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「ピンクを待ってる間にハルに電話したんだ。そしたらご馳走してくれるってさ。行こうよ」

 オレをピンクと呼ぶから、オレもこいつをシンと呼んでいる。お互いに本名をよく忘れる。だから決まった電話番号しか使ってない。それ以外だと―――――大変、不便だ。名前を忘れるから相手に繋がらないという点で。

 だけど今はそんなことどうでもいい。今、何か不快な名前が耳に入ったぞ、と。

「ハル?何であいつが〜」

 オレが嫌そうに言うと、シンは反対ににやりと笑った。

「あたしの目の保養だよ。ピンクのことだから約束忘れてるだろうと思って、ハルのところにいるのかと先にあっちに電話したんだ」

 歩幅の大きなシンについていく。まったく、足が長い女は嫌いだ。



 シンディーが日本に仕事のついでに来て、さらについでにオレに会いに来たのが3年前。その時たまたま一緒にいたハルに一目で惚れたらしい。

 英語でべらべら喋りながらいきなりハルに抱きついたのだった。

 あれには女の扱いには慣れているハズのハルも面食らったようで、叫んで逃げようと頑張っていた。その時の顔はちゃんと写メに撮って永久保存してある。うけけけけけ〜。

 シンはハルと喋りたいがために日本語を猛特訓で勉強した。

 だけど、ハルにアッサリと「俺は7歳も年下は相手にしない」と告げられてからもシンはハルの追っかけをやめないのだ。

 その内ロスの実家の金持ちのパパにお願いして、とうとう日本に住み着いてしまった。

 華僑の力は凄いぜ、まったく。

 そんなこんなでシンは何かと言い訳をしてはハルに擦り寄っていく。

 オレはいつもうんざりしながらそれを見るハメになる。二人の時にやってくれ、と心底思うのだけど、帰ろうとするとシンの鉄拳が飛んでくるからそうもいかないのだ。

 今はすでにオレへの怒りは忘れて、ハル〜と鼻歌に名前を入れながら機嫌よく歩いている。

 シンはネットで店を経営している。古着屋とレディース物とを別々で。たまに通訳の仕事もしている。そしてたまに、モデルの仕事もしている。

 あとの空いた時間、オレを呼び出してそこら中を引っ張りまわす。

 どう断ってもめげずにコンタクトを取ってくるから(一度はオレの部屋のドアを3時間続けて叩き続け、警察に通報された)、もう諦めて相手をしている。

 オレって優しい〜・・・などとは自分でも思えない。何でこんな修行を・・・チクショー。

「あ!ハル〜!!」

 シンが嬌声をあげていきなりダッシュする。オレはその後ろをたらたらとついていった。


 道路の端っこで、ハルが背の高い眼鏡をかけた男と話していた。

 シンに気付いて二人ともこちらを見る。そしてにっこりと笑った。

「シンディー、久しぶりだね〜」

 シンは犬と化して尻尾も耳も舌も出してハルに突進する。それを上手に避けながら、ハルはオレににやりと笑った。

「へい、テル。ご機嫌斜めか?」

 オレはハルにふんと鼻を鳴らしてみせて、ヤツの隣に立つこれまた大きな男を見上げた。

 でかい。モデルかなんか?『洗練されたスタイル』のお手本のような格好をした男だな。

 オレが心の中でそんな事を呟いていると、その男はオレに向き直って微笑を浮かべた。

「こんにちは。・・・君が、神谷君の甥子さんかな?」

 男性にしては高めの声が耳に届く。眼鏡の中には細めた瞳。口元にはうっすらと微笑。・・・いい男だけど、冷たそうだな、そう思った。醸し出している雰囲気は柔らかいが、瞳の色がそれを裏切っている。逸らしたくなる視線に一瞬体が緊張した。

 オレは中途半端に頭を下げた。悔しいから目は離さなかった。

「・・・ピンクっす。テルの知り合いっすか?」

 ハルがオレの頭を叩いた。

「痛っ!!」

「滝本さん、すみません。常識を知らないやつで。甥の広輝です。―――――テル、前に話しただろう。ストーカーの件でお世話になってる人だよ」

 頭抑えてうう〜っと唸るオレの目の前に、するりと名刺が差し出された。

 滝本と呼ばれた男が微笑したままオレを見ている。

 そのじいっと突き刺さるような視線がちょっと気になったけど、まあ睨まれてるわけじゃねーしな、と無視することにした。

 どちらかと言うと・・・観察されている感じだ。確かに派手な外見だけど、そんなに珍しいかな、オレの格好・・・。

「・・・あざっす」

 礼を言って名刺を受け取った。――――――調査会社。所長・滝本英男。・・・ふーん?シンプルな名刺だな。探偵とは違うってことか?

 貰った名刺をじろじろみていたら、高い声が聞こえた。

「何か困ったことがあれば相談に乗りますよ。神谷君の甥子さんならいつでもどうぞ」

「よかったな〜、テル。お前もフラフラしてっから、いつ変なことに巻き込まれてもおかしくねえもんなー」

 けらけらと笑いながらハルが言う。オレはぶすっとして言った。

「ハルとは違うっつーの。お前だろ、変な女につけられてるのは!」

「えええーっ!ハルどうしたの!?変な女って何、変な女って!!」

 それまで状況を観察していたようだったシンが喚き始めた。あ、いやいや、いるわ、変な女、目の前に。オレは心の中で訂正する。

「そちらは?」

 滝本という男がシンに向き直り、ハルが慌ててシンの口を手で塞いだ。

「あ、甥の友達です。台湾系アメリカ人の娘さんで・・・」

「神谷君、相変わらずモテるんだな」

「いや滝本さんには敵いませんよ」

 ハルがにやりと笑って返す。どうやらこの二人は前からの知り合いみたいだな。ハルが低姿勢になるなんて珍しいものが見れたけど・・・ま、このオッサン怒るとおっかなそうだよな、確かに。

