novel2 | ナノ
 

1983年の年の暮れ頃、スペインの領のカナリア諸島近海で海底から引き上げられたDIOは、魔女エンヤに導かれてエジプトへとやってきた。
彼はここを拠点にし、世界各地を巡って仲間を集め出した。その彼がアメリカに訪れた際に、自分達兄弟はその目に留まった。

テレンスは生まれつき特別な力を持っていた。加えて、優秀な頭脳を持っていた。
だから自分以外の人間を、兄含めて馬鹿にして生きてきた。自分が誰よりも優れた人間だと疑っていなかったのだ。
無能力者達は勿論、同じ超能力者の兄を含めて、劣っていると感じた事は一度もなかった。

しかしその考えは、人間を遥かに上回る存在──DIOに出会った事で吹っ飛んだ。
100年以上生きている吸血鬼だという彼は、その手の一振り、否、小指の一突きで人間をただの肉片に変えてしまった。
いくら、自分達の能力のビジョンを彼が見えていなくても、吸血鬼という事、その存在自体が力の塊のような彼には敵わない。
比べる事すら烏滸がましい程の身体の能力を彼は持っていた。純粋な力の差があった。
生き物としての格が、次元が違う。

しかし、かの帝王は物理的な力比べをしなかった。知恵や知識、自分達兄弟の持つ肉体的では無い強さでも、差を見せつけてきたのだ。
圧倒的な人外のパワーと肉体を持ちつつも、聡明で明哲で賢明で、叡智に溢れた眼差しを持ち、カリスマのオーラを放つDIO。
兄は彼に、トランプゲームで完敗した。
超能力を使う素ぶりでもしたらその次の瞬間に物理的にバラバラになりそうだったので、魂をかけてはゲームをしていないが。
それでも、恐ろしい程の緊張感があった。テレンスはその様子を横で見ているだけで息が止まる程の恐怖を感じ、冷や汗をかいていた。

その後、DIOは自分達を仲間に誘ってきた。断る気はなかった。
彼に対する恐怖は、憧れに変わっていた。この人に付いていきたい、この人に仕えたい、隷属したいという初めての感情。
自分達のような超能力者を遥かに超えている存在に焦がれて、完全に魅入られて、テレンスは彼の元に下った。

──まさかそこで食事作りと女の世話をする事になるとは思わなかったが。

しかし女は、シオバナは、吸血鬼である主人の選んだ大事な実験体の一人目だ。
首から上が吸血鬼、首から下が人間の身体であるDIOと、人間の女との間で、子は成せるのか?
そして、子が成せる事は分かった。ならば次に、その子供は一体、どのような存在なのか?
人間と同じく十月十日胎の中に居続けるのか、胎に居る期間は短いのか長いのか?
死産せずに育ちきるのか、胎を突き破って産まれては来まいか、産声をあげるのかあげないのか。
人間なのか、吸血鬼なのか、ダンピールなのか、はたまた別の生き物か──

母胎を使ったその実験に、女は協力している。
女と主DIOの間でどういった取り決めや契約があったのかは知らないが、それは続いていた。
エコー検査や検診で、赤子は少なくとも普通の人間と同じように胎内で成長している事が確認されている。
クリーチャーのような姿形ではなく、歴とした人間の形をしていると。
産まれるまで、産まれてからもその後どう育つのかが疑問の為、観察は長期的に暫く続く。

だからテレンスは、シオバナがいくら気に食わなくても、丁重に扱わなくてはならない。
そしてその妹であるアキノも、決して傷付けてはならない相手だった。


テレンスと兄ダニエル、そして老婆エンヤは“特別”だ。
だから自分達は、DIOの側近として屋敷に住み、側に仕える事を許されている。
その為、主がアキノを生きたまま無傷でこの館に連れてきた事で、彼女がただの小娘ではない事は明らかではあった。
彼女もまた超能力者であるのだろうと、何事もなくこの館で過ごす様子を見ていたテレンスは、彼女が来て4日目でそう結論付けた。
女の死体が転がり、他の粗忽な能力者が出入りするここで、“何事もなく”、平然と過ごしている──それは異常だった。
そして、それこそ、その11歳の子供にそぐわない異質さこそが、テレンスの目には魅力的に映っていた。


