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 シンディーはぎろりとテルを睨んだけど、くるっと振り返ってキラキラの瞳を細めた。

「いいや!ハルに会えたから〜!ハル〜!!」

 またもや抱きつこうと頑張る彼女をひょいと避ける。俺は、初めて会った時からこの子に好かれてしまっている。

 「シンディー、いい加減に俺は諦めなさい。他にもっといい男がいるでしょうが」

 俺が冷蔵庫の前に戻りながら言うと、一緒についてきながらシンディーは後ろでケラケラと笑った。

「いい男?パパが連れてくるような金髪碧眼のお坊ちゃま達のこと?あんなのごめんよ、私は、無人島に置き去りにされても生き残れるような強い男がいいんだから〜」

 ・・・そんなやつ、いないと思うよ。呟きは心の中でしておいた。

 もう一度開けた冷蔵庫には、当たり前だけど食べ物は増えていない。後ろから覗き込んだシンディーが、呆れた声を出した。

「――――――何もないじゃん」

「やっぱりそうだよね。食い物が、ない」

 バタンと冷蔵庫を閉める。俺とテルの分の昼食をこの冷蔵庫の中身から作り出すには大いなる魔術が必要だよな。さて、どうするか。

 うーんと唸りながら両腕を組むと、シンディーがつかつかと部屋を横切って、テルの上にどすんと座り込んだ。

「うげっ!!」

 当然、テルはつぶれた。そして蛙のような声を上げる。・・・可哀想に。

 上に乗ったシンディーはぐいーっとテルの耳を引っ張り上げながら、平然と聞いた。

「食べ物、何もないの?ハルがお腹空いてるらしいよ」

「いてててててて!バカシン!どけっちゅーの!いて!」

「あんた、誰に向かってバカとか言ってるのよ」

「いてっててて〜!!」

 あーこれこれ、ととりあえず俺は仲裁に入った。

「止めてあげて、シンディー。テルも多分腹は減ってるんだし」

 テルを下に敷いたままでとりあえず耳から手は離して、シンディーはフンと鼻で笑った。

「本当にピンクって貧乏よねー。絶食が趣味とか?」

「・・・It's so heavy・・・」(・・・重い・・・)

「You what?」(は?)

「・・・いや、オマエじゃなくて、現実がね・・・」

 ぐったりとベッドに身を沈めながら、テルが小さくそう呟いている。上には右の拳を握り締めた、既に臨戦態勢のシンディー。

 潰されながらも更にテルは言いたいことを言う。

「大体育ちのいいお嬢さんが You what?なんて言わないでしょ。I beg your pardon?って、言ってみ?」

 テルの上に乗ったままで女王様然として微笑んで、シンディーは呟く。

「There's no cure for a fool.」(バカにつける薬はない)

