トマトときゅうり後編



 一人バスルームにうずくまりながら、私は赤くなった頬を押さえていた。

 ・・・もう、ほんっと・・・勘弁してよ〜・・・うわーん、咲子〜!助けて〜!!きゅうりは絶対笑っているはずだ。くっそ・・・もうおもちゃにはなりたくないのに〜!

 神様がいるのなら、この醜い赤面症を何とかしてください・・・。

 コンコン、とバスルームのドアがノックされた。

「トマト」

「・・・」

「笑わないから、出て来いよ」

「・・・」

「おーい」

「・・・ヤです」

「・・・」

「今日はもう帰ってください!」

「あ?」

「もう、もう、帰ってください〜っ!」

「・・・」

「帰るまでここから出ません!」

「・・・トマト」

「帰ってくださいってば〜!」

「・・・・ん、判った。――――じゃあ、また明日な」

 ドアの前からきゅうりの気配が消えた。え?と思って私は振り返る。バスルームのドアの向こう、バタン、と玄関のドアの閉まる音。

 ・・・本当に、帰っちゃった?

「・・・嘘」

 つん、と鼻の奥が痛くなる。

 自分で帰れといったくせに今では慌てた上にショックを受けている私。

 天罰よ、私に降りて来い。

 ぐぐっと涙が盛り上がったのに気付いて、慌てて指でそれを払う。・・・忙しいのに時間作って来てくれたのに・・・ああ、私ったらいつまでも子供で・・・。

 きゅうりは呆れてしまったのだろう。

 もう〜・・・・私のバカ・・・。

 ドアに額をつけてはあ、とため息をつく。・・・・バカバカバカバカバカ、以下無限大。

 完全に意気消沈をしてのろのろとドアを開く。もう仕方ない。取り敢えず部屋着に着替えてお風呂に入って、それからちゃんときゅうりに電話を―――――――

 下を向いたままでどんよりと足を前に踏み出した。・・・と。

 にゅっと伸びてきた腕に絡め取られて、私の体が宙に浮いた。

「うっひゃあっ!?」

「捕まえた」

 ぐいっと引っ張られて私はきゅうりの腕の中。がっしりとした腕に抱きしめられて、息が苦しい。

「くっ・・・楠本さ・・・?え?帰ってなかったんですか!?」

 何何何何〜!?ちょっと離してくださいます!?私はきゅうりの腕の中でバタバタと暴れる。

「帰るかよ。まだ何もしてないのに」

 ぎゅう〜っと抱きしめながら、耳元で囁くように言った。彼のハスキーな声が脳に直接届くようで、思わず体が震える。ふんわりときゅうりの香りが私を包み込んだ。

 いやいやいやいや!ちょっとちょっとあのドア閉める音、わざと〜!?子供ですか、あんたは!自分に突っ込んだことは即行で忘れて私は頭の中で喚く。

 私の小さな部屋の玄関前の、これまた小さなバスルーム前に長い足を放り出して座り込み、彼は私を抱きしめていた。

 せっ・・・狭い・・・。

「狭いな」

「・・・そ、そうですね・・・」

 よし、うつるか。そう言って、きゅうりは私をそのまま持ち上げて部屋の真ん中へ移動した。私はいつものようにされるがまま。まだちょっと頭がパニくっていた。

「黙ってて悪かったけど、俺は実際それどころじゃなかったんだよ」

「は?・・・え、ああーっと・・あ、はい」

 それどころじゃなかったって、何だ?とすら思わなかった。私はとにかくと彼の胸を両手でぐいーっと押して離れる。ふう・・・あっついあっつい。体温上昇中にて何も聞こえません状態だわ。

 まだ至近距離だけど抱きしめられてはいない状態で、黙って向き合う。きゅうりが黙るとどうしていいか分からない。

 仕方ないからヤツのネクタイの辺りに視線を注ぐ。・・・あら、綺麗な青。仕事帰りでちょっと緩めてあるのがこれまた絶妙に色っぽいわ。ああ、困った。ここも見てはいけないポイントじゃないの〜(泣)

