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スピーカーから旗の低い声が聞こえた。
『・・・ふざけた復讐?』
「そうよ」
こんな状況だというのに、何とシンは堂々と旗をバカにした。鼻で嗤って中指を突き立てる。
「そんな女の為に自分の一生棒にふって犯罪をおかすなんて有り得ない。脳みそがないんでしょうね。よくそれでアクターをやってられるもんだわ。全くバカらしい」
「・・・えーっと、シン」
ちょっとちょっと、と口を挟もうとしたオレを片目で眼殺してまだシンは続ける。
「前のライターにはそれを嗅ぎつけられたってわけ?それだけ単純な男なら、前のライターも無事ではないんでしょうね。オッサン、あんた、前のライターどうしたの」
オレは黒い箱を見上げる。
そうだ。オレなんかよりよっぽど強い好奇心を持って、東条というライターは旗に接近したはずなんだ。そして彼は行方不明で―――――――――
『庭に埋まってるよ』
淡々とした旗の声が響いた。
・・・・は?
オレは口をあんぐりとあける。・・・庭。庭って、あの窓から見えていた庭?
瞼の裏に、こんもりと森のようになったあの生い茂った木々がうつった。あの木は・・・東条君の、体を吸っている・・・。
ぞっとした。
その次に浮かんだのは、生きていればいいのですけどと言った東条のお母さんの姿だった。
ああ・・・・あの人、悲しむんだな・・・。見付かればいいな、と祈った自分の姿も連鎖反応で思い出す。
やりきれなさに襲われる。オレはごろんと寝転んだ。
『どうして君が悲しむんだい、神谷君?』
箱からは旗の声。
「・・・人が死んだと判ったら普通の人間は悲しむんだよ」
寝転んで目を閉じたままで言ってやった。この鬼畜野郎・・・。
『東条という前のライターは色々聞いて来たんだよ。奥さんは男の友達はいなかったんですか?次のお子さんの計画はなかったんですか?・・・そして最後には、家にきてこう言ったんだ』
―――――――――旗さん、もしかして、奥さんの事故死は偽造ですか?
えー・・・オレは眉を顰めた。あぶねーライターだな。そんなこと言うから埋められるんだろ〜・・・。
「それで?」
シンがつんと顎を上げて聞いた。
「警察の捜査も掻い潜ったパーフェクトクライムだったんなら、たかが一人のライターにビビったわけじゃないでしょ?どうしてまた手を下したの?」
なるほど、とオレは思った。ムカついたなら名誉毀損で訴えることだって出来るわけだしな〜。
旗は暫く黙ってだけど、その内に笑い出した。
『冷静なお嬢さんだね。そうなんだ、私もそう思った。パーフェクトクライム・・・完全犯罪だったわけだよな、と。妻を殺した当時は必死で、とにかく凄い怒りに支配されてた。だけど妻が事切れてから、ハッとしたんだ』
大変なことをしてしまったと。私は捕まるのかって。
このまま朱実の体が消えてくれればいいのに――――――――――
そう思って、呆然と妻を見下ろしていた。
だけど、多分そうしていたのは2.3分だ。また仕事や兄妹のこと、友人やその他の楽しいことも考えた。
悪い女を退治したのに、どうして私が捕まらなければいけないんだ?そう思った。
そんな理不尽な、って。
そして考えたんだ。私はどうやったんだっけ、て。でも大丈夫だと判った。朱実は力なく抵抗もしなかったから、私の体には触れていない。彼女がのぼせやすい体質なのは皆知っている。しかも盗み聞きした電話によると、中絶をしたばかりらしい―――――――・・・そこで、救急に電話した。
帰ってきたら妻は風呂だった、そしてのぼせて浴槽に転落したらしいって、神谷君にも話した話をしようって。
『後は、結構簡単だったな。頭の中でこれは演技なんだと思うようにした。呼吸を浅くして過呼吸を引き起こす。そうすると頭が混乱した夫になるのはクリアするだろう、そう冷静に考えてたな』
旗の声には喜色が混じっている。自分のやり遂げた過去の犯罪を思い出して興奮しているようだった。
・・・・おえ。
『監督もいない、アドリブの演技。だけど辻褄あわせをする必要のない、実に簡単なことだった。妻の電話を聞いてない設定を、そのまま話せばいいんだから』
くっくっく、と抑え切れない旗の笑い声がスピーカーを通して部屋に広がる。
『おいおいと泣いたよ。妻を愛していた気持ちを思い出して・・・だって、ほんの40分前までは、私は確かに朱実を愛していたんだからな。ふふふ・・・ふふふふ』
それをオレとシンは不快に顔を歪めて聞いていた。
今や旗は大声で笑っている。スピーカーを通して増幅された声がコンクリートにぶち当たる。
オッサン、自分に酔いまくりだよ。
「・・・それを、何で東条サンに話したんっすか〜?」
今度はオレが口を挟む。酔っ払いをこっちに戻さなければ。
前のライターに話す必要はなかった。むしろ、勿論話してはいけなかった。それはそれでこのライターは不快だと首にすれば済む話だった。それを、何で?敢えて自分を追い詰めるような真似したんだ、このオッサン?
