2、ハルの身代わり
で、どうして春の昼真っからオレには似合わない高級住宅地を歩いているのかと言うと、仕事があるからだ。
オレの叔父であるハルは、ライターを生業としている。
雑誌に載せたりパンフレットの言葉を書いたりで、フリーでいろんなことをしている。ちゃらんぽらんなハルにはぴったりの職業だと思う。
オレは、高校を卒業してから叔父と同じことをしている。
キッカケは高校生を対象とした新聞での短編大賞に応募したことだった。大賞は取れなかったけど優秀賞を取って、賞金を貰った。
その時に思ったのだ。
文字を書いて、オレでも金を稼げるんだって。
そんなわけで、別に生活費にも困ってなかったオレもハルのちゃらんぽらんな生き方まで真似することにしたってわけだ。
あの親にしてこの子あり、ではなく、あの叔父にしてこの甥あり、だ。
旅行に行けばその記事を雑誌社に持ち込んだりして小金を稼いでいた。
だけど数年前からゴーストライターの仕事もし始めたハルに、これは美味しい仕事だと教えて貰ってからはそっちに力をいれるようになったのだ。
誰かの代わりに文字を書く仕事。自分の文章にプライドがあって名前を載せたいヤツには好かれない仕事だ。だって、表に出るのはあくまでただ喋るだけの有名人で、自分の名前はちらりとも出ないのだから。重版になっても関係ないし。
だけど、出世欲がないオレ達には魅力的な仕事だ。
目立ちたいわけではない。アウトローの暮らしを十分楽しんでいる。
一度に大金を稼ぎ、それで1年半ほどを暮らす。そんなことをしてきた。
前回そうやって稼いだ金が底を尽き出したので、オレには仕事が必要だったってわけだ。
ハルが今回受けた仕事は、かつてのアイドルで今は渋めの中堅俳優となっている男の回想記だそうだ。自伝、というやつ。
だけどストーカーから逃げている内に打ち合わせの日が来てしまったらしい。それで担当者に思いっきり文句を言われ(家に帰ってないとか、面倒臭いことに巻き込まれている状態とかが)、代わりをたてろといわれたらしい。
まあそりゃあそうだよな。その大事な俳優の家までストーカーを連れて歩くわけにはいかない。
それでオレのところに来たってわけだ。
あんなに偉そうに「仕事をやる」とかほざいておいて、元々そのつもりだったんじゃないか。オレはぶーたれて、勝手に人の台所でラーメンを食べたハルを蹴り出してやった。「女のとこにいけ」そう言って。
後で聞いた話だと流石にストーカーに嫌気がさしたらしくて知り合いの探偵(だったっけか?)に相談するといっていた。ハルはびっくりするほど変な知り合いが多い男だ。
出版社の担当者はオレを見て、正直にうんざりした顔をした。
口を開いてたら〜っと間延びした喋り方をして見せたら、今度は頭を抱えだした。
だけども持っていった自作のコピーや雑誌を見せると、まあ文章はそんなにバカっぽくないし、使ってやってもいいか、と思ったらしかった(実際それを口に出していいやがった。どんだけだよ、オヤジ)。
だから担当者と打ち合わせをして、今日を指定されたのだ。それで昼間からこんなところを歩いている。ちょっとでも不審なそぶりをみせたらすぐに警察に電話が行きそうだな、と街に似合わない自分の格好を思い浮かべて思った。
表札を見ながら歩いて、ようやく豪邸といっても差し支えないデカイ建物の前に到着した。
武田・・・あのオッサン本名は武田っていうんだよな。案外普通だな。・・・当たり前か。芸名はええと・・・旗 秀真だ。
小さい頃はテレビでよく見ていたあのアイドルは今では俳優。ドラマも映画もちっとも観ないから、最近の彼は知らない。
仕事を受けるとは行ったけど、ゴーストライターの仕事はかなりストレスが溜まるのだ。
知らない相手の話を集中して聞かなきゃならない。それも長時間。だから会ってみて、ああ、こりゃ無理だ、と思ったら辞めることもある。
オレの外見から物凄く見下したりだとか。
滔々と自慢話や説教を始めるヤツだとかは。
まあ、それはオレにも原因があるんだけど。人前ではわざとダレた喋り方をしているしな。
本人のことは調べずに会うのはそうした理由からだ。綺麗なプロフィールには興味がない。生きた、本人に会って印象を決めたいのだ。
ぶかぶかのパーカーの袖から人差し指だけ出してインターフォンを押す。
ピンポーン、と聞こえて、暫くしたら機械を通した渋い声が聞こえた。
『はい』
「神谷ですけど。今日来るように言われました〜」
大きな声であんたのゴーストライターだよ、と言ってやったら首なんだろうな、と頭の隅で考えた。
この静かな街ではかなり響くだろう。
『入ってくれ。セキュリティはといてある』
どうせカメラで見てるんだろうから、返事は返さずに頷いて門に手をかけた。
フードを被ってはいるけど派手な格好で来た。取り敢えず一度は会うんだな、そう思った。
初対面の依頼主に会うときの反応、これが実は楽しみなオレだ。
それにしてもデカイ家だ。こんな敷地が広かったら外の声なんてまず聞こえないよな。維持も大変だろうし。
自分の小さな1LDKの部屋を思い浮かべながら見回す。
