い、ウマ君にこれこれトラさんの前ですよ、と言われていた。
そんなことでさえも、一々私を感動させた。
ああ、私、この店に雇って貰えて幸せだったなあ!って。本気でそう思ってはマスカラを拳で削り取っていた。
冬から春は、いつでもちょっとばかり忙しいけど、たまにふと空を見上げたくなる、そんな時間があるように思う。
私はいつでも白い息を吐きながら、4年間住んだこの町の空を見上げて月を探していた。
一人暮らしも初めてで、アルバイトをしたのも初めてだった。初めて彼氏も出来たし、凄い高校生とびっくりするような会話もたくさんした。
困ったり悩んだりした時に仰ぎ見た空には、いつでもお月さまが。
ケータイを握り締めて、実家の母親に電話するのを我慢した時には、月を睨んでいたんだった。
世間に出るってこういう事なんだって経験をいっぱいした。
これからは私は社会人になって、名実ともに大人の仲間入りだ。
まだ冷たい風にはかすかに土の匂い。
白い木蓮が咲く頃には――――――――――卒業式になる。
新しい部屋の決め手は大きめのキッチンだ。ファミリータイプのキッチンがついた、ちょっと広めの1LDK。その部屋を見つけてくれたのは夕波店長。
知り合いに不動産屋がいるとかで、簡単に物件の紙をいくつか持ってきてくれたのだ。
「色んな知り合いがいますねえ〜」
感心した私がそう言うと、店長はケラケラと笑う。
「不動産屋って元がヤクザ者が多いんだよ」
「えっ!そうなんですか?」
「うん、だから俺も、都会に出ないで不動産やらないかって片山さんの元ダンナに誘われたことがある」
・・・へええ〜、そうなんだ、だった。でも母親との約束を守る為に都会に出てきて、ある飲み屋でオーナーの日々立さんと知り合いになったらしい。
そして気に入られて、この場所に店を出すことになったんだって。
とにかく、店長が見つけてきてくれたその部屋は風もよく通って日当たりもよく、しかも台所が大きかったので一目で気に入ったのだった。
これだったら、二人分の食事も効率よく作れる、そう思ってちょっと幸せな気分になっていた。
契約印を押すときには横に夕波店長がちゃっかりと座っていて、その知り合いだという不動産屋さんにアレコレと割引を要求していた。実際のところ、私はそれが恥かしかった。
でも止めてください〜!って言うと、店長はちらりと上から私を見下ろしたのだ。
「俺も金出すんだから、口出す権利はあるだろ?」
って。
彼は、ほぼ同棲になることを考えて家賃は半分払うつもりらしい。ホテル代も浮くしね〜って不動産屋で言うから、私は彼の長い足を蹴っ飛ばした。
「黙ってて下さい!」
そう言って。
不動産屋さんが前で苦笑していた。コタロー君、デレデレじゃんって。まさかあの感情がないみたいな君が、そんな顔で笑うとはね、って。
季節はいつでもちゃんと巡る。
大学の友達、眞子達との卒業旅行も行って、大学の卒業式も済ませ、私は既に新しい部屋へと引っ越して、企業の新人研修に出ていた。
桜の花びらが完全には開いていない4月の初め、入社式で緊張してしんどい思いをした私は、電車の方向を変えて懐かしい車両に飛び乗った。
今晩は、久しぶりに山神へ行こう、そう思って。
店長には今晩行きますって言ってなかったけど、あの人と龍さんはいつでも店に入ってるから問題ない。ツルさんとウマ君に会えるかは運次第。そして、私が抜けてから、山神ではまた、新しい獣を雇ったのだ。
今度の獣は兎らしい。皆にはウサって呼ばれてると店長が言っていた。その女の人は私より年上の24歳。名前が美兎と書いて「みと」と読むんだそうだ。
店長曰く、早速龍さんがおもちゃにしようと企んでいるみたいだけど、その人はうまくあしらっているらしい。虎も俺に加勢しろよ!って文句言ってるよ〜、だって。今のところ、店長は様子見だって言っていた。