 バタバタと暴れるシンを無視して、ハルは滝本という男に向き直って挨拶をしている。

「ありがとうございました。また連絡いたします」

「はい、もう何もないといいですけどね」

 では、そう言って柔らかい微笑みを残し、最後にもう一度オレをじっと見たあと、モデルかと思うその男は優雅に立ち去った。

 ・・・また見られた。

 オレはその後姿を見ながら名刺をポケットに仕舞った。

 よく判らない男だ。出来たら、知り合いにはなりたくねーな。



 3人で道を歩きながら話す。

「ハル、あのオッサンにストーカー退治してもらったっつーわけ?」

 シンがごろごろと腕に張り付いて歩きにくそうなハルが、うんと頷いてオレを見た。

「オッサンって、お前な。滝本さんはまだ36歳だぞ」

「・・・オッサンだろ」

 くそ、ガキめ。そう呟いて、ハルは腕にシンをぶらさげたままで喫茶店のドアを開ける。

 ハルがいきつけの、やる気のないマスターが一人でやっている喫茶店で、いつでも潰れないのが不思議だなあと思っている店だ。

 アイスコーヒーを注文して、いつものようにだら〜っとひび割れたソファーにもたれて崩れ落ちる。

「シンディ、暑いから離れてくれる?」

「いや〜だ!あたしは暑くないもーん」

 シンがぎゅうぎゅうとハルの腕に抱きつくのをオレはストローの袋をくるくると巻きながら見るともなしに見ていた。

「あ、そうだ、旗ってどうだ、テル?」

 ハルが急に声を上げた。

「あん?どうって何がー?」

 何だ何だ、こっちに仕事ふっといて、返せとかなしだぜ。ぜーったいに、返さないよ〜ん。

 オレが顔を上げると、今日は髭もなくまともな格好をしているハルがにやりと笑った。

「ちょっと耳に挟んだんだけどな、俺に話が回ってくる前、他のライターが一度挑戦してるらしいんだよ、旗の自伝」

 へえ。オレは首を傾げる。ゴーストライターがコロコロ変わるなんて話聞いたことがない。

「挑戦した?ってことは失敗したってわけ?」

「そうなんだろうな。詳しいことはしらねーけどよ。でも前のライター俺知ってるけど、あいつが途中で放り出すなんて思えねえから驚いてさ。・・・あのオッサン、そんなやりにくそうな感じか?」

 オレは首を傾げた。

「・・・い〜や?特に変な感じはないと思うけど。ちょお〜っと自慢っぽい感じはしないでもないけどさ。有名人てあんなもんじゃねーの」

「何、テル君今は旗 秀真の仕事してんの?」

 オヤジがアイスコーヒーを運んで、テーブルに置きながら口を挟んだ。

「オヤジ、他言無用だよー。美味しい仕事なくなったら恨むかんな」

「おお、了解してるって」

 店のマスターであるオヤジはウィンクしてみせる。3人でおえーって吐く真似をしてやった。やめろよ、ジジイ。食欲がぶっ飛んだ・・・。

 汚れまくった(元は)黄色いエプロンを立派な腹で揺らしながら、オヤジは言った。

「懐かしいなあ、旗 秀真って今何してるんだ?タレント?」

「や、一応俳優らしい」

「格好いいの?」

 日本にはいるがテレビの世界に全く興味のないシンディが興味なさげに口を出す。こいつの狙いはいつでもハルだけだ。

「そりゃあ男ぶりはいいだろう。いい感じで年取ってるんじゃないか?」

 ハルがシンからようやく自分の腕を抜き取りながら言った。

 シンが膨れっ面になる。それをオヤジが囃して笑い、オレに向き直った。

「あの人は昔、ナルシストじゃないかって有名だったな。そんな感じか、テル君?」

 ナルシスト??自分大好きってこと?

「・・・わっかんね。でもちょっと有名で顔もいいんだったらナルは普通じゃねーの?」

 そんなに鼻につくことはまだなかったけど、そればかりは判らない。でも自伝を出すとか考える時点でそれなりにナルシストではあるはずだよな。そう思った。

 だってオレはそんなこと思わないに違いない。

「とにかく、ちょっと変わったことあったら言えよ、テル」

 ハルがアイスコーヒーをグラスから直接飲みながら言った。

「・・・変わったことって、何」

「何でもだよ。前のライターが放り出したってのは何か理由があるはずだろ。お前の方が経験も浅いし社会的レベルも低い。お前が無理になる可能性も考えとかないとな」

 うるせーオッサンだ。

 オレは機嫌を損ねてゴミをハルに向かって投げる。ハルには当たらずにソファーに転がったそれを、すかさず引っつかんでシンがオレに投げ返した。

 それはちゃんとオレの額にヒットする。・・・くそ。

 ハルが口元をニヤニヤさせながら言った。

「お前に仕事回したの俺だからな。責任があるんだ。放り出すくらいなら、その前に言えよ」

 ・・・仕事にあぶれてやがるんだな、こいつ。オレは鼻で笑う。

 誰が逃すかよ、あんなうまい報酬を。

「放りだしたりしませんから〜」

 軽くそう呟いてテーブルの端っこで中指を立てる。

 ストローでアイスコーヒーを吸い上げて、そのままハルへ飛ばしてやった。



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