novel2 | ナノ
 



1987年、7月末、エジプト。
秋希乃がハトホル神の第2の能力に目覚めたあの出来事から、数ヶ月経っていた。

秋希乃が日本に帰国している間、DIOがあの時の事を思い出しているのではないか、能力の効果が切れているのではないかという懸念があったが、それは杞憂だった。
ハトホル神の効力はしっかりと続いていた。
しかし、主の様子はいつもと少し違った。何かに苛立っているような余裕の無さを秋希乃は感じ取っていた。

DIOは普段、とても冷ややかな眼差しをしている。
配下に優しい言葉をかけている時も、女を抱いた前後も、食事を終えた前後も、仲間が増えた時も裏切り者が出た時も、初流乃を見る時も、鏃の事が分かった時ですら、常に彼の目は冷えていた。
──そんな彼の瞳に、熱が籠っている。
それを見るのが2度目の秋希乃は、一瞬身構えた。
あの日暗がりの中で見た、身体を溶かしそうな程熱いDIOの視線。
あの時の何かを求める懇請の念と、温度を持った瞳はとても印象的だった。

しかしどうやら、その眼差しの対象は自分ではない。彼の視線は今秋希乃に向けられていない。
意中の人でも出来たのだろうか?DIOはどこか上の空だった。
落ち着きが無い様子なのはその為かもしれないと思って、秋希乃は挨拶と報告だけ済ませた。


「それではまた、今期もお世話になります」

「ああ…」


何事も無く退出する事が出来て、秋希乃はほっとした。
吸血鬼である彼の考えている事は、秋希乃には計り知れない。
せいぜい彼を不快にさせないように、その地雷を踏まないように会話をする事くらいしか出来ない。

秋希乃はいつも誰かと対話する時、その反応を見ながら言葉を選んでいる。ご機嫌伺いというよりは、相手との距離感を測っていた。
「こんにちは」という言葉の一つにでさえ、相手の反応は多種多様だ。目は口程にものを言うし、表情も動作も声色もまたそれぞれ違う。
無理だと思えば必要以上の会話はしないし、大丈夫そうだと思えば円滑なコミュニケーションを取れるよう心がけてきた。
それは祖父母や両親から学んだ処世術だった。

DIOに対しても特に気をつけていたが、その距離感の取り方をミスしたのがあの夜だった。
あの時、DIOの言動が少し可笑しいとは思ったが、彼とは冗談も言い合う仲になっていたし、敵意は全く感じなかった。
それなのにあんな事になるなんて想像していなかった。秋希乃は男女関係のあれそれに関しては疎かったのである。


「DIO様のお部屋…また一段と暗くなってたな…」


彼はいつも暗闇の中に居る。
蝋燭の光に照らされていればその顔もよく見えるが、あの時は特に光が少なかった。
声色と喋り方のみで相手の機嫌の機微を判断してしまい、危険な欲を孕んだ眼差しに気が付けなかった。
あれ以降秋希乃はDIOの部屋のランプや蝋燭の光が消えないようこまめにチェックして対策していたのだが、秋希乃が居なかった期間に明かりが少なくなったのか、また暗さが増している。
お世話係としては気になるところだった。













「──ジョナサン・ジョースターの子孫、ですか」

「ああ、実は先日、DIO様のボディ…身体となった男の末裔、その親族が存在するらしいと分かったんだ」


様子がおかしい主についてテレンスに尋ねると意外な答えが帰ってきて、秋希乃は驚いた。


「DIO様がジョナサン・ジョースターの身体を奪って眠りにつかれたのは100年前でしたよね。
確かに血族が居そうではありますが…それがどうかしたのですか?」

「どうもそのジョナサンの孫が、あのジョセフ・ジョースターらしい…まさかとは思っていたが」

「ジョセフ・ジョースター…ニューヨークの不動産業界のトップに立つ人…のお名前ですよね?アメリカに行った際によく耳にした記憶があります。
たしかに、苗字が同じだとは思っていましたけれど…」

「そう、そしてその男、どうやらスタンド使いらしい」


秋希乃は本当に驚いていた。
あの有名なジョセフ・ジョースターがスタンド使いだという事にではなく、彼が本当にジョナサン・ジョースターの孫だ、という事に。
何故なら、初流乃にはジョナサン・ジョースターの血が確実に流れているからだ。
星形のアザも、エメラルドグリーンの瞳も、艶のある黒髪も、彼の身体の特徴だという。
首から上のディオ・ブランドーの特徴は今のところ何も無いのだと。
だから初流乃は、ジョナサンの息子とも言える。
そのジョナサンの孫、つまりジョセフは初流乃の血縁上の甥、そして初流乃はジョセフの叔父、ということになる。
それは秋希乃にとって、とても衝撃的だった。


「見られているのだ…」

「!DIO様…」

「エンヤが言うには、ジョナサンの孫のジョセフも“隠者”の暗示を受けている」

「隠者…DIO様のボディのジョナサン・ジョースターのスタンドの暗示と同じ…ですよね?」

「ああ。そして、さっきもまた、“見られた”…ジョセフの奴、“隠者の紫”と同じか、似た力を持っているようだ」

「似た能力…という事は、千里眼のような透視や念写…という事ですか?」

「そうだ。だから向こう側もこのDIOの存在に気付いている…今までも何度も見られて…いや、“写されて”いたのは勘違いではなかったのだ…。
おそらくジョセフに私の姿は見られている。首から下がジョナサンの身体という事にも気付かれているだろう。
まったく…ジョナサンの身体を通してその子孫にもスタンドが目覚めたというのか…?いや、そもそもあの時…」


