学園祭の時間
「動揺が隠し切れていませんよ、苗字さん」
「!」
突然、ターゲットが僕にそう話しかけた。
その言葉は、まさに今僕が考えていた事で。
「触手を持つ者は精神的なものを強く受ける。きっとあなたは同様しても顔に出ないところか、それすらも攻める材料にしてしまうでしょう」
「……」
「ですが、触手を持ったことでどれほど小さな事だとしても、自分が予想していたことと違えば動揺するようになった。ただ生徒達と交流していただけに過ぎない今だとしても、あなたにとっては”いつも通り”を演じられなかった」
「……それが本当なら、皮を被っていなければならない僕にとって致命的な弱点だな」
動揺……今思えば、触手をこの身に生やしてから徐々に増えていたように感じる。気のせいではなかったんだな。
「それはおいておき……よく帰ってきてくれました」
「!」
「無事で戻ってきてくれたこと、先生は嬉しいですよ」
ふと、掛けられた言葉。
その言葉に僕は一瞬だけ言葉を失ってしまった。
……当然のように掛けられたことのある言葉。ラファエルだったり、少しまともな人間だった依頼人だったり、3年E組の彼らからだったりと掛けられることはあったのに、その人達が掛けたものとは違う感覚を覚える。
……どこか、温かいものが胸に広がっていく。
「……あぁ、ただいま」
「状況はラファエルさんから聞いていましたが、やはり実際に会うことが一番安心しますね」
……その言葉は、僕もその通りだと思う。
実物を見ることが何よりもの証拠になるからね。
「けど、アレだけは納得できなかったよな」
「アレ?」
「ラファエルって人、苗字の状況を知りたいなら律に聞けって言ってたし、よく分かんなかった」
どうやら僕が気絶した後の話をしているらしい。でも、どういう意図でそんな条件を出したのかは分かる。
「それはね、ラファエルは君たちを試していたんだよ」
「試す?」
「そう。どんな些細な事でも、自分にとって君たちが信用にたるかどうかってね。今回連絡は律を通してのみ可能だったみたいだけど、君たちはそれを守り切ったのかい?」
自分が提示した内容を守り通せるか。どんなことであれ、それこそが信用出来るかどうかに繋がる。裏社会では結構頻繁にあることだね。僕含め、彼らは疑り深い生き物だから。
「まあ、いろいろやろうとしたら律がとんでもないことになるって言ってたから」
「仕方なく守ったって感じ」
「なるほど。であれば、君たちはラファエルから信頼を少しばかり得られただろうね」
この間にもラファエルは僕との通信を切っていない。だから、この会話も当然聞こえている。……あの惨めなところも当然効かれていたって訳だ。はぁ、情けないぞ僕……。
「……というより、君たち」
僕の言葉に視線がこちらへ集中する。
「どうしてそんなにも平然といられる?」
僕の問いに疑問の声を漏らす生徒達。……はぁ、もっと細かく言った方がいいのか。
「僕は君たちに二度牙を剥いただろ。……触手に意識を持って行かれ、当たっていないとは言え、君たちを襲った」
僕がそう言えば、彼らは問いの意味を理解したようだ。ま、ここまで言って理解できなかったらマズいと思うけど。
「確かに、あの時の苗字めちゃくちゃ怖かったし、本当に人間かと思ったけど……」
「今こうして話してくれている優しい名前さんを、私達は知ってるから」
「それに、あれは触手がお前を乗っ取っていたんだろ? だったら苗字と言うのは違うんじゃねーか?」
僕の問い掛けに対し、彼らはそう返した。色々言っている様だが、つまりは『気にしてない』と言いたいわけで。
「……のんきだな、君たちは」
「え?」
「そして、お人好しだ」
突然裏社会の一部分を知る事になった子供達。だから、疑う気持ちを知っていても、裏社会の人間と比べれば、可愛いものだ。本当の疑うことを知らない。
それは、彼らが死と隣り合わせで生きることを知らないから生まれる差だ。
「だって、悪いのは死神でしょ?」
「!」
「名前ちゃんの触手が暴走した切っ掛けは死神。そうでしょ?」
……死神
違う、彼らが言っているのはあの男だ。
「あ、でも烏間先生が言うには、死神と呼ぶには詰めが甘いって言ってたっけ」
「結局あの男は何だったんだ?」
やめろ、これ以上あいつの事を話すな……!