そのウサさんには会えるはず、そう思って、弾む足取りで電車を降りた。
さっきまでの緊張からくる肩こりもどこかに行ってしまったみたいだった。それほど私の機嫌はアップしていたのだ。
急ぎ足になって商店街を突き進む。
もうちょっと、あと少し。
ここを曲がれば、あの小さな店の入口が見えるはず―――――――――――
「こんにちは〜!」
私は元気よく、まだ「準備中」と書かれた板の下がる山神のドアを開けた。
途端に鼻をくすぐる龍さんがつくる出汁の匂い。
うわ、美味しそうな匂い・・・。ぐるぐるとお腹がなりそうだった。
パッと店の中の人たちが振り返る。
「おー、シカ坊!入社式終わったのか?」
夕波店長が雑巾を片手に出てくる。キッチンの中ではまだタオルで頭を縛ってない龍さんが片手を上げて微笑んだ。彼の耳には相変わらずのブルーの3連ピアスが光っている。
肩までの長髪をこの春に切って短くした龍さんは、何だか前よりも色気が増した気がする。
「お疲れ様です、龍さん」
私は微笑んで会釈をする。
そして店の真ん中で、メモ帳片手にこっちを見る女性、彼女がウサさんだ。
「ウサ、この子が噂のシカだよ〜、虎の彼女」
龍さんが私の視線を気にしながらニヤニヤと言う。その女性はパッと笑顔になって、タタタと近づいた。
「初めまして、冨樫です!」
「あ、鹿倉です。初めまして」
私達は挨拶をして会釈を交わす。ウサさんは落ち着いた感じの女性だった。目元に優しい光があって、口が小さい。・・・・ううーん、確かに兎っぽい!その感想は胸の中で呟くだけにした。
「さあ、店、そろそろ開けるよ〜」
店長の一言で、龍さんが頭をタオルで縛る。ウサさんが雑巾やら未使用の伝票やらを片付けに走る。
私はカウンターの一番端に座って、ワクワクしながら突き出しとビールがくるのを待っていた。
今日はオープンクローズで居座るつもりだ。
そして、彼と手を繋いで帰る。俺も飲みたいから、タクシーでいい?って聞くはずだ。
そしてタクシーの中で、私のスカートに手を突っ込もうと頑張るはず。だからそれを阻止できる程度の酔いに抑えとかなきゃ――――――――――
暖簾が出て、入口に灯りがともる。
お客さんがドアを開けて笑顔で入ってくる。
山神の獣達は大きな声でそれを出迎える。
「いらっしゃいませー!」
そう言って振り返り、大きな笑顔を浮かべるのだ。
グラスが鳴る音や、龍さんが料理を作る音。8時から来たツルさんが皆に配る笑顔と明るい声。
途中でいきなり消えて、森で寝てしまう店長。
それをぷんすか怒る龍さん。
私は笑ってビールを飲む。
何てここは、温かい場所だろうかと思って。
そして閉店時間。
「ありがとうございました〜!またお願いしまーす!」
龍さんがそう言いながら団扇で扇いでいる。相変わらずの凄い汗だった。
「じゃあ、シカちゃん、体には気をつけてね」
「はい、ありがとうございます!」
最後の常連のお客さんが会計を済ませて、千鳥足で出て行った。
暖簾を外して店の中に仕舞い、皆で掃除をする。この時も皆は色んなところで好き勝手に喋りまくり、たまに爆笑したりしている。
そしてビール一杯で乾杯。龍さんが作ってくれた愛情ツマミで幸せにそれを飲み、今日の働きにそれぞれが頭を下げる。
そして恒例の儀式だ。
「さて、じゃあ祈って帰ろうか」
夕波店長がそう言って、皆がはーいと返事をした。
今日もこの店では皆が同じように両手を合わせる。ウサさんも、私も一緒に並んで合掌した。
姿勢を正して、瞼を閉じて、頭を垂れて、店の一番奥の壁、色とりどりの飾りに向かって―――――――――――――
「山神様、お願いします!」
「山神様にお願い」完
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