その背中が重なった



お母さんは美人だ。
誰にでも優しくて……例えるなら、大袈裟かもしれないけど女神だと思った事もある。それくらい違和感がなかったのだから。

でもある時、兄さんが教えてくれたんだ。
お母さんは私の前だけ猫を被っている、と。


『あいつは名前の前だけ良い顔をしている』

『お前の事を自分の人形としか思っていないんだ』

『自分に似た女の子がほしいが為に、あいつは父さんと結婚し、俺達を作った』


最初は兄さんの言葉が信じられなかった。
だって、私にだけ猫を被るなんて何の得があるだろうか。

だから直接お母さんに聞いた。猫を被っているのか、と。


『どうして名前に猫を被らないといけないの?』

『名前の事をお人形さんだと思っている?そんなわけないでしょう、名前も香薫も大切な私の可愛い可愛い子供よ』

『お父さんのこと、勿論愛しているわ』


こんなに綺麗に笑う人が嘘をついている訳がない。
でも、二人を疑うことはできなかった。
兄さんは私にとってたった一人の兄さんで、お母さんは私にとってたった一人のお母さんだから。二人とも大好きだったから。

……そう思った矢先、兄さんの言葉が現実となって現れた。
兄さんの発言が真実であると分かったのは、お父さんが病に倒れた後だった。


『はぁ……もう用済みね』


その言葉が聞こえた瞬間、手に持っていた物が床に落下した。
だってお母さんの言葉が理解出来なくて。
用済み……?だれ、が……?

落下音に反応して、お母さんはゆっくりとこちらを振り返った。
視線があった瞬間、金縛りにでもあったような感覚が私を襲った。


『あら、名前じゃない。……その様子だと、聞いていたみたいね』


ゆっくりとお母さんが私に近付いてくる。
私の何かが「逃げろ」と警告音を鳴らしている。なのに足が動かない。

お母さんは私の目の前に立ったと思えば、私の身体を抱きしめた。その行動原理が分からず、頭が考える事を放棄していた。


『前に言っていたわよね?香薫の言った事は本当なのか、って。……あれ、全部本当よ』

『!!』

『名前。貴女は私のお人形さんなの。……ふふっ、私のたーった一つのお人形さん……』

『い、いや……っ。私、お人形じゃない……!!』


咄嗟に出た声は、相手に聞こえただけでも十分なほどに弱々しく、小さかった。力の入らない身体でなんとか抵抗するけど、向こうの力が強くて離れられない。


『逃げないで……私を一人にしないで?』

『う……っ、ぁ……ッ』


その声は悪魔の囁きの様にも聞こえた。

___助けて、兄さん……!!
ただただ怖くて、無意識に助けを求めていた。


『やっと化けの皮を剥がしやがったか、クソ女』

『!!にいさっ』

『……香薫』


急に引っ張られる感覚がして、気づけば私は兄さんの腕の中にいた。
目の前にいるお母さんは、聞いた事もない低く攻撃的な声で兄さんの名前を呼んだ。その表情は今まで見た事ないくらい、怒りに染まってた。


『その穢らわしい手で名前に触らないで……!!』

『それは俺の台詞だ』


その時の私は恐怖で、二人がどんな会話を交していたのかほとんど覚えていなかった。分かっているのは、お母さんが私達を置いて出て行ったこと。
……それと。


『必ず迎えに来るわ……私の可愛い可愛いお人形さん』


出て行く前に私にそう言い放ったお母さんの言葉。
その言葉は私の心に恐怖を刻み込むには十分だった。


『……分かってくれたか、あの女の本性』

『……私、お人形なんだって』

『そんな訳ないだろ!!お前は人間だ、そして……俺の大切な妹だ』


未だに震えが止まらない私を、兄さんは優しく抱きしめてくれた。
お母さんに抱きしめられた時と違って、とても暖かかった。


『怖い思いをさせてごめんな。彼奴の事を忘れられるように、俺頑張るから___』





2021/07/22


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