DIOはぶつぶつと呟きながら、その場を去っていった。
秋希乃はテレンスと顔を見合わせた。やはり今の主には余裕が無い。

その後、ジョースター家に関しての調査が進められ、孫のジョセフに娘が居ること、そしてその娘がどうやら日本に住んでいるらしい事が分かった。
しかし、そこで邪魔が入るようになった。
SPW財団。日本の学生でも知っている世界的に有名な組織。
その財団がこちら側と対立するかのように、様々な妨害工作を行って来ているのだという。


「スピードワゴン…!よくもあの男…!」


秋希乃はDIOが本気で怒っている所を初めて見た。
彼と出会って約3年間、喜怒哀楽のうち、喜と楽の感情しかほぼ見た事がなかったので、少し驚いた。
不機嫌そうな時はあれど、今の彼は酷く荒れている。
そんな主に皆、触らぬ神に祟りなしとばかりに近付かないようにしていた。
数日経ってようやく落ち着きを取り戻したのか、DIOは何か思案しているようだった。
そして秋希乃は呼び出され、ある指令を伝えられた。


「日本に帰ったら、ホリィ・ジョースターを見つけ出せ」

「ホリィ・ジョースター…分かりました。
ジョナサン・ジョースターの曾孫が日本人男性と結婚したのは本当だったんですね?」

「ああ。それと、どうやらその女にも息子…つまりジョジョのヤツの玄孫までいるらしいが、調査途中で情報が消されてな。
ファミリーネームが分かればまた伝えるが、恐らく住処の情報も隠されているだろう。
見つける事が出来れば、お前には娘の血を取って来て欲しい」

「殺すのでもなく、死体でもなく、血液だけですか?」

「フフ…そうだ…。殺してしまっては、ジョナサンの子孫達に余計な爆発力を与えてしまうからな。
攫うのも同じく無しだ、起爆剤となるかもしれん」

「分かりました。」


DIOが言うには、かつてジョナサン・ジョースターに負けた敗因は、彼を激怒させてしまった事にあるという。
彼の家族、彼の女に手を出したが為に、彼に秘められていた強さを引き出してしまったのだと。
だから殺すな、という事だった。


「この身体は…ジョナサンの身体は、100年経ってもまだ私に馴染まない。だがあいつの子孫の血を取り込めば、それも変わるかもしれん。」

「…ジョナサン・ジョースターの子孫…血の繋がりがある者の血…と言う事は…」

「…勿論ハルノもだが、アイツはまだ身体が小さいからな。私がひと吸いでもすれば死んでしまうかもしれん…おいおい、そんなに怖い顔をするな。お前との契約に反するからしないさ。」

「はい…」


初流乃の柔い身体に穴が開く想像をして、思わず秋希乃は顔を歪めてしまった。


「ニューヨークに居るジョセフ・ジョースターの住処は分かっているが…老いぼれの血程不味いものは無い…。
どうせジョナサンの子孫の血を啜るのならば、曾孫の娘の血が理想的だ。吸血鬼としても自然だろう?」

「そうですね、DIO様がお爺さんの血を啜っている光景はあまり想像出来ません」

「…お前さては口からの吸血で想像しているな?私は指から吸うんだぞ」

「すみませんつい…。えっと、血の採取だけなら、私のスタンドの能力で近付けるので何とか出来るとは思います。
ですが…彼女の側にジョセフ・ジョースターが居た場合、少し自信がありません」

「そうだな…本体であるお前の居場所に気付かれたり、能力に対策をされると、一人だと厳しいか…」


実は秋希乃は、初めてDIOと対面したあの夜にVol. 1から3までの詳しい説明はしていたが、それ以外はしていなかった。
DIOの脳を破壊しようとしたのがバレてはまずいと思い、咄嗟に内緒にしてしまったのだ。その為、ハトホル神に破壊力は無いと思われている。
本当はVol.4の音波で人間の脳を物理的に破壊出来るので破壊力はCランク相当なのだが、秋希乃はそれを黙っていた。
また、スタンドから音波を発するだけでなく、マーキングした者(物)からも音波を発する事が出来るのも内緒にしているし、記憶操作の件も勿論伝えていない。
切り札は大事な時に取っておくべきだという考えから内緒にしていたが、随分と秘め事が多くなってしまっていた。


「透視と念写…攻撃に特化してない補助タイプですが、同系統の私には厄介です。
攻撃力の高い方か、注意を惹きつけつつ生き残れる防御力の高い方がペアでなら成功する確率は高くなるとは思いますが…」

「そうだな。そもそもハトホル神は戦い向きのスタンドではないしな…万が一お前を奪われるのは避けたいところだし、もう一人付けよう。」

「ありがとうございます」


秋希乃が能力を隠していたのは、言う必要が無かったから、というのも理由の一つだった。
それもこれも、組織の活動内容が暗躍ばかりだったからである。
超能力者という異端のはぐれ者、DIOを慕う信者、母体となる女や餌になる女、能力を欲して集まる者達、それらを見つけ、集め、広める。
敵対する者も組織も居ないに等しかったので、重要なのは諜報活動であり、人目につく物理的破壊活動ではなかった。
だから、数自体が少なかったスタンド使い同士が戦う事もほぼ無かった。

──しかしそれもこれまで。この先は戦闘になるかもしれない。
ジョセフ・ジョースターや彼に追従するスタンド使いに察知され対策を立てられてしまえば、本格的な戦闘経験の無い秋希乃は敗北してしまうだろう。


「それと…お前の姉に関してだが、来月いっぱいで解放だ」

「!はい、そうでしたね」

「ハルノの成長の経過報告は任せたぞ」

「はい。
…あの、DIO様、少しお話があるのですが…この後もお時間よろしいですか?」

「構わんが、何だ」


秋希乃は決意を固めていた。
この夏、初流乃と姉は自分と共に日本へ帰る事になっている。姉が結んでいた契約が切れる為、子供と共に晴れて自由の身となるのだ。
しかし、世界中に根を張りつつあるDIOの、その息子、その母親というのは、弱点として狙われる可能性がある。

不穏な動きをしているジョナサン・ジョースターの末裔達。
更に、不動産王のジョセフと協力関係にあるのか、世界的に有名なSPW財団も同時に動いている。
聞けば、創設者R・E・O・スピードワゴンはジョースターと関係が深いのだとか。
そんな彼等はきっと、ジョナサンの身体を乗っ取ったDIOの事を良く思っていない。現に、こちらの活動を妨害してきている。
DIOも彼等の事は邪魔だと思っているようなので、事態は確実に悪くなっていた。

組織と財団という二つの勢力がこのまま対立してしまえば、一体どうなってしまうのだろう。
ジョースター側がDIOに子供が居ると知った時、彼等はどんな行動に出るのだろう。初流乃の事を、どう思うのだろう。
こちらがホリィ・ジョースターの嫁ぎ先を見つけるのが早いか、あちら側にDIOの居るこの場が知られたりするのが早いか──時間の問題だと、秋希乃は思っていた。

だから、対策が必要だった。


「私と、取引して頂きたいのです」

「…どうした?珍しいな、何か欲しいものでも?」

「はい。」

「ほう…?」


DIOが拵えた子供の中で唯一認知されているのが初流乃だ。
その存在はいくら口止めしようと、DIOの存在が知られていくのと同時に、広まってしまう。
DIOの組織に居るのは忠誠を誓った信者だけでは無い。
金や権力が目当てであったり、そのおこぼれに預かる為に属している者も沢山いる。
忠誠心の怪しい者には肉の芽を埋め込んでいるとはいえ、何事にも絶対は、無い。

DIOはもう姉の事は興味が無いようだが、一応初流乃の事は観察対象とはいえ気にかけてくれている。けれど、それだけだ。
もし今後初流乃の命に危機が迫っても、DIOはきっと対価無しには守ってはくれないだろう。姉の事なら尚更だ。
だからやはり、二人を守り切る為には秋希乃が動かなければならないのだ。
策はある。後はそれを実行するかべきかどうか、主であるDIOに確認を取るだけだ。
しかし、それが難関だった。


「欲しいものは、姉と初流乃の安全な生活です」

「…まあ、お前ならそう言うと思った。それくらいなら便宜を図らってやっても良いが…お前が求めているものは何だ?
実戦に強いスタンド使いか?警護に特化した能力持ちか?VIPを守るようなSPを雇う金か?
…取引と言ったからには、お前側から提示できる何かがあるのだろう?」

「はい…私が隠していた新たなスタンド能力を、DIO様にお話します。そして、今まで以上にその力を有効活用すると誓います。
…だから、能力行使の許可を頂きたいのです」

「お前が何かしら隠していたのには気が付いてはいたが…妙な事を言う…まあ良い、言ってみるがいい。その新しい能力とやらを」


スタンド使いは、能力がバレるのを嫌う。
その能力のほぼ全てを喋らされたのは、ジャン・ピエール・ポルナレフなどの肉の芽を植え付けられた者達だろう。
他には、DIOに全てを捧げている者達、DIOを神のように信仰しているンドゥールやヴァニラ、彼と同じく目を患っている少年のジョンガリ・A、ヴァニラ・アイス等は全てを曝け出しているかも知れない。
それでも仲間同士、そして主であるDIOに対しても切り札を隠している者は多い。

そして今、秋希乃はそのカードを切ろうとしていた。


「…DIO様は、3ヶ月程前の4月2日の事を覚えていますか」

「…4月2日…?何かあったか…… 日記には…書いてないな」

「え、日記を書かれているのですか…?」

「…何だ、意外だったか?」

「いえ…私の愚痴とか書かれていたらどうしようと思っただけです…」

「私がそんな女々しい真似する訳ないだろうが」

「あいたたたた痛いですDIO様頭が潰れます」

「ふん…で?4月2日がなんだと言うのだ?」

「実は…」


秋希乃は、Vol.4の事だけは(バレているかもしれないが)伏せて、マーキングと記憶操作に関しての力をDIOに明かした。

これから自分が行おうとしている計画は、秘密裏に行う事も出来た事だ。
しかし、やはり組織のボスであるDIOには明かすべきだと秋希乃は考えた。
主の協力無しには時間と手間がかかるから、という理由もあったが、DIOに秘密のまま計画を実行しては、反逆行為と見做されてしまうかもしれない。
それに、今のままでは秋希乃が姉と初流乃を守るのには限界があるが、DIOの許可を得て計画を実行出来れば、この先二人を守り通せる筈なのだ。
反対されたり、危険視されたり、その上で始末されるか、肉の芽を埋め込まれるかもしれなかったが、秋希乃は覚悟を決めていた。
何よりも、初流乃がジョースター側の手に渡る事は、ここで自分が殺される事よりも嫌な事だったからだ。


「…記憶操作…なる程な…お前の能力は分かった。
だが、その能力を開示する前に述べた日付け…4月2日と指定したのは、何故だ。
…もしや、よりにもよってこの私に向かって、その能力を向けたというのか」

「…はい」

「ほう…肯定するか。やはりそのクソ度胸…お前は…アイツに…………、──…………は?」

「今、DIO様から消していた4月2日の数分間の記憶を、戻しました。
…記憶を消した罰も、貴方様を拒絶した罰も、なんなりと受けます。
仕事も今以上にこなします…ですからどうか…──皆さんの記憶から、汐華初流乃と冬柚乃とこの私の記憶を、汐華に関する全ての記憶を、消させて頂きたいのです」


DIOが持つジョナサン・ジョースターのスタンドと、ジョセフ・ジョースターのスタンドは類似している。同じ暗示を受けた、同じタイプのスタンドだ。
ジョセフが成長すれば透視や念写だけで無く、相手の考えているビジョンまでもカメラやテレビに映し出す事が出来るだろう──DIOのように。
それはつまり、尋問も拷問も必要が無い自白の手段を持っているのと同じだった。

彼等は今DIOの存在だけを注視しているようだが、情報統制をせず皆の記憶も現状のまま放置すれば、いずれ情報が漏れるかジョセフのスタンドで初流乃の事は明らかにされてしまうかもしれない。
現段階でのそれを、秋希乃は避けたかった。少しでもバレるのを遅らせたかった。
せめて初流乃が自分の事を自分で守れるくらいに成長するまでは、その存在を秘匿したかった。

きっと現状での初流乃は、敵味方関係無く、DIOの息子という色眼鏡でしか見られない。
個人として、汐華として、ただの無力な人間の子供として彼を見る者はきっと、姉と秋希乃しか居ないのだから。


「……は、は…ハハハ、ハハハハ…!…アキノッ!」

「…はい」

「お前…よくもこのDIOを拒んでくれたな?」

「はい…申し訳ありませんでした」


秋希乃は土下座していた。
この後頭を踏みつけられたり、身体を蹴り飛ばされたりする覚悟で、DIOの足元で平伏していた。


「…聞きたいのだが」

「はい」

「これらの事を、今この場、私の寝室で、そして私と二人きりの状況で明かしたという事は、覚悟あっての事だとは受け取ってやる。
…それならば、何故あの時お前はこの私の寵愛を拒んだ?」

「初流乃の保護者の一人として、初流乃の父親である貴方様と肉体関係を持つのは許されないと、思ったからです。もし私が初流乃の立場なら、両親と肉体関係のあった相手に世話をされるなど嫌だと思ったからです」

「…それで、今は何故それを受け入れようとしている?」

「あの後すぐに、思い直しました。真に初流乃の為を思うのならば、私の行動は間違いだったと…
ですが屋敷に戻った際、DIO様は記憶を失われていました。
そこでようやく、私は自身の能力に気がついたのです」

「……」

「…私が差し出せるものは能力とこの身くらいです。
姉と初流乃の安全の為ならば…記憶操作の能力行使の許可を頂けるなら…足しになるかは分かりませんが捧げ物になるかと思いました」


DIOがいくら支配圏を広めたとしても、それにはきっと年数がかかる。既にある勢力にはどうしても後手になるだろう。
スタンド使いの数がいくら多くても、組織としての纏まりは確立されていないのだから。
だからこそ、秋希乃は不安要素を全て摘み取りたかった。
記憶を消す力を最大限に使いたい、その許しを得たい一心だった。


「……… お前の家族への執着はどうなっているのだ…?何故そこまで献身的になれる?
それに…ハルノハルノと…もしや、姉よりも愛しくなったのか…?」

「……そう、かも…知れません」

「……なる程な」

「………」

「顔を上げろ、アキノ」

「はい」


秋希乃がゆっくりと見上げると、DIOは頭を押さえ溜め息を吐いていた。
記憶操作を行った自分に対して、怒り心頭な状態になっているかもしれないと想像していた秋希乃は、少し驚いた。
怒りも嫌悪もなく、彼はただただ呆れている様子だった。


「お前の心はハルノのものだという事がよく分かった。
それに…あの時ならいざ知らず…アイツが……、いや、もういい、私はもうお前に手を出す気はない」

「……」

「…あの時は魔が差していた…ただの気の迷いだった…忘れろ」

「分かりました…」

「………、それで、記憶操作の話だったな」

「はい」


秋希乃は、こくりと唾を飲み込んだ。


「良いだろう、許す。許可する。
このDIOの支配地が広まり、組織がもっと巨大になり、ジョースター共もSPW財団も滅ぼし尽くした後であれば、お前達の身の安全は保障されよう。
それまで、私以外の全ての者の記憶を消すのを許可する。」

「…!本当…ですか」

「ああ、私一人が覚えておこう。ハトホル神の暗示を受けた部下が居た事、お前の姉が居たこと、私に息子が居た事を」

「…はい。寛大な御心に、感謝致します」


秋希乃は深々と頭を下げた。
するとそこにDIOの大きな手が伸びてきて、頭をガシガシと撫でくりまわされる。
相変わらず力加減を間違えているというか、撫で方を知らない乱暴な可愛がりだった。
女の身体の愛で方は知っている癖に、赤子や子供の撫で方を知らない彼は、もしかしたら人に頭を撫でて貰った事が無いのかもしれない。
わざと乱雑に撫でているだけなのかもしれないが。


「私からも提案がある。取引と言ったのはお前だ。その能力、使って貰うぞ」

「はい。何なりと…何の、誰の記憶を消せば良いでしょうか?」

「まずは何人かで実験が必要だな。その様子を私に見せろ。…ヌケサクが丁度良いな、アイツで試そう」

「あのゾンビですか…はい、分かりました」


記憶操作に関しては、スタンド使いの場合のデータはまだ1件しかない。
しかもその対象はDIOである。彼は人間より耳が良い吸血鬼であるし、あの時は直接触れ合っていたのであまりにも例外過ぎた。
ヌケサクと呼ばれるゾンビも例外ではあるが、脳味噌の耐久テストには丁度いいかもしれない。

ただ、無能力者達には既に直接触れ無くても音波を一度浴びせれば記憶操作が可能であると分かっている。
であれば、恐らくスタンド使い達にもVol.を上げれば効く筈だと、秋希乃は考えていた。


「お前には、後天的にスタンド能力を得た者達が秘密を守れるように、奴等が矢に選ばれた事を忘れさせて貰う」

「矢の…鏃の記憶を、ですか」

「そうだ。エンヤが無作為に増やしたが…
“力”、“黄の節制”、“女帝”、“審判”、“ホルス神”、の暗示を受けた者達、
ペットサウンズ、ケニーG、ヴァニラ、あとはもう一人風使いと…他にも暗示の無いスタンド使いが何人か居たな…アイツ等が、自分がどうやってスタンド使いとなったのか、それのみを忘れさせるのだ。出来るか?」

「…やってみます。
矢の記憶を失くせば恐らく…彼等はDIO様もしくはエンヤさんによってスタンド能力を得たと認識すると思います」

「ほう…それは好都合だな」


秋希乃はDIOに、ジョースター関連で記憶操作の命を受けると想定していた。
ジョセフ・ジョースターとその血族からジョナサンとディオ・ブランドーの記憶を消せば、誰もDIOに辿り着けなくなるだろうと思ったからだ。
けれどもDIOは後天的にあの鏃でスタンド使いになった部下達の記憶を操作するよう命じた。
彼の真意は分からないが、とにかく、スタンド使いを増やせるあの鏃は、組織の切り札の一つだ。
超能力者、スタンド使いをほいほいと増やせるとそれがジョースター側に知られるのは避けたいのだろう。


「念の為の処置だが…用心に越した事は無い。今から招集をかける。
七日後に全員が集まるように指示しよう。その時に、奴等からもシオバナに関する記憶を消してみるが良い」

「はい。」

「脳を弄るのだから、実験対象は多い方が良い。
私が肉の芽を刺したポルナレフのように、スタンド能力が…精神力が低下するリスクがあるかどうかの確認をする」

「スタンド能力が…はい、分かりました」


耳が特別良いという訳では無い他のスタンド使いの場合はどうなのか、やはり直接触れねばならないのか、触れ無くても記憶は操作出来るのか、秋希乃はそれを確かめたかった。
そして、DIOの懸念するように精神や肉体に影響が出るかどうかも知る必要があると、確かに思った。


「リスクが無い事が確認出来たなら、次は生まれ付きのスタンド使い達からも矢の記憶を消せ。エンヤ婆以外のな。
アイツは組織の纏め役だし、スタンド使いを増やす役割を持っているからな…エンヤには私から話しておく」

「分かりました」

「話は一旦ここまでだ。
1週間後、その能力の証明が出来たなら、お前の計画を次の段階に進める事を許す。」

「ありがとうございます!」











──そして1週間後、秋希乃は弓矢によってスタンド使いとなった彼等の記憶から、矢に関する事柄を消す事に成功した。
直接的な接触なしに、音波を脳に届かせるだけで行える事を確認した。
彼等の精神に干渉しているわけでは無いからか、スタンド能力にも変化は見られなかった。
DIOはその結果に満足してくれたようだった。
これにより、矢ではなく産まれ付いてのスタンド使いの彼等にも、記憶操作を行う事が決まった。


「お前が再び日本へ帰れば、これ以降に矢でスタンド使いになった者の記憶操作は出来なくなるが…まあどうとでもなるか。
目隠しでもしてから矢で射抜けば良いだろう」

「なるほど。冬休みにこっそり来て術を施そうと思っていましたが…必要無さそうですか?」

「産まれつきのスタンド使い達の記憶も消す予定であろう?奴等がお前の事を忘れていたら侵入者だと思われるぞ。」

「私のこっそりは、多分DIO様かンドゥールさんかジョンガリA、ペットショップかサウンズしか認識出来ませんが…あ、あとあのゾンビですね。
でも確かに彼等が居る場合は少し難しいです」


常に音波を流し、認識を狂わし続け記憶を消し続ければできるかもしれないが、それは仲間に行う行為ではなかった。
 

「…分かった。ならば、別邸の方で落ち合おう。隠れ家は多いからな…その場所に迎え。
私への報告と新規のスタンド使いへの処置はそこで行おう」

「お手数をおかけして申し訳ありません」

「構わん。そういえば、テレンス達に能力を使うのは1週間先で本当に良いのか?
今日集まった者達からは矢の記憶もシオバナの記憶も消したのだろう?
アイツらが会話する事で差異を感じる前に…いや、そんな会話はしないか、アイツらは」

「そうですね…ホルホースさんなら世間話くらいはしそうですけど、多分矢の事も私達の事も、基本的に話題にならないでしょうし。
ですが、姉も初流乃も私も今月中は屋敷に滞在していますし、まだ屋敷内や街中で出会う事もあるかもしれないので、私達の記憶は消していません」

「ほう?という事は、遠隔操作が可能という事か?」

「はい」


秋希乃の能力には、ハトホル神を音源として音波を発して浴びせる方法と、手で直接触れて作った簡易音源から音波を発する方法がある。
そして今回、矢によってスタンド使いになった者達に秋希乃は触れる事が出来た。
実験でまず行ったのは音波を浴びせる事だったが、念の為直接触れる事もDIOの協力の下行えていた。


「皆さんにはマーキングがしてあるので、後は8月末…私達3人がエジプトの大地を離れた時、飛行機が離陸した瞬間に全員同時に能力を発動させれば、問題ありません」

「そこまで出来るとは…末恐ろしいな…破壊力、スピードは無いに等しいのに、それ以外の能力値が高すぎる」


記憶操作の音波は神経を使う。条件付けには精密な能力の操作が必須の為、手加減を間違えば相手の記憶を全て消し飛ばしてしまうかもしれない。
ただ、それさえ上手くいけば、その効果は永続的だ。
更に、直接マーキングした相手ならば、予め決めておいた事柄の記憶の消失タイミングだけはこちらでどうにか出来る。

産まれつきのスタンド使い達はテレンスやダニエル、エンヤ達を含めて、更に1週間後に集められる。その際に、また全員に触れさせて貰う予定だった。


「本体であるお前が弱い分、守りに特化しているのだろうが…射程距離の上限が存在しないのか?
遠隔自動操縦型…とでも言うのか…エジプトと日本という地球のほぼ反対側でもその効果が続くとはな」

「それは…私も驚いています」


姉と初流乃にも、いざという時に自動的に目眩しの能力が発動されるようマーキングは済んでいる。
もし何者かに襲われても、その際二人の姿を敵の目に映らないように出来る。
同時に襲撃者から姉と初流乃に関する記憶を消す事も一応出来る。けれど、それはしない事にしている。
襲撃者がいきなりターゲットの記憶を失えば目眩しより不自然だからだ。
襲撃者側の記憶の全消去も同様に、しない事にしている。
敵が組織的に動いている場合に、記憶喪失者が出れば簡単に異常を察知されてしまうからだ。


「距離ではなく、条件が揃えばお前は世界中の人間の脳の操作も可能となるかもしれんな。」

「確かに…そうですね」


もし、全世界に生中継されている放送等で秋希乃が音波を放てば、その効果対象は爆発的に増える。
運良くジョースター側の人間の耳に届く事もあるかもしれない。
しかし、把握しきれない程に能力をかけた人数が増えれば遠隔操作は不可能だ。
今記憶操作の為にマーキングしている者は30名前後で、その全員を秋希乃は把握している。その為、能力のオンオフや発動のタイミングなど緻密な操作が出来る。
その精密な操作をやめれば可能かもしれないが、視覚と記憶力があやふやな人間が大量生産されてしまうだろう。

それか、秋希乃主導で脳をコントロールする事自体を放棄し、音波を聞いた者全てに対して汐華に関する視覚での情報取得の拒絶と忘却をオート化するならば、遠隔自動操縦型として能力を確立させる事も出来なくは無い。
けれど秋希乃はそこまでするつもりでは無かった。把握しきれないよりかは、把握出来る人数に留めておいた方がいざという時対応出来ると考えていた。
全世界では無く国、都道府県、もう少し範囲を縮小して、市町村くらいの規模でなら実行しても良いかもしれないが。


「私の記憶を弄る事は二度と許さん…と言いたいが、またお前に記憶を操作されても、私はそれを認識すら出来んのか…まったく…」

「今後DIO様に対しては絶対に記憶操作を行なわないと誓います」

「…まあ、今は信じておいてやろう」

「…DIO様が私に不信感や疑惑を抱くのは当然なので…。
あの… 私を信じて頂いても、私はいざとなったら姉と初流乃を優先してしまうような不忠義者なのですが…DIO様はこんな私に肉の芽を入れられたりは、しないのですか?」


秋希乃はずっと疑問に思っていた事を、ついにDIOに尋ねた。
忠誠心の薄そうな者に施されてきた肉の芽がいつ自分に埋め込まれるのか、それを心配していたのだが、DIOは首を横に振った。


「…アレは脳を物理的に操る為、精神力をも弱体化させる。
それに、お前のスタンドは相手の脳を操る事から、コントロールにはお前自身の脳も要であろう。
その能力を弱めるのは私にとってもデメリットだ」

「…そう、ですか」

「潔くその能力と考えを明かした事とその勇気に免じて、お前の事は許している。後は…時が来るまで待っていろ」

「はい…」


秋希乃はほっとした。主の許しを得る事が出来て本当に良かったと、胸を撫で下ろした。








「──ああ…そうだ、アキノ」

「はい?」

「…そういえばお前、本当に私に身体を捧げるつもりだったのか?
いくらハルノの為とはいえ、自分を無理矢理犯そうとした大男など、恐怖の対象であろう。
なのに先日も、今も、お前はこの私に対してほんの少しの恐怖も持っていないように見える。
お前はどうして、そうなのだ?」


それは意外な質問だった。秋希乃は少し考えてから、言葉を選んでゆっくりと口を開いた。


「私が恐怖を感じるのは…大切な家族が失われる時だけです。」

「またそれか…お前は家族の事ばかりだな…聞き飽きたぞ。
…私が今この瞬間契約を破ってハルノ達を殺せば流石に恐怖するか?」

「そうですね…恐怖し、絶望し、もう生きている意味も無くなるので、自殺すると思います」

「チッ…極端なヤツめ。」

「DIO様は私に恐怖して欲しいのでしょうか…?」

「…いいや、違う。だが、お前の恐怖に対する意見を聞きたかっただけだ」


秋希乃は首を傾げた。DIOが恐怖に関して考えている様子は、意外だった。
人間を超越している吸血鬼。不死身、不老不死、そして最近得たという“世界”の新しい能力。
時を止める──そんな絶対的な力をも得ているというのに、彼は何を恐れているのだろう。
思い当たるのは太陽光だが、何か別のものがあるのかも知れない。

秋希乃はDIOの求める答えではないかもしれないと思いつつも、言葉を続けた。


「二人が死ぬ事は恐怖の対象なのですが…それはもうとっくに覚悟はしているのです。その後に自分が死ぬ覚悟も」

「覚悟…な…ボインゴも同じような事を言っていた」

「そうなんですか?私も少し彼と話をしてみたいです」


最近仲間になった“クヌム神”と“トト神”の暗示を持つ、産まれついてのスタンド使い。
オインゴ、ボインゴ兄弟の弟、彼は不思議なスタンドの中でも殊更に不思議な力を持っていた。
未来予知という力と、DIOの仲間のうちジョンガリより年下で今のところ最年少の彼に興味があったのだが、人見知りのようだったので会話をした事はなかった。


「覚悟とは言いましたが…私のそれはとても後ろ向きで…諦めと同じです」

「……」

「DIO様の気が変わられて、私達を殺すというのなら、仕方がないと受け入れます」


もし初流乃達より先に今この場でDIOに殺されても、秋希乃はその後の二人の無事を祈る事しか出来ない。
二人がその後拷問されたり惨い死に方をしたらと、想像するだけで心苦しいが、それも仕方がない事だ。

秋希乃の思いや考え方は、DIOの言う通り極端だ。秋希乃はただ、二人と同じ場所に居たいだけだった。
二人が先にあの世に行けば追いかけるし、秋希乃が先にあの世に行けば二人が来るのを気長に待つ。それだけだ。
出来れば幸せになって欲しいし、苦しんで欲しくないのは本当だった。
けれど、二人の側に居たいという自分勝手な欲求を優先して生きている秋希乃は、真に二人の事を考えている訳ではないのかもしれない。
自分の為では無く、本当に初流乃の為を思うなら、きっと初流乃をジョースター側に預けるのが正解なのだろう。
彼等が善人かどうかは分からないが、少なくとも悪人では無い事はその活動から分かっている。
しかしそうしないのは、秋希乃の欲求からだ。初流乃の母親は姉だけで、叔母は自分だけ。
それ以外に初流乃の親戚が存在するなんて、考えたくなかった。盗られたくなかった。
秋希乃は結局、自分の事しか考えていない。だから全てが後ろ向きなのだ。


「…アキノ」

「はい」

「そのような顔をするな」

「……」

「私はお前達を殺さない。」

「……」

「嘘だと思っているな?だが、誓おう。何があってもお前達を害さないと。」


DIOは、まっすぐにこちらを見ていた。
その氷のような瞳の中に、今まで見た事がない色を、秋希乃は見つけた。

その時、ふとンドゥールとの会話を思い出した。
彼とは話し合う機会が多い。波長があったのか、お互い理解し合える事も多かった。
その中で、DIOに対する彼の気持ちを聞いた事がある。
それを秋希乃は今また一つ、理解出来た気がした。


「DIO様…」


頭に手が伸ばされる。
その掌の動きはゆっくりで、慈しみがあった。

吸血鬼である彼のパワーは、破壊に特化している。
彼本来の力であれば秋希乃の首など簡単にもがれているだろうし、ペットショップは彼に触れられるたびに粉微塵になっている筈だ。
ヌケサクと呼ばれるゾンビはよくバラバラにされているけれども。

何かを壊さないように、殺さないように触れる際、DIOはとても気を使っている。
だからやはり、頭を撫で回す時に毎回力が籠っていたのはわざとだったのだろう。


「いつも、これくらいの強さで撫でてください」

「まったく…子供だなお前は…」

「DIO様と比べれば、まだ13年しか生きてない子供です」

「そうであったな…」

「…私はDIO様に対して恐怖心は抱いていません。むしろ、様々な事を含めて感謝しています」

「そうか」
 
「だから決してDIO様をみくびっている訳でも、蔑ろにしている訳でも無いので、不遜だとか不敬であると思わないで欲しいのですが…」

「…なんだ?」


秋希乃は左胸に右手を当てて、頭を下げた。初対面の時にも行ったように、スカートを少し掴んでカーテシーをする。


「DIO様のおかげで、私は初流乃に会えました。新たに力を得る事も出来ました。
出産が終わっても姉を殺さないでいてくれました。」

「……」

「初めて会った時、貴方の存在は圧倒的過ぎて、私の事など虫のように殺してしまわれると思いましたが、貴方は慈悲深かった。
貴方には人間を超えた力とカリスマ性がありますが、それだけではないからこそ、私はDIO様に仕えているのです。」


秋希乃は正直な気持ちをDIOに伝えた。


「私は…失くすのが怖くて、隠して、逃げ回る事しか出来ない臆病者です。私の矮小な精神は、スタンドにも現れているでしょう?」

「…お前のような精神力を持つ人間を臆病者というのなら、ダンやアレッシーなどは塵紙以下のカスになってしまうと思うのだが」

「そう…ですか?でも、私は自分が弱いという自覚があります。
だから、DIO様の下に居る事で、少し、呼吸が楽なのです」


ンドゥールは言っていた。悪には悪の救世主が必要なのだと。
それを聞いた時、秋希乃は納得したのだ。


「貴方様は…決して善人としては生きられない私の心を否定しない。それだけで、救われるのです」

「お前は…私からすれば十分に善人に見えるが。
他の者共と違い、表社会でも好きに生きられるだろう」

「それはそうなのですが…私は、私の大切な人以外の人間がどうなろうと…心が動かないのです。」

「それの何が悪い?他人がどうなろうと知った事では無いと思うのは、普通の事だ」

「…ふふ、だから、DIO様や、皆さんと居るのが好きなのです。
それを普通だと言ってくださるあなた方に、私は救われています」


秋希乃は道徳の授業が苦手だった。
けれども、教えられた事を吸収し、その通りに振る舞う事は出来た。
人を憎まず、恨まず、羨まず、清廉に、潔白に、平等に。まるで聖人のように、優等生らしく。お利口に生きることは簡単であり、難しくはなかった。
しかし、父と母、祖父と祖母が死んだあの日に、それは不可能になった。
何故なら、秋希乃がそのように生きていた理由は、家族の為だったからだ。

