始まり



『怪我はありませんか?』


あの日、私は10にも満たない少年と出会った。その少年は大柄な男性に囲まれており、明らかに襲われているところだった。

私は夜叉。璃月に蔓延る悪を滅する者。例え人間であろうとも、璃月にとって悪であるならば排除するのみ。


『少し傷がありますね。……はい、どうでしょうか? 痛みは残っていませんか?』

『ううん、大丈夫! ありがとう、お姉ちゃん!』


少年の言葉に偽りが無いことを確認できたあとは、家族の元へと返そうとした。しかし、少年は悲しそうな顔で首を振った。


『お父さんとお母さん、仕事でいないんだ……』

『なるほど……それは困りました』


少年がまた襲われる可能性がある。少しの間、少年の元で過ごした方がいいだろう。そう判断し、少年を住処へ送った後、私は彼の元へと向かった。


『……話は分かった。だが、何かあれば我の名を呼べ。必ずだ』

『ええ、その時が来ないように努めるけど、どうしようもない状況になったとき、を頼るわね』

『お前は本当に…………はぁ、必ずだぞ』


心配性な彼を何とか説得することに成功した。しかし、どうしても心配が拭えなかったのか、妖魔退治の合間に私に会いに来てくれていた。……その優しさにいつも心が暖かくなっていた。
優しい彼を悲しませないためにも、この件を早く解決せねば。


『ふむ……』


私はに話した通り、数日間少年を見守り続けた。その間に何度も同じ人間に絡まれ、その度に私が制裁を加えた。
……だが、少年を見守り続けた数日間、1度も彼の両親は住処に戻ってこなかったのだ。


『どうしちゃったのかなぁ……っ、お父さん、お母さん……ぐすっ』


少年の気持ちは理解出来た。私にも大切な人がいるから。……何人もの同胞を見送ったから。


『泣かないでください。あなたの両親について調査しましょう』

『調査?』

『手がかりを……うーん、探してくる、が分かりやすいですか?』

『探してくれるの!?』

『はい。ですから、私が戻ってくるまで家から出てはいけませんよ』

『うん! お姉ちゃんの言うとこ聞くよ!』


私は少年の外見と、本人から聞いた特徴を頼りに璃月を駆け回りました。人に尋ね、証拠を集め……たどり着いた結果は。


『……そうでしたか』


少年の両親は殺害されていた。どうやら良くない組織……名をファデュイを言うのだが、その者に殺されたそうだ。

その事実を幼い子に伝えるのは酷なのは分かっている。それでも伝えなくてはならない。
結果を伝えるため、少年の元へと戻った時、私が見た光景は。


『誰か!! 誰か助けてッ!!!』


あの大柄の男性……ファデュイに少年が襲われているところだった。まさか家を勘づかれていた……!


『その子を離しなさい……!』


人間を殺してはならない。夜叉と人間は力の差がありすぎる故、簡単に傷つけてしまう。だから加減しつつ無力化していたというのに……


『かは……っ』


相手にとって都合が良かったらしい。


『こいつでいいのか?』

『それが任務なんだからいいだろ』

『仙人って聞いてたけど、案外簡単に捕まえられたな』


どうやら会話を聞くに、この子供を狙う理由が本来の目的から私に変わっていたらしい。
当時の私は魔神戦争で力を使いすぎてしまい、本来の力の半分も出せない状態だった。……だからは心配していたと言うのに、夜叉だから、私自身が守護を意味する存在だからと油断していた。

できた傷から流れる血液。力を使って止血したいのに、身体が思うように動かない……!
それでも……せめて、せめてあの子を逃がさなくては……!


『に、げて……ッ、はやく……!!』


ファデュイと少年の間に氷壁を生成する。視界を遮る事で追跡をしにくくする意図だ。


『でもっ、お姉ちゃんが……!!』

『きりはらの、やしゃに……たすけて、もらいなさい……!』

『っ、ぐすっ、うん!! すぐ戻ってくるから!!!』


少年の気配が消えるまで油断は出来ない。抵抗して、抵抗して……!