あの顔がちらつく。強くなりたかった、彼奴を殺したかった理由となる光景が、脳裏にちらついて___
「いっ、!? ぐ、うぅ……ッ」
「名前ちゃん!?」
急に襲った痛み。
それはラファエルによって適用された薬によるものだった。そうだった、完全に意識が戻ってから今日まで、彼奴の事を思い出すことがなかったから忘れていた……ッ。
「名前、頭が痛いの? しっかりっ」
あまりの痛みにしゃがんでしまった僕に合わせるように、傍にいたカルマが屈む。倒れそうになる身体に抗うためなのか、無意識に支えを求めた身体がカルマの肩を掴んだ。
「はぁ、はぁっ……かんぜんに、忘れてた……っ」
「落ち着いた? もう痛くない?」
「ああ。……悪かった、急に」
僕を心配して駆け寄ってきた日菜乃に、大丈夫だということを伝える。カルマを支えに立てば、僕を見つめる目に心配が宿っていた。
「ま、人の苦しむ顔を見る趣味がないなら、今の話は止めてくれると嬉しいよ」
「何か関係があるんですか?」
「伝えていなかったけど、今僕は薬の効果で触手を強制的に抑えられているんだ。触手というものを知っているなら、さっきの事も分かるんじゃない?」
とは言っても、この場で触手について詳しいのはターゲットとイトナくらいだけど。さて、どちらが先に口を開けるかな?
「……なら、お前にとってあの男は触手を付ける切っ掛けになった存在という事になるぞ」
先に口を開いたのはイトナだった。
やはり、触手を持っていたという共通点があるからなのか、言うこと全てが僕の真意を付いてこようとしているのではないかと思ってしまう。
何故なら___触手は本音と同義だからだ。
「お前は自分で言っていただろう、触手を付けた理由は強くなりたかったからだと」
「うん、言ったね」
「ということは、お前はあの男に勝つ為に触手を付けたとなる」
まあ、持っている情報からして、そう結びつけるに決まっているか。……残念ながら違うけれど。
「___でも、俺はこの予想は違うと思っている」
「は?」
なんて思った時だ……イトナが自分の発言を否定したのは。
なら、君は僕が触手を付けた本当の理由を分かったというのか?
「名前。お前は知らないだろうが、あの男は烏間先生に敗れた」
「!」
「もしかしたら、お前にとっては勝てない相手だったのかもしれない。けど、本当にそうなのか___俺の中では別の想いがあるんじゃないかと思っている」
あぁ、そうさ。
僕は適わなかったけど、あいつは本物の死神じゃない。だから死神という名前を持つには弱いんだ。
けど、それでも。
あの人を裏切った彼奴が僕は___うぐっ、また頭痛が……。抑えろ、抑えるんだ僕。
「なら、そう思った根拠を教えてくれ」
頭痛に耐えている姿を見せないよう、表情筋に力を入れる。自然に振る舞うように、いつもこの場で作っている”皮”を被る。
「……これは俺の予想で、この場で言うべき内容ではない。だから、この言葉でお前に届くことを願う」
イトナが僕に近付く。金色の様な瞳が僕を映し出す。
「___道を外れるな」
……道を外れるな、か。
それはどういう意味で言っているんだい?
僕は元々道を外れている。……僕は人を殺す殺し屋だ。人を殺すなど、道を外れるそのものじゃないか。
「僕はとっくに外れているよ、普通の人間とは違う道を既に歩む人間さ」
まさか、気づいているのか……僕が、殺し屋としての道を外れようとしていることを。なんて、そんなこと気付く訳がないだろう。
それを悟られてしまえば……僕の真の目的がバレたと同義なのだ。だから、なんとしても隠し通さなければならない。
この世界において、僕の目的を正しいと思うのは、僕しかいないのだから。
2024/01/27
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