novel3 | ナノ



04

 

 
ディオはその日、日も暮れ始めているというのに父から酒を買うよう命じられ自宅から出ていた。
断ると余計に面倒くさい事になるため、その要望を聞いてやったのだ。
変わり映えのしない、いつも通りの貧民街。近頃通い出した食屍鬼街(オウガーストリート)よりは多少はマシだという程度の底辺の街。
その街の行きつけの店で買った酒を抱えながら、ディオは帰路についていた。


「うわッ」


突如、薄暗い曲がり角で何かと衝突し、たたらを踏んだ。


「ご、ごめんなさい」

「痛…おい!お前、」


悪意の無い声で謝罪の言葉を述べられるも、買った酒が割れたらどうしてくれると、目の前の相手を睨み反射的に怒鳴り付けようとした。
しかし、ディオは言葉を詰まらせた。
それは相手の少女が貧民街では滅多にお目にかかれない、一目で金持ちだと分かる程質の良い服を着ているせいでもあったし、夕暮れの中でも分かる程滑らかな美しい傷の無い白い手足を見たせいでもあった。
この場所に相応しくない人種。母以外ではあまりお目にかかったことがない、お綺麗な人間だ。


「な…ッんだ、お前、」

「本当にごめんなさい…先を急いでいて…」


少女は背後をチラチラと気にしながらも、ディオに何度も謝罪した。犯罪の蔓延るこの場所で、目の前の小娘が訳ありなのはすぐに分かった。
この荒れた街でもなんとか日々を旨く生き存え、日銭を稼いで過ごすディオにとって厄介ごとは避けたい。
しかし、明らかな金持ちだと分かっていて見過ごすのも損だ。
そう瞬時に判断したディオは、舌打ちをして少女の手を取って、駆け出した。


「えっ…あの!」

「良いから黙ってついてこいッ」


スラムで人生の大半を過ごすディオにとって、この街は庭も同じ。するすると入り組んだ家屋を通り抜け、自宅近くまで戻って廃れた物置小屋へと隠れた。


「はぁ…っは…あ、ありがとうございます…」

「…フン、何があったか知らないが、礼なら言葉じゃなくて他の物でしろよな」

「えっと、ごめんなさい今はお金は持っていなくて…
あ!このドレスはいかがでしょう?」

「…はあ?」


金を持ってないなら助け損だったか、と思った途端に少女から提案された内容に、ディオは思い切り顔を顰めた。
ドレス、よりにもよってドレスだと。
つい最近、母のドレスを父が──あのクズが、質屋に売っぱらったのだ。最早父を父ともすら思えなくなり、あのクズを殺す事を決意した原因にもなった母のドレス。
否が応にもそれを思い出し、頭にカッと血が登った。


「今すぐに脱ぎます!」

「…は?!」


母のドレスと引き換えに得た安酒、目の前のお嬢様が着ている高品質そうなドレス、それを容易く手放さそうとする金持ち特有の傲慢さ、自分達の惨めさ、怒り──といったものが、脱ぐという発言で吹き飛んだ。
もともと乱れていたのだろうが、脱ぎにくそうなその服の紐をするりするりと解いていき、ディオが止める間もなく少女が肌着のみの姿となっていく。


「お金の代わりになるか分かりませんが、今私が持っているものはこれしかなく…!本当に申し訳ありません!」

「…お、おまえバカか」


まだ精通もしていない少年であるディオは、当然ながら女を抱いた事は無い。
近頃背が伸びたため、胸元や太腿などを大胆に晒した街娼に声をかけられる事はあるが、それでも母の裸体以外ではまだ女の裸どころか下着姿すら見てはいない。
同年代の女子のそんな姿を初めて目にしたディオは流石に赤面した。


「そ、のドレスは貰うが、代わりの…服はやるよ…」


一瞬ディオは、擦り切れるまで母が着ていた5ペンスどころか1ペニーにもならない本当にボロのワンピースでも持ってこようかと思った。
だが瞬時に何をバカな事をとその考えを捨てた。金銭的な価値は0とはいえ思い出の品を見ず知らずの小娘に渡そうとするなんて。
そもそも、替えの服をやる義理など無いというのに自分は一体何を言っているのだろうか。


「あ、ありがとうございます!出来ればその…今あなたが着ているような服がいただければ嬉しいです」


目の前の小娘も何を言っているんだろうか。
男物の服を要求されて、ディオはまた困惑した。だがすぐに納得した。
この少女は貧民街の子供が着る服を纏い、街に溶け込む気なのだと。


