novel | ナノ


「このヒトデどうしたの?」

「サークルの奴に貰った」

「へー…可愛いね」


水槽にへばり付くヒトデと、膝を付いてその様子をじっと眺める承太郎。大きな身体で小さな生物を真剣に見つめる様子に、リンダは小さく笑ってしまった。
厳つい見た目に反して、彼のちょっとした動作や仕草は微笑ましい。ギャップもあって酷く可愛らしく見えてしまうのである。


「そういえば昔からヒトデとかカニとか、あとクラゲみたいに、小さな子達が好きだったね」


リンダがそう言うと、承太郎は「ああ」と返事をしてから、ヒトデを眺めるのを止めた。
顎に手を当てて何やら考えながら立ち上がり、彼はソファーに座っていたリンダの隣にやってきて、その長い脚を曲げて腰掛けた。
承太郎の重みでクッションが沈み、斜めに傾いた身体を立て直しながら、リンダはどうしたのかと尋ねた。


「確かお前は…イルカやシャチやクジラ…デカい奴等が好きだったな」

「覚えてたんだね。海の生き物の中でも、哺乳類系が好きかな。
勿論クラゲとかも好きだけど、やっぱり一番はイルカかも」

「イルカか…スタンドにも表れてるんじゃあないか?」


リンダは自身のスタンドを思い返した。
オーシャン・ピーシーズは、普段は錦鯉並の大きさの白魚だが、スタンド攻撃から身を守る際はイルカ並のサイズに更に大きくなる。
サイズだけでなく姿形は完全に白イルカであり、精神の象徴であるスタンドとしては正に最適のビジョンかもしれない。


「確かにそうかも」

「原形の姿は鯉だったか」

「最初はもっと小さかったからメダカだと思ってたんだけど、多分鯉かなぁ。
私鯉も好きなんだ。いつまでも眺めてられるよね」


人馴れしていない鯉は人の姿を岩場等にさっと隠れてしまうが、慣れている鯉達の場合、餌をねだりに近寄ってきてパクパクと口を開けるのである。
その愛らしい姿を思い出しつつ、そういえば承太郎のスタンド、スタープラチナはどうなのだろうと思った。
姿形は承太郎自身にとても良く似ているが、彼の好きなものが何か反映されているだろうかと。


「スタープラチナは、タロットカードの星を暗示していたんだっけ」

「ああ、そうらしいぜ」


占い師であったアヴドゥルが占い、名付けたというスタンドだ。
そもそも何故星と示されたのだろうかと考えて、リンダは閃いた。もしや、承太郎のヒトデ好きが影響したのではないかと。
今や“星”イコール“☆”という記号で自然と表されているが、その元となったのはヒトデの形である。英語ではスターフィッシュ、日本語でも海星と表すくらいだ。
成る程、星という暗示が出る程にヒトデが好きだったのかと、うんうんと一人納得している彼女を見て、特に訂正もせずに承太郎は静かに笑っていた。


「あ、そういえば承くんの入ったサークルって、もしかしなくても海洋生物研究会?」

「知ってるのか」

「うん、私も入ろうかなって一度見学には行ったんだけど、男の人しかいなくて…」

「ああ」

「その中に入るのも遠慮しちゃうし、友達に誘われてたカンフーのサークルに入ったんだ」


良ければうちに入らないか、と言おうとしていた承太郎は、その言葉を聞いて驚いた。


「中国武術か…」

「うん、鍛錬になるかなと思って」


あの50日間でホリィの治療に専念した事で、リンダの治癒波紋の精度は格段に上がった。しかし、あれ以降肉体を鍛える時間が取れておらず、彼女の身体は少々鈍っていた。
波紋法は呼吸だけ続けていても成り立たない。きちんとした身体作りが必要なのだ。しかしながらその肉体を鍛える事が難しくなったのである。
以前までは自宅のトレーニングルームや庭で筋トレなどを行っていたリンダだが、此処はマンションである。
防音や防振の設備が幾ら整っているとはいえ、室内でトレーニングを行うのはお隣だけでなく上下の階層の住人に迷惑をかけてしまうのだ。