「アキノ」

「はい、なんでしょう?」

「少し、時間をもらえますか」


能力者同士は引かれ合うのだと、主は言った。ならばきっと自分が初対面の時からアキノを妙に意識したのは、声をかけたのは、善意や良識からでなく純粋な興味だったのだ。
彼女の瞳には、何か特別な光があった。何が起こっても受け入れてしまうような、そんな覚悟すら秘められている煌めきが。
アキノの幼い見た目とはアンバランスな内面が──そう、魂が、テレンスの興味をひいていた。惹かれていた。
だから、それが揺れる瞬間を見たいという想いも抱いてしまっていた。


「良ければ、私の部屋に来ませんか」

「…、何の御用ですか?」

「見せたいものがあるというか…まあ私の趣味の披露ですよ。」

「テレンスさんのご趣味…というと、お人形作りとゲームですか?」

「ええ、まあ」


少しの力でぱきりと折れそうな手足、薄い身体。低い身長。
小さく愛らしい、彼女は存在そのものが人形のようだった。
日本人形ではなく、西洋人形ともまた違うが、なんともいえない愛らしさがある。
シオバナの妹なので魂を抜き取る事は出来ないが、彼女を模した人形を作るくらいは良いだろうと、テレンスは思っていた。
そして早速作っていた。


「どうぞ…お入りください」

「失礼します」

「コーヒーと紅茶なら、どちらが良いですか?」

「えっと…では、紅茶で」

「砂糖かミルクかレモンか、それともストレート?」

「ミルクでお願いします」


アキノは笑顔だった。
しかしここ数日共に過ごしていたテレンスは、彼女がその表情の下で全く気を抜いていない事に気がついていた。
その緊張をほぐす為にも、紅茶を入れて一息つこうとした。


「美味しいです」

「クッキーもどうぞ」

「ありがとうございます…ふふ、なんだかテレンスさん、お兄さんみたいですね」

「お兄…それは初めて言われました…」

「そうなんですか?」

「私には兄がいるので…優秀な弟だとはよく言われたものですが…あと、年下の子供の面倒をみる機会もありませんでしたしね」


兄であるダニエル・J・ダービーとは10歳年齢が離れている。
幼い頃は多少尊敬もしていたが、そもそも“特別な能力”からして自分と兄とでは格が違うと気付いてから、テレンスは兄を見下していた。
しかも昨年は自分のガールフレンドにちょっかいを出されるという事件が起こっていた。当時25歳の兄が15歳のティーンに手を出したのだから、笑えない。
しこたまブチのめしたので、兄と自分の兄弟関係は決して良いとは言えなかった。
しかし、別にそんな事があったとはいえ殺し合いに発展する程中が悪い訳でもない。むしろ兄は弟である自分に甘い。
年の離れた兄弟姉妹とはそういうものなのかもしれないと、テレンスは思っていた。
アキノの姉に対するそれは些か過剰だし、どちらが姉で妹なのか分からないレベルのものであったが。

くるくるとシオバナ姉の周りを動き回り、必要なものは無いか、して欲しい事はないか、妊婦に最適な食べ物を取っているか、子供の名前は決めているのか、などと、アキノは普段から召使いのように動き回っている。
姉も姉で、それをうっとおしいと直接的に邪険に扱うわけでもなく、かと言ってコキ使うでもなく、適当なタイミングで相槌を打っている。
それを見てアキノは嬉しそうに会話を続けたり、物を取りに行ったりするものだから、姉妹間にしか分からないコミュニケーションの取り方があるのだろう。


