novel2 | ナノ
「アキノ、今回はくるみの餅菓子は無いのか…?」
「そんなに気にいって頂いてたのですか…?ごめんなさい、今回は持ってきていなくて…代わりにこちらはいかがでしょう?」
「頂こう」
時は流れて、7月。
長期休暇を利用してエジプトに帰ってくるアキノとの交流は続いていた。
少女はエジプトに帰ってくる度に何かしらの土産を用意していて、ンドゥールはその中でも和菓子を気にいってしまっていた。
今までのンドゥールにとって、食事とは単なる栄養摂取でしかなかった。腹を壊さず胃を満たすのなら、何でも良かったのだ。
強いて言えば、質より量を求めていたくらいで。
生命活動の為に義務的に行う作業だったそれが変わったのは、アキノが連想させた日本食の映像と味のせいだった。
特に和菓子に関しては、食べた事の無い食材と味わいにも拘らず、予め味を体験させられていた為か妙に舌に馴染んだ。
日頃の食事でも少女が味の解説をしてくれると食事が“観える”ので、食に対する認識も変わった。
不味いものより美味いものが良いという、人間としては当たり前の感覚を得てしまった。
そしていつしか、少女と共に食事をするという行為そのものがンドゥールにとって特別なものとなっていた。
「んぅーる!」
「おや、その様子だとハルノ様も菓子を貰われたのですね」
「ん!」
前回のものとは種類の違う菓子を貰っていると、そこへ主人DIOの子息がやってきた。
彼はすくすくと成長していた。掴まり立ちを卒業して歩けるようになり、少しずつ喋る事も出来るようにもなっていた。
「初流乃が持っているのはスナック菓子です。ンドゥールさんもお一ついかがですか?」
「頂こう」
この約半年間の間に主人の子息はンドゥールの顔を覚え、テレンス相手程では無いが懐いてくれていた。
自分の名前の発音は難しいようで拙い呼び方をされていたが、それもまた愛くるしかった。
「そういえば、今回は新しく能力者の方は増えていないのですか?」
「そうだな、ここ最近は新しく見つかっていないようだ。」
「そうなのですね…私も日本で探してはみましたが、やっぱり簡単には見つからないものですよね」
ンドゥールが仲間になってから、組織の構成員は随分と増えた。屋敷の女達や子息の警護の人手は多くなった。
しかし大半は肉の芽を入れられている無能力者だ。
能力者は稀有な存在の為、少しずつ集まっているだけでも珍しい組織ではあるのだろうが、数で言えばまだ合計して20人にも満たない。
ンドゥールの後に増えた超能力者は三人。
ダンという男が一人、マライヤとミドラーという女が二人だった。
ダンは冬季休暇を終えて日本に帰国したアキノと入れ替わりの時期頃に組織にやってきた。
マライヤとミドラーはその後、春季休暇でアキノがエジプトに帰って来る少し前くらいに仲間となっていた。
そんな彼女達は、主人DIOに恋慕していた。
だからこそ、無能力者の母体候補や糧の女達が気に食わないようだった。
催眠をかけられている糧達に自由はほぼ無いが、母体候補の女達は割と屋敷内で好き勝手に暮らしている。
稀少な超能力者であり部下として丁重に扱われているミドラー達とは立場が違う。
しかし、互いに互いの存在が気に食わないのか、彼女達は時折キャットファイトを行なっていた。
それは死傷者も出る程に激しく、テレンスはぼそっと悪女の蠱毒と言っていた。まさに言い得て妙だ。
そんな混沌極まるハーレムの中で、アキノの姉であるシオバナは特殊な立場に居た。
主人の子を宿して産んだ最初の女。
今も尚主人に目をかけられ続け、妹は特別な超能力者で、息子は主人に認知され、他とは違い子を孕んでも屋敷外に追い出される事の無い立場に居る女。
ミドラー達は彼女を一番目の敵にしていたが、彼女にだけは手を上げていなかった。
シオバナにはアキノの守りがかけられているし、殺すなという主人からのお達しもあったからだ。
その為彼女達の争いは口喧嘩で収まっていたのだが、ヒステリックにお互いを罵り合う声はキンキンと甲高く、屋敷内は随分と姦しくなってしまった。
ンドゥールは静けさを求めて度々自宅へ避難する事が増えた。
テレンスは彼女達を完全に放置していた。女同士の争いに男が間に入れば余計に拗れてしまうからである。
アキノがエジプトに帰ってきた際はどうなるかと思ったが、上手く事態の沈静化を図ってくれた。
女豹のように荒ぶる女達の間に割って入り、見事に場を収めていた。
どうやら何かしらの能力を使ったらしく、ンドゥールの耳にはアキノの新しい音が届いた。
時には主人の子息を連れて仲裁に入り、彼女達の注意を子息に集めて平穏に喧嘩を中断させていた。
成る程とは思ったが、子息を持ち出すという恐れ多い事はテレンスや自分にはとても真似出来ない。
子息の叔母であるアキノだから出来る所業である。
「おや?誰かと思えばアキノか。それは日本の土産か?」
「ダンさんですか、お久しぶりです」
「私にも何か無いのか?」
「無いですよ。」
「…相変わらず可愛く無いガキだな」
「嘘ですよ。はいどうぞ。」
「は?お、タバコ?ガキが何を買って…ってなんだこれは、菓子か?」
「タバコ型のお菓子です」
「へえ、日本の菓子にはこんな物もあるのか」
アキノとダンは軽口を叩き合う仲だ。
しかし、それは今でこその関係であって、初めのうちはそうではなかった。
その為、ンドゥールは主人の子息と戯れつつもダンに注意を向けていた。
ダンは金策の面で役に立ち、来た当初から組織にはよく馴染んでいた。
ただ、春季にエジプトに帰ってきたばかりのアキノと顔を合わせた後、何を思ったのか少女に執拗に絡み出し、ティーン以下の幼稚な言動を繰り返し始めたのだ。
先輩風を吹かせたかったのか、マウントを取りたかったのか、それとも小娘で遊んでやろうとでも思ったのだろうか。
これは焼きを入れねばとンドゥールがタイミングを測っていると、偶々その現場に出くわしたテレンスが間髪入れずダンをブチのめした。
判断が早い。
テレンスはその普段の丁寧な振る舞いとは逆に暴力に躊躇が無い男だった。
その後主人からも指導が入ったのかダンの態度は改まったので、ンドゥールが直接的にダンと対峙することはなかった。
アキノはその後、ダンを避けなかった。
少女が本気で嫌がれば、ダンは接触すら出来ない筈なのに。
ダンの能力は脳に関係しているらしい。その人間性はともかく、アキノは彼の知識と力に興味があるようだった。
そして、今の関係に落ち着いたようだった。
「これも貰うぜ」
「あ、それは初流乃のお菓子ですよ」
「あー!」
「おっとォ…すみませんハルノ様のでしたかー」
「め!」
「はい、代わりにこれをどうぞ」
「なんだ?…これも食えるのか?」
「蝋燭なので食べられる訳ないじゃないですか。」
「…今の流れで渡されたら食い物だと思うだろうが?」
「え?もしかして食べる気ですか?チャレンジャーですね」
「は??」
「何ですか??」
ダンと話す度にアキノの音はころころと変わる。
おそらく何かしらの実験を行なっているのだろうなとは思ったし、音自体に不快感は無い。
だが、ダンによって少女の音が変えられること事態がンドゥールにとって不愉快だった。
例えるのなら、気にいっているラジオやTVのチャンネルを勝手に変えられるような感覚だった。
「その和蝋燭は火をつけるととても良い香りがするので…本当に食べないでくださいね…?」
「誰が食うか!お前本当に私のこと舐めてるよな…?」
「尊敬してます」
「口から出まかせが過ぎるだろ…」
ダンは舌打ちしてそのまま去っていった。
アキノは彼の姿が見えなくなると、子息と顔を合わせてくすくすと笑いあっていた。
彼等のやりとりはいつもの事だが、兎に角ンドゥールは気に食わなかった。
しかし、ンドゥールはアキノにダンと関わるのを辞めろ、と物申せる立場に無かった。
自分にとって少女の存在感は大きくなっていたが、少女からはきっと職場の同僚としか思われていないからだ。
そんな立場の人間が交友関係に口を出してきたとしたら、アキノのンドゥールに対する認識は仕事仲間から不審者(Jガイル枠)以下に格下げとなるかも知れない。
流石にそれは嫌だった。
「──アキノ、ハルノ様と買い出しか?」
「はい、市場の方へ行ってきます。本当は姉さんも一緒に行く予定だったのですが朝から居なくて…」
「テレンスは…休憩時間か。なら俺も共に行こうか」
「宜しいのですか?」
「ああ、一人でハルノ様の様子を見ながらだと、大変だろう」
ンドゥールはアキノの事を、主人の次に大切に思っていた。
側に居られる時間が少しでも増えれば良いと願うくらいには、気にかけていた。
それは保護欲や庇護欲や加護欲に近く、友愛や親愛と呼べるものだった。
かと言って少女の保護者枠や友人枠なのかと問われると、その自信はなかった。
──そもそも、友人同士とはどういう関係性なのだろうか。
対等な人間関係をそう呼称するという事だけは知っていたが、これまでの人生で友人を得た事が無いンドゥールにはよく分からなかった。
一度主人DIOに友達になろうと言われた事はあるが、畏れ多すぎてそんな立場には成れなかった。
彼は救世主であり救済者の為、自分はそれに付き従う従者という関係性が一番しっくり来たからだ。
テレンスとンドゥールの仲は、職場の同僚という域を出ない。
気安く話をする関係にはなっていたが、それ以上の間柄にはならないだろう。
しかし、テレンスとアキノは友人関係にある。
歳も比較的近く、召使い仲間であり、共に裁縫やTVゲームをする関係から、彼等はお互いに友人だと認識しているようだった。
では、ダンとアキノはどうなのだろうか。彼等は仲が良いとは言えないが、立場は対等のように思える。
互いに軽口を言い合う仲も、友人関係と言えるのだろうか。
「…ハルノ様はよく動かれるようになったし、俺も“視て”おく。それに、荷物持ちくらいなら手伝える」
「ありがとうございます!」
「まあ、俺自身がお荷物にならなければだがな」
「もう…だめですよンドゥールさん、すごく助かるのでそんな事言わないでくださいね」
「んぅーるめっ!」
「フフ…ハルノ様にまで注意を受けるとは…」
「めっです。ねー、はるくん」
「めっ!」
明るい声に導かれながら、3人で市場に向かって歩く。
アキノと共に外出する際は、杖ではなく少女の肩を掴ませて貰っている。
完全に歩行介助されている視覚障害者スタイルだったが、ンドゥールは開き直って少女に頼るようにしていた。
杖よりは素早く移動出来るし、そちらの方が少女にとっても効率が良い筈だ。
最初の内は杖を使っていたが、こちらの方がはぐれないからとアキノが手を繋ぎ歩き出したのだ。
要介護老人のように扱われるのは少し複雑な気分にもなったが、その頃にはもう少女に世話を焼かれる事に忌避感は無く、寧ろ繋いだ掌の感覚が心地良かった。
だが、その手繋ぎ状態はンドゥールの腰を痛めた。身長差がある為、少女に合わせるとどうしても少し屈む必要があるからだ。
それ以降は手より高い位置にあるアキノの肩に手を添えて歩くようになった。
始めはお互いに気を遣い過ぎて躓いたりぶつかって転倒したりしていたが、今は息のあったスムーズな移動が可能だ。
「あ、こら!はるくん走らないの!
今日はゆっくり歩こうって約束したでしょ!」
「や!」
「追いかけてくると良い。荷物は持っておこう」
「ごめんなさい、ちょっと行ってきます」
ただ、ヤンチャ盛りの子息が優先なので、その時は聴力と杖を頼りに一人で歩いた。
ンドゥールは本来、集中すれば杖すら無しに障害物を避けて街中を歩く事も可能だ。
だがそれは頭と耳を使うし、歩く速度はやはり遅くなる。
歩行介助されている姿をテレンスに見られる度に、老人と孫だセクシャルハラスメントだ何だと嫌味を言われるのはもう慣れた。
というか、聞き流していた。
あの男だって人形趣味を利用してアキノをよく独り占めしているので、お互い様だろう。
「……」
きゃらきゃらと笑う二人の姿を認識しながら、ンドゥールはほうと息を吐いた。
今の自分とアキノの距離感はとても心地が良い。
ンドゥールの世界に色彩を与えてくれる少女に、少女の姉と甥を護る事で返す。
貸し借りの有るようで無いような今の関係性。
ンドゥールは、アキノが自分の事をどう思っているのかを尋ねた事は一度も無かった。
ダービー兄弟のように、少女から兄のようだとも友人だとも言われた事も無かった。
けれど、もし今その問いをしたとしても、その返事は決して悪い物ではないだろうとは思えた。
それくらいに、自分達の関係性は穏やかだった。
無理に何かに当て嵌めなくても良いのではと思えるくらいには、少女の隣は居心地が良かった。
▼
──その夏、劇的な事が組織に起こった。
能力者を増やす“鏃”が発見されたのだ。
ンドゥール達超能力者はそれ以降“スタンド使い”と呼び名を新たにした。
その後、エンヤの手によってスタンド使いの数は大量に増える事となり、組織は益々大きなものとなっていった。
▼
時は流れて、12月。
新たに仲間となっていた少年、ジョンガリ・Aと共に、ンドゥールは自宅で過ごしていた。
少年は自分と同じく目が悪かった。まだかろうじて見えているらしいが、次第に視力が落ちていく病にかかっているという。
また、耳が良いという特徴も似ていた。耳だけで無く空気抵抗をも感じられる程に感覚が鋭いようだった。
始めはジョンガリを屋敷で暮らさせる話も出ていたが、少年に女達の怒声や嬌声が否が応でも聴こえる環境は良くないのではと、ンドゥールが引き取る事になった。
静かな場所で耳とスタンド能力の向上をさせつつ、時折主人の屋敷に従者見習いの仕事をさせに来ている。
そんな調子で、ンドゥールも自宅と屋敷を行き来する生活が続いていた。
ある日屋敷に帰ると、アキノがトタトタと玄関に出迎えに来てくれた。
そして、自分が不在だった際に増えたスタンド使いについて説明と紹介をした。
「新しくスタンド使いとなったケニー・Gさんです」
「…ああ」
「…どうも」
「ペットショップと同じく、屋敷の警護を専門で担当してくださるんです。」
「…ほお」
「ケニーさん、こちら先程お話していたンドゥールさんです」
ケニー・Gという男は口数が多い訳ではないようだった。
お互いに初対面の為軽く挨拶をすませる。
その横で、何故かアキノはそわそわとしていた。
「それでですね!ケニーさんのスタンド能力の可能性を今試している所なのですが、ンドゥールさんにもご協力頂けないかなと」
「…ん?」
「ケニーさんは幻覚の能力を使うスタンド使いなのです」
「…つーわけだ」
「…つまり?」
「つまりですね!」
何やら興奮した様子のアキノが言うには、ケニーの能力は侵入者対策として最適らしい。
屋敷を迷路のように見せる事も出来るという。
内部への侵入も外部への脱出も不可能にする事が出来るという能力との事。
視覚情報を弄れるところはアキノの能力に共通することもあり、屋敷に滞在する者同士で意見交換や情報交換をしていたようだ。
そして、少女はその末に閃いたらしい。
そのケニーの能力をンドゥールにかければ、擬似的にだが“目が観える”のではないかと。
「どうでしょう?」
「──それは………、」
ンドゥールは言葉に詰まった。
その時心に湧きあがったのは、景色が観えるかも知れないという希望では無かった。
どちらかというと、戸惑い。
──何故、どうしてそんな、余計な事を──と
そんなふうに思ってしまって、ンドゥールは自分自身に困惑した。
その男のスタンド能力は、確かに自分にも効果を発揮するかも知れない。
見たことのない光景を目にする事が可能かも知れない。
──しかしそれを、“観たくない”と、ンドゥールは思ってしまったのだ。
彩りを与えてくれるのは、その役割は、アキノの筈だ。
そう、それは少女からの、特別な贈り物で──
「……」
「…あの…えっと…」
「……」
「……その、私…ごめんなさい…勝手に話を進めてしまったみたいで…」
言葉が、感情が整理できずに無言のままだったンドゥールに、アキノが焦った様子で謝罪をしてきた。
「……いや…違、」
「ンドゥールさんの希望も聞かずに変なことを提案して申し訳ありませんでした。
デリケートな事でした…よね…。私、軽率でした…!」
「アキノ…ッ」
ンドゥールが引き留める間もなく、アキノはその場から走り去ってしまった。
「………」
「おいおい…」
残されたのは初対面同士の男が二人。
気不味い沈黙がその場に続き、ケニーGがぽりぽりと頭を掻く音がしていた。
新入りの為、案内役の消えた今どうして良いのか分からないのだろう。
しかし、よく分からないのはンドゥールも同じだった。
脳内で自問自答を繰り返し、無言のままパニックを起こしていた。
その場で立ち尽くしつつ、口を開けたり閉じたりを繰り返したまま。
テレンスが二人の前に通りがからなければ、いつまでその状況が続いていたか分からなかった。
「──これ…つまらないものですがどうぞ…くるみのお餅です…」
「…これはキミの分だろう?俺のはこの間貰ったのがまだ残っているから大丈夫だ…」
「そ、そうですか…」
その後、改めて謝罪を、とかなり落ち込んだ様子のアキノが部屋にやってきた。
ンドゥールは気持ちの整理を付けている最中だったのでまだあまり喋れる状態ではなかったが、いつもの癖で少女を中に招き入れてしまった。
「……」
「……」
部屋には気まずい沈黙が続いた。
鼓動音と呼吸音、衣擦れの音がただ聞こえる。
そして、それに耐えきれなくなったのか、ソファに座っていたアキノがぱっと立ち上がった。
「あの、怒らせてしまってごめんなさい…やっぱり私失礼しま」
「怒っていない」
ンドゥールは立ち去ろうとするアキノの手首を掴んだ。
「お…怒って…」
「怒っていない。」
少女が泣きだしそうな声を出したので、ンドゥールは再度否定した。
自分の胸に渦巻いている感情は怒りで無い。
ただ、様々な想いが混ざり合って、複雑に絡まり合って、どうにも言葉が出てこないだけだ。
「というか…俺が何に対して怒っていると?」
「その、ンドゥールさんの地雷を踏んでしまったかと…思って…」
「…地雷?」
「私は…その…身長が低いのがコンプレックスです…」
「身長…?」
「そうです。その身長を伸ばしたいです…でも、私の知らない所で私の身長を伸ばす話を進められて、今から大きくするからって勝手に伸ばされたら、嫌な気持ちになるかもって…」
少女の話す例え話を聞いて、ンドゥールは少し気が抜けた。
ふうと息を吐くと、アキノはあたふたし出した。再度怒っていない事を告げ、話を続けた。
「俺が、目が見えない事をコンプレックスに思っていると?」
「いえ…今まではあまりそうは思っていませんでしたが…。
でも、やっぱり身体の事はデリケートなお話だったかなと…」
アキノの言葉に、ンドゥールは首を横に振った。
「そこまで俺は繊細じゃあ無い。…まあ、コンプレックスでは無いとは言い切れないが」
「ですよね…その、私、ごめんなさい…無神経で…」
「…俺を傷付けたと思っていたのか?」
「…はい…」
アキノはやはり生真面目だ。
今までンドゥールは、盲目である事で散々馬鹿にされてきたし蔑まれてきた。
露骨に身体をぶつけて来られる事もあるし、侮蔑的な差別用語を投げかけられる事もある。
今まではそれが普通だった。まあ、ゲブ神できっちりやり返してはいたが。
また、屋敷の女達や同僚達は恐ろしく口が悪い者ばかりなので、FワードどころかS、B含めて多種多様なスウェアワードが飛び交っているし、時折Nワードまで投げかけられる事もある。
それらの用語を使わないのはアキノくらいだし、彼等の罵詈雑言に比べれば少女の「幻覚で擬似視野獲得」という提案は無神経どころかただの善意でしか無い。
「気にし過ぎだ…それに、俺の目が見えない事に関しては、これまでのキミの行いの方がよっぽど強引だぜ」
「それは…確かに」
「もう慣れたがな」
「う…ごめんなさい…」
アキノはアキノ自身の独自の信念に従って生きている。
ケニーの幻覚の件も、おそらくシオバナ関連だろう。
それがアキノ・シオバナという人間だ。そしてンドゥールはそんな少女の恩恵に預かってきた。
今まで少女が行ってきたお返しという名の行為は、一方的ではあったが全てンドゥールにとってプラスになる事ばかりだった。
「じゃあ…ンドゥールさんはどうして、ケニーさんの幻覚を見る事を渋った…のですか?」
「それは………」
ンドゥールは言葉に詰まった。
それを伝えようにも伝えられないから、気不味い雰囲気にしてしまった訳で。
しかし、これ以上無言の時間を続ければまたアキノを不安にさせてしまう。
咳払いをして、ンドゥールは逆に問い返す事にした。
「むしろ、何故キミは俺に幻覚の光景を見て欲しかったんだ?屋敷の迷路…だったか?それを見たって…」
「えっと、ケニーさんに作り出して貰おうとしていたのは人物も込みなんです。
DIO様と、初流乃と、姉さんも。」
「…!」
「ケニーさんの幻覚は精巧なんです。色も姿も形も匂いまで…海も再現出来たり…すごく綺麗なんです。
だから、DIO様の完璧なお姿をンドゥールさんも観られるかなって…」
ンドゥールは口元を覆った。
それは、想像しただけでも震える程に、素晴らしい光景のように思えた。
目にした事の無い海、主人DIOが佇む姿、その子息が砂浜で遊ぶ姿──
「あと…私のちゃんとした姿もンドゥールさんに観て欲しくて」
「…は…」
ンドゥールは驚いた。
珍しく、アキノが私情を言ったからだ。
主人DIOの姿を観せようとしてくれているのは分かる。
主人の顔のビジョンのみでも喜んだンドゥールなのだから、完璧に再現された主人の姿はそれくらいに価値があるものだと知っているからだ。
シオバナ親子の姿は、いざと言う時の為にも見た目を覚えて欲しい、という意味でだろう。
しかし、アキノの姿を観て欲しいというのは、完全に個人的な意見だ。
それはまるで、「私を観て」と言っているかのようで──
「姉さんと私と初流くん、ちょっとずつ顔が似てるんですよ!」
「……ああ…なるほど…」
ンドゥールは納得した。身内が大好きな少女らしい意見だった。
素直で、愛嬌があって、一途で、健気で──愚かな程に純粋なアキノ。
想いを仕舞い込んでいる自分が段々とバカらしく思えて、おかしくなってきた。
「アキノ」
「はい!」
「ケニーの能力は、やはり俺に使わなくて良い」
「え…」
アキノは困惑したようだった。
話の流れ的に、ンドゥールが幻覚を観る事を了承すると思っていたようだ。
「アキノ」
「は、はい」
「今まで俺は…キミに沢山のものを聴かせて貰い、観せて貰ってきた。
それを得難い経験だと思っているし、有難いとも思っている」
「はい」
「だがそれは全て、キミから贈られたものだったからだ。
俺が目にしたいのは、アキノの“音”で形作られたものだ」
伝えたかったが、中々出てこなかった言葉が、すらすらと口から出ていた。
聡いくせに変なところで鈍い少女には、はっきり言葉を告げなければ伝わらない。
掴んでいた腕を離し、少女の顔に両手を伸ばす。
その頬を包みながら、至近距離でもう一度言葉を繰り返した。
「──キミの音が好きだ。その音が観せる景色と味と匂いが好きだ。
DIO様のお姿も、アキノの姿も、キミのその力で観たいんだ」
「え、あ」
柔らかな頬が熱を持つ。その体温の上昇が掌から伝わってくる。
はくはくと口を開閉するアキノは、やがてンドゥールの両手にその小さな指を添えてきて、こくりと頷いた。
「──…が、がんばります…!」
「……、…ふ、くく…ッ」
「…え?何で笑うんですか…?」
ひたむきな少女の言葉が返ってきて、ンドゥールはそのあまりの素直さに吹き出してしまった。
その後、ケニー・Gのスタンド能力で幻覚を見る提案は却下され、アキノは能力向上の為にますます努力をするようになっていった。
日本に帰国し、エジプトに帰ってくる度に、少女の“音”の精度は上がっていった。
アキノの成果を“観る”のが、ンドゥールの楽しみの一つとなっていた。
また、成長期のアキノの身長は少しずつ伸びていた。
少女から大人の女へと羽化しかけている少女の姿は、見えない筈なのに酷く眩しい。
低い身長がコンプレックスだと言っていたが、この一年で10cmは伸びたようだ。それでもまだ150cmと小柄だが、出会った頃に比べると随分大きくなった。
主人の子息もますます大きくなっていき、まだ2歳だと言うのに随分と利発に話せるようになっていた。
子供の成長速度は本当に速い。
しかし、夏が終わればその成長は観れなくなる。
──シオバナ親子が日本に帰される時が、刻々と近付いていた。
「──アキノ」
「はい」
「…ハルノ様を、しっかり守るんだぞ」
「……もしかしなくても、DIO様との会話も…聴こえてました、よね」
「聞くつもりはなかったが…たまたま、な」
「…怒らないんですか?」
「俺が怒る必要がどこにある?ハルノ様を守る為の、アキノの作戦なのだろう」
「…はい」
「アキノにしか出来ないことだ。一人でも、やり遂げるんだぞ」
「はい。頑張ります。
でも、きっと戻ってくるので…だから、ごめんなさい、ンドゥールさん…」
「…ああ。…なあ、アキノ」
「はい」
「あの時、俺は……。いや…、なんでも無い。すまなかった…」
「いえ…」
「また、な」
「…はい、また、お会いしましょう。では、一度、さよならですね──…」
「………、……」
──2000年、4月。
古びたターバンを握りしめて何事かを呟く盲目の男が、そこに居た。
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