竹林の時間
次の日
「竹林君、本当に来ないんだ……」
昨日の事は現実で、竹林はE組校舎から姿を消した。
今頃、夏休み前に行ったA組の教室で授業を受けているんだろう。
「いいんじゃないの。自分で決めたんでしょ」
「そう言うもの?」
「……」
彼らの反応は、彼らにとって竹林の存在は決して小さい物ではなかったという証明だ。
しかし竹林にとっては彼らの心情よりも家族の縛りの方が強かった、という訳だ。
「気にしたら、それこそ理事長の思惑通りじゃない?」
メグの言う通りだな。
何を思って竹林に本校舎復帰の話を持ちかけたのか……あの人の事だ、生徒を救済するために言葉を掛けているわけじゃない。
「そういえば……」
理事長殿の実の息子である学秀の言葉を思い出す。……あの人を、理事長殿を支配したいという言葉。
あの言葉に何かヒントがありそうだ。……理事長殿のあの人物像についての、ね。
「皆さん席に着いて。授業を始めますよ」
少し考え込んでいると、ターゲットが教室へ入ってきた。
……ターゲットは竹林について何か考えていたりするのだろうか。
いや、考えているだろうな。なんたってあの人を信頼している生徒達の態度が証明している。
今こうして授業をしている間も考えているんだろう。……竹林について。
「苗字さん!先生の話聞いてませんでしたね!?」
「聞いてたよ。加法定理の定義を答えろって話だろう?」
「そうです!折角ですから答えて貰いましょうか」
夏休み前にやった内容の復習って話だろう?聞きながら考え込んでたんだよ、器用だろう?
しかし、そんな僕の考えを知らずニヤニヤとした表情でこちらを見るターゲットと集中する視線。
……ま、答えるだけならいいか。
「正弦の加法定理は!?」
「sin(α+β)=sinαcosβ+cosαsinβ、sin(α-β)=sinαcosβ-cosαsinβ」
「余弦の加法定理は!!」
「cos(α+β)=cosαcosβ-sinαsinβ、cos(α-β)=cosαcosβ+sinαsinβ」
「ムムム……!では正せ…」
「正接の加法定理はtan(α+β)=1-tanαtanβ/tanα+tanβ、tan(α-β)=1+tanαtanβ /tanα-tanβ……だろ?」
「か、完璧です……」
ガクッと膝(?)を着いたターゲット。
「さっすが〜!!」「すごーい!」と言った言葉が僕に投げかけられる。
「相変わらず素晴らしい記憶力ですね」
「……暗記は苦手なんだけどね」
「そうなんですか?」
「ああ。繰り返しやらないと僕は覚えられなくてね」
瞬間記憶能力と呼ばれるような能力は僕にない。その能力があるのは相棒の方だ。偶に羨ましいと思うよ、あの力を。
「俺には嫌味にしか聞こえないんだけどー」
「それは受け取り方の話だろ」
「んー」
そういえば、前にもそんなことをカルマに言ったな。
「意外にも苗字さんは繰り返し解いて覚えるタイプでしたか。何かいいコツがあれば彼に教えてあげたかったんですが……」
彼、というのは竹林の事だろう。
そういえば彼奴は加法定理が苦手だったっけ。
「どの方法だったら理解して貰えるか……それはターゲット、君の領域だろ」
「そうですね! ですが、人に教えることで自分もまた覚えることが出来るんですよ! 互いに教え合うのも一つの手なのです!」
教え合う、か……。
『ナマエはほんっとう素早いよね〜。いいなぁ、俺にはないスキルだ』
ギリッと表情に出ない程度に歯を食いしばる。
……本当はそのやり方は嫌いだ。彼奴の事を思い出す。
「では次は証明問題をしましょうか!!」
「えー」やら「証明だ〜」と言った声が挙がる中、僕は脳内に浮かんだ”嫌いな人”を吹き飛ばすように証明問題を頭に浮かばせた。
2021/04/24
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