『ぐっ、ゴホッ……!』


仙人であるため、人間より身体は強いはずなのに……弱っている所為なのだろうか。上手く力が入らない……。


『ごめ、なさい……』


”何かあれば我の名を呼べ。必ずだ”
数日前に言われた言葉が頭をよぎる。その名を口にしようとしたが、強い衝撃を受け、愛おしいその名前を呼ぶ前に目の前が真っ暗になった……。



***



『おはよう、私の可愛い可愛いお人形さん』


意識が浮上し、目を開けるとそこには女性がいた。この時、既に私には前の記憶が抜け落ちていた。今思えば、意識を失う前に強い衝撃を受けた所為だったのだろうか。


『私、氷よりも炎の方が好きなの。きっと似合うわ』


そう言って私の首につけたのは……後に邪眼と呼ばれる物体だった。この時はまだ実験段階だったようで、私はその被検体として連れてこられたのだと思う。


『っ!? ああああああああぁぁぁッ!!!』

『アハハっ、綺麗な炎ね!』


あの日、邪眼を使えることを知った女性は日々改良を重ねながら私に邪眼を使わせ続けた。
記憶を失っていたからよく分かっていなかったけれど、無意識に力を使って治療をしていた私は、向こうにとって使いやすい被検体だったと思う。


『怖いよぉ……っ』

『痛いのやだぁ……!!』


何も出来ず、見ている事しか出来なかった自分に苛立ちを覚えていた。何か、何か打開策はないのかと。
泣き叫ぶ声を聞く度にずっと考え、そして気づいたのは行動に決まりがあること。その決まりに確信ができたら、ここを脱出しようと提案した。

私の他に被検体だったのは幼い子供だけ。私だけが冷静な判断ができると思っていた。私の提案に子供達は抜け出せることに希望を持ち、呑んでくれた。


『そんな……っ、こんなことって……!』


怖い気持ちを抑え勇気を振り絞ってくれたと言うのに、抜け出せたのは私だけだった。
子供達の命を犠牲になんて考えたくなかった。しかしそれが現実だった。

私がこんな提案をしなければ、あの子達は死なずにすんだ……全て、全て私の所為だ……!



『お前は間違っていない』


そんな時、聞こえたのがこの声……の言葉だった。この時の私は彼の事を忘れてしまっていたため、誰の声か分からなかった。


『救おうと手を差し伸べたその意思は、必ずその者達に伝わっている』

『……だから、負けないでくれ』


けど、今ならわかる。この言葉は、魔神戦争の時、多くの命を守りきれず、自暴自棄になっていた私にがかけてくれた言葉だった。

この言葉があったから、私は前を向こうと……生きようと思えた。
子供達の命を無駄にしないように、彼らが救ってくれたと思うようにし、私はスネージナヤを脱出した。



『お嬢さん、こんな所で一人は危険ですよ』



右も左も分からない私はただ広い世界を彷徨っていた。そんな私に声をかけてくれたのは、小さな村に住む人間だった。
貧しい暮らしではあったが、スネージナヤで受けた仕打ちや、脱出時のことを徐々に溶かしてくれた。

……ただ、その優しい空間は長く続かなかった。


『50年も見た目が変わらないなんておかしい!!』

『人じゃないのよ!! あぁ、恐ろしいわ……!』


記憶を失っていたため、自分が人ではないことを知らなかったのだ。いつの間にか周りの人間は老けてしまったが、私に変化はなかった。それはそのはず、仙人である私は人間より身体の衰えが遅い。記憶がなくとも身体はそのままなのだから、当然のことだった。

だが、それはこの村の人間にとって当然なことではなかった。むしろ、危険な存在になってしまったのだ。


この村は都市より離れた場所に存在していた。人ならざる者……彼らはこの存在に怯えていた。50年も見た目が変わらない私は彼らにとって人ならざる者に認識が変わったのだ。