「テレンスさんはとても面倒見が良い方なので、お兄さんっぽいなと思ってしまいました」

「まあ…面倒を見ているのは仕方なく…ですからね」

「あ…ごめんなさい、私が来てからテレンスさんの負担が増えてしまっていたりしますか?」

「いやそれは無い、断じて」


テレンスは思わず食い気味にきっぱりと告げた。アキノがきょとんとした顔をしたので、咳払いする。


「あー、君が来てからの方が、私の負担は確実に減ったよ…面倒というのは…まァ、はっきり言うが…君の姉の事さ。
彼女の面倒を君が見ていてくれるから、正直言って助かってる。
君とこうしてお茶したりするのはむしろ、世話を焼くという行為ではなく、気晴らしになっている」

「…そうでしたか、それなら、良かったです」


小さく笑ってから、アキノは上品に紅茶に口をつけた。
幼児のような見た目で淑女のように振る舞うその様はやはり、ちぐはぐで。
彼女をコレクションに加えてみたい──つい、テレンスはそう思ってしまって、テーブルの下で拳をぐっと握りしめた。


「そういえば、前から気になっていたのですが、私に対して敬語を使っていただく必要はありません。
今みたいにもっと気さくにお話してくださいね。そちらの方が、よりお兄さん感があって好きです」

「好き、ですか…。そうか…なら、これからはそうするよ…」


テレンスの口調はいつのまにか砕けたものになっていた。
そちらの方が好みならと、そのまま俗っぽい話し方で彼女と会話をしつつ、頭の中では別の事に考えを巡らせていた。

テレンスは“超能力”によって、ゲームで負かした相手の魂を奪い、お手製の人形の中に入れる事が出来る。
それらを着せ替えたり飾ったり会話を楽しむという、マニアックな趣味を持っている。
それが他人からすれば到底受け入れられない異常性癖である事も自覚していた。
しかし、人から嫌悪されるのは仕方ないという諦めの心があると同時に、誰かに受け入れられたい、理解されたいという思いが湧くのが、人のサガである。(どこぞの町の殺人鬼のように)
だから、目の前の彼女に、己の癖を、本性を見せたらどのような反応をするのだろうと想像して、昂っていた。


「…ところでアキノ、これを見てくれないか」

「これは…?」

「昨日一晩で作ったんだ…よく出来ているだろう?」

「…もしかして、私、ですか?」

「ああ…そうだ」


彼女を見て創作意欲が湧いていたテレンスは、一夜漬けでアキノの人形を作っていた。
誰にも見せず、仕舞われて、褒められる事が決して無い自分の作品達。
今まではほぼ、魂を奪うと決めた相手にしか人形は晒していない。そしてその相手には必ずといって良い程汚物を見るような目で見られてきた。
主や兄にすら顔を歪められるソレを晒すという行為に、テレンスは興奮していた。


