novel3 | ナノ



07

 
リリアンはやはり、ディオに勝るとも劣らない、向上心の塊のような女だった。

最初は精神的に徹底的に追い詰めてやろうと目論んで、様々なアプローチをした。
けれどそれは網で風をとらえる事のように、空気を叩く事のように、無駄な事だった。
貴族など金が天から降ってくるか水から沸いてでてくるとでも思っているような、甘ったればかりだと思っていたのに。
ジョナサンの方の調略は上手くいっているが、小娘一人にここまで手を焼くことになろうとはと、ディオは歯噛みしていた。

今まで同年代の子供相手だけでなく、大人ですら御してきたディオにとって、リリアンはとてつもなく厄介な存在だった。
自棄になって必要以上な侮辱もしたが本当に効果がなかった。
その焦りが自分の視界を狭めている事を自覚したのは、ある日の事だ。

リリアンの自室に訪れた際に、机の上に置かれている資料がどんどんと増えている事に気付いた。
最初は、課題すらまともにこなせないのかと馬鹿にしたのだが、ふとそれらの内容を目にした時ディオの頭には疑問符しか浮かばなかった。


「…?…??…なんだ、これは」

「明日までの課題だよ」

「…」


ちらりと此方を見てそれだけ答えて、すぐに手元にある紙へと目線を戻して記入を再開するリリアン。
ディオは彼女が書いている内容の意味がさっぱり理解出来なかった。
何が書いてあるのか気になったが、勉強に集中するリリアンの横顔を見ていると話しかける気が失せた。
休み時間まで使って真面目に勉強している女に対して、自分は一体何をやっているのだろう、と。
その時ようやくディオは自分の行いを客観的に見る事が出来、スッと頭を冷やせたのだ。

それから、リリアンをよく観察するようになった。
学校へ通っていないというから、普段はお貴族様らしく礼儀作法を学んでお花遊びや茶菓子タイムを楽しんでいると思っていたのに、彼女はディオとジョナサンよりも忙しい日々を送っているようだった。
しかも、子供の身でありながら、もうジョースター家の事業にまで関わっているのだという。
女子に家督を継ぐ権利は無いに等しいのに、何をそんなに学んでいるのかと気になって質問すれば、それまでずっと無視されていたディオの問いかけに、リリアンはようやく答えた。


「フランス語にスペイン語にドイツ語にイタリア語…?一体何カ国の言葉を覚えるつもりだ?」

「父さんが取引してる国全部の予定だから、まだあるよ」


驚く程の知識量と語学力。彼女が学んでいる事柄は学校で習うそれらとは種類が違った。
商人が実際に行っているであろう仕事と内容どころか、起業の仕方、金の管理方法、実際に利益を得るまでの知識と実力をも身に付けているところだと言う。
外国語で書かれていた資料は実際にジョースターの貿易事業で使われている物で、その翻訳までリリアンは出来るレベルにあった。

自分の乗っ取り計画などかわいいものかもしれないと、ディオは思った。自分はジョースター家の財産全てを奪うつもりでいただけで、一から何かを立ち上げるという考えは持っていなかった。
けれども彼女はそれも将来的に見据えているのだという。
リリアン本人はジョースター家の為に尽くしたいそうだが、何かあった時の為にと、家の伝手や貴族の繋がり無しの分野でもやっていける力も付けているのだと。

ディオは感服した。
深窓の御嬢様どころか今にもこの国を飛び出してしまいそうな、そのエネルギーの持ち主に。
生まれた環境は恵まれているが、その生まれに甘んじず、ひたむきに努力を続ける彼女のその姿に。

張り合いが、あると思った。──そうだ、自分は貴族になっただけで満足するような男では無いと、ディオは此処に来る前までの野心を思い出す。
貴族と同じ立場になっただけで胡座をかくなど、なんと勿体無い。手にした権力と地位だけで無く、ありとあらゆるものを更に手に入れなければと。


「(欲しい)」


まずは、この女が欲しい。そうディオはそう思った。
美しい見た目と、物怖じしない強い精神、家族を思いやる愛情深い心、その中身、全てが欲しいと。
屈服させて従わせて、奴隷のように扱うのでは無く、自分の隣に立って、その終生を共に過ごす事が出来れば──


「(ばッ…馬鹿か僕は…ッ)」


そこまで考えて、ディオは自分の顔が熱くなっている事に気がついた。
鏡を見ずとも分かる。耳まで赤くなっている。
リリアンに気が付かれる前に彼女の部屋を飛び出し、自室へと慌てて戻った。

自覚した感情に戸惑いながら、ディオは頭を冷やす為に窓から風を浴びて心を落ち着けた。









「昔ジョースター家のご先祖様は都会で子爵をしていたらしいよ。
この地方一帯を授かってからはこの地に根を下ろして、その後色々とあって爵位は下がったけど土地の管理は任されてる」

「へえ…で、それが海上貿易とどう繋がるんだい?」

「ガヴァネスからはまだ聞いて…ないか。まあ端的に言えばお金儲けだよ」

「そのままだな…僕はてっきり、貴族は働かずに国から金を貰って散財しているだけの存在かと思っていたが」

「……貴方がイメージしている貴族は悪名高い一部の古い悪質な上級貴族みたいだね…。
それが許されるのは公爵、侯爵までかな。それでも、国に関わる仕事の経営管理とかで収入を得ているだろうし、国民の税金だけで生きてない筈だよ」

「ふぅん…爵位にもよるのか。そういえばジョースターの今の爵位は何だ?」

「男爵だよ。ここは首都から少し離れているし、貴族と言っても下級と言えるかな。でも、だからこそ準男爵と士爵達のように元々平民の出の家とも付き合いが長いし、うちは彼等と連携してここの管理をしてる。
…そもそも国からの助成金なんて人件費や維持管理費とかインフラ整備とか地域貢献や病院への寄付とかで消えるから、お金は別で稼ぎ続けなきゃならないように出来てるし、この土地で収入を得る為には商人達とも上手く付き合う必要があるし貿易事業で得た収入で普段の生活を成り立たせているようなものだし、だからこそ新規開拓して財源の確保とか他にも考える事なんてたくさんありすぎるし将来的に事業分担とか、」

「分かった分かった!ストップだ!
…金を稼ぐのに、貴族もちゃんと働いてるんだな」

「…あら、失礼な言い方ですねお兄様。けれど理解して頂けたようで幸いです」

「その喋り方はやめろって言ってるだろ。悪かったな、貿易なんて言いつつ金だけ払ってそこらの庶民を低賃金でこき使ってるだけだと思ってたんだよ」

「物覚えが良いのに貴族に関する基礎知識がどこかへお出かけしてしまったようですねお兄様。ノブレスオブリージュはご存じで?
それで、我が家の大事な資金源である海上貿易の重要性は完全にご理解頂けましたか?」

「やめろって言ってるだろ気持ち悪い。分かったって…それでお前はこんなに沢山の言語を学んでいるんだな」

「そう。
いずれ私がどこかの商家か運良く準男爵家とかに嫁ぐにしても、知識は多ければ多い程良い。
結婚先のご家庭にもこのジョースター家にも利になる事だからね」

「…そうかい」

「で、いつまでこの部屋に居るつもりですかお兄様?」

「うるさいぞ。僕の休憩時間だ。休憩室に居るのは僕の勝手だ」

「ここは私の部屋なのですが???」

「おっと、ベッドと机のみが置いてあるだけの殺風景な部屋だから、使われてない客間かと思ってたよ。休憩用に丁度良いと思ったんだが」

「お兄様の目はどうやらお医者様に見てもらった方がいいですね。
クローゼットも化粧台もありますし、ここには肖像画や風景画などが飾ってあります」

「とても女の子が過ごす部屋に見えないって言ってるんだぜ、僕は」

「ただでさえ私の我儘で習い事の為に多くの家庭教師を雇っているのだから、私物に使うお金なんてありません。
勉強の邪魔なので本当の休憩室の方にでも言ってくださいませお兄様」

「しつこいなお前は」

「その言葉、貴方にだけは言われたくないよ」


──と、いうのが、近頃のディオとリリアンとのやり取りの仕方だった。
ディオが一度冗談で口にした妹という言葉を使って、これでもかと言うほど馬鹿丁寧な言葉で煽り散らしてくるそのお綺麗な頬を、何度張ってやろうと思った事だろう。
けれどもその苛立ちを上回る程に、リリアンとの会話は、ディオにとって愉快だった。そう、楽しいのだ

ディオはあれから、ジョナサンを虐めつつも家庭教師からの授業に熱心に取り組むようになった。
学校が早く終わった日には自宅に戻ってからリリアンが受けている授業へと勝手に参加したり、自主的に外国語を学ぶようにもなった。
彼女の課題を共に解きつつ、意見を交わし合ったりもした。
そしてまたある日、いつものように多言語ごちゃ混ぜでお互いを罵りあっていると、急にリリアンが口元を手で押さえて俯き、身を震わせた。


「なッなんだ…?」

「っ、ふ…」


一瞬、泣いているのかと思った。暴言に泣くような女ではないのに、一体どうしたというのかと、ディオは戸惑い混乱した。
けれど次の瞬間、リリアンは吹き出し、くすくすと控えめながらも声を出して笑った。そう、笑ったのだ、楽しそうに。

