氷は戦場にて舞う
「氷柱よ!」
辺りに生成された氷塊を足場に名前はヒルチャール王者に向かって飛ぶ。
そして、名前がヒルチャール王者に向かって攻撃を仕掛ける。その攻撃は敵に命中し、ヒルチャール王者にダメージを与えた。
「硬いですね。削り甲斐があります」
その言葉を口にした彼女の表情は、自身の名を忘れていた頃……無の様子はどこにもなかった。
好戦的な夜叉に当てはまる闘争心を見せていた。
「おおっ、危ないですね。ですが、先程より動きが遅いですよ」
名前はヒルチャール王者の攻撃をひらりと躱した。それはまるで舞うように軽やかに。
それに対し、ヒルチャール王者は初めの頃に比べると動きが鈍っているように見える。
「何故なのか、分かりますか?」
名前がヒルチャール王者に問いかける。しかし、返答は怒りの叫び声のみ。思うように身体が動かないからなのか、自身の攻撃が当たらないからなのか、定かでは無いが怒っていることは確かだ。
「教えてあげましょう……あなたの身体は凍っているのです。ほら、その証拠に自分の身体を見てください。……霜が降りていますよ」
霜が降りる
ヒルチャール王者の動きが鈍いのは、身体が凍っているからだったのだ。
では何故、凍ってしまったのか。
「私は氷に近い存在。常に冷気を放つ私にとって、あなたを凍らせることは造作もないのですよ」
名前は常に冷気を纏っている。彼女からの攻撃を受ける度、ヒルチャール王者は体温が低下し続けていたのだ。
通常、生き物は通常の体温より身体が冷えてしまうと思ったように動けなくなる。名前は初めから正面から戦うつもりはなかったのだ。
その理由は何なのか。それを知るのは、その作戦を立てた本人である名前ともう1人……
「全力を出し切るってどういうことだ!?」
「我は彼奴の戦い方をよく知っている。先程聞いた状況から推測するに、無理をしている戦い方だ」
「無理してるだって!?」
「一帯を凍らせている……ただ倒すだけなら彼奴はそこまで力を使わない。それが証拠だ」
彼女をよく知る存在……誰よりも長い年月を共に過ごした
である。
だからこそ彼は、この状況に焦りを覚えているのだ。
「あやつは戦いを好まぬ。だが、必要とあればその使命を全うする奴だ。そんなやつでも時間をかけて妖魔を倒すことなどしない」
「じゃあ今の名前さんは……」
「どんなに力を使ってでも確実に仕留める。だから力を使って妖魔を徐々に弱らせているのだ」
「それってかなりマズいじゃないか!!」
元々名前は邪眼によって体力を消耗しており、弱っていた。そんな彼女が真正面から戦うことなどできるはずなかったのだ。だから力を使ってヒルチャール王者の動きを鈍らせることで自分を有利に立たせていたのだ。
「以前から疑問に思っていたのですが、妖魔は寒さを感じることがあるのでしょうか? 私は暑さが苦手でして」
こうして余裕そうに振舞っている名前だが、それは自身の力で閉じ込めた3人を守るため気丈になっているのだ。
彼女が倒れればシールドは徐々に硬さを失い、そして砕けてしまう。だが、それは今の状況でも言えることだった。
名前が展開する氷は彼女自身の力によって強度が増す。即ち、弱っていれば脆くなってしまうのだ。今も尚力を使い続けているため、現在3人を守るシールドの強度は低下し続けている。
「……まあ、どちらでも良いでしょう。知っていれば教える必要がないだけ。知らないのなら教えるだけですから」
名前が儺面を外す。そこから青緑の美しい瞳と浮世離れした顔がはっきりと現れた。
「寒さを指す言葉にこのようなものがあります。『絶対零度』というのですが、ご存知ですか?」
氷のように澄んだ美しい槍……その名は『清澄の心』。
彼女の真っ直ぐで心優しい性格を表した長柄武器だ。
半透明であるその武器は太陽の光に当てられ輝いている。それを片手に彼女はヒルチャール王者を見据えた。
「その様子だと知らないようですね。では教えて差し上げましょう___絶対零度の冷たさを!」
もう片方の手に持っていた儺面を被った瞬間、彼女を中心に吹雪のような冷たい突風が発生した。その突風に混じり氷の塊……雹と呼んでもいいそれを振らせた。
その氷の塊はヒルチャール王者に襲いかかり、そして……全身を凍らせてしまったのだ。