「とってもよく出来ていますね…私を模して人形を作ってもらうなんて初めてなので、嬉しいです」

「!そ、そうか」

「独特な雰囲気ですけどかわいいです。自分の人形にそんな事を思うのは少し恥ずかしいですが…
テレンスさんのお裁縫の技術はすごいですね」

「はは…褒めて貰えて光栄だよ」

「あ、そういえば、お人形作りが趣味だと聞いていたのに、この部屋には他の作品は無いのですか?」

「…見るかい?」

「見せてもらっても良いのですか?」

「ああ…君になら…」


テレンスの胸は高鳴っていた。
人形達を仕舞っているキャビネットの前まで行き、扉を開ける際には額に汗が滲む程だった。
そして──


「すごい、喋ってますね…何故動いてるんでしょう…」

「魂さ…中に、こいつらを模して作った人間の魂を入れてある。」

「魂…テレンスさんは魂を扱う超能力者だったのですか?」

「ああ…驚いたかな?」

「いいえ…DIO様の元で仕えているのですから、何となくテレンスさんにも特別な力があるのかなと思っていたので」

「ふふ、そう、これが私の能力だ…賭けで負けた相手の魂を人形に閉じ込める事ができる。
こうやってお喋りや着せ替えをして楽しむ事も出来るんだ」

「なるほどそんな力が…触ってもよろしいですか?」


彼女はあっさりと、人形の事も超能力の事も受け入れた。
呻き声を上げる人形達にも特に引く事なく、興味深そうにじっと見つめた後に抱き上げて、話しかけて、力加減に気をつけて触っている。
テレンスは己の超能力──エンヤによって“アトゥム神”と名付けられたその力で彼女の魂を背後から見た。
アキノはやはり、多少驚いてはいたが、その魂にはほぼ揺らぎがなかった。
その反応を残念に思いつつも、ますます彼女に対する興味関心がそそられた。


「…貴女の魂も…ここに入れてみたいと言ったら?」

「…ええ…?それは嫌ですけど…」


アキノは人形から目を離してテレンスを見上げてきた。流石に困惑した表情をしている。
彼女を模した人形の意味も理解しただろう。しかし、それだけだった。


「魂はあげられませんが、お喋りも服の着せ替えも、今の私とではいかがですか?」

「…は」

「このお人形達が着ている服もテレンスさんの手作りですよね?ここまで細かく作れるなんて…あ、でも人形サイズでないとダメなら、やっぱりごめんなさい…」

「……」

「お喋りなら…私人形の側に電話を置くか、人形の中にトランシーバーを仕込めばなんとか出来そうですよね」

「人形の中に」

「はい。テレンスさんとはもっとお話したいなと思っていたので、それなら大丈夫です」

「……は、はは、…はははは!」


テレンスは彼女の発言が予想外過ぎて、あまりのおかしさに笑ってしまった。腹を抱えて、ヒーヒーと呼吸が出来なくなる程に。
アキノが戸惑っている。おろおろと、こちらを気遣うように見ている。
呻き続ける人形達に向かって、どうしたら良いですか?と聞いている姿も異質で、愉快で、痛快で。
笑い過ぎて咽せながら、テレンスはなんとか言葉を返した。


「き、君、本当におかしいやつだな」

「えっ」

「こんなに笑ったのは久しぶりだ…DIO様が気に入ったのもよく分かる」

「そうですか…?」

「悪かった、変な事を言って…君の魂は取らない。
それより…お茶の続きをしよう。その後TVゲームも一緒にやらないか?」

「ゲームしたいです!あ、あと、もし良ければお裁縫のし方を教えて貰っても良いですか?私あまり得意ではなくて…」

「ッふ、ククッ、ははは…!あの人形を見ておいて私に裁縫の仕方を習いたいだなんて…!君ってやつは…!」

「そうですか?テレンスさんの裁縫技術の高さを見てそう思ったのですが…」

「ッはは、ははは…!ッグッド!!」


テレンスは上機嫌で、アキノとの時間を楽しんだ。魂は賭けずに、お気に入りのゲームをいくつもプレイした。
シオバナ姉がいつまで妹と遊んでるのかと怒鳴り込んでくるまで、遊び続けていた。

 









「──2週間お世話になりました!」

「…そ」

「……どうしても帰る必要が…?」

「はい、学校に行かないといけません…義務教育ですし、私が通っていないと騒ぎになりますから…また、春休みに来ますね」


年が明けて、アキノは日本へ帰る事になった。
ぺこりと、日本人らしく頭を下げて挨拶をするアキノに、身重のシオバナは素っ気なく返事をした。
それでもその手は、妹の頭をぐりぐりと撫で回していた。

テレンスはあまりにもアキノが居た日々がシオバナ関連においてストレスフリーであった事と、彼女と共にゲームや裁縫をする日々が充実し過ぎていて、アキノが居なくなる事に寂寥感を抱いていた。