「・・・・キチガイ女」

「ああ!?」

 喧しい、そう思って俺はシンディーの頭をポンポンと柔らかく叩いた。

「あー・・・やめなさい、君たち。何か食いにいくか?」

 シンディーがパッと瞳を輝かせてこっちを向いた。すると下で、テルが言う。

「行けよ、行ってらっさい。サヨーナラー。オレは一人になりてえよ。つーか、とりあえず退いてくれる、シン」

「何言ってんのよ、行く気ないならここでもいいよ」

 やっとテルの上から腰を上げたシンディーは、後ろポケットに突っ込んでいたらしいやたらと薄いスマートフォンを取り出して、どこかにダイヤルした。

 そして30分後、テルの小さくて狭い部屋の中で、俺達は3人でケータリングのイタ飯を囲むことになった。

 テルの小さなテーブルに乗り切らないお皿は(ちゃんと陶器の皿に入ったままで配達されてきた。驚いた)仕方ないから直接床に置いている。

 シンディーが魔法のカードでスマートに支払った豪勢で美味しいイタリア料理を、3人とも無言でガンガン食べた。

「シンディーもお腹空いてたの?」

 俺が聞くと、彼女は嬉しそうに笑う。

「昨日のパーティーで食べすぎたからと思って、朝と昼と抜いてたー」

 俺の前で立膝したまま食べていたテルがぼそりと呟いた。

「・・・これで、パアだな」

「あ!?」

「はいそこまで」

 どうして一々喧嘩するんだよ君達は、と言う俺の前で、若者達が唸りあっている。

 今日も、毎度変わらない、こんな昼下がりだった。



 食べた後はテルに追い出されてしまったので、シンディーをゴージャスで煌びやかなマンションまで送った後に、一人でぶらぶらと自分の部屋に向かった。

 夕方で、風が吹いている。

 少し伸びた前髪の間から眩しい夕日がチラチラと景色の残像を飛ばす。

 さっきからケータイが何度か振動しているのが判っていた。

 多分、今日別れたあの子だろうと思った。

 女の子達は決まったような行動を取る。

 まず、自分かテルかと俺に選ばせる。

 俺がテルを選ぶと呆然として、大体は、泣く。

 それから別れを告げてきて、話し合いは拒否する。

 で、俺がそのまま出て行くと―――――――――――

 数時間後に、電話を寄越すのだ。

 「止めてくれるかと思ったのに」と。

 そして、戻ってきて、と。


 風が吹いて髪を揺らす。軽く頭を回して凝りをほぐした。


 だけど、同じだ。

 これで戻って、またあの悲しい顔を見るのはごめんだ。悲しませたいわけではない。だけど嘘もつけない。だって、崖に彼女とテルがぶら下がっていたら、俺はきっと、テルに先に手を伸ばすから。

 姉とは15歳年齢が離れていた。

 だから俺が5歳の時には既に姉は20歳で、その時にはテルを産んでいた。結婚はしてなかった。私生児でテルを産んで、両親と俺、それに姉とテルの5人で生活していたのだ。

 で、俺の両親が10歳の時に交通事故で揃って亡くなってからは、姉が親代わりで俺とテルを一緒に育てた。

 高校生の時、まだ小学6年生のテルが先に眠ってしまった夜なんかに、よく俺は聞いたのだ。

 姉に。どうして結婚しなかったのかって。相手の男は誰で、どうしていないのだって。

 その度に、姉は缶ビールを片手にケラケラと笑ったものだ。何が面白いのだろうと俺は不服だった。

 だって、捨てられたんだろう?って。姉ちゃん、孕まされて、捨てられたんだろう?って。

 それで一人で苦労して、弟と息子を未婚のままで育てているだろうって。

 姉はとても綺麗な人で、その頃は小さな事務所で事務員の仕事についていた。戸籍の上では独身だったし、きっとモテたと思う。だけど付き合っている人もいないようだった。

 そこの地味な制服を脱いで部屋着になった姿は、まだ20代だといっても十分通る可愛さだった。

 こたつの向こうでもこもこの部屋着を着て、ビールを飲んで機嫌良さげに笑っていた。

 記憶の中で、何故かいつも冬なのだ。あの3人で住んでいたマンションで、リビングでこたつに入っている光景ばかり。

 中学生の頃から俺が何度聞いてもちゃんと答えてくれなかったのに、一度だけ、そう、姉が亡くなる前に一度だけ、答えのようなことを言った夜があった。

 その時も冬で、いつもみたいにこたつに入っていて、テルは隣の部屋で既に寝ていた。夜の11時くらいで、俺と姉ちゃんはお風呂上りのビールを飲みながら、見るともなしにテレビを見ていたのだ。

 バイトがない前日は、学校には内緒よって言って、一本だけビールを飲むのを許してくれた。その夜はそんな日で、二人でビールを飲んでいたんだった。

「あんたにも、そのうちわかるわ、ハル」

「何が?」

 ほろ酔いの顔を緩めて、姉ちゃんはふふふと笑う。いきなり声をかけられて、俺はマヌケな顔をして聞き返したんだ。




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