・居酒屋「山神」
都心から電車で1時間ほどの郊外の、ほどほどの規模の駅。
その駅前には昔からの商店街が東西に伸びていて、一等地にはやはりほどほどに大きなショッピングセンターが入っている。
地元との競争はせず、足りないものを売りますのスタンスで、商店街とショッピングセンターは上手に共存していた。ちょっと珍しいよね、ここに住んで4年目の私はそう思う。
こじんまりしていて、下町情緒がまだちょっとは残っているこの町が、私は好きだった。
大学入学と同時に始めた一人暮らしで、この町にやってきたのは4年前。
今は大学4回生で、学校には既に週に1回、水曜日の2限目のゼミに通うだけでいいのだ。
私は深呼吸を一つして、目の前の古いドアを見詰める。
東西に伸びた商店街の東の端、ちょっと引っ込んだ薄暗い路地。その突き当たりにある小さな居酒屋の前。
さて、どうなるかな。ここでも断られたら、もう諦めたほうがいいのかも――――――
「よし」
声を出して、腕時計で時間を確認する。約束の時間、5分前。いくぞ。
ガラガラガラ。
音を立てて横にドアをスライドさせ、薄暗い店内に顔を突っ込む。
ざっと見まわしたところ、誰一人として見当たらない。
・・・あれ?おかしいな。今日、この時刻だったよね?
薄暗い無人の店内を見回して、足を一歩踏み入れた。そして声を出す。
「・・・すみませーん、こんにちはー」
私の声は響きもせずに店内の暗がりに吸い込まれて消えていく。
施錠もされてなかったし、私が来ることは判ってるはずだけど。あれ?
・・・うーん、自信がなくなってきちゃった。でも、とりあえず、もう一回。
「こんにちはー!」
「・・・はーい!」
あ、返答があったぞ、そう思ったら、店の一番奥の細い階段から、白い足が見えた。
続いてズボン、腰、胴体が出て、階段の入口に片手をついて体を支えながら、男性が顔を覗かせた。そして私を見て笑う。
「はい?」
裸足だ。
この兄ちゃん、裸足だよ。
ぼーっとみてしまったけど、私はそこで我に返る。慌てて口を開いた。
「あ、こんにちは。あのー、アルバイトの面接に来ました、鹿倉と申しますが・・・」
「アルバイト。・・・ああ!」
男性は、あらあら、と言いながら降りてくる。
いや、あらあらって。もしかして、忘れられていたのかしら・・・。ショックだわ、そうだったら。
幸先わる〜・・・。そんなことを思って勝手にテンションを下げていたら、男性が近づいてきた。
裸足で歩くので、ぺたぺたと音がする。つい、彼の足元を見てしまった。
「ごめんね、実は、忘れてました。店長の夕波です。どうぞ、鹿倉さん」
「・・・失礼します」
この人が、店長さんなんだ。夕波、さん。私は彼の後ろからついていきながら、その後姿をじっくりと眺めた。
背は高めだ。前から見たら短髪なのかと思ったけど、後ろが長い髪の毛だなあ。割合がっしりした方と背中。でも腰は細いなあ〜・・・。なんだろう、水泳をしてたとかかな?腕が長くて素敵な逆三角形―――――――
つい色々と想像と妄想を交互にしながらついていくと、カウンター席の椅子を出して、どうぞと言われる。
私はそこに座って、同じように前に腰掛けた店長さんに向き直る。
「鹿倉ひばりです。宜しくお願いします」
「うん、宜しくね。ええと、いつから入れますか?」
「え?」
私は呆気に取られる。
いつから入れる?―――――――え、採用ってこと?
