novel2 | ナノ
  




 

「──ほう…奇妙だな…」


空から降ってきたのは、月明かりに照らされて星のように輝く金の髪を持つ男性だった。
秋希乃の目には、その男が高所から降りて地面に降り立つまでが、本当に流れ星のように映っていた。
けれども本能的に分かってしまった。
秋希乃はエジプトに来ると決めた時から、自分の身に起こるリスクの責任は全て自分にあると覚悟してきた。けれど


「(しんじゃうかも)」


コレは仕方がないと諦めてしまえる程のオーラを、その生き物は放っていたのだ。
暗闇の中でも分かる程の凍りつくような赤い眼差しが、まっすぐに秋希乃の居る方向を見ている。今自分は確かに“隠れて”いる筈なのに、だ。
男とは思えない怪しい色気を放つその生き物がゆっくりと足を踏み出して向かってくる。


「そこに何か居るな?分かるぞ…」

「…」

「今日の昼頃から気付いていたが…こんな事は初めてだ。とても興味がそそられる…」


目線が合わない事から、秋希乃の姿が確実に見えている訳ではない事は分かった。
しかしその視線は鋭く、例え物音を立てずにその場から動こうとも逃げられないと悟り、秋希乃は一歩も動けなかった。


「ン…ほう、これはこれは、また“音”が変わったな?すばらしい…この出会いもまた引力か…」


こちらに向かって発せられるクイーンズイングリッシュ。その声色には心を震わせるような危険な甘さがある。
脳まで痺れさせるような低い響きは、女でも男ですらも腰砕けにする程の威力を持っていた。
そんなカリスマを相手に、普通のちっぽけな幼子であれば、為す術は無い。


「聴こえて、いるのですね」

「…!ほう…君が、この音色の正体かい?」


秋希乃には、赤ん坊の時から両親に海外へ連れまわされている間に、とある出来事をきっかけに発現した力があった。
始めは単なる特技だった筈だった。足が速くて運動が得意な子がいれば、頭が良くて勉強が出来る子がいるように、かくれんぼの得意な自分は人から見付からないようにする事に長けているのだと。
決定的な事が起こってからようやくそれを特殊な“能力”であると認識したが。
そしてその能力は今、この世のものとは思えない程のカリスマオーラを放つ生き物と遭遇してしまった事により、かつて無いほどに研ぎ澄まされていた。
胸元に隠した鈴が、ヂリ、と揺れる。


「はじめまして、こんばんは。
わたしは秋希乃・汐華と申します。ゆるされるのなら、あなたのお名前をお聞きしても?」


秋希乃は、まるで社交ダンスのパーティー会場で貴人と出会った時のように、ワンピースの端を持ち上げて軽く膝を曲げる、カーテシー(お辞儀)をした。
完璧な笑みを作り、相手からは視線を逸らさないまま。


「シオバナ…?」

「?」


怪しげに笑みを浮かべていた人外の美貌を持つ男の顔が、一瞬ぴくりと真顔になった。
秋希乃にとって、その反応は予想外だった。
姿を現し不意を打ち油断させ、従順な態度で近距離まで接近してから、音に気付かれた=耳が良いという事を利用して相手の脳味噌を一撃で破壊しようとしていた動作も、止まる。


「…もしや、汐華の名をご存知で?」

「ああ、そうだが…なんと、そういえばどことなく似ている。君、フユノの妹だね?」

「!はい!妹です!ということは貴方は…」


姉の名前は汐華冬柚乃。その名前が出てきた事で秋希乃は確信出来た。
最初は外交官であった父達の知り合いかと思ったが、そうではない。
姉からの手紙には新しいパートナーもとい彼氏の容姿が書かれていた。名前は書かれていなかったが、黄金色の髪に白い肌、ボディビルダー並みに筋骨隆々の肉体をしている男性だと。
秋希乃は手紙の内容を思い出し、眼前のその人を見てなるほど確かに、日頃お目にかかった事がない程鍛え上げられた肉体美をしていると思った。