ヒルチャール王者の身体が寒さに耐えられなくなったのだ。
「玲瓏氷結」
武器に氷の力……元素を付与し、名前は凍ったヒルチャール王者へと駆け出した。
辺りに散らばる巨大な氷塊が足場となり、ヒルチャール王者の上を取った。
「砕けなさい」
空中で落下攻撃の体勢に入った名前は、そのまま真っ直ぐヒルチャール王者へ落下した。
彼女がもつ武器が命中した瞬間、氷が砕けた音が聞こえた。
それは名前が凍ったヒルチャール王者を砕き倒したということだ。
「……久しぶりの戦闘。やはり鈍っているわね」
砕けたヒルチャール王者の氷の粒がパラパラと振り落ちる。それは先程彼女が放った攻撃……『氷塊散舞』と違い、激しさはない。
「さて、早く治さないと……っ!?」
名前がシールドのある方へと振り返ろうとした瞬間だった。バランスを崩してしまったのだ。
それもそうだ。元々彼女は万全な状態ではなかったのだ。そんな状態で戦闘を行い、確実に倒すために力を使い続けた。ヒルチャール王者を倒すまで持ったのが奇跡だったのだ。
それともうひとつ……自身を氷そのものと言っていた彼女の身体には霜が降りていた。
「……っ、はは……っ。まさか、私が”寒い”と思う日が来るだなんて、ね」
その理由は、彼女が記憶をなくしていたことに機縁している。
名前は記憶をなくしている間、普通とは違うとはいえ人間だと思い込んでいた。そして、何よりも炎元素の邪眼を使わされていた。この2つが影響し、200年の間で寒さに対する耐性が下がっていたのだ。
「氷の力を操ると言うのに……滑稽ね」
持っていた武器で倒れそうな身体を何とか持ちこたえていたが、段々と力が抜けていき、そして……名前の身体が前へと倒れていく。
「あぁっ……!!」
その様子を見ていたパイモンが声を上げた。その瞬間だった。
今まで砕くことが出来なかった氷のシールドが大きな音を立てて砕けた。そして、空の隣に一瞬の強い風が吹き荒れた。
「……!」
空が振り返った時、そこには先程までいた少年……
の姿はなかった。空が次に視界を移したのは、名前がいた方向だ。そこに
の姿があった。
先程も見た光景。だが、今空とパイモンが見ている光景は先程と違うところがあった。
邪眼から名前を解放した時、
は200年もの間会えなかった愛おしい存在を確かめるように抱きしめていた。
「名前っ、名前!!」
しかし、今は倒れた彼女の身体を揺さぶりながら必死に呼び続けており、その背中は悲痛であった。
「また我を独りにするのか……? 約束したではないか……っ、共に生きようと……!!」
自身の身体が冷えることなど
には関係の無いことだった。むしろ、いつも感じる彼女の体温の違いに気づき、自身の温もりを与えようと隙間なく抱きしめていた。
「頼む、目を……目を開けてくれ……っ」
震えるその声に空とパイモンはかける言葉が出てこず、
の背中をただ見つめるしかできなかった。
「はぁっ、はぁっ、やっと見つけられた……」
「胡桃! どうしてここに?」
「追ってきたからに決まってるじゃない……って、どうしたのよこの状況!?」
「実は……」
どうやら後を追ってきたらしい胡桃に、空とパイモンは今まであったことを話した。
「とにかく休める場所に連れていきましょう。それにここ、すっごく寒いし……」
「名前の氷はとても寒いらしい……って、まさか凍えてるんじゃないか!?」
「名前に熱は毒だ。我がなんとか……」
「霜が降りてるのに体温で何とかできる訳ないでしょ!! ほら、とにかく往生堂に連れて行って!!」
名前の状態に動揺してしまい、冷静な判断が出来なかったのだろう。胡桃の言葉に
は頷き、名前を横に抱きかかえた。そして、その場から一瞬で消えた。
「相変わらず早いなぁ……」
「往生堂に鍾離先生がいるから大丈夫よ。それじゃ、私達も往生堂に行きましょ」
「おう!」
往生堂に向かっただろう
を追い、空、パイモン、胡桃はその場を離れた。
……しばらくして、凍りついていた場所が段々と溶け、元の景色へと変わった。
漸く、全てが終わる。
2023/01/01
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