その表情は、ディオが初めて見るものだった。
いつもディオに向けられている皮肉気な笑みでは無く、挑発するような嘲りの笑みでも無く、淑女の仮面としての微笑みでも無い、それ。
まさしく破顔と言って良い程の、綻んだ笑顔。心から楽しそうに笑うリリアンの、見た事の無いその柔らかな笑みを真正面から見たディオは、固まった。
あまりにも眩しく、そして愛らしい彼女の姿に、一瞬意識が飛んだ。
辛うじて会話は続けられたが、その日の夜、ディオはあまり眠れなかった。



──そして、それは数日後の事だった。
いつものように学校から帰って課題を終え、夕食を皆で揃って食べた後の事だった。
養父ジョージの商売相手の一人、準男爵の位を持つ貴族の馬車が館に訪れた。
特に珍しくも無い来訪者だったが、日が出てるならまだしも夜中のそれは稀だ。

少し気になって、ディオはシャワーを浴びに行くついでにと、ジョージの書斎に向かった。
来客は男が1人。少し扉が開いていたため、話し声が中から聞こえてきた。


「このような時間帯になってしまい申し訳ありません。先月のお礼を直接と思い参ったのですが、途中の橋が崩れてしまっていて…」

「それは災難だったね。今日はこのままここに泊まってくれても構わないんだよ」

「いえそんな!これ以上ご迷惑をおかけする訳には行きません。近くの街に親類の経営する店がありますので、今晩はそこに滞在する予定です」


男は随分とジョージと親しいようだった。何故こんな時間帯に来たのか、彼は謝罪しつつ、そして何度も礼を言っていた。
なんでも先月、彼の経営する店が繁忙期なのと、経理を任せていた者が次々と流行り病になって体調を崩したのが重なって収拾が付かなくなったらしい。
そこへヘルプに行ったのが、ジョージとリリアンだったようだ。
そういえば一時期家を空けていたなとディオは思い当たった。


「お嬢様にも直接お礼を言いたかったのですが、またの機会に致しますね。…あ、もし良ければ今度我が家で食事会でも如何がでしょうか?
ささやかながら感謝の意を込めてご馳走をしたいと思っております。
それと、うちの息子もリリアン様に会いたがっておりまして」


はあ?という声を出すのを、ディオは我慢した。


「おお、君の息子くんか。ジョジョとリリアンと遊んでいてくれたのが昨日の事の様なのに、先月に見た彼は随分と身体も大きくなって…仕事も頑張っていたね」

「それを聞けば息子も喜びます。パブリックスクールを卒業してからは大学にも行かずふらふらしておりましたが…我が家の危機に一皮剥けたようで。
歳下のリリアン様の仕事っぷりを見て負けていられないとやる気が出たようです」

「ふむ、リリアンにはまた声をかけておこう。あの子も昔から君の息子くんには懐いていたし、先月は久々に再会出来た事を喜んでいたよ」

「なんと、それはそれは…これは…もしやがあるかもしれませんなジョースター卿?」

「こらこら、やめたまえ。その話は無しになっただろう。
それに、今のあの子には婚約者は必要ない。あの子はまだ沢山の事を学んでいる途中なんだから、全く別の問題で頭を悩ませたくないんだ」

「それはそうですね。申し訳ありません、少し不躾でした。
けれどもしまたリリアン様に婚約者をお作りになる時が来ましたら、是非我が息子をよろしくお願い致します」


二度目のはあ?という声が出そうになった。
あの男、今何と言ったのか。


「娘の交流が広がるのは良い事だし、長く付き合っている君の家と、より繋がりが深くなるなら大歓迎なんだがね。私はあの子の意思を尊重したいんだ。
成人するまでは…彼女の自主性を尊重して、見守ってやりたいのだよ」

「そうですね…彼女には様々な可能性を感じますし、そのご成長を私ですら楽しく感じます。
それでいてあのお美しさ…。やはり、うちの息子と友達からどうでしょう?」

「はっはっは、君はすぐに調子に乗るなあ。まあそこにリリアンの意思があれば考えない事も無いとだけは言っておこう」

「おお!では一先ず、食事会の準備をしておきますね」


ディオは、その場から離れた。
頭の中をぐちゃりとミキサーで掻き回されたように、思考がごちゃごちゃする。

婚約者。

そう、居ないと思っていたそれ。疵のあるリリアンには貴族社会では出来ないと思っていた、それ。
いや、本人も言っていたように下位の爵位の家や商家は醜態など気にしないと、いやそもそも本人が商家に嫁ぐ気満々だったし、でもそれは先の筈で、まだリリアンは12歳で──