「貴方様のお屋敷に、冬柚乃・汐華が…姉が居るのですか?」

「ああ、」

「わぁ、すごい、こんな偶然にもお会いできるなんて!姉がたいへんお世話になっています!」


それまで微笑みの下で計略を巡らせていたのが嘘のように、秋希乃はぱっと笑顔になった。
緊迫した状態から一転、その場の空気が変わる。
淑女のような振る舞いを辞めて子供らしく歓喜を示す秋希乃を、面白そうに観察する男。

小娘が何を考えていたのかなどお見通しであろうに、その従順な態度が気に入ったのか男は先程までの支配者のオーラを緩めた。


「アイツから聞いている。君は普通の人間にはない特別な能力を持っているそうだね。先程のやりとりで十分に分かったよ」

「いいえ、そんな、隠れるのが上手なだけですよ」

「フ、謙遜も過ぎれば自慢になるぞ…君の能力はすばらしい。ぜひ、その力について詳しく教えてくれないか?屋敷へ案内しよう」


そして男はDIOと名乗り、秋希乃は姉の居る屋敷へと招待されたのだ。





──その後、姉の無事と、姉の妊娠と、DIOが姉の子供の父親になる事を知った秋希乃の心は、決まった。

例え人骨が転がろうと、裸の女の死骸があろうと、それが姉でないなら問題は無いと。
夜の間に呼び出された主人の部屋で説明を受けながら、秋希乃はわらっていた。


「私の為に、その能力を使ってくれないかい?」

「はい、よろこんで」


減ってしまった家族が増える事が、本当に嬉しかったのだ。
この世の何よりも大切な姉のためならば、姉の産む子供のためならば、姉の伴侶(…で居てくれている間)ならば、他の何が犠牲になろうとも。

無邪気なようで邪気のある笑み。その小さな悪に、DIOもまた愉快だと笑った。

汐華秋希乃は自分自身の意思で悪の帝王であるDIOの配下となったのだ。










 




秋希乃はその後冬休みが終わるまでずっとエジプトで過ごした。
数週間の間に主DIOを含めて、館の住人達とは少し親交を深める事が出来た。
皆一癖も二癖もある人達だったが、それが面白くもあった。


「…こんなに静かだったっけ」


その為、一人で戻った実家はシンとしていて、音が無かった。
初めて出会った自分と似たような超能力を持つ者達、そして何よりも大切な姉、その姉から産まれるという子供。
日本に帰っても、頭の中は彼等の事でいっぱいだった。
早く春休みになれば良いと願う日々は、とても時間の流れが遅く感じた。

1月が過ぎ、2月が過ぎ、ようやく3月。
寒く、冷たい冬が終わり、季節が春へと変わる。
ぽかぽかとした陽気は、秋希乃の心を明るくした。
エジプトへ行ける。
それだけを目標に生きていた秋希乃は、終業式が終わったその日の内に空港へと向かい、飛行機に乗った。


「──久しいな、アキノ」

「お久しぶりです、DIO様」

「ちゃんと戻って来たな…お前の音、空港についた時から聞こえていたぞ」

「流石DIO様ですね」


秋希乃は自身の超能力に、段階がある事に気がついていた。
超能力──DIOの部下、エンヤという老婆に名付けられた“ハトホル神”は、ラジオやTVの音量を変えられるように、自らが出す音波のボリュームを変えられる。
それによって、相手の脳を揺らしているのだ。

第一段階、Vol.1は、周囲の無能力者から存在感を消せる。
この状態の秋希乃に気が付けるのは超能力者だけ。
それに気が付けたのは、テレンスのおかげだった。

第二段階、Vol.2は、同じ超能力者からでも存在感を消せる。
秋希乃の姿は見えているかもしれないが、それは脳が見ている虚像であり、実像では無い。

第三段階、Vol.3は、存在感だけでなく秋希乃の姿は人の目に全く映らなくなる。人の脳では認識すら出来なくなり、秋希乃の姿は景色と同化する。
ただし、この効果は人間に限るというのが、吸血鬼のDIOとの遭遇で判明した。