「貴女が居ないと…日々に潤いがない…」

「今度来る時は新しいゲームソフトを持ってきますね」

「アキノ…!」


アキノと話していると、シオバナ姉がゴミを見るような目で見てきた。自分の兄ダニエルも、冷えた表情で見下ろしてくる。
シオバナ姉に関しては受け流したが、ダニエルに関しては、お前にそんな目で見られる筋合いは無いと睨みつけておいた。

ある日屋敷に帰ってきたダニエルも、アキノと接するうちに彼女を気に入ってしまったようだった。
兄という立場や経験上、シオバナの妹であるアキノとの相性がとても良かったのだ。
愛想が良く、家事をよく手伝い、全力で姉が大好きとアピールする健気で幼気な彼女の姿が、兄心に刺さったのだろう。
アキノのその性格や振る舞い方が、まさに兄が理想とする妹の鑑、妹の概念にぴったりと当て嵌まったらしい。

アキノもダニエルとは対面した瞬間から好印象だったようで、テレンスに懐くよりもずっと早く兄に懐いた。
自分の事を兄のようだと言った彼女は、もしかしたら頼れる歳上、という存在を求めていたのかもしれない。
シオバナ姉があれではそう思うのも仕方ないのかもしれないと、テレンスは己を納得させようとした。

が、兄の膝の上に乗るアキノを見た時は二度見どころか三度見したし、自分は膝抱っこなど強請られた事が無いという強烈な悔しさを感じた。
後日自分もチャレンジしようとしたが、アキノに遠慮されて普通に傷ついた。
彼女曰く、歳が近いので恥ずかしいとの事だった。
確かに年齢的に言えば自分達は5つ違いだ。アメリカ基準で考えると、ハイスクール(高校生)の学生がミドルスクール(中学生)の学生を膝抱っこしている、という事になる。
テレンスは、アキノにはお人形のように小さな子供のままの姿で居て欲しいような、友人として同世代で居て欲しいような、着せ替え愛玩対象として成長せずそのままで居て欲しいような、早く成長してその精神に見合った身体になって欲しいような、そんな複雑な感情を抱いていた。
テレンスの精神は乱れた。

遠出していた魔女エンヤも帰って来てアキノを一目見てすぐに気に入り、まるで孫娘に接するかのように気にかけていた。
エンヤは占い師だ。アキノの存在と能力は、主DIOにとって、自分達にとって利となるとはっきりと占いに出たらしい。
始めは表面上だけ彼女を可愛がっていると思っていたが、その内老婆も絆されたのか、帰り際には随分と仲が良くなっていた。

“ハトホル神”
老婆とDIOによって名付けられたその超能力を持つ彼女は、DIOの正式な配下となった。
しかし今日、彼女は自由の身のまま解放される。
世界中に徐々に仲間を増やしている最中なので、一応自分達の事は他言無用。
秘密は徹底して守らせる為に、いつもなら主は何らかの“処置”をするのだが、彼女に関してはそうではなかった。


「アキノ」

「はい、DIO様」

「忘れるなよ」

「はい、勿論です。…DIO様も、お忘れなく」

「ああ、分かっている。またな」


彼女を縛り付ける1番の鎖は、シオバナだ。シオバナ姉がDIOの元に居る限り、彼女は絶対に裏切らない。裏切れない。
だからこそ、日本への帰国も許されたのだ。

主と二言三言話した後、彼女は名残惜しそうに日本へと帰っていった。
テレンスは深いため息を吐いた。
アキノが来るまでのシオバナ姉の世話を焼く日々に戻る事が、憂鬱極まりなかった。











数ヶ月後、アキノはまたエジプトへやってきた。
テレンスは少し気が逸ってしまい、彼女に会えない期間作っていたお手製アキノ人形をいくつも彼女に披露し、シオバナ姉に靴の裏についた犬の糞を見るような目で見られた。
アキノを庇うようにじりじりとテレンスから遠ざけるシオバナ。しかしアキノは目を輝かせて、一つ貰っても良いかと尋ねてきた。
テレンスは舞い上がって、アキノ人形を一つと、その着替え数十着と、それとお揃いのアキノ本人用、つまり等身大アキノサイズの衣装を数十着渡した。
シオバナ姉は肌にサソリでも這ったかのように悲鳴を上げて飛び上がり、妹の手を引いて部屋から飛び出していった。

