2、タケルが笑う。@
7時間後。
3、4、5アシである私たちだけ、解散となる。
あとは詰めの作業に入り、ほとんど先生の仕事だけになるからだ。
あたしは既にぼろぼろの様相の先生にプレゼントのお礼を何回も言って、一人で家に帰る。
おばあちゃんが死んでしまってから、あたしには遺言でこの古い小さな平屋が残されたのだ。おばあちゃんが四半世紀住んだこの家は思い出がたくさんあったので、あたしはすぐに家の管理を引き受けた。
冬の間はここでおばあちゃんの看病もしていたし、何の苦労もなかった。そもそもここに看病に来ると決めた時、一人暮らしの部屋は出てしまっていたから、住むところの確保は実際有難かったのだ。実家に帰るのは億劫で気が進まなかったし。
この家は変わらずに居心地がいい。
おばあちゃんが居ないってこと以外は。
匂いや、大切に使われた物達や、生い茂る植物なんかがおばあちゃんを思い出させたけど、それは悲しいといいうより幸せな柔らかい感情で、いつでもあたしを泣かせる。
その、古くて小さな家に戻り、狭い台所で立ったままご飯を食べた。
テーブルに置いた先生からのプレゼントを何度も振り返ってみる。
・・・未だに信じられない。あたしだけの絵だ。あの先生が、あたしだけに、書いてくれたタケルなんだ。
・・・・ううーん。本気でプレミア物。死ぬときには一緒に棺おけに入れて欲しい。
あたしはお茶碗を手に立ったままご飯を掻き込みながら、うっとりとイラストの彼の姿を見詰める。
何か、あたしだけのものって印をつけたい・・・。
でも、先生の作品に手を入れるなんて、そんな、恐れ多くてやっぱり無理。・・・・いやいやいや、でもでも。こんなチャンスは、もうこの人生ではもう2度とないはずだ。
あれやこれやと考えて、結局深夜になってから、あたしはGペン(漫画を描くペン先の名前)を取って、イラストを前において深呼吸した。
そっと、そおーっと。
タケルの襟足のところに、あたしだけのマークをつけよう。
この絵は、あたしだけのもの。でも先生の繊細な絵を壊してはいけない。そんなことしたら死に切れない。
そおーっと・・・。
Gペンを滑らせて、あたしはタケルの首筋に「*」のマークを小さく書き込んだ。
そして自分の左手人差し指の爪を見る。
・・・・おそろいの、マーク。
嬉しくなって、笑顔になった。
秘密の悪戯をした気分だった。
「・・・ほら、同ーじ!」
人差し指をイラストに寄せて、*のマークをイラストの上で弾いた。
あたしの星型、おばあちゃんがくれた(ハズの)星型、これでタケルも一緒だね――――――――――
そして、やっと気が済んだので、幸せな気分のままで寝るための準備をしに洗面所に行った。
お風呂に入り、髪を乾かし、化粧水だけを乱暴につけて、それから部屋に戻ったのだ。
そしたら。
何故か。
部屋の真ん中に、男が座っていた。
全くそんな予想せずに入っていったあたしは入口で立ちすくむ。
「――――――」
・・・・男が、いる。
え、何で、この部屋に?ひ、ひ、人がいる〜っ!!?
驚きで声さえ出ずに、あたしは立ち竦んだままだった。そしてただ、真ん中に座って後姿をみせる男を見詰めていた。
怖がるべきだ。
叫んで、台所に飛んでいって包丁を握るとか、外に飛び出して助けを呼ぶとか。
とにかく身を守ることを考えないと。
だけど、あたしはそうしなかった。
だって。
だって、だって。
この後姿は、あたし、知ってる。
でもまさか・・・・まさか、そんなこと・・・。
「・・・・ま、さか・・・」
やっと呟きになって声が出た。
座ったままの男がゆっくりと振り返る。
あたしは息をするのを忘れた。
「・・・・た」
・・・た、た・・・。
タケル、様が。
時間も止まってしまって、あたしは目を見開いて部屋の真ん中で身を捻ってこちらを眺める男を見ていた。
葉月タケルがいる。
先生が書いてくれたあのイラストと同じ姿形のタケルが、立体化して目の前にいる。
影もあるし、呼吸している音もするし、絵ではキラキラの大きな瞳はちゃんとした人間の美しい目へと変わっている。
だけど、ちゃんとした人間になっていたけど、タケルだと判った。
「タケル・・・?」
あたしは足から力が抜けて座り込んだ。
立体化したタケルはその場でゆらりと立ち上がって、一度大きく伸びをした。
そして呆然と座り込むあたしの目の前まで歩いてきてしゃがみこみ、目線を合わせた。
ふわりといい匂いがする。長い睫毛はまばたきする度に音がしそうだった。高い鼻。小さな頭。艶めく黒髪。あたしより広い肩幅。二重の美しい目。綺麗な肌と白く輝く歯。
彼はうっすらと、綺麗に笑う。
そして言った。
「俺のいう通りにしろよ」
整った顔をあたしの目の前に近づけて、彼が言った。その声は想像していたのとはちょっと違って、思ったよりも低かった。
「・・・へ・・・?」
あたしは相変わらず混乱して、呆然としている。
「へ、じゃなくて、はい、だろ?俺は今日からここに住む。お前は俺のいうことをきく。判った?」
あたしの開いたままの口元に長い指をのばし、ゆっくりと親指の腹で唇を撫でた。
その感触に現実がすごい勢いであたしに戻り、ぎょっとして飛びのく。顔面が赤くなったのが判った。色々頭の中で考えたり突っ込んだりしていたけど、あたしの目は彼から離れない。どうやっても離せないのだ。
「・・・判った?」
彼がもう一度そう聞く。あたしは魔法にかかったみたいに、見下ろしてくる茶色の瞳を見詰めたままで、小さく頷いた。
何もかもがあたし好みの美しい顔に優しい微笑をうっすらと浮かべて、彼は言った。
「じゃ、それで。よろしくな、サツキ」
彼は用は終わったとばかりに目線を外して立ち上がり、じゃあ風呂入るわー、タオルとか借りるぜ、と言うだけ言って、勝手にスタスタと歩いて行ってしまった。
・・・・え・・・。えーと・・・?
あたしの頭は大嵐状態の混乱で、ただ呆然としていた。
部屋の真ん中に先生に頂いたイラストの紙をみつけた。ただし、今はその紙は白紙だ。
何とかそこまで這っていって、紙を手に取りじっとみる。
・・・・・ここから、出てきたと考えるのが妥当よね・・・。
でも、でもでも、何で!?どうして?ここは21世紀の日本でしょう!?どうして一体こんなことが起こるわけよ!?
瞬間的にあたしは大パニックになり、その場でごろごろ転がる。心臓は大きな音を立てて荒れ狂い、涙まで出てきて体は震えだす。
「・・・いや・・・だって・・・そんなめちゃくちゃな・・・」
握り締めた手の爪が光る。そこにあるあの星型を見詰める。
「――――――おばあちゃん・・・」
ハッキリしているのは、これが、あたしへの『いいもの』だってことだ。
ああ・・・ダメダメダメダメ、全部、判らない――――――――
深夜、あたしの世界は回る。ぐるぐると回ってもう何が何だか判らない。天と地が入れ替わっていつまでも回り続ける。
そしてあたしは気を失った。
パジャマ姿で、居間に転がっていた。
本日のあたしの一日、こうして終了。
その半時間後、『絶世の美男子』があられも無い格好でやってきてあたしを抱き上げ、布団まで連れて行ってくれたことは、勿論あたしは知らない。
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