瞬きを数回繰り返して、目の前で私を見る男性に聞いた。
「あの――――・・・あの、雇っていただけるんですか?」
今度は相手がきょとんとした顔をした。
「うん。働きにきたんでしょ?」
「ええと、それは、はい、そうなんですが。あのー・・・私でいいんですか?」
「うん?何か不都合なことがあるの?」
「い、いえ。でもまだ私、何の話も・・・」
履歴書すら、出してないのだ。
そこで店長さんは笑った。
大きな口で、あははは、って。私は驚いてちょっと身を引く。えらくあけすけな無防備な笑い方をする人だ。あれ?今の、どこが笑うところだったんだろ、そう思って。
指でこめかみをカリカリと掻いて、店長さんが言う。
「条件ってこと?そうだね、こっちの条件はバイト募集の紙に書いてあるので全部。居酒屋のアルバイト募集、内容は厨房とホール、調理以外の皿洗いから注文ききまで全部だね。うちは小さな店で、皆が殆ど全部やるんだ。夕方5時から夜の12時までで、時給制。それが大丈夫だから、応募したんだよね?」
細めの瞳を更に細めて私を覗き込むようにした。黒髪が一房額に落ちる。色白に細目。なんか・・・狐みたいな印象のある男性だな。
私はそう思いながら、コクンと頷いた。
「とすると、君の条件は、一体何?」
「は、ええとー・・・」
勢いに押されながらも、私は一度深く呼吸をした。
2月からアルバイトを探し出して、この店で14店目なのだ。今までのところで断られてきた理由は言わなければ。ああ、でも折角受け入れてくれるっていってるのにおじゃんになったら、本気で凹む〜・・・。
でも言わないわけにはいかない。普通は向こうから聞いてくることを聞かれないのだから、言わなければならないだろう。
「私は大学の4回生です。今年、無事に就職が決まりました」
「あ、良かったね、オメデト」
「え、あ、ありがとうございます。・・・ええと、だから、ですね」
何か調子が狂うぞ!ここまできたらわかるだろうけど、まあ、とりあえずは最後まで・・・。
「ですから、来年の2月くらいまでしか働けないんです。他にバイトを一つ家庭教師をしてますので、そっちとの兼ね合いで入ることになるんですけど――――――」
「うん、判った。いいよ」
「へ?」
にこにこと、相変わらず大きな笑顔で、店長さんは言った。
「君は聞き返しが多いな。つまり、一年以内で、掛け持ちってことだよね。こっちはそれでいいよ。それで、いつから入れる?」
マヌケな顔だったとはおもうけど、私は暫く口を空けっ放しにしてしまったのだった。
とにかく、こうして私の大学時代最後のバイトの面接は終った。
私はここ、居酒屋「山神」で、夕方の5時から夜12時まで、週に入れるだけ、雇ってもらうことになったのだった。
店を出て、昼過ぎの太陽の光を浴びながら、しばらく呆然と立ちすくむ。
だって今までの断られてきた数の面接を思えば!
そこにあうかは判らないにせよ、最初から1年以内しか働けませんの人間を雇う店は少ない。教育にはそれなりに時間も金もかかるし、それでまた次を探すのは難しいからだ。
大学4回生ですと言った時点で、断られるのが半分ほど。その他は、就職が決まってます、の一言で断られる。フリーターになるなら雇ってやってもいい、と言われたこともあった。
私には時間があって、お金がない。だから週に2回、3年前からずっと家庭教師をしている子の家にいく以外は、殆ど暇だった。週に1時間しか行かないとか関係なく大学の費用はかかる。親にはこれ以上の負担をさせたくなくて、もう一つアルバイトをと就活を終らせたこの2月からずっと探してきたのだ。
で、断られまくってきたわけで。
ここは、簡単に決まっちゃったけど。
「・・・」
まだ多少ぼーっとしていたけど、とにかくいつまでもここに居るわけにはいかない。私は何とか足を動かした。
商店街から駅を通り抜けてアパートに戻る頃には、笑顔が出てきていた。
やった、私、バイト決まったんだ!
しかも久しぶりの接客業。やったー!!
自宅でレストランをしている故郷の叔母の店の手伝いをした時以来だ。ちょっと緊張するかも〜、と弾んだ気持ちで思いながら、自分の部屋のドアを開けた。
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