 どうしたらいいのだ、とキョロキョロしていたら、上からきゅうりの低い声が降ってきた。

「・・・思いっきり挙動不審だな」

「すみませんね。一体どなたのせいでしょうかね!」

 悔しくて膨れる。もう、本当にもう〜。目の端できゅうりの手が伸びたと思ったら、むにっと両頬をつねられた。

「い、いひゃいれふ・・・」

 何するのよ〜と思ってやっと顔を上げると、そこには別に笑ってない真面目な顔のきゅうり。・・・・あらら?何でしょうか、真面目な顔はレアだけど、こんなに近くちゃやっぱり照れるんですけど。それに頬が痛いんですけど。

 きゅうりはむにむにと私の頬を引っ張る。びよーんって。やだ〜、もうそんなに柔らかくないってば。それに、痛いんですってば!

「――――俺が何言っても、はいって答えて」

「は?」

 きゅうりが両手を離した。可哀想な私の頬は腫れてるはずだ。可哀想だから、自分の指でよしよしと撫でる。何なんだ、痛かったよう、もう!

「判った?」

「え・・・判りましたけど、どうしてですか?」

「いいから、はいって言って」

「嫌ですよ。何かも判らないのに」

 憮然としてそう答える。

 きゅうりはふむ、と呟くと少しだけ首を傾げて私をじいっと見詰める。あの綺麗な切れ長の瞳で、目力が半端ないあの瞳で、何件も契約をもぎ取ってくるあの瞳で、真っ直ぐに、じい〜っと見詰めて・・・・やややややや・・やめて〜えええええええ!!!

 火山が爆発する勢いで真っ赤になったのが判った。視線で殺される。真面目に生命危機を感じた。

「ははははは、はい!」

「よし」

 ぶんぶんと頭を上下に振ると一言きゅうりは頷いて、先にって、不意打ちのキスをする。軽く触れるだけのそれが、目を開けたままで私を完全に固まらせた。

 あららら。

 思考回路なんて遮断ですよ遮断。いつまで経っても慣れないこの綺麗な男性に。キスされちゃった〜・・・。

 頭がぼーっとしている状態で、きゅうりが話しだす。

「トマト、自分が好きになったか?」

「・・・は、はい」

「今、幸せ?」

「はい」

「俺が好き?」

「・・・・・は、い」

 きゅうりがするりと目を細めた。ぎゃあ。

「何でそこで間があるんだよ、間が」

「あああああああの、す、すみません」

 驚いたんです驚いたんです〜!口元がひくついたけど、何とか笑顔を見せる。私、強くなったわ!

 ふう、とため息をついてきゅうりが続けた。

「お腹空いてる?」

「はい」

「どっかに食べに行くか?」

「はい!」

「俺と結婚してくれ」

「は――――――――って、へっ!?」

 きゅうりがにやりと笑った。美しい瞳を細めて、美しいだけでは形容しきれない表情を浮かべて私を見下ろしている。

「返事は、はい、だろ」

「え、いやいや、でも今、ちょっと・・・楠本さん、何て仰いました??」

 つい激しく瞬きをしてしまった。え、ちょっと耳が混線中で――――――よく聞こえませんでした!!

 きゅうりはぺろりと口元を舐めると、あの、たまーにしか見せてくれないキラキラと光るやんちゃな顔をした。きゅっと唇の端を持ち上げて笑みを作り、鼻に少しだけ皺を寄せる。

 私はぼけっとそれに見惚れる。

 そしてどこから出したかベルベットの箱。長い指でそれを開けて呆然としているだけの私の前に持ち上げて見せた。

「婚約指輪と結婚指輪、どっちがいい?」

「・・・け、けっけっ・・・え?」

「結婚指輪?じゃあ左手な」

「はっ?」

 実にスムーズに私の手を取り、キラリと輝く石の嵌った華奢な指輪を私の左手薬指に嵌める。それはするっと指をすべり、ぴったりと納まった。

「―――――」

 私はそれを呆然と眺める。さっきまで何のアクセサリーもなかった私の左手は、今やキラキラと輝いて白い光を放っている。・・・・指輪、だ。

 まだ呆然としたままで、目の前で微笑む男を見上げた。

「・・・・あの・・・これは・・・」

 ん?ときゅうりは言って、またにやりと笑う。

「ホワイトデーのお返し」

 ――――――――――は?!