「あ…ごめんなさい、貴方へのお礼に服を渡したのに、貴方から服を貰うなんてやっぱりおかしいというか、図々しいですよね、すみません」

「……は、いや、別にかまわないが。もう捨てようと思っていたボロキレので良ければ、やるよ」

「良いんですか?本当にありがとうございます!」


助けた礼に、多少汚れてはいるが高品質なドレスを貰い、ついでに自分が着れなくなった小さい服を押し付ける。
ディオにとっては損は無くむしろ得ばかりであったが、金持ちのお嬢様にペースを乱された事は少々腹立たしかった。
貴族嫌いの父に育てられたディオにとって、貴族風の少女は目にした瞬間から気に食わない存在ではあった。
しかしその少女の言動はどこかおかしかった。“与える者”でも“奪う者”でもない、いや、服を与えて服を奪われたのでどちらにも当てはまるのか?とにかく、よくわからない者だ。
強いていうならば、自分と似た──母と似た、緩いウェーブを描く金の髪に少し絆されただけだ。ただの気まぐれで、ディオは少女に親切にしてやったのだ。


「…ほら、持ってきてやったぜ」

「!」


父に酒を届け、服を手に取り物置き小屋に戻れば、少女がハッとしてディオを見た。
肌着のまま、脱いだ自身のドレスをきつく握りしめる様は惨めで憐れだったが、その眼差しから光は消えていなかった。


「本当に助かりました」

「……フン…」


服を交換すると、少女は礼を言って素早くそれらを身に纏った。そしてその後も何度もお礼を言って、その場から足早に去っていった。
現状では服を着替えただけであの少女は何からも助かってはいないと思うが、これ以上ディオが世話を焼く義理は無い。
少女が金を持っていたらスラムの案内を頼まれてやらない事もなかったが、無一文だからこそ少女は潔く身を引いてあっさりと去っていったのだろう。
バカなのか、無謀なのか、勇敢なのか。金が無いなら跪いて靴でも舐めて助けを求めれば良いものを、その手段を取らないのは金持ちのプライド故か?

兎にも角にも、ディオの胸にはもやもやとしたしこりが残った。
その後何度か街中であの金の髪を見かけたような気もした。つい目で追ってしまって、何をしているんだ自分はと苛立ち、けれどそれも時が経つにつれてその内忘れていった。──筈だった。









「初めまして、私はリリアン・メアリー・ジョースターです。ようこそジョースター家へ。」

「──…初めまして、可憐なレディ。僕の名前はディオ・ブランドー。これから一緒に暮らす事になりますが、どうかよろしくお願致します」

「ディオくん、そんなに堅苦しくならないで良いんだぞ。これから家族になるのだから、義兄弟として、リリアンとジョナサンとも気楽に接してくれたまえ」

「はい、分かりましたジョースター卿…では無く、お義父さま」


ジョースター邸に到着した直後から、ディオの頭は怒髪天を衝きそうだった。礼儀正しい従順な好青年を演じるつもりだった筈の予定は大きく狂った。
まずはジョナサン・ジョースター。彼と挨拶をした瞬間ディオは理解した。これが、父が心の底から嫌い憎んでいた貴族かと。
彼の笑みも歩み寄りも余裕も朗らかさも友好的な態度も、全てが許せない。
“与える者”でも“奪う者”でも無い、“受け継ぐ者”。奪わずとも与えられるその恵まれた存在は、怒りの琴線に触れるどころの存在では無い。
何の苦労も知らないボンボンの甘ちゃんが、この世に存在することすら到底許せないと思った。

義父になるというジョージ・ジョースターも同じだ。少しの会話だけで分かる程に人格者であり、優しく、甘く、紳士的な態度は、同様に軽蔑するべき対象だった。
そして、何よりもこの女──


「ディオさん…ではなく、これからは義兄妹となりますしディオとお呼びしますね」

「ああ、では僕も、リリアンと呼ぼう」


2年前のあの日、貧民街で出会ったあのドレスの女だ。
淑女らしくお辞儀をし、こちらを忘れた様子で初めましてと挨拶する、その女。
ディオは笑顔を浮かべつつも、相手からは見えない位置でギリっと拳を握り締め、内心でふざけるなと激昂していた。

何の因果か再会した少女は、この女は、ただの金持ちではなく高貴な血筋を持つお貴族様だったのだ。
その態度と振る舞いはジョナサンとジョージのそれと変わらない。
当たり前みたいにこちらの境遇に同情するような、お優しくお高くとまった、なんとも腹立たしい貴族そのものだと、ディオには思えた。

あの日あの時、あの汚い街中を生き延びる為に必死になって走っていた姿はなんだったのだ。
と、そう思って、勝手に裏切られたような気持ちになって、最悪の気分になった。


──それは少しばかり、思い過ごしだったのだが。


「そうだディオ、私達前に出会った事があるのを覚えている?」

「…へえ、君も、覚えていたのかい?」


翌日、ジョースター卿が居ないタイミングで話しかけると、リリアンは淑女としての振る舞いを保ちつつも、割とフランクな口調で返してきた。
初対面として挨拶を交わした時と随分雰囲気が違う。あれは社交用の顔らしい。


「勿論、忘れたことなんてなかったよ。暗かったから顔をあまり覚えられてなくて、最初は分からなかったんだ」

「そうかい…少しの間話しただけの僕との事なんて、忘れてしまったのかと思ったよ」


すっかりと記憶から抜け落ちているのかと思っていたが、そうではなかった事を知れたディオの気は少し紛れた。
しかし、一目見て思い出した自分と、間をおいて気付いたリリアンと差がある事に、言いようの無い不快感を感じた。


「あの時の貴方の目と、その声は印象的だったから」

「…」


まっすぐにこちらの目を見て、緩く微笑むリリアン。
その眼差しと、自分に感謝の念を抱いている様子に、沸々と湧き上がっていたディオの溜飲が少し下がった。
そんなリリアンから感じたのは、形容し難い何か。思い当たらないそれに名前を付けるならば、同族意識のようなものだと思った。
自分の野心には及ばないが、研鑽する者の雰囲気。
“奪う者”程苛烈では無いが、“与える者”程は優しくない何か。

けれどもこの女が、乗っ取りを考えているジョースター家のお嬢様という事実に変わりはない。
家の跡取りの資格を持つという事は、いずれは邪魔になるかもしれない存在だ。
いや、邪魔になるならいっそ手篭めにしてしまえば良いのでは?とも考えたディオは、とりあえずジョナサンにもしたようにリリアンの心も折ろうとした。
(まともに懐柔する方法など、スラムには存在しない)
つい先程義父から聞いた、あの日なぜ貴族のリリアンが貧民街に居たのかという過去の出来事を上手く利用して──






「──なんッなんだあの女!」


下卑た質問にもすらすらと受け答えされるものだから、つい頭に血が昇ったディオは必要以上に侮辱的な言葉をリリアンに投げ掛けてしまった。
娼婦云々はまでは言うつもりが無かったのに、見ず知らずの他人に身体を暴かれたと言う事を本人が認めた事に、無性に腹が立って。
何故こうも苛つくのか、全部リリアンのせいだとディオは思って、ベッドに寝転がった。

──11歳頃に無事に精通したディオは、その少し前に見た少女の下着姿を思い出しては度々悶々としていた。夢精する事もあった。最悪だった。
そして12歳になってすぐの頃、なけなしの金で娼婦を買った。貧民街の男達は皆行う男の嗜み、門出、登竜門というやつだ。
少しばかり他人よりそのタイミングが早かったのは、絶対にあの日のドレスの少女のせいだ。

娼婦とのキスもセックスもたいした事は無かったが、女の柔肌は中々に良いものだった。
しかし娼婦達の身につける肌着は面積が少なく品が無く、そもそも下に至っては履いてなかった。
昔、母が着ていて、少女も着ていた清楚なそれ(コルセットとドロワーズ)ではなかった。
それを娼婦達が身に付けていなくて良かったような、そうでないような。そんな複雑なディオの初体験の思い出。

だから、少しだけ母と似ていると思っていたリリアンが娼婦のように遊ばれた事が何となく気に食わないのだと、ディオは思った。
お綺麗に生きてきたお貴族様が穢された事は、ざまあないと喜ぶべきなのに。

今のリリアンのあの服を暴けば、下にはかつてと同じものがあるのだろう。
そんな貞淑さを持っていながら、清廉潔白のように振る舞っていながら、純潔だなんだとあまりにも軽々しく口に出来る彼女。
あれは自分の身が穢された事を、本当に対した事だとは思っていないようだった。それも察する事が出来てしまったディオの胸中は掻き乱された。


「余計なことを考えるな…」


ドスッと、ベッドに置かれた枕に拳を叩きつける。
童貞でもないのに、同年代の女と暮らすようになっただけで何を意識しているのか。
ジョースター家を乗っ取るという目的を果たすには、リリアンの存在は厄介だ。何があろうと篭絡し、従わせなければならない。
ディオは改めて強くそう思った。

ジョナサンとリリアンの姉弟仲はとても良い。
ジョナサンの方の心を折るのは簡単そうだが、精神的にいくら追い詰めようとそれを支える人間が側にいれば回復されてしまう。

まずは二人を引き離したいところだがそれは難しそうだった。だからやはり、二人同時に追い詰める必要がある。
やる事が多いが仕方ない。侵略は始まったばかりなのだとディオは不敵な笑みを浮かべた。



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