3、ハルの頼みごと@
ハルが言った通りに、オレは河野さんに持ちかけてみた。
病気、治った〜?と電話をくれた河野さんに、たまには一緒にいかないっすか?旗さんに質問とかないんですか?と言ってみたのだ。
『う〜ん・・・』
河野さんは暫く悩んだ後、じゃあ進捗状況の報告も兼ねて一緒に行こうかな、体空けとくよ、と言った。
よしよし。取り敢えず、他人がいるならそんなに怖くないだろう、とオレは安堵のため息をつく。
そしてその翌日、久しぶりに旗の家に行ったのだ。河野さんとは駅前で待ち合わせして、途中、オレのコンビニでの買い物(唐揚げ棒ゲット)に無理やりつき合わせ、二人で高級住宅街を歩いて行った。
「その細い体でよく食べるよね、神谷君」
この声は感心ではないよね、と思って苦笑した。
「育ち盛りっすから〜」
よく考えたら河野さんがいれば旗の前でもひょうきんでいられるかも、と気付いた。今までよくあのオッサンと二人でやってきたな〜オレ・・・。
河野さんの愛想の良い声が住宅街に響き渡る。インターフォンではオレは殆ど喋らないから、旗はあっちで河野さんの大声に耳を押さえてないだろうか。
「旗さん、お久しぶりです!今日は宜しくお願いいたします!」
現れた俳優に、河野さんが勢いよく頭を下げる。オレはその後ろでだら〜っと中途半端にお辞儀をした。
旗は河野さんにはちらりと笑みを投げただけでオレに話しかける。
「風邪だったようだけど、もう大丈夫なのかい?」
「・・・ういっす。すんません、キャンセルなっちゃってー」
大丈夫だよ、そう微笑んで旗は家の中へ案内する。いそいそと河野さんが入っていくのに、オレも続いた。
驚いたことに、今日はお手伝いさんと思われる女性がいた。
微笑んでスリッパを出してくれる。
中年で、色あせたピンク色のエプロンをしていた。白髪がところどころで光を浴びて光る。
オレを見ても大して驚いたような顔をしなかったのは、旗から聞いていたかよほど躾がされているのか。大体初対面の人は一度驚くんだけどな、この頭。
・・・なんだ。オレは少し気が抜けて肩の力を抜いた。・・・今日は他にも人がいるのか、ああ、緊張して損した・・・。
手伝ってくれる人がいるからか、今日の旗は一緒に部屋に入り、最初から最後まで向き合う形でソファーに座っていた。
「・・・始めてもいいっすか?」
河野さんが時候の挨拶なんかして庭を盛大に褒めている間に、オレがぼそっと呟くと、旗が振り返って苦笑した。
「いつもと勝手が違うね。うーん・・・河野さんがいるから、先に原稿の話でもしようか」
「あ、いいですか?すみませんねえ〜。神谷君も聞いてて」
河野さんがいそいそと鞄を漁り、今までの進捗状況とこれからの方向、編集部としてはここをメインにしたいこと、の確認を始める。
オレはそんなことに興味がないからぼーっと庭の緑を見ていた。
・・・・本当に森みたい、だな・・・。花がない。ただうっそうと茂る緑の王国だ。
その間にお手伝いのおばさんがお茶を用意して去っていく。今日はドーナツがついていた。
ラッキー。
オレの目がそのお菓子に釘付けなのに旗が気付き、手振りで勧めてくれる。
有難く頂くことにした。
頬張ってると、河野さんの話は一区切りついたらしい。お喋りな担当者が隣で紅茶を飲むのを見ていたら、旗がこちらを向いた気配がした。
「神谷くんは、一昨日、笹町のコンビニで買い物しなかったかい?」
ごほっ・・・。危うくドーナツを喉に詰まらせるところだった。オレはゴホゴホと咳をしながら、何とかドーナツの破片を飲み込む。
「うわあ、神谷君大丈夫!?」
「うっす・・・」
河野さんが背中を叩いてくれた。オレは手をあげて大丈夫だと伝える。
紅茶を飲んで口の中を洗う。・・・あああ〜・・・ビックリした。何でこの人オレがあそこにいたの知ってるの。
笹町は、前のライター東条が一人暮らししている所だ。ノートをコピーしに行ったコンビニの話をしているんだろうと判った。
オレは目に浮かんだ涙を払って言った。
「・・・オレを見ましたか?コピー機使って飲み物買いましたけど・・・」
旗はにっこりと笑って頷く。
「そうなんだ。君との約束がなくなったから、久しぶりにとドライブしてたんだよね。そうしたらトイレ休憩に寄ろうとしたコンビニから君が出てくるのを見たんだ。笹町に住んでるの?」
隣から河野さんが怪訝な顔をしてこっちを見ているのに気がついた。
河野さんはオレの部屋が笹町でないことを知っているし、大体昨日は熱でここに来てないはずだったのだ。
・・・やば。
下を向いて目を隠し、必死で考える。ハルの家―――――――は、河野さんが知ってるから使えない。笹町に用があるためには―――――――・・・・
あ、そうだ。
オレはへらっと笑う。
「彼女がいるんですー。実は熱が出た時彼女の家で、そのまま倒れてまして・・・。ちょっとマシになったから気分転換に散歩と思ったら、彼女からノートのコピーを頼まれちゃって・・・」