旗の笑い声が止まった。そして息を吸い込む音。また淡々とした話方に戻る。
『・・・どう言えばいいかな・・・。そうだね、自慢したくなった、んだろうな。私はこんな完全犯罪をしたんだ!って。当たり前だけどずっと秘密にしてきた。だけど世間で殺人事件が起こるたびに、バカだな〜と思って見てたんだね。・・・もっとうまく出来ないのかって』
開示欲というやつかあ〜・・・。オレはうんざりした。そんな欲望に負けて、ゴーストライターにばらしたわけ?それでもって、しられたからにはーってヤツなわけ?
・・・・おいおい、でショ、それ。
「どうやって殺したの」
シンが声を飛ばす。また旗が笑った。
『君達が今いるそこに、彼もいたんだよ』
何だって?ぎょっとした。嘘嘘、もしかして――――――――
オレの顔をカメラで見ているらしい旗が笑う。
『そうだよ、その部屋で餓死したんだ。彼が死ぬのに5日かかったね。体が大きかったから持ったんだろう。神谷君は何日持つかな。今日の仕事中にもたくさんお菓子を出してあげただろ?お茶もいつもより多く注いであげたね。だから暫くはもつだろうね』
旗が今日、あの部屋でオレに言った言葉を思い出した。オッサンは確か、あの時・・・。
美味しいものはある時に食べておかないと、後で後悔することになるよ。沢山食べなさい、そう言った。
・・・・・・・・くそじじい。
むかっ腹が立った。
この部屋で餓死するのを待つってことか。水もなかったら人間は3日も持たない。最後は発狂するように死ぬってこと?うわ〜・・・・マジ、勘弁。
ぶわっと全身に冷や汗が噴出した。
くくくく・・・と旗の笑い声が響く。
隣に立つシンが、低い声で呟いた。
「ファッキンサイコ、とりあえず、もうあんたの声は聞き飽きたわ」
言うやいなや、いきなりダッシュして壁際で飛び上がる。
壁を左足で蹴り飛ばして弾みをつけ、そのまま逆立ちのように体を捻ったかと思うと、右足で黒い小箱に回し蹴りを食らわせた。
ガッシャーン!と派手な音と共にその黒い小箱が割れて落ちる。
「!!」
オレは仰け反って驚いた。
マイクやカメラの部品や色んなコードと共に床に落ちてきたシンは、綺麗に一回転して床の上を転がる。
壁に背をつけて止まると、上半身を起こして不敵な顔でにやりと笑った。
「覗き見も、犯罪なんだよオッサン」
「・・・」
オレは呆れて声も出せない。・・・あーあ、ちょっとちょっと。オレまだ苦情も言ってないんですけど〜。
も〜、この山猫何とかしてくれ〜。
「・・・あのさ、シン。これじゃ出してちょーだいって折衝案を言うことも出来ないでショ?」
オレが頭を掻きながら言うと、バッカじゃないの!?と怒鳴られた。オレ、散々だよね。
「殺す気だからあんな話したんだよ、オッサンは!ここで餓死するのを笑いながら見られてるのなんてごめんよあたしは!」
「・・・死ぬんだったら同じだと思うんだけども・・・」
オレの呟きは黙殺される。シンはイライラと爪をかみながら、悔しそうに言った。
「・・・ああ。何てこと。こんなことがワンにバレたらパパの屋敷に監禁されちゃう」
「は?」
シンがオレを見た。あ、ピンク居たの?とかいいそうな顔だった。
「ウェイ・ワン。あたしの武術係兼ボディーガードの隊長よ。捕まってしまったってだけでも厳罰ものなのに、男と一緒だとばれたら死ぬまで屋敷に軟禁しかけない恐ろしい人間なの」
・・・・・・・・・・あっそ。一応、オレは突っ込むことにした。
「シン、取り敢えず、オレ達はここで死ぬんだったらワン・・・とか言う人からの制裁は受けなくていいと思うぞ」
シンが眉毛を吊り上げた。
「は?誰がここで死ぬのよ」
本当に意味不明って顔をしてオレをガン見している。・・・もしも〜し?