人間よりも遥かに耳が良い存在には、音を発する事は居場所を知らせるのと同じだった。
多少の間は居場所を誤魔化せるが、逃げ足よりも早く接近されたり捕まえられたりすれば場所の偽装も存在感を消すのも意味が無い。

第四段階、Vol.4は、強烈な音波で脳味噌の視覚野そのものを破壊する。しかし、これも吸血鬼の再生能力の前にはあまり意味を成さない。
後にDIOが不死身と不老不死だと知った時に秋希乃は、あの時ボリュームを上げなくて良かったと心底ほっとした。
脳味噌を破壊する小娘など、彼が脳を治癒したらすぐにでも殺されていただろう。


「アキノ!待っていたんだ…君の姉の世話を早速だが変わってくれ…最近ますます機嫌が悪くて私には手に負えない…」

「テレンスさんもお久しぶりです。あ、これお土産の最新のゲームソフトです。
DIO様には以前興味があると仰っていた日本酒です。」

「ほう、気が効くな」

「ありがとうアキノ…!」

「秋希乃!私が頼んでた化粧品は?!」

「姉さん久しぶり!はいこれ、買ってきたよ。マタニティグッズも色々とね」


秋希乃は2ヶ月ぶりに見た姉の姿に顔を綻ばせた。
臨月を迎える姉の腹は大きく張り出していて、今にも産まれそうだった。
許可を得てお腹を触らせて貰うと、中で赤子が動く気配があったので、秋希乃は目を輝かせた。

春休みの期間は短い。
きっと、あっという間に過ぎてしまう。
姉が出産を終えるまでは居続けたい、秋希乃はそう思っていた。





──そして、その数週間後の4月16日、秋希乃は天使と出会った。





「わあ…かわいい…おてて小さい…」

「名前はアンタが決めた初流乃にしたわ」

「はるの…はるくん…」


秋希乃は感動していた。
姉から産まれた小さな命。自分と血の繋がった子供。
甥っ子の誕生は、親しい家族を一度に失った秋希乃にとって、希望の光となった。

そして同時に、そのあまりの可愛さに日本へ帰る気が一気に失せた。
悠長に小学校生活を送っている場合では無いと思った。この子の側に、出産を終えて疲れ切っている姉の側に居たいと、秋希乃は思ってしまった。


「このままエジプトに残りたいよ…」

「ダメよ。明日には帰りなさい。さっさと帰って…また夏休みに来なさいな」

「嫌だぁ…帰りたくない…」

「はいはい」


秋希乃は駄々を捏ねつつも、内心ではきちんと諦めがついていた。
自分が今日本から居なくなる事で騒ぎになれば、学校関係者から親戚へと連絡がいってしまい、またややこしい事になってしまう。


「分かってるよ…帰る…帰るけど、手紙か電話してね」

「嫌よ」

「姉さんのいじわる」


その後、屋敷に出入りする住人達と主DIOにまた別れを告げて、秋希乃は渋々日本へ戻る便に乗った。


──春休みを終えて、秋希乃は小学6年生になっていた。クラスは替わったが、クラスメイト達はこの6年で見慣れた子達ばかり。
新学期が始まってから数週間居なかった事を心配してくれる子も何人か居たし、親しくしている友達も居たが、秋希乃は内心ずっと上の空だった。









 



「──はるくん!叔母さんだよ!覚えてる??」

「あ、う、あ」

「喋った!かわいいね!」

「アンタほんとにこの子が好きね…」


夏休み、初流乃はぱっちりと目を開けて、母音を口に出すようになっていた。
彼のエメラルドグリーンの瞳は、まるで宝石のようで。吸い込まれそうなその眼に自分が映っている事に、秋希乃の鼓動は高まった。