旗と河野さんが同時に言った。
「あ、そうなんだ」
その驚いた感じに憮然とする。そ〜んなに彼女いないように見えるかよ。・・・まあ、いないんだけどよ。
「確か神谷君、彼女いないって言ってなかった?」
旗のその言葉にソファーからずり落ちそうになった。・・・・言ったかも。ああ、言ったわ、オレ・・・。
「・・・内緒にしてたんっす」
ぼそぼそと呟く。
続けて河野さんが聞く。
「ノートのコピー?彼女って学生さんなの?」
多分ねー。
「はい〜、今大学生っすね・・・高校の、オレの後輩でした〜」
嘘だから何でもいいや。と思ったけど、よく考えたらオレの出身高校は男子校だった。・・・オレってば。
「君は目立つからね〜」
旗がにこにこと髪を指す。オレはこの瞬間ほど金髪にオレンジの頭を呪ったことがなかった。
やっぱり、目立つのも考え物だ。今度はシルバーのメッシュにでもしてもらうかな・・・。
河野さんが、さて、と両手を擦り合わせる。
「神谷君に聞いたんですけど、今日は何か未発表の話をして下さるとか?」
嬉しそうだな、河野のオッサン。心の中でそう思いながらテープレコーダーを引っ張り出していると、旗の声が聞こえた。
「うーん・・・そのつもりだったんだけど、今日は河野さんもいるしねえ・・・やっぱり二人の人間を前にして話すのは覚悟がいるから、それは今度にしよう」
「え」
オレと河野さんがハモる。顔をあげるタイミングも同じだった。
旗は照れ笑いのようなものをしていた。河野さんが急いで言う。
「あの、それでしたら私はこれで失礼しますから、どうぞ神谷君とゆっくり――――・・・」
「いえいえ、いいんです、次回で。さて、では今日は俳優になったわけのところを話そうかな」
焦る河野さんを手で制して、旗が座りなおした。
・・・ふーん。どうやら今日はその話はなしか。
オレはレコーダーのスイッチを入れる。そして、旗が喋りだすのを待った。
帰り道、河野さんが頭に手をあてて参ったな〜と言う。
「俺が一緒にきちゃってまずかったみたいだね。未発表の話聞けなかったな・・・」
それが痛いようだった。まだぶつぶつ言っている。
「でもちゃんと原稿は進みますよ。未発表の話はいつのことであれ、途中に突っ込めますよ〜」
オレの気軽な慰めに、そうだね、と頷いた。
「お手伝いさんが居たね〜。初めてみたんだけど、初めて見た気がしないんだよな〜・・・。知ってる?神谷君」
オレはさあ?と首を捻った。驚いたから結構しっかりと見たけど、上品そうな人、くらいの感想しかない。
「オレが知ってる人じゃないっす〜」
「あ、そう」
河野さんはまた首を捻ったけど、駅前の時計を見て、あ、と声を出した。
「そうだ、神谷君ごめんね。俺他の先生のとこにも原稿取りで詰めなきゃだから、ここで」
「ういっす」
「じゃあね、体には気をつけてよ〜」
すでに歩き出しながら、忙しない編集者は去っていく。
オレも夕焼けの中たらたらと歩き出しながら、ぼーっと考えた。
いきなり旗に突っ込まれて、今日は危うく喉のつまりで死にそうだった。ドーナツ詰まらせて死ぬのは嫌だな〜。超格好悪い。
・・・ドライブ?あそこら辺は住宅街で、都心へ働きにいく人達の家がある郊外だ。だけど、他にはなーんにもない。それにあの奥まったコンビニにトイレ?目立たないのによく知ってたな・・・。
「・・・・」
説得力がないぜ、オッサン。そんなことを考えながら、かぽかぽと音をたてて、オレは歩く。
どうして旗は笹町にいたんだろう。ドライブなんて嘘だ。それだけは断言出来るけど、でもじゃあ?と聞かれると判らない。オレを見たならその場で声をかけたらよかったのに、そうしなかったのは?
眉間に皺がよったのが判った。
その神出鬼没さ加減がまた気持ち悪い。
見られていたとは気付かずにいたと知るのは思ったより不快なものだった。多分芸能人は四六時中こんな思いをしてるんだろ〜な〜。やっぱ、オレには興味ない世界だわー。
ヤダヤダ、オレはシンプルに生きたいのにさ〜。ちょうど視界に入った小石をつま先で蹴る。
思い出してみても怪しい行動はしてなかったから良かった。ハルと一緒だったら、それを見られていたらいい訳に苦しむところだった。
気持ち悪い。あのオッサンが何を考えてるか、知りたいような知りたくないような・・・。次はどうすればいいんだろう。とりあえず、オレ一人でいくべきかな。それともまた仮病を使うかな―――――――――・・・
ううーん、それは無理、かも・・・。でも行く前に一々編集者に連絡してみるとかどうだろう。例えば、旗の目の前で、とか・・・。
考えながらの帰宅は五感が敏感になる気がする。
どこかの家から漂ってくる匂いに思考は乱れ、オレは決めた。
・・・・今晩は、カレーにしようっと。
[ 13/30 ]
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