「オレとオマエだろうがよ」
「やだよ、ピンクとなんて。どうせ一緒に死ぬならハルがいいわ〜」
「・・・いや、選べないからね」
因みに、オレもどうせ一緒に死ぬならオマエとだけは嫌だな〜。あの世でも怖そうだし・・・。
会話がいまいち一致しないから、オレは体も使ってここからは出られないこと、トイレもないこと、その調子だとご飯も抜きだってことなどをシンに言ってみた。
するとシンは腰に手をあてるお得意のポーズでこう言った。
「バッカじゃないの。チョウ・グループの一人娘のあたしがそんなことで死ぬわけがないでしょうが。あたしの意識がなくなった時点で、ワンは異常を感じてるはずよ。だから今頃探してる。見付かるのは時間の問題よ」
「―――――――――・・・・・・・は?」
ハロー?
オレはちいーっとも判らなくて首を捻る。やたらと自信満々でなくていいから、ちゃんと説明してくれ、お嬢さーん。
「オマエが何言ってるのかカケラもわからなーい」
オレがたら〜っとそう言うと、シンはライダージャケットの腕を捲り上げる。
そして白い右腕を見せたシンは右手の手首を指差す。
「ここに、発信機が埋め込まれてる」
「何ですと??」
そして今度は左手手首を指差す。
「こっちに埋めてあるチップは、ワンのチップと繋がっている。あたしの呼吸が浅くなったり不規則になったり止まったりしたら、ワンにはすぐに判るようになってる」
「・・・・・いやいやいや、SFかよ」
ないだろー、そんな話〜。ないない。ねえって。
突っ込んではみるけど、下町育ちのオレにはすでについていけないレベルになっていて、体は正直に後ずさりしていた。
シンはぐるりと壁を見回しながら悔しそうに言う。
「だから最初に壁の厚さを見てたのよ。壁が厚すぎると電波も届かない。運び込まれるまでの時間である程度特定は出来てるはずだしいずれは見付かるけど、それまでにバスルームもいけないなんて冗談じゃないし、大体脱出も試みなかったと判ればまた後で叱られる」
シンはその教育係であるワンという人間がよほど怖いらしく、その名前を呼ぶときにはちょっと血の気が引いている。
金持ちの・・・・お嬢さんだったんだなあ〜・・・・・。オレは遅まきながら、感心した。
だけど見つけてくれるんだったら普通大人しくしとくべきなんじゃあないの?そこ大人しかったら怒られるって、何だよ一体。
取り敢えず、何と未来は明るかったらしい、そう判ってオレはほ〜っと安堵のため息を吐き出した。
「・・・そんな素晴らしい情報は、先に言ってくれる?オレは既に世を儚んでいたではないか」
「死にたかったら一人で死になさい。別に止めないから」
・・・まったくムカつくよね〜、この女。
「あのオッサンにそんな情報聞かせても仕方ないでしょ?マイク壊してからでないと」
シンが当たり前のように言うと、単純なオレは納得した。ちょっと悔しくはあったが。
「・・・オレ、そのワンって人、見たことある?」
男か女かも判らない名前のそいつに会ったこと、あったんだろうか。アメリカでのシンは黒服の中にいたけど、皆やたらとデカイ男ばかりだったなあ〜。
「え?ないない。ワンは表に出ないもの。でも今回は出るはずよ。あたしが誘拐されたわけだから」
・・・あ、そう。
日本の中を一人で歩き回ってもいいと許可が出るのに、交換条件でチップを両手首に埋め込んだらしい。結婚したら外すの、とあっけらかんと答える。
オレは、シンの将来のダンナにめちゃくちゃ同情した。
・・・ハル、今のオレにとってはシンと一緒に監禁されたのはこの上なくラッキーだけど、この女、やっぱりやめといて正解だったよな、お前・・・。
心の底から、そう思った。
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