初流乃の世話は普段はテレンスが行っているらしい。
“アトゥム神”の暗示を受けているテレンスは、その能力から初流乃が何を求めているのかすぐに分かる。
だから彼の察知能力は神がかっていた。オムツか、ミルクか、何が不快かそうでないかまでバッチリ一瞬で把握してしまう。
テレンスの育児能力が優秀過ぎて、めんどくさがりの姉はほぼ初流乃の世話を彼に任せている。
気が向いた時にはちゃんと手際良くこなしているので、実に姉らしいなと秋希乃は思った。

けれどテレンスには流石に申し訳ない気持ちを抱いたので、秋希乃は彼の普段の仕事を請け負う事にした。
“オシリス神”の暗示を受けているダニエル、テレンスの兄も、よく初流乃をあやしに来てくれていた。
彼はテレンスの10歳上の兄という事から、歳下の扱いが上手い。かくいう秋希乃も、彼に頭を撫でられるのは好きだ。
兄っぽさを通り越して父性すら感じる程だ。彼はDIOよりもよっぽど父親らしかった。



──冬休み、初流乃は喃語を話し始めていた。オバちゃん呼びでも良かったが流石に少し複雑な気持ちになるので、何度もお姉ちゃんだよと話しかけて呼び方を覚えて貰おうとした。
屋敷の住人は少し増えていた。前回屋敷には居なかった“灰の塔”、“悪魔”、“ゲブ神”の暗示を持つ彼等とは顔を合わせて挨拶しておいた。
“正義”、“オシリス神”、“アトゥム神”に引き続き、生まれ付いての超能力者である仲間が増えた事は、秋希乃にとって奇妙な感覚だった。

“灰の塔”、“悪魔”は裏社会では有名らしい。
“ゲブ神”の暗示を受けたンドゥールは、盲目だった。それ故か、彼の聴力は吸血鬼並みの鋭さだった。
秋希乃とは能力故に相性が合わないと思われたが、意外とハトホル神の音波は気に入ってもらえた。





──春休み前、秋希乃はついに小学校を卒業した。
そして待ちに待った春休み。
初流乃が産まれてから約1年の時が経つ。
久々にあった甥っ子は、単語を話すようになっていた。


「えー、ちゃ」

「そうだよお姉ちゃんだよ!」

「まんま」

「ご飯だね!」

「イキイキしてるわね…その調子で頼んだわよ」

「任せて姉さん」


秋希乃はDIOの屋敷に訪れる度に、率先して初流乃の面倒を見た。

DIOの配下はまた何人か増えていた。
“恋人”、“女教皇”、“バステト女神”、などの暗示を受けていると言われた彼等もまた皆、幼い頃からの超能力者だった。
エンヤ以外の女性の能力者が二人も増えた事は喜ばしかった。
けれど彼女達はDIOに次の母体候補としても選ばれているようだったので、姉と初流乃と秋希乃に複雑な感情を抱いているようだった。

“恋人”の暗示を受けたスティーリー・ダンとは、能力で似通っている所が多かった。脳の構造を解剖学的に詳しく彼は教えてくれたので有り難かった。
“女教皇”のミドラーはよく姉と口論をしていたが、一応DIOから事情は聞いているのか、暴力沙汰には発展しなかった。
あと、彼女は時々初流乃を可愛がりに来てくれているようだったので、そこからよく関わるようになった。
“バステト女神”のマライヤも同様だった。同性の彼女達が増えた事でテレンスの家事負担が減るかと思ったが、逆に増えたと彼は愚痴を溢していた。


「ぇーちゃ、あー!」

「なーにはるくん」

「んー!」

「わぁ、それは食べちゃダメだよ」


初流乃はすくすくと大きくなっていった。
姉は相変わらず初流乃の世話をある程度はしているようだったが、秋希乃がエジプトに居る間はほぼ放置していた。
近頃はこの地域特有のエステにはまっているらしい。
息子が生きてさえいればそれで良いという態度の姉に秋希乃は特に何とも思わなかったが、姉よりも長い時間初流乃の面倒を見ているテレンスは悪態をついていた。

屋敷に居る者は皆個性的で愉快だったが、やはりその中でも特に秋希乃はテレンスと仲良くさせて貰っていた。
彼の兄ダニエルにも可愛がって貰っているが、テレンスとは何気に歳が近く、彼はゲームや裁縫を嗜むので、かなり親しみ安かった。
それに、秋希乃にとって彼は初めての超能力者仲間だった。お互いに理解し会える事も多く、手作りの人形や服をくれたりと、とても親切にしてもらっている。
彼に作って貰った服はサイズもちょうど良く、良い生地が使ってある為か着心地も良い。これを趣味で作っているというのだから、とても勿体無い。
オーダーメイドの服は本来とても高価な物だ。

初めてテレンスからそれらを貰ったのは去年の春休みだった。初流乃が産まれる前の事だ。


「アキノ…君が居ない間に、作ったんだ」

「わあ、すごい。私人形ですか?」

「創作意欲が湧いてね…何体も製作してしまった」

「衣装が一つ一つ拘って作られてますね…流石テレンスさんです。ひとつ貰ったりとか…出来ます?」

「是非とも!これと、これもあげよう、そして良ければ君サイズの衣装も是非!」


人形本体、その衣装をも作れる彼が、人間用の秋希乃サイズの服も何着か繕ってくれたのだ。
手作りの服に姉は気味悪がっていたが、秋希乃は純粋に嬉しかったので貰っておいた。
それのお礼にとテレンスが屋敷でしている仕事を請け負うと、その隙間時間にまた別の服を何着か作って渡されてしまった。
洋服が増えて収納場所に少し困ってきた事をダニエルに伝えると、複雑な表情のまま気遣わし気に頭を撫でられた。
後日DIOから秋希乃専用の部屋が与えられた。


「出来たぞアキノ…!アキノ人形のセーラー服着用バージョンだ」

「凄いですねテレンスさん。まだ服を見せてから1日どころか半日も経っていないのに…」

「等身大アキノ用のセーラー服も作ったぞ」

「それはもうただのセーラー服ですよね…?売り物みたいにしっかりとした作り…流石です」


テレンスの人形作りや衣装作りの技術力は高い。初めて出会った時に比べてまた力を上げているようだった。
ベビー服も一通り手作り出来る彼のおかげで初流乃の服もメイドインテレンス製の物ばかり。
秋希乃のエジプトでの着替えも全てテレンスが自作している物だ。
何が彼をそこまでさせるのか。服飾デザイナーとして名を轟かせる事も出来そうな勢いだった。
秋希乃はテレンスが特殊な癖を持っているのは知っていたが、人には人の個性があるのだからそこまで気にする程の事では無いと思っていた。
それに、この屋敷で一般的な人間など一人も存在しないのだから気にする方が無駄である







──そして、その年の夏休み。事態は急展開を迎えた。
その日、秋希乃はテレンスに夏服セーラーをお披露目したところだったので、制服を着ていた。


「アキノ!帰ってきておったか!さあ出かけるぞ!」

「あ、ちょっと待ってください、流石に制服で外に出るのは」

「はん、お前の力を使えば何の問題も無いじゃろ!」

「それはまあ…そうなんですけども」


老婆エンヤにも、初めてこの屋敷に訪れた時からよくして貰っている。
秋希乃の超能力に名前をつけたのは、この老婆だった。
占い師である彼女によって、自分は“ハトホル神”の暗示を持つ能力者であると、彼女は言った。
どうやらこの神の暗示は珍しいらしく、様々な逸話が主DIOにとって幸運を齎す筈だという。