ぐるぐると、考えが纏まらない。
随分と先の事だと思っていたリリアンの結婚。
それが一気に現実味を帯びて、ディオの心臓が嫌な音を立てる。サッと血の気が引いた。
何を呑気にしていたのだろう。
彼女は家庭と職場と取引先との往復をする生活をしているから、同世代の男と関わる機会など無いと思っていた。
取引先に居るのは大人達ばかりでは無いというのに、失念していた。そこには跡取り息子達が当然ながら居るというのに。

彼女本人の自己評価が低く、自分と付き合ってくれる男性などいないと言ったり、将来結婚出来るか分からないなどとよく口にしているものだから、間に受けて油断していた。
美しく、魅力的で、優秀で、家庭を守れる実力者であるリリアンなら、跡取り息子達からすれば喉から手が出る程欲しい存在だ。
本人が気付いてないだけで、リリアンは引くて数多だ。

自分以外の男達に狙われている。それだけで、ディオの頭には血が昇った。

──あの女は、オレのものだ。
自分が先に見初めていたのだ。このディオの隣に、いやリリアンの隣に相応しいのは──


──気が付けば、その脚で彼女の部屋に飛び込んでいた。
今すぐに、彼女を自分のモノにしなければ。
その焦りがディオを凶行に走らせた。
自分の悪いところは、怒りっぽいところだというのに。
自分の感情をコントロール出来ない者は未熟者だと、分かっていた筈なのに。


「ディ…っ」

「リリアン…ッ」


リリアンの唇に触れた瞬間から、理性は完全に吹っ飛んだ。
甘く痺れるような、脳が蕩けるような快感が、ディオの全身を巡った。
キスは初めてではないというのに、こんなに気持ちが良いなんて。
経験した事が無い程の唇からの快楽。
いつも生意気な言葉を吐くあのリリアンの唇だと思うだけで、それを塞ぎ蹂躙しているのが自分だと思うだけで、たまらない。
想像の中で何度も奪っていたそれは、想像を遥かに超えて柔らかく、瑞々しく、甘く。
ディオの下半身どころか全身があっという間に熱を持った。
──けれど、


「…気は、済んだ?」


軽蔑の眼差し。ああそうだ、リリアンにとってキスなど、気持ちの悪い行為に過ぎないのだ。
彼女は本当に、性器の挿入以外の全てを、かつての誘拐犯達に経験させられていたのだと、改めて思い知らされて。

ディオの中の苛立ちが膨れ上がり、もうそれの歯止めは効かなくなっていた。
自分の口から出た発言に自分で怒りつつも、唯一彼女が奪われていないものを、奪わせて貰おうと思った。
そうしなければ収まりがつかなかった。
──嫌い?嫌いという感情など通り越して憎らしい。
リリアンが悪い訳では無い事など分かっているのに、他の男に体を触らせていた彼女が憎くて堪らない。
好きで、愛しいのに、腹が立つ。
ディオの感情は複雑に乱れ、ぐちゃぐちゃになった。


「ン…ッ」


突然、逃げてばかりだったリリアンの舌が絡まされ、興奮した。
舌先から脳にかけて快感が走る。頭が沸騰しそうな程の刺激だった。
夢中でその舌と唇を味わった。息をするのも忘れる程に、激しく。


「ん…っんぅ…!」


苦しそうな彼女が酸素を求めて暴れ出す。鼻から抜けるくぐもった声すら愛おしい。
リリアンから求められた事に身体が喜んでいる。けれど、どこかで冷静な自分がいた。
彼女から舌を絡ませた意図は、何だ。
もしかして、抵抗を辞めたふりを、諦めたようなふりを、受け入れるふりをしているのでは、無いか。

自分を犯そうとする男に自ら舌を絡ませるなど、あまりにも彼女らしく無い。それは、かつて誘拐犯達に仕込まれたものではないのか?
キスをする代わりに貞操だけはと、貞操が駄目であれば命だけは助けて欲しいと、足掻いた果てに学んだ行為なのでは、ないのか。


「はあ…ッは…リリアン…」

「……」

「リリアン……おまえ…は…、オレは……ッ──ああ、くそッ」


温度の無いリリアンの目を見て、ディオは確信した。
殺されないよう自ら舌を絡ませる彼女の姿を、想像出来てしまった。
そして今度は、自分がかつてリリアンを襲ったクズ達と同じ事をしている事に耐えられなくなった。
ディオは今、リリアンに暴漢達と同一視されている。そこまで、彼女の中でディオは堕ちている。
それが分かって、堪らず彼女の上から退いて、部屋を飛び出した。

羞恥と興奮と怒り。胸が痛み、掻き乱れる。
堪えられない呻き声を上げて、ディオはその晩ずっと自室のベッドを殴りつけていた。






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