秋希乃は四人を殺した大型トラックの運転手を激しく憎悪した。
葬式も遺産の相続関係も終わって、事故のニュースも流れなくなり、汐華家が世間から忘れ去られていった後、秋希乃は警察に捕まっていた男に近付いた。
バレないように身を隠し、顰め、男を追い詰め、狂わせ、脳をひっ掻き回し、苦痛を与え──惨たらしい死を与えていた。

復讐は美化されるとはいえど、犯罪は犯罪だ。
典型的な日本人であるお人好しな家族に育てられた秋希乃は、達成感と同時に己の所業に罪の意識も抱いていた。
自分も死ぬべきだと思っていた。裁かれる事は無いが、許される事は無いと思っていた。
父や母の元に行きたかったが、姉が居たから生きていただけだ。

けれども、姉を追って訪れたDIOの屋敷で、秋希乃は知った。
屋敷に居る者は、彼の周りに集まる者は、そして彼自身は、秋希乃の行いが霞む程の犯罪者揃いだった。
木を隠すには森の中とは言うけれど、本当にその通りだった。
皆が異質で、異常で、普通では無い事が普通で。おかしくて、面白かった。
善の心、倫理観や道徳感、それら全てを持ち合わせていない彼等。
超えてはならない一線など存在しないかのように生きている彼等を見るのは、話すのは、側にいるのは、楽だったのだ。


「お前は…その産まれも、育った環境も整っていたというのに、そうなったのだな」

「そう、ですね」

「…昔、私にこう言った男が居た、『環境で悪人になっただと?違うね、こいつは産まれついての悪だ』と…お前は、どう思う?」

「産まれついての悪…育った環境に関係なく、赤ん坊の頃から悪の心を持つ人間だという事、でしょうか」

「ああ」


秋希乃は自分の事を言われているのかと思った。
悪の自覚があったとしても、そんな風に言われてしまうと、心臓が嫌な音を立てる。
まるで産まれてきた事が悪であると指摘されたようだった。


「環境は確かに大切ですが…性根は…それで左右されるものではないですよね」

「……」

「良い環境で育てば、DIO様もそれなりの善行を行なわれると思いますし、犯罪を犯す頻度もその度合いも確かに変わったでしょう…
けれど、生き方や考え方は変わらないのでは無いでしょうか」


産まれついての悪人の場合──
産まれ育った環境が悪ければ、ギャングやマフィアやヤクザのような、分かりやすく悪行を行う人間になるのではないだろうか。
産まれ育った環境が良ければ、その立場を悪くしないように、簡単には悪事がバレないように、隠蔽工作が上手くなる。ありとあらゆる手を尽くし、姿を隠すような、タイプの違う悪となる。
秋希乃自身がこれに当て嵌まるし、日本に居る知り合いも、実際にこういう輩だ。

産まれついての善人の場合──
産まれ育った環境が悪ければ、きっとそれを試練だと思うのだろう。
例え悪行に手を染めたとしても、それは一時的で、いずれ何かのきっかけで救われるのだろう。
何故なら彼等は救われる事を、本当は善行を行いたいと願っているからだ。
産まれ育った環境が良ければ、そのまま何の問題もなく聖職者や聖人にでもなるのではないだろうか。DIOが見つけた彼のように。


「DIO様を『産まれついての悪』だと断じる事が出来るのはきっと善の人…。
私にはそのように糾弾するような言い方は出来ませんので、別の言い方をさせて貰えるなら…『産まれ持った性根が変わらない人』、ですかね」

「…ハハ、お前らしいな。
お前も…環境でそうなった訳ではなく、産まれつきそうだったと…だから私に同族意識でも持っているのか?」

「勝手ながら…DIO様にだけでなく、皆さんに対して同族意識を感じていました。」

「フフ…そうかそうか」

「私は恵まれていましたが、遅かれ早かれこうなっていたと思います…人間の性根は簡単には変えられません。
物心ついた時からずっと…私はこういう人間ですから」

「フ…ははは!そうだ、私もだ。
私も、物心ついた時から純真無垢であった事など、善人であった記憶など、存在しない!」

「わっ」


秋希乃の回答に、DIOは機嫌を良くしてくれたようだった。
大きな手が腰に周り、子供をあやす時のように高い位置に持ち上げられる。
見た事が無い笑顔で、鼻歌交じりに、まるでダンスでもしているかのようにくるくると動かれる。
やがてベッドに降ろされて、その逞しい両腕に閉じ込められた。


「やはりお前は愛らしいな…」

「DIO様…」

「お前とは“友”にもなれそうだ…」

「友…それはプッチさんではなかったのですか?」

「そうだ。だが友が一人である必要は無いだろう?
私は友を大切にする…だから、今一度言うが、決してお前も、お前が大切にしている姉も、ハルノも、殺さないと誓おう」

「…ありがとうございます。」


DIOが真に欲するものは何なのだろう。
秋希乃は主の腕に抱かれながら、ふと疑問に思った。
けれども、次第に考えるのをやめた。
ただ、自分と姉と初流乃が殺されない事を確信出来た安心感から、秋希乃はようやく肩の荷を降ろし、力を抜く事が出来た。











 




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