紡ぐ時間
烏間殿の椅子を勝手に拝借し、イリーナの隣に座る。
イリーナが淹れてくれた紅茶を口に入れる。うん、悪くない。
「それじゃあ、タコもカラスマもいないことだし……さっさと本題に入るわね」
イリーナはこちらを向いて、長い足を組んだ。
僕も持っていたティーカップを机に置いてイリーナに向き直った。
「あの時……リゾートで言った事について話したいの」
イリーナの言葉に僕は驚く所か、やっとかと思った。
一体何を言われるのやら。
「分かっているはずよ、私情……いや、貴女の場合は私怨になるかしら。私怨で殺すのは暗殺者ではない。それはもう殺人者よ。それを分かってあの発言をしたの?」
『僕は今、死ぬわけにはいかない。……ある人物達を殺すまでは』
……分かっている。
暗殺者は相手がいるからこそ成り立ち、まだ罪が軽くなっているようなものだ。
ま、人を殺しているのだから重罪である事に変わりはないんだけどね。
でも、前に言ったことを撤回する気もない。
「僕はね、自分の目的が果たせるのならどうなってもいいのさ」
「!」
椅子から立ち上がり、イリーナを見下ろす形になる。
下から僕を見上げる澄んだ青い瞳と視線が合う。
「殺し屋という役職を……レオンという名を捨ててもいい。それだけ僕には殺したい人間がいる」
「………………そう」
長い沈黙の中、イリーナは重々しく口を開いた。
その表情は下を見ていて分からないが、言いたい事は分かる。
やめておけ
そう思っているのだろう。
イリーナは今でこそ有名なハニートラップの使い手である殺し屋で名を馳せているが、元々こいつの本性は殺し屋に向いてなどいない。
だから僕を心配し、止めようとしている。
「お前の気持ちはありがたく受け取っておく。でも、もう止められないんだ」
「止められない?」
イリーナのオウム返しに頷く。
そして、自分の手を胸に当てた。
「苦しいんだ。憎いんだ。……殺したくて殺したくてたまらない」
胸の奥で渦巻く黒い何か。
きっとこれは、憎悪という感情だ。
柳沢と×××を殺したくてたまらない、という感情。
もう身体に刻まれているんだ。
僕がやるべきことだと言うように。
「だから……あいつらを殺した後、僕は___」
言葉を続けようとしたその時。
がらがら、と音を立てて職員室の扉が開く。
「やっほービッチせんせ……って、名前もいる!」
「あ、ほんとだ〜」
「さっきカルマ君と一緒に教室出てなかったっけ?」
振り返ればそこには莉桜、桃花、日菜乃がいた。
どうやら校舎を出る前にここに立ち寄ったらしい。
「何よ、あんたたち。私に用でもあるわけ?」
「お喋りしようよ〜」
「そうそう。大人の話、とか」
「んもう、しかたないわね……ごめんなさい、ナマエ。この話はまた今度」
「……ああ」
僕とイリーナの会話に3人は首をかしげながらも、こちらに近付いてくる。
「ねえねえ、ビッチ先生と何話してたの?」
「世間話ってやつだな」
「ふーん」
話せるわけがない。
僕が暗殺者としての枠組みから超えようとしていることを。
ただの殺人鬼になろうとしていることを。
今でこそ彼女らは暗殺者ではあるが、人の命を奪うことを知らないんだ。
……その重さも、罪も。
背負う事の意味を理解出来ていない。
「あら、話さないのね」
「話す訳ないだろ」
「……ふふっ、変わったわね」
「変わった? 僕が?」
ラファエルにもターゲットにも言われた。
変わったとか、人間らしくなった、とか。
僕自身に自覚はないんだけどさ。
「……きっと気のせいだよ」
「相変わらず自分に厳しいわね」
「……厳しい、ね」
弱音なんて吐いていられない。
もう負けた気分……弱いものの扱いを受けるのは嫌なんだ。
「僕は帰るよ。じゃあ」
「ええ。気をつけてね」
それに……僕にはやることがある。
弱音を吐く以前に、負けることは……失敗は許されないんだから。
「ばいば〜い!」
「またね〜!」
「また明日!」
「あぁ」
日菜乃、桃花、莉桜の声に短く返事した後、僕は職員室を後にし校舎を出た。
2022/01/10
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