庭は手入れされているようだけど森のようになっているし、この感じでは裏にはプールもあるのではないだろうか。
口元を皮肉に歪めて玄関に立つ。
こんな家に住めるようになったいきさつを、オレはライブで聴けるわけだよな。
まあある意味ラッキーだ。そう思っていた。
一般人とは言えない人間の過去が見れる。
玄関のドアが開いて、長身の男が目の前に立っているのを見上げる。
・・・デカイ。テレビで見てる分にはこんな長身だとは判らなかった。
かつてのアイドルで今は俳優の旗は、オレを細めた目で素早く全身を見た後、どうぞ、と言って体を避ける。
「お邪魔しま〜す」
オレは会釈はせずに言葉だけを出してオッサンの横を通り過ぎた。
「そっちの部屋だ。今日は私一人だから、お茶を淹れてくる間待っててくれるか」
旗は玄関横の応接間らしき部屋を指差しながら奥へ歩いていく。
喉が渇いている。だから遠慮せずに貰おう。
オレは無言でドアを開けた。
庭に向かって大きなガラス戸がある部屋で、昼の太陽がいっぱいに部屋に入っていた。
本棚に、酒類の入ったケース。あれはワインクーラーか。ドアの所で突っ立って部屋を見回す。
ふうん、俳優って儲かるんだな。
飴色に光る重くて高そうなソファーセット。シンプルだけど、落ち着く部屋に仕上がっている。
これがあのオッサンの趣味なら、いいセンスだな、そう思った。
「お待たせ。座りなさい」
後ろから声を掛けられて、長いすに座った。
紅茶を淹れてくれたらしい。いい匂いが部屋の中をたゆたう。
待遇がいいな。そう思った。最初にお茶を出してくれる相手は珍しい。
「さて―――――神谷君、だったかな」
旗が顔をあげて微笑んだ。
オレは頷く。目の前にある柔らかい笑顔をじっと見ていた。
一瞬で防御を崩すようなこんな笑顔が出来るのも、一種の職業病だな。
「・・・失礼だが、君はいくつなのかな。とても若いように思えるが。聞いていた話では30歳だと・・・」
それはきっとハルの情報だろう。担当者はライターの変更を言ってなかったらしい。ハルもオレも同じ神谷だから、このオッサンは誤解しているんだな。
さて、どうすっかな・・・。訂正も面倒臭いし。
オレは勝手に砂糖を紅茶に落としながらへらっと笑って事実だけを言った。
「オレは25っす。童顔で、高校卒業してからこんなことばかりしているから、一般常識が身についてませーん」
その返事に笑ったようだった。
「成る程。フリーライターというところだね。ご家族と住んでいるのかい?」
・・・ん?オレは顔を上げてオッサンを見る。
「いえ、親はもう居ませんから独り暮らしっす」
「それは大変だったね、失礼した」
「いいっすよ。気楽な身分だと思ってるから」
何なのだ、こいつは。馴れ馴れしいオッサンだな。いきなり家族構成を聞かれたことなど今まではなかった。
親の教育がなってないとか思ってやがるのかな。・・・有り得る。
でもまあ、珍しい部類に入る有名人ではあるかな。
大体有名人というのはいつでも忙しいもので、バタバタとやってきては椅子に座ったと思ったらベラベラ喋りだし、じゃあ今日はこれで!と嵐のように去っていったものだった。
あとは宜しく〜!とか叫んで。
こんなゆっくりしたスタートは初めてだ。
「・・・自伝を出したいんっすか?」
つい、オレからも聞いてしまった。
目の前で旗はまた微笑む。
「そうなんだ。勧められたのもあるのだけれど・・・ここら辺で自分の人生を振り返ってみるのもいいかなと思ってね。世間の皆さんが興味あるかは知らないが、まあ波乱万丈といってもいい半生だったしね」
オレは肩をすくめる。他人の過去など興味もないが、とにかくこのオッサンが喋ってくれないとオレは仕事にならないのだ。
「旗さんが喋ることを、オレはレコーダーで録音します。それで、書く。構成なんかは出版社の担当者とオレで話しを詰めて、あっちが持ってきます。書いたものを旗さんと担当者が読んで直していきます」
「うん、そう聞いている」
「オレは今他の仕事はないっす。だからこれだけに集中出来ます。そっちの予定にあわせるから、スケジュールが判れば教えてくださーい」
ふむ、と呟きが聞こえた。指でトントンと手置きを叩いている。静かな部屋の中で、そのリズムだけが響いていた。
「・・・他の仕事はうけてない、と。集中してくれるのは有難いね。今はドラマは入ってないけれど、映画が控えているからそれまでには何とか形にしたいんだ。一度現場に入ると中々戻れないのでね」
オレは頷いた。
旗はにっこりと笑った。
「では神谷君、宜しく頼むよ。私はまず、何をしたらいいのかな?」
商談成立だ。オレは鞄からレコーダーを取り出して、机の上においた。
「何歳から始めますか?大体の人は生まれから3ページくらいは入れますけど〜」
では、そうしようか―――――――
そう言って、仕事が始まった。
メモ用紙とペンを持つ。そして目の前の俳優を見上げた。
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