──胎教に悪いからやめろと、テレンスはエンヤから注意を受けた。

しかしアキノはテレンスの作った服を一目見て気に入ってくれたらしく、後でこっそりとセットで受け取ってくれた。
後日、アキノがテレンスお手製の洋服を着ている様子をシオバナ姉が複雑そうな顔で見ていた。服は彼女にぴったりで、とてもよく似合っていた。
テレンスがドヤ顔をするとシオバナ姉はついに物を投げ付けてきた。

そうこうしている間にアキノの春休みが終わりかけたが、シオバナ姉が臨月を迎えてもうすぐ子が産まれそうになっていたので、彼女は休み期間を延長した。


そして──ハルノ・シオバナが産まれたのだ。


「かわいい…大好きよ…私が守ってあげるからね…」


アキノは子供の額や頬に口付けて、囁くようにそう語りかけていた。
その光景はまるで宗教画のようで。テレンスは一瞬魅入ってしまった。


「その子の名前は…」

「初流乃、です」

「ハルノ様…」


アキノは日本に帰国する際も、帰りたくないと言わんばかりの表情をして、ずっと赤子を見ていた。
前回の時よりも名残惜し気なそんな彼女を、シオバナ姉は割と強引に送り出していた。


──アキノはその後、長期休みの度にエジプトへ訪れた。
テレンスはその度に張り切って新たに作ったアキノ本人と人形用の着せ替え衣装をプレゼントし、シオバナ姉に養豚場の豚を見るような目で見られ続けた。
アキノの興味関心は姉と甥に向いていたが、それでも彼女は随分と自分に懐いてくれていた、とテレンスは思っていた。

そして、それは主の息子ハルノが1歳になる頃の事だった。


「セーラー服って言うんですよ。
欧米では水兵さんが着られてますが、日本では中高生…えーっと、ミドルスクールからの女生徒が着る服として知られています」

「………」

「テレンスさん?」

「………」

「テレンスさん??」


アキノはテレンスにとって妹のような存在だった。それが、服装が変わっただけでいっきにぐっと大人っぽくなってしまった。
彼女はもう12歳。幼く見えるといっても女児では無く、大人の女へと成長途中の女子だった。

セーラー服。それの上半身は水兵の物とほぼ同じ作りだ。
しかし下はプリーツスカート。安全性を考えるのなら軍のものと同じようにズボンタイプにするべきだろうが、見た目が重視されているのか、そうなっている。
今までセーラー服を目にした事はあれど、年頃の女生徒が実際に着ている様子を直に見た事がなかったテレンスは、鼓動が早まった。
アキノの脚は膝下まで隠れていて、腕も手首まで隠れている為、主DIOに献上される女やその辺の町娘達より露出が少ない。

のに、何故、自分がその姿に如何わしさを感じているのか、分からなかった。
男共に狙われてしまうのではという心配の心、親心のような兄心のような加護欲のようなそれが、テレンスの中に芽吹いた。
そこでようやく、妹を不審者(自分)から遠ざけたいというシオバナの気持ちを理解したのだ。
そして更に、テレンスの心には同時に言い様の無い感情が生まれて渦巻いていた。
創作意欲が爆発し、その欲求は縫製作業によって発散させた。着せ替え衣装にセーラー服が追加されたのは言うまでも無かった。



──そしてその年の夏、事態は一気に動いた。
夏服です、とセーラー服を見せてくれたアキノに脳を焼かれたテレンスが人形サイズの夏服を作成しているその途中、玄関から騒がしい老婆の声が聞こえた。
エンヤと共に出かけていたアキノも帰って来たのだろうと顔を出すと、彼女は珍しく焦った表情をしていた。
エンヤは酷く興奮していた。


「アキノはやはり運命を告げる女神!愛と美と母性の象徴!!生命の誕生と死者の導きの両方の担い手の神!!!“ハトホル”の暗示を持つ能力者!!!!流石わしが見込んだ女よーーー!!!!!」

「エンヤさんお、落ち着いて…」

「これが落ち着いていられるか!?!DIO様!どこですじゃー!!」


アキノが腕に抱えた箱の中身が、ガチャガチャと音を立てている。
慌ただしく主DIOの元へ駆けていく二人を見送って、テレンスは首を傾げていた。













「──無能力者を、超能力者にする矢…?!」

「ああ、エンヤ婆が様々な実験したところ、資格のある者、才能のある者を、これは“覚醒”させるようだ」


彼女達が持ち帰って来た物──それは古い作りの鏃だった。
全部で5本あるそれをエンヤが手に入れたきっかけはアキノだったらしいが、エンヤはその鏃を一目見て力を感じたのだという。
自分と同じ“力”、否、それ以上の未知のパワーを──。
能力のある者は惹かれ合う。それは物が対象でもそうであるのは、“アヌビス神”の件で判明していた。

そしてエンヤは、その5つ分の鏃を加工して矢を作り、それを射る為の弓を業者に作らせた。
矢を既に何度も射たというエンヤは、興奮しながら話した。


「この矢が欲しがるモノを射抜くと、それは力を得る!
才能の無い者は刺されると死に、才能ある者は超能力者となるんですじゃ!
動物にもこうして超能力を与える事が出来る!」

「鳥…ですよね?」

「名をペットショップとペットサウンズ、2匹とも既に能力を得ている」

「コイツらも超能力を…?!」


そのハヤブサとオウムは、屋敷に出入りしていた鳥の調教師のものだという。
主DIOは犬が嫌いだ。だから、番犬ならぬ番鳥を雇う予定だった。
その為の鳥が超能力を得たというのは俄かには信じられなかったが、エンヤ婆が占い、“ホルス神”と名づけられた超能力を持つハヤブサ、ペットショップの方は分かりやすい能力をしていた。


「氷…涼しいですね」

「コイツの力を見た感想がそれか??」

「えっ…涼しくないですか?この子自身も体温が低いみたいで…真夏にはちょうど良いですね」


ペットショップは氷の能力で、部屋の壁を破壊した。
彼の背後に在るビジョンは、翼は無い代わりに6本の腕のようなものがあり、翼竜の化石じみた見た目をしていた。

ペットサウンズの方は、オウム自身が過去に聞いた“声”を対象に聞かせて、その記憶を追体験させるという物だった。
サウンズの方の力は番鳥には向いていないなとテレンスは思ったが、似たようなタイプの超能力者、“音”を扱うアキノは、興味深そうに彼の能力を聞いていた。
声と音どちらが強いのかの実験も行われたが、“ゲブ神”を司る盲目の超能力者のンドゥールがぶっ倒れ、DIOが気分が悪い吐き気がする、と言った事から中止になった。


「ご、ごめんなさい…ほら、ペットサウンズも謝って」

「?」

「貴方喋れるんだし、ごめんなさいって言えるでしょう?」

「ゴメンナサイ!ゴメンナサイ!」

「すごい、やっぱり賢いね」


オウムは首を傾げつつ、アキノの言葉を繰り返していた。

魔女エンヤは他にもオランウータンを矢で射たという。しかもソイツは“力”の暗示を受けているらしい。
そして、動物実験の後に複数の人間で実験を繰り返した彼女は“節制”、“審判”などの暗示を受けた能力者達を手元に増やしたそうだ。

テレンスだけではなく、これからこの世界がひっくり帰りそうな程の期待や興奮を、その場にいる者は感じていた。
そして、今後の方針が決まった。


「いつまでも“超能力者”だと締まらないか…。
その姿形は見えないが、そこに確かにある力の概念…その超能力のビジョンは多種多様、なんだよな?」

「は、はい。ペットショップとサウンズでも違った見た目をしています。」

「超能力の具現化…擬人化…本体の人間の側に立ち現れるというのは、背後霊のようでもあるな。」

「幽霊…確かに、幼少期にはそのように思っていたものです」

「私は妖精か妖怪か…付喪神か何かだと思っていました」

「フゥン…お前達はやはり特別だな。…産まれながらにして、そんな力を天から授かっているなんてなァ…」

「ディ、DIO様は能力が無くても特別なお方です」

「ハ…私がこの力を得たのは犠牲を払ったからだ…人間を辞めるという犠牲をな…
何の犠牲も払わずに他者より優れた超能力を得るなど…まるでアイツが苦労せず身に付けた忌まわしき波紋のようでもある」


少し機嫌の悪くなった主に、皆口を噤んだ。


「まァ…良い。かつて首だけになるまでに追い詰められたアレ…波紋に準えるのも一興よ。
目に見えない事から幽波紋…ンン、語呂が悪いな、背後霊のように自身を側で守る存在という事から、“スタンド”と呼ぶ事にする」

「幽波紋…スタンド…」

「お前達は今から“スタンド使い”だ。ただの超能力者では無い。
私の配下、私の部下、お前達のような存在を、これから世界中に増やす。
お前達のように産まれついてのスタンド使いも引き続き探し出し、仲間に引き込むぞ。
まだ分からないが…即席の能力者と天然の能力者との力の差があるのかどうかも気になるしな」

「は…はい!」

「スタンド使いを作る事に関してはこのエンヤにお任せを!」


そうして始まった仲間作りは、順調にいっていた。
主DIO自身も矢の力でスタンド使いとなり、不死身、不老不死に加えて、強力で絶対的なスタンドパワーも手に入れた。
最早自分達の組織に勝てる者は無いと思える全能感があった。





──後から振り返ると、それが油断を招いていたのかもしれない。
その約一年と半年先、1988年、1月。
テレンス達は、主DIO含めて全滅し、ジョースターの一派に徹底的に敗北した。















「──気をつけて帰るんだぞアキノ」

「はい、今回は初流くんも姉さんも一緒に帰省しますし…あ、あと花京院さんも同じ飛行機の便でした。偶然ってすごいですよね」

「花京院…ね…日本に帰ったらアイツと共にジョースターの末裔を探すんだろう?…注意しろよ」

「花京院さんは肉の芽もありますし…DIO様を裏切る事は無いと思いますが…」

「数日間で随分と仲が良くなったみたいだが、基本的にDIO様が肉の芽を刺すのは正義感の強そうな奴ばかりだ…我々と性質が合わない、相性が良くない者に、あれは施されている」

「そう、ですね」

「ポルナレフの奴は肉の芽が刺さっているのに君にしつこかったろ?」

「ポルナレフさんは…私が妹さんの特徴と似てたので仕方なかったのだと思います」

「花京院もそうなるんじゃあないかと心配だ…距離間を間違えないようにな」

「ふふ…テレンスさん、やっぱりお兄さんみたいですね。
ダニエルさんはお父さんに近かったですが…私にテレンスさんのような兄が居てくれたらなーと、いつも思っていました」

「そ、そうか…」

「では、テレンスさん…、今まで本当にお世話になりました。数えきれない程の手作りのお洋服も、ありがとうございました」

「どうしたんだ、改まって。
私の趣味に付き合ってくれていたんだ、礼を言うのはこちらの方だ」

「初流くんのお世話も姉の面倒もたくさん見て貰いました。感謝してもしきれません…。

でも、さようなら、ですね──」






















──2000年、4月。
10年以上忘れていた少女と、それに纏わる数々の出来事を思い出して、テレンスは茫然と彼女の名前を呟いた。
手元に残った、魂の入っていない黒髪の人形が、ベッドの横の棚から落ちて、倒れていた。

 




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