「いいいいいいいいえいえいえいえいえ!待って待って、いや、あの、お返しって言葉おかしくないですか!?コンビニチョコですよ私が渡したのは!!」

 これ一体いくらーっ!??

 バタバタと一人で盛大に慌てる私を面白そうに見て、きゅうりはにやにやと笑っている。

「あ、大丈夫。俺が買える範囲でのケースしか見てないから。そんな、何百万とかしねーよ」

 そそそそそれでも!それでも、2980円の洋服を買うのに小一時間悩む私とは全く次元の違う金額ですよね!?

 私は呆れて言葉を出せず、ただただ指輪を見詰める。

 ・・・なんて、綺麗なんだろう。

 やたらと綺麗になった自分の左手を見詰める私の上で、満足そうな響きの声のきゅうりが言った。

「さっきの続きだ。―――――俺と結婚してくれ」

 目がやたらと霞む。ううう〜・・・ちゃんときゅうりを見たいのに。これじゃあ見えないじゃないの、私ったら。まさかまさかまさかのこんなこと。

 嬉しいと伝えたいけどとても言葉が出てこない。輝く素敵な石から目が離せない。

 するりときゅうりの指が、私の左手薬指を撫でる。

 顔を上げると彼はめちゃめちゃ優しい目で私を見ていた。判ってる、そう言ってるみたいだった。ああ、そうなんだ、ここは彼の膝の中。私は安心していい。だけどこれだけは、ちゃんと、言わないと―――――――

 525円で買ったコンビニチョコのお返しに貰った世にも美しい結婚指輪を左手ごと抱きしめて、私は何とか笑顔を作った。

「・・・はい。喜んで」

 目の前には嬉しそうに笑う格好いい男の人。私の、大切な人。二人で一緒にあははと笑った。



 これを買うことばっかに一生懸命で、仲間のことなんてどうでも良かったよ。そう言ってきゅうりは私を抱いた。

 でもお祝いを、盛大にしないとな。笑いながら私の頭を撫でる。

 仲間と津田さんの挙式には、一緒に行こう。こっちも夫婦になって。

 私は返事が出来なかった。きゅうりが色んなことをして私の意識を飛ばしていたから。だけど、心の中ではちゃんと返事をしていたの。はい、って、何度も―――――――――




「だから言ったでしょ?」

 本日も美しい仲間さんが、100万ボルトの微笑みを浮かべてキッパリと言った。

「はい?」

「楠本君から素敵なお返しがあるって。まさか、プロポーズとは思わなかったけどね〜」

 また全身が真っ赤になった私を事務員の皆さんが笑って肩を叩く。・・・もうおもちゃでいいんですけどね、諦めましたから。

「私の妊娠に真っ先に気付いたのは楠本君だったわけよ。異動って、もしかしてって言ってきて、驚いたわ〜」

 仲間さんは豪快にケラケラと笑っている。

 入社以来同期として頑張ってきたもの同士だ、色んな話をしたのだろう。私はそう思って微笑む。あんなこと言って、きゅうりだってかなり寂しいのでしょ?って。仲間さんが異動することが。

「で、言ってやったの私」

 にんまりと企んだ笑顔で仲間さんが振り返る。・・・・怖い。美形が何かを企んだ時、怒った時の笑顔は半端なく怖い。・・・慣れないわ、いつまで経っても。

 私は多少引きつりながら返した。

「あ、はあ。えーっと、何てですか?」

 仲間さんはにーっこりと美しく微笑んだ。

「私は先に結婚するのよ。あんたは未だ独り者ねって。目の前で高笑いしてやったの。よっぽど悔しかったのね、楠本君。ホワイトデーでプロポーズ!!」

 我慢出来ないわ〜って仲間さんは笑う。目には涙も浮かべていた。同じように笑いながら、杉並さんは私の頭を撫でてくれる。本当単純!判りやすいやつ〜ってゲラゲラと爆笑する美女の前で、私は拳を静かに固めた。

 ・・・・くっそう、あの男め。







 ホワイトデー編@「トマトときゅうり」後編 終わり。



[目次へ]
[しおりを挟む]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -