novel2 | ナノ
  







──それは眩い程に輝く翠の光だった。



窓という窓に板が打ち付けられて、陽の光が入って来ない、この暗い、闇い、溟い、屋敷の中。
それは蝋燭の光よりもずっとずっと明るくて。

最初に見たのはスタンドの触手、そして珍しく完全に人型を取る精神のビジョン。
スタンド自体が発光しているのか、闇に慣れた目には眩し過ぎる程だった。
そして、DIOの前で見せて貰った彼の能力に、目が奪われた。

どこかで見た事がある輝きだった。
吸い込まれてしまいそうな程に美しいそれは──


「(初流乃の瞳の色と、同じ)」


タロットカードの大アルカナの5番目、“教皇”、“法王”や“司祭長”とも呼ばれるそれの暗示を受けた彼のスタンドの名は、“法皇の緑(ハイエロファントグリーン)”。
その手から出る液体状の破壊エネルギーを宝石の形に固め、高速で飛ばすその技の名は、エメラルドスプラッシュ。
名前の通り、緑の宝石がシャワーのように降り注ぐその光景に、秋希乃は息を呑んだ。

これまでの人生で見てきた本物の宝石よりも、他の何よりも、彼が作るエメラルドの結晶は美しかった。
初めて初流乃が瞼を開けて、その翠の瞳に自分の事を映してくれた時と同じくらいの感動を、秋希乃は味わっていた。





「…あの…先程飛ばしていた宝石型の粒を見せて頂くことって可能ですか?」

「?ああ、構わないが」

「わぁ…エメラルドグリーンの結晶…とっても綺麗です」

「そうかい?」


攻撃性が無いエメラルドをぽとりと一粒、掌に落としてもらった。
暗闇の中で輝くそれはキラキラとしていて、やはりとても美しい。
間を置いて消滅していく時ですら、星屑のように光り続けていて、儚かった。

スタンド能力は、精神力の現れだ。
だから、こんなにも眩いものを出せる彼はきっと、本来このような血と死臭に塗れた館にいるべき人ではないのだろう。

彼の名前は花京院典明。
その額には、DIOから作られた細胞、肉の芽と言われる物が突き刺さっていた。














 




「──随分と、気にいったようじゃあないか」

「DIO様…」


花京院と別れた直後、背後に突然現れたDIOに、秋希乃は驚いた。
主は最近、“止められる時”の時間を伸ばしているらしい。
今は2秒程止められると聞いている。時が止まっているのに2秒とカウントするのは不思議だが、とにかく2秒らしい。
以前までは1秒止められると聞いていたのだが、増えたのだと。
不死身、不老不死な吸血鬼であり、時止めという反則技に近い能力を得た彼は、まさに無敵だった。


「お前から物を強請るなど、滅多に無い事だろう?」

「そう、ですね?」

「相手をたらし込むにしては、お前のアイツに対する距離感が近いと思ってな」

「そんなつもりでは…それに、花京院さんは日本人ですし、とても話しやすくて」

「…ふん」

「いたた…首がもげます…」


いつの間にか肩に回されていたDIOの手が顔に伸びてきて、顎を掬われた。
ぐいと強引に上を向かされて、強制的に目線を合わされたので首が痛んだ。


「お前が家族以外の人間にこうも興味関心を持つなんて…やはり同郷というのは特別か?」

「そうですね…住んでいる地域も近隣ですし、同じ産まれ付いてのスタンド使いで、年も近いとなると…興味はあります」

「成る程な…今まで出会って居なかったのが不思議なくらいだな。
遅かれ早かれ、お前達は互いの引力に導かれて、出会っていただろう」

「引力…ですか」


秋希乃は確かに花京院の事が、彼のスタンドが、彼の精神性が気になっていた。
それはジャン・ピエール・ポルナレフと出会い、彼のスタンドを初めて見た時に抱いた感情に似ていた。

“戦車”の暗示を受けた彼の“銀の戦車(シルバー・チャリオッツ)”を見た時も思ったが、彼等のスタンドは邪悪さとは真逆の輝きを持っている。
だからこそ、その精神性が一目見て分かるからこそ、DIOは彼等に肉の芽を挿し込んでいるようだった。

以前スークで見たアヴドゥルという男のスタンドも、人型に近く、溢れんばかりの生命力で満ちていた。
DIOが勧誘ついでに肉の芽を埋め込もうとしたらしいのだが、逃げられてしまったらしい。
それ以降、エジプトで彼の姿は見ていない。


「…日本に帰ったらアイツと組んで、ジョースターの末裔を探し出せ」

「分かりました」

「肉の芽を入れてはあるが、油断するなよ。」

「はい」


DIOからの命令に頷くと、くしゃりと頭を撫でられた。
その場から去っていく主に、秋希乃は胸を撫で下ろした。
機嫌を損ねてしまったと思ったが、杞憂だったらしい。
あの出来事以来、秋希乃の頭を撫でる彼の手つきは優しいままだ。










「──花京院さん、お食事はいかがですか?」

「!君…また、作ってきてくれたのかい?」

「はい、姉達の分を作ったその余りですが…あ、何か食べたい物とかありますか?
今日は買い出しに行くので、良ければ何か買ってきますよ」

「ああ…そうだな、出来ればフルーツ…チェリーがあれば嬉しいのだが」

「さくらんぼですか?見かけたら買ってきますね。」


花京院の屋敷内での自由はあまり許されていなかった。
その能力や行動パターンなどをある程度観察後に解放される予定だ。
DIOが肉の芽を入れた相手は、大体がそうされていた。

半年程前にポルナレフが滞在して居た時、屋敷内の雰囲気は落ち着かなかった。
彼はあまりにも陽の気が強すぎて、他のDIOの配下達と気が合わな過ぎたのだ。ジョンガリは食事の時間にすら出て来なかった。
秋希乃はポルナレフの事が嫌いではなかったが、やはり、長く側に居たい相手ではなかった。

ポルナレフはスタンド使いとしては珍しく、というか、秋希乃が初めて見た悪事を行わないスタンド使いだった。
スタンド能力を持つという事は精神力が強いという事であり、我が強いという事でもある。
その為、DIOの配下は皆恐ろしく気が強く、自信家であり、他人を見下す傾向があった。
秋希乃も人の事は言えないのだが、差はあれど皆性格と人格に難があり、平気で一般人に能力を使うし、暴力どころか殺しに躊躇が無い。
そこが彼等の面白いところであり、こちらが全く気を遣わなくて良い理由の一つだった。

しかし、ポルナレフは肉の芽を埋め込まれているにも拘らず、その性格は全く捻くれておらず、真っ直ぐだった。
生来のスタンド使いとして、幼い頃から鍛え上げられた戦士としての誇り高さすら、残っていた。
そして、彼の妹に対する気持ちは強かった。秋希乃の髪質は彼の妹と似ていたようで、共に居た期間は短かったのに、よく頭を撫でられた。
その優しい手付きと明るい性格に、流石に秋希乃も心苦しさを感じてしまった程だった。

──彼の妹を犯して殺した人物、J・ガイルの母、エンヤ・ガイルは、その時、屋敷内に居た。
両右手の男を探していたポルナレフが、その身体的特徴と一致する老婆と鉢合わせたら、どうなるのか。
いくら肉の芽で洗脳していたとしても、乱闘になるのでは無いかと冷や汗をかいた事もある。
その後、ポルナレフはスタンド能力のほぼ全てを強制的にDIOに開示させられた後、割とすぐに解放されたので、秋希乃はほっとしていた。
彼と居ると、心の中に僅かに残っている良心のようなものが刺激されてしまうのだ。


「相変わらず元気な人だったな…」


ポルナレフは配下の集会からも外されていた。
先週、生来のスタンド使い達が集められた時も、彼だけ別邸に呼び出されていた。
そこはかつてDIOによって肉の芽が彼の額に入れられた場所だった。
彼は矢の事に関しては何も知らなかったので、秋希乃は汐華とDIOの屋敷に関する記憶操作のマーキングのみを行った。
肉の芽でDIOも彼の記憶を弄れるらしいのだが、スタンド能力に影響の無い秋希乃の能力で一応念押ししたのだ。






「……」

「君は食べないのかい?美味しいよ」

「…あ、はい、ひとつ頂きますね…。花京院さんて本当にチェリーお好きなんですね」

「ああ、好物なんだ」


市場で購入してきたチェリーを花京院に渡すと、彼は喜んでいた。
舌先でチェリーを転がしながら、機嫌が良さそうにしている。
その独特な食べ方が見ていて気になったので、秋希乃はこっそり彼の真似をしてみた。舌が攣った。


「うう…」

「はは」

「み、見てらっしゃったんですか…」

「いや、私は何も。…そうだ、君のスタンドはどんな姿をしているんだい?」


花京院は、同類に会えた事が本当に嬉しいようだった。
彼はまだ己と同じスタンド使いをDIOと秋希乃しか知らない。そして、DIOのザ・ワールドしか目にした事が無い。
よほど気になるのか、肉の芽で脳をコントロールされている筈なのに、少し目を輝かせてこちらを見てきた。


「ハイエロファントグリーンと比べると私のスタンドは小さいので、拍子抜けされないでくださいね?」

「小さい?」

「ついでに言うと、人型でもありません」

「そうなのか、見てみたいんだが…だめかい?」

「良いですよ」


DIOの組織において、人型タイプのスタンドは少ない。
人型であっても、その殆どがグロテスクと形容出来る見た目の持ち主ばかりだ。
虫のようであったり、ミイラのようであったり、ロボのようだったり、口が亜空間に繋がっていたり、両手が生えた顔面であったり、人面瘡であったり。
動物のような型でいえば、クワガタ、サメ、ガスマスクの鳥、翼竜の骨。
他には、船、スライム、拳銃、霧状の骸骨、水の手、本、狙撃衛星、刀、コンセント、影、風、幻影、変身そして鈴。

複雑な能力を持っているスタンドの方が、人型からは遠ざかっていたり、そのビジョンが存在しないような気がする。
そして、本体の人間と同じくらいのサイズの人型のビジョンは珍しく、また、このタイプのスタンドは恐ろしくパワーがあって強いと、秋希乃は思っていた。
ダービー兄弟の人型スタンドは破壊力こそないが、魂の扱いに特化した彼等のそれは強力だ。

完全な人型かつ、それ自体が発光するかのようなエネルギーで満ち溢れ、そして物理的に強い破壊力を持つスタンドの持ち主は、秋希乃が知る限り4人。
肉の芽を埋め込まれた花京院とポルナレフ、肉の芽から逃れたアヴドゥル、そして主DIO。
スタンドは精神の現れだ。人型のスタンドを持つ彼等はある意味で純粋なのかもしれない。
だからか、自分の矮小なスタンドを見せるのが、何故か秋希乃は急に恥ずかしく思ってしまった。


「嫌なら良いんだ…すまない…」

「…あ、ごめんなさい少し考え事を…」


悪性の無い普通の人間と喋っていると、どうも余計な事を考えてしまう。
秋希乃は気を取り直して、自身のスタンドを出現させた。


「これが、私のスタンドです。ハトホルと言います」

「小さい…鈴…?かい?あ、触れる」

「あ、」

「かわいいな…こんなタイプのスタンドの姿もあるんだね…」

「あの、花京院さん」

「ん?なんだい?」

「その…スタンドにスタンドで触ると、感触が私の方にも来るんですよね…」

「え?」


花京院はぽかんとした顔をしていた。秋希乃はその表情に苦笑いした。
ハイエロファントの触手の先端でハトホル神をくすぐるように触られていたので、身体中に触手が這う感覚に襲われていたのだ。
秋希乃の言葉を理解したのか、花京院は顔を赤らめていった。


「すッ!すまない!私はまだ自分以外のスタンドに触れた事がなく!
スタンドを触る事で本体である君に感覚が伝わる事も知らなくて!!」

「あ、はい、そうですよね、すみません。
そういったスタンドの基礎知識や常識を教えるのも私の役割りなので、今から伝えますね」

「すまない、本当に、わざとじゃあないんだ…」


花京院は落ち込んでいるようだった。
女の身体に触った事が無いのか、免疫が無いのだろうか、とても申し訳無さそうにしていた。
秋希乃は彼のその、所謂普通の反応が逆に新鮮だった。
他のDIOの配下なら、特にダンやアレッシーやラバーソールやJガイルなどは絶対にそんな反応はしないだろうという確信がある。
ダービー兄弟やンドゥールすらそれがどうかしたか?という態度を取るだろう。

やはり、花京院は肉の芽を埋め込まれただけあって、元々こちら側の人間ではない。
だからこそ、自分達とは決定的に違うからこそ、気になってしまうのだろうと、秋希乃は思った。
そうして花京院にスタンド使いとスタンドのタイプや種類、他にもDIOに関する事を話していると、ぱたぱたという足音と、秋希乃を呼ぶ幼い声が聞こえてきた。


「誰か来るね」

「私の部屋の方に行っちゃいましたね…うーん…」


自分の部屋の方から扉を開閉する音と大きな声が聞こえたので、秋希乃は花京院の部屋の扉を開けて、廊下に顔を出した。


「はるくん、どうしたの?」

「おねえちゃん!なんでそっちにいるの?」

「お客さんと大事なお話をしてたんだよ」

「あそぼ!」

「ごめんね、今はちょっと…」

「やだ!あそんで!」


初流乃は2歳になってますます沢山の言葉を話すようになっていた。
意思疎通が随分と楽になってきたが、同時に、魔のイヤイヤ期に突入していた。
しかし、それを解決したのがまたもやテレンスのスタンドだった。魂の色を読むアトゥム神は大活躍だ。
テレンスは育児ノイローゼになるどころか育児のプロ、玄人となっていた。初流乃の考えている事は全て彼によって明らかにされていた。
けれどもいつまでもテレンスを頼りにし過ぎるのはいけないと思い、秋希乃もたくさん初流乃とコミュニケーションを取るようにしていた。
遊びの時間も取っていたが、ここ二日間は花京院の為に時間を使っていた為、少し相手が出来て居なかった。


「君の弟さんかな?」

「いえ、甥っ子なんです」

「そうなのかい」


初流乃がグズり出すと、秋希乃は精神をリラックスさせる音波をよくスタンドから出していた。
抱き上げて音を流すと昔は眠ってくれていたのだが、最近は体力が有り余っているのか全く音を聴いてくれなくなった。
抱っこして欲しいというので座りながら彼を膝上で抱っこしたが、たかいたかいが良いとぎゃん泣きされてしまった。
それに応えようと立ち上がると、花京院が「私がするよ」と言ってくれた。


「ほら、お兄さんが高い高いしてあげよう。」

「おにーちゃん、だれ?」

「花京院典明だよ。君の名前は?いえるかな?いくつだい?」

「しおばなはるの、2さい」


きちんと自己紹介が出来るようになるなんてと秋希乃が密かに感動していると、花京院が初流乃を抱き上げてくれた。
歳の離れた従妹がいるらしく、よく遊び相手になっているという。しかし、女の子と男の子とではやんちゃ具合はかなり違うし、子供の体力は無限大だ。
高い高いだけでは物足りないと、花京院の手を引っ張り廊下に飛び出して、おもちゃがたくさん置いてある秋希乃の部屋に走っていく。
その後、初流乃の気が済むまで遊びは続いた。秋希乃は初流乃が彼の肉の芽を触らないか心配で、笑顔を絶やさないようにしながらも内心ずっとはらはらしていた。
最終的に花京院を馬にし出したので流石に止めた。暫くすると電池が切れたようにこてんと寝落ちしたので、秋希乃は初流乃を自分のベッドに寝かせた。


「…あら、日本人?珍しいわね」

「あ、姉さん、引っ越しの準備は済んだ?」

「あの子がひっくり返しちゃったからやる気無くしたのよ。あんたも手伝って」

「ちょっと待ってね、この後そっちに行くから…あ、こちら私の姉で、初流乃の母親です。
姉さん、彼は花京院典明さん。隣町の杜王町出身の日本人だよ」

「そ。よろしく」

「は、はい。」


姉は花京院の姿を頭のてっぺんからつま先まで見た後、興味が無さそうに視線を逸らして、そのまま自分の部屋に戻っていった。


「君のお姉さんもスタンド使いなのかい?」

「姉さんは…スタンド使いではありません。
でも、男の人を次々と手中に入れるのが得意なので、魅了の力を持っているかもしれませんね」


実は秋希乃は、テレンスにアトゥム神のビジョンを見せてもらうまでは、姉の事も超能力者だと思い込んでいた。
その頃はスタンドという言葉も存在せず、DIOもスタンド使いではなかった。
テレンスは、一般人には見えない精神のビジョンが存在する事が、同じ超能力者の定義だと言った。
実際には幻影の能力を持つケニーGや変身能力を持つオインゴなど、スタンドのビジョンを持たない者もいるのだが、その頃には彼等は居なかったのだ。

当時そのテレンスの意見を聞いた秋希乃は、ハトホル神を姉の前に出現させた。
けれど何も見えないと言われ、ようやく姉が自分と同じような力を持つ者では無い事を知ったのだ。


「スタンド使いではない超能力者だということかい…?」

「ふふ、ごめんなさい。魅了というのは能力では無く、姉の性質です。
ただ…隠れた私の事を見つけられる力はすごいんですよね」

「?」

「ああ…そうでした、私の能力の説明をしますね」


よく分からない、といった顔になった花京院に秋希乃は自分の能力をある程度話した。他の仲間達に開示しているのと同じく、目眩しの能力を持つ事を。
記憶操作の事は、勿論秘密だった。DIOと秋希乃だけの秘密の為、それを解除するまでは誰にも話さないと決めていた。

花京院とは日本に帰ってからも協力関係となり、行動を共にする事になっている。
ペアを組むのなら情報の共有は必須だった。


「なるほど…スタンド能力は物理的なものだけではないんだね…君の力はまさに世間一般で言われる超能力みたいだ」

「私も超能力だと思っていました。スタンド、という言葉が使われるようになったのは…今からちょうど1年前くらいからですし」

「そうなのかい?知らない事が沢山あるな…DIO様の他には後何人くらいのスタンド使いが居るんだい?」

「…それは機密情報なので言えないんです。ごめんなさい。」

「ああ…良いんだ…私も早く、DIO様に信用して頂けるよう、精進するよ」

「……、はい、そうですね」








──そして、あっという間に数日が過ぎた。
汐華家のエジプト出立の日も、間近に迫っていた。
花京院はスタンド能力を観察し尽くされ、DIOの配下としての基礎知識等の詰め込みも終わった為、解放される事になった。

夏休みはもう終わりだ。
家族旅行でエジプトに来ていたという花京院に家族の事を聞くと、「そういえば」と彼は何かに気がついた。


「明後日に日本行きの便へ乗る予定だった事を忘れていた」

「そうなんですか?私も明後日に帰る予定なので、もしかしたら同じ便かもしれませんね」


そうであれば嬉しいと思ったのは本当だった。
初流乃は随分と花京院に懐き、花京院もかなり初流乃の事を可愛がってくれている。
肉の芽が埋め込まれているのに、初流乃がDIOの息子というのを知らないのに、ここまで親身になってくれる彼は、本来本当に優しい人なのだろう。

エジプトから離れた瞬間に、テレンス含めたDIOの配下達から初流乃の記憶は消える。それは初流乃を加護する人数が減るという事だ。
情報漏洩させない為の処置で仕方がない事だったが、頼りになる人達が居なくなるのは事実だった。
だから、花京院がそばに居てくれるのならば心強いと、秋希乃は思っていた。


「それでは、また」

「ええ、また明後日に」


秋希乃は花京院が、彼が家族の元に帰るのを見送った。
陽の光を浴びている彼の姿を、秋希乃はその時初めて見た。
彼の着る学ランが緑がかっている事にも、その時ようやく気が付いた。


「……」

「──やっと帰ったか」

「!テレンスさん、全然姿を見せてくださらないと思っていたら…すごいクマですね…また何か作られていたのですか?」

「ああ、君がまた暫く日本に帰るから…その間の秋服と冬服をだな」


そう言って差し出された洋服は、どれもが皆可愛らしく、上質なものだった。


「ついに私が日本で着る服も…ありがとうございます。すごいですねテレンスさん。洋服屋さんが開けそうです」

「君の身体の成長はそろそろストップするだろう?身長がそれ以上あまり伸びないのであれば、これらの服も数年は着続けられる筈だ」

「わぁ…」


秋希乃は素直に驚いていた。
テレンスに初めて服を貰ったのは11歳の時だった。成長期であった為、もうそれらは着れなくなってしまったが、日本の実家に大切に残してある。
最近は彼に教わった裁縫技術で服をクッションカバーにアレンジしたり、別の物にリメイク出来ないか試行錯誤中だった。


「実は、私からもテレンスさんに渡したい物があるんです」

「服の礼なら要らないからな。これは私の趣味だ。君が私の服を着てくれればそれで良い」

「そのお礼もあるのですが…この3年間姉がお世話になりましたし、初流乃の面倒もずっと見てくださいました。
そのお礼です」

「これは…ブローチ?」

「はい。趣味でなかったら申し訳ありませんが…」


秋希乃は世話になったDIOの配下達に、贈り物を渡していた。
勝手に彼等の記憶を消す申し訳無さも感じていたので、そのお詫びでもあり、感謝のしるしでもあった。

テレンスにはブローチ、ダニエルにはネクタイ、ンドゥールにはターバン、DIOにはピアス、他の住人達には食べ物等を送っていた。


「ありがとう、さっそくつけさせてもらおう」
 
「気に入って頂けたなら、良かったです」
 

テレンス含めてDIOの配下達の記憶を呼び戻す際には、主自身から説明がされる予定だが、それがいつになるかは分からない。
ジョースターの末裔やSPW財団とは、現在硬直状態だ。このまま何事も無ければ良いが、そうはいかないのだろう。
どちらが先に、どう動くのか。互いに互いを無視出来ない状態が、どれ程続くのか。

この状態が長引き、一年経ってもジョースター側と決着が付かないようであれば、秋希乃は汐華初流乃の叔母ではなく、ただの秋希乃としてDIOの配下に戻る予定だった。
その際、秋希乃という人物の記憶は戻しても、汐華家に関する記憶は消したままにするつもりだった。
念の為だが、特に初流乃の存在は、彼の背が秋希乃より大きくなるまでは秘密にする予定だった。
汐華という名字も、名乗らないつもりだった。
ジョンガリやボインゴのように年少組として、DIOの配下のスタンド使いとして、復帰する予定だった。
DIOとも、そう話をつけていた。










──だから秋希乃は、彼等にさよならと告げた後、もうそれきり、二度と会えなくなるとは、思っていなかったのだ。



















「──………」


初めての飛行機に興奮する初流乃を宥め、秋希乃は窓の外を見た。
飛行機がエジプトの大地を離れる。
その瞬間に、DIOの配下全員に仕込んでいた能力が発動する。
ハトホル神を通じて、秋希乃はそれを知覚していた。

自分でやっておきながら、何故か虚しさを感じる。
彼等は所詮他人だ。家族では無い。
DIOの配下である彼等に秋希乃が抱いているのは家族のような情ではなく、同族意識だ。
だからこそ、思っていたよりずっと近い存在になってしまったが。

記憶を戻した際には、勝手に脳を弄った事を怒られて、二度と口を聞いて貰えないかもしれない。
予めお詫びのしるしを渡しておいたが、その瞬間破壊されるか捨てられるかもしれない。
けれどそれでも、この計画は実行したかった。
いざとなったら情報を売られるかも知れないし、そうでなくともジョセフ・ジョースターと遭遇してハーミットパープルを使用されれば存在を察知されるかもしれない。
仕える主の息子といっても、血の繋がりの無い、親戚ですら無い彼等に、命懸けで初流乃を守る義理は無い。

──と考えて、ふと、そういえば親戚には碌な人間が居なかった事を秋希乃は思い出した。
寧ろ、祖父母と両親の四人だけが、一族の中で稀有な善人だったのかもしれない。
姉と秋希乃も人間性で言えば親戚寄りだ。
案外、金目当ての親戚に引き取られていても秋希乃は上手く生きられていたのかもしれない。

ただ、あの時秋希乃の心を守ろうとしてくれたのは、姉だけだったのだ。
4人の葬式を終えて、ふらっと出歩き、家に帰らなかった秋希乃を迎えに来てくれたのは、見つけてくれたのは、姉だけだったのだ。
その姉が相続を放棄し、秋希乃の事も放り出していたら、今頃自分は何をしていたのだろう。
復讐を終えた後に自殺していたか、それとも、引き取られた先の親戚と上手く暮らしていたか。
杜王町のあの遠い親戚にでも引き取られていたら、花京院ともっと早く知り合っていたかもしれないなぁ等と想像しながら、秋希乃はぼんやりと窓の外を見ていた。







「──秋希乃?」

「!」

「やっぱり、さっき搭乗口でちらっと見えていたんだ」

「花京院さん…」


機内で突然呼ばれた自分の名前に、秋希乃は必要以上に驚いてしまった。
今しがた仲間の記憶を消し、暫く呼ばれる事も無いと思っていた自分の名前。
秋希乃、と、花京院から名前を呼ばれるのはその時が初めてだった為でもある。

その場には姉の冬柚乃と初流乃も居た為、キミ呼びや汐華では通じないと、彼は思ったのだろう。
少し照れ臭そうにしながらも、花京院はまっすぐにこちらを見ていた。


「あ!おにーちゃん!」

「こんにちは、初流乃くんにお姉さん、偶然ですね」

「あら、なぁに、一緒の便だったの?ちょうど良かったわ、初流乃、遊んで貰いな」

「だめよ姉さん。花京院さんに迷惑でしょう」

「いや、良いんだ。私もここに居たい。初流乃くん、私の膝の上に座るかい?」

「のる!」

「もう…」


花京院は自分の家族の元に居たく無いようで、そのまま汐華家の座る席に居続けた。
肉の芽がそうさせているのか、真意は分からなかったが、秋希乃は目眩しの能力を発動させる事にした。

いつもエジプトに行く時も帰る時も、秋希乃は1人だった。
だから、改めて姉と甥が共に日本へ帰る事が嬉しく、そして、花京院が側に居てくれる事が頼もしかった。
とても賑やかなフライト時間に、秋希乃の心はいつの間にか落ち着きを取り戻していった。




──そして、姉は約3年ぶりに、初流乃は産まれて初めて、日本の大地を踏みしめたのだ。




















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