『……私は、人間ですらなかったのですね』


それでも、彼らが私に優しさを与えたことは事実だった。その優しさで私は確かに救われたのだから。であれば、その優しさを乱す私がここを去ればいい。


『ありがとうございました。恐れる存在である私が言えることではありませんが……どうか、お元気で』


その後の村のことについては何一つ知らない。けど、ここで過ごした時間は優しい現実と、厳しい現実を教えてくれた。怒るのではなく、感謝をしなければ。

今後の彼らを願い、私は夜の静けさに落ちた村を去った。これが50年程前の話だ。



村を出たあとも私は広い世界を彷徨い続けた。だが、とある場所……砂漠地帯で私はあまりの暑さに悲鳴をあげた。日中の暑さに気分が悪くなり、日陰で休んでいた時だ。


『大丈夫か』


褐色肌に明るい橙色の瞳と、私と似た白銀の髪をもつ幼い少年が声をかけてきた。村のこともあって人とは話したくなかった。……私は他人にとって恐れられる存在だから。


『具合の悪そうな人を放っておくなんてできない』


それを伝えても少年は引き下がってくれなかった。ここで断るのは少年の厚意に失礼なので、彼の言葉に頷くことにした。


『そういえば、貴女の名前を聞いていなかった』

『私の名前……無(ノン)と申します』

『無さん、か。よろしく。俺は……』


少年に名乗ったのは、その場で思いついた名前だった。名前がわからないと困らせたくなかった。少年は私の嘘には気づかなかったようで、そのまま自分の名前を名乗った。


『旅人か? もしかして砂漠をぬけたいのか?』

『そうですね……こんなに暑いと早く抜けたいですね』

『分かった。俺も同行しよう』

『えっ、ですが貴方はまだ幼い……何かあっては困ります』

『気にしないでくれ。俺は砂漠で育った。貴女よりも砂漠の危険はわかっている』


だから、砂漠の外まで案内させてくれないか
きっと少年は私があまりにも具合が悪そうだったのを見て、放って置けなかったのでしょう。今思えば、私は熱に弱かったため、砂漠の暑さに悲鳴をあげて当然ですが。夜は平気だったのですが……。


『分かりました。では、お願いします』


少年に助けられ、私は砂漠を抜けることが出来ました。ですが、それと同時に少年との別れもありました。


『いつか、私の旅が終えられた時……貴方にお礼を伝えに会いに来ます』

『……あぁ。会えるといいな、その大切な人に』


ある日、少年に旅をしている理由を聞かれたことがあった。正確には旅と言えるものではなかったのだが、『大切な人に会うため』という目的があった。この事を話すと、少年は無表情な顔を少しだけ悲しそうにしていた。


『また会いましょう、セノさん』


こうして私は砂漠地帯を抜け、森の中へと入った……。これが数十年前の話だ。



「……!」



意識が浮上する。どうやらこれまでの記憶が夢となっていたようだ。
ここは……建物の中だ。それに見覚えがある。私を支えてくれた声の主を思い出し、目が覚めた時に見た建物と一緒だ。

……まさか、ファデュイの基地!?
どうしましょう、は、空さんは、パイモンさんは……!!


「……おや?」


慌てて起き上がると、膝に重みがあることに気づく。そこには見覚えのある頭が乗っていた。


「……ふふっ、酷い隈よ」


こちら側に顔を向け、目を閉じている愛おしい人……の髪に手を通す。いつまでも綺麗な方だ。


「……ごめんなさい、迷惑をかけてしまって」


よく見れば所々傷だらけだ。本当なら気を失う前に治すはずだったのに……そう思いながら目に止まった傷口に手を伸ばした。


「!?」

「……起きたのか?」

「え、えぇ。ごめんなさい、起こしたかしら」


伸ばした手を掴まれ、驚いてしまう。言うまでもない、だ。まさか起こしてしまったのだろうか。そう思い謝ったのだが……


「っ、?」

「お前が無事で……目を覚ましてくれて、良かった……っ」


抱きしめられる感覚と同時に優しい温もりに包まれる。……あぁ、の温もりだ。本当に、本当に戻ってくることができたのだ。


「えぇ、えぇ……! 私は帰ってきたわ……!!」

「当たり前だ……もう二度と、我から離れるな」


今まで離れていた時間を埋めるようにただただ抱き合っていた。その温もりを感じていた時、視線を感じ顔を上げた。


「あっ……」

「あっ。……えーっと」


そこにはこちらの様子を見ていたパイモンさんと空さんが。に2人が来ていることを伝えると「分かっている」と、返ってきた。あら、私の知るは誰かに見られている所を苦手としていたと思うのだけど……そう思わないほど、この状況を望んでいたのだろうか。

他人事のように言うが、私も同じだ。記憶が無い時から、この状況をずっと待っていたのだから。


「お、俺、名前さんが起きたこと伝えに行ってくるよ!!」

「お、おおオイラも!!」

「あっ、」


もしかして気を使われてしまったのだろうか……。慌てた様子で去っていった2人にそう思いつつも、久しぶりの平穏に笑みがこぼれたのだった。






2023/01/02


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