「鍛える必要はあるのか?波紋法は特殊な呼吸をするだけじゃあねぇのか」

「特殊な呼吸だから、腹筋だけじゃなくて全身の色々な筋肉を使うんだよね」

「ほー…そうなのか」

「うん、だから身体を鍛えてないと呼吸を止めた途端ガタがきちゃうし、ある程度の運動は必要なの」

「そりゃあ分かったが、なぜ波紋の呼吸を続けるんだ?」

「一応イタリアの方の師匠に免許皆伝を許されたし、伝授した技術を衰えさせたくないからっていうのもあるけど…
美容と健康を維持するためにも続けていきたいかなーなんて思ってて」


波紋法はアンチエイジングとしてこれ以上無い程効果覿面な方法である。女子としては続けたいと思うのは当然であった。
また、祖母エリザベスは記憶の中でもとても若々しく、最期まで美しい女性だった。リンダは彼女の事を波紋戦士としても女性としても尊敬し、憧れている。
祖母のようになりたいという思いから、波紋法を続け、肉体がそれに付いてこられるように維持したいとリンダは考えていた。


「サークルには運動目的で入ったんだけど、結構楽しくてはまっちゃった」

「楽しんでるなら良いが……ん、あんまり筋肉はついてねぇみたいだな」


そう言って、承太郎は徐にリンダの二の腕に手を添え、ふにふにと摘んだ。むっとして何をするのだと見上げれば、思ったよりも近くなっていた距離に驚く。
すると、ふ と笑った承太郎が更に身を寄せてきた。大きな腕に引かれ、ぽすっと彼の胸板に顔が触れる。
酷く優しい抱擁だった。


「今くらい柔らかいのが好きだからな…抱き心地が硬くなるのは嫌だぜ」


鼓動が聞こえる程密着し、彼の息が髪にかかる。
同じ洗剤を使っている筈なのに香ってくる男らしい匂いにくらりとしつつ、リンダは言葉を返した。


「も、もう…太ってるって言いたいの?」

「いいや、俺としてはもっと肉を付けて欲しいくらいだ」

「っ、」


ちゅ、と頭にキスを落とされ、更に力を込めて抱きしめられる。
厭らしさを感じさせないハグだったが、リンダは承太郎の腕の中で飛び上がった。彼の胸を押し退け、二の腕の中から脱け出して、衣服を整える。


「も、もう時間だし、遅刻するし準備するから」


慌ただしく用意し始めたリンダの後を追い、低く笑った承太郎もソファーから立ち上がって動き出した。
ちらりと振り返って彼を見ると、此方を見て優しげに瞳を細める表情が目に入り、リンダは頬を染めた。

あの騒動の後、ギクシャクするリンダをよそに、承太郎はスキンシップを求めるようになっていた。
今まで疎かにしていた反動なのだろうか。家族としてのハグやキスには慣れている彼女も、恋人からのそれには翻弄されていた。
日本人はシャイだと聞いていたが、ホリィの元で育ったためなのだろうか、承太郎は人目も気にならないようで、大学内でもスキあらば抱きしめてくる。
逆にアメリカ育ちである筈のリンダの方が、羞恥から照れてばかりいる有り様である。以前とは逆転した関係に、彼女は頭を悩ませていた。
ーーしかし、承太郎はそれ以上の行為に進もうとはしなかった。未だに、抱き締められる度に身構えてしまうリンダに気が付いてのことだろう。


「承くんのばか…」

「聞き捨てならねぇな…」


ぽつりと呟いた独り言に対して、突然耳元で囁くように返答を返され、リンダは「んひっ!」という奇妙な悲鳴を上げて玄関で鞄を落とした。
破壊された自室の扉を早く直さねば、この承太郎の部屋での同棲生活に身が保ちそうにない。
そう思いつつリンダは扉を開けて外に飛び出した。






×
- ナノ -