天空と愛の女神、世界を生み出した天の牝牛、妊婦を守る女神、死者の町ネクロポリスの守護神、冥界へ行く物達に乳といちじくで作った食物を与える役割を持ち、エジプトいちじくの木の貴婦人と呼ばれる事もある。
太陽神ラーを父に持ったり、その子ホルスの母だったり妻だったりと、とにかく逸話が多い神。
ギリシャ神話ではアフロディーテと同一視されるその女神の暗示など、自分には恐れ多過ぎるし、よく分からなかった。
しかし占ったエンヤが納得している様子なので、秋希乃はとりあえず、その有り難い名を受け取った。


「お前と共に居ると、取るに足らんカスどもと関わらんで良いから楽じゃ」

「すごい言い方しますね…」

「事実じゃろ。掘り出し物や、何か特別な力を持つ人間探しというのは本来こんな簡単に見つからん」

「“アヌビス神”の事ですか?あれはDIO様が見つけたと思うのですが…」

「あの博物館に行きたいと言ったのはお主じゃろ」

「何となく気になっただけなんですよ…」

「その何となく、が重要なんじゃ」

「あ、エンヤさん、ジューススタンドですよ。少し休憩しましょう。水分を取らないと」

「アサブジュースか、好きじゃな」

「甘くて美味しいんですもん」

「わしはアラスースで良い」

「はい、ではあちらで少し待っていてください」


秋希乃はこの偏屈な老婆をそれなりに気に入っていた。
その息子とはあまり仲良くしたくはなかったけれども。
彼女の息子、“吊られた男”の暗示を受ける彼は、女を強姦して殺すのが趣味な変わり者で、女性陣からは地を這うゴキブリ並に嫌われていた。
ダービー兄弟からも毛虫を見るような目で見られている。ダニエルからは決してアレと関わろうとするなと言い付けられていた。
秋希乃も流石に積極的に関わろうとは思わなかった。姉と甥を襲わないのであればそれで良かった。

エンヤはそんな彼を酷く可愛がっていた。
もしエンヤから息子に身体を差し出せ等と言われたとしたら彼女の脳味噌を破壊するのも辞さないが、彼女が秋希乃に求めたのはハトホル神の能力の行使だけだった。
能力目的ではあるが親切にしてくれているので、害がないどころか、秋希乃にとって彼女は好好爺ならぬ好好婆のような存在だった。


「すまない、道を尋ねたいのだが」

「──はい、どうされましたか?」


その時、男が話しかけてきた。
年齢はテレンスと同じ年頃だろうか、20代くらいの男だった。
旅行客というよりは、現地での作業員のような佇まいだった。
そんな男が、子供で、女で、この辺に馴染みのないセーラー服を着てるという、とても現地人には見えないだろう秋希乃に声をかけてきた。
しかも、ハトホル神の能力の第一段階、Vol.1の加護がかかった状態の、秋希乃にである。

この状態の自分に話しかけてくるという事はつまり、この男、テレンスの時と同じように、超能力者かそれに関係のある力のアイテムを持っている。
エンヤ婆が街中で散策して見つけようとしていたのは、こういう縁だった。


「貴金属か、骨董品を売れる店がこの辺りにあると聞いたのだが…」

「そうですね、それなら一本向こう側の通りにあります」

「そう聞いて、そちら側にも行ったのだが、分からなかった…」

「…少し待って頂けますか?連れ合いに、そういった物の目利きが出来る者がいますので、良ければその売り物を見させて貰っても?」

「…君は、現地人では無い、よな?まあ、金さえ貰えれば何でも良いが…」

「今更ですね?ですが、分かりました。こちらへどうぞ」


そして、秋希乃はジューススタンドから購入したドリンクを持ちながら、エンヤの元へ向かった。














──人と人との出会いというのは、運命で決められているのかもしれない。
秋希乃がそう思ったのは、それから何年も先の事だった。

















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