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「…ふ…ッ」


暴力的なキスは酷く苦しくて悲しくて、涙があふれた。身体に這い出した手に覚悟をし、目を瞑る。
しかし、彼はぎゅうとリンダを抱き締めたまま、肩口に顔を埋めて動かなくなった。


「…っ、…、」


暫くその状態が続くと、堪えきれていない嗚咽と鼻を啜るような音が聞こえ出した。ーー泣いているのだ、あの承太郎が。
身体が密着しているため、彼の心臓が大きく脈打っているのが分かる。どくどくと早鐘を打つその鼓動を感じて、リンダは緊張から握り締めていた手を解いた。


「…承くん」


承太郎に対する恐怖感は、次第に消えていった。恐れではなく、どんな彼でも受け入れようという心の方が勝っていった。
承太郎は承太郎だと。彼が行った事は簡単に許せる事ではないが、そうさせたのはリンダだ。
不器用に愛を伝えていた今までの優しい彼を無下にし、追い込み、狂わせた。彼を強行に走らせたのは自分自身なのだと、リンダは思い至っていた。


「………」


しかし、未だ動かない承太郎に対してどう接して良いのか分からず、リンダも押し黙っていた。なんと声をかけるべきか、そう戸惑っていると、目の前にジョースターの血統の証である星形の痣が見えた。
幼い頃にそれを初めて目にしたリンダは、星ではなくヒトデみたいだと言った残念な感性の持ち主である。けれども承太郎は、ヒトデと聞いて目を輝かせていた事を思い出した。
そして、伯父であるジョセフにも従姉のホリィにもある事を知って、なぜ自分と母には無いのかと疑問に思った事も。
祖父と祖母のエリザベスは再婚だ。その二人の間に産まれた母に、ジョースター家の血統の証である痣が現れる筈もない。
昔はヒトデ形のマークが欲しいと駄々をこねて母を困らせ、最終的にネームペンで顔や腕に自分で描いて叱られたのはいい笑い話だーー




「リンダ…」


ーーと、リンダが現実逃避をしていたところ、承太郎がついに沈黙を破った。
少し震えた、低い音色が鼓膜に響く。


「すまなかった…本当に、酷い事を した」

「……」

「ずっと、お前のことが好きで…俺には、お前だけだったんだ」


彼の言葉は途切れ途切れで、聞いたことがない程弱り切っていた。


「なのにお前は裏切り、再会しても俺を完全に対象外扱い……頭がどうにか、なりそうだった」


“裏切り”
その言葉にリンダは目を見開いた。


『ぼくとけっこんしてくれる?』


幼い彼の姿、表情と声が脳裏で鮮明に思い出される。
昔は大切にしていた筈の告白を何故軽んじ、蔑ろにしていたのかも。


「ガキだったが、俺は本気だった…お前もそうだと、信じていた」


告白された当時、リンダも承太郎もまだ10歳にも満たず、婚約の口約束をするにはあまりに幼かった。
また、その後承太郎の口から愛の言葉が聞ける事は無く、彼の態度も相まって、次第に記憶と重要性は薄まっていった。
そしてついに、あれは子供の頃によく「大きくなったらパパと結婚する」と言うようなものだったのだろうと、安易に捉えてしまったのだ。


「本気だって、思ってなかった…」


リンダがそう返すと、承太郎はピクリと身動ぎし、顔を上げた。赤く充血した瞳、傷付いた表情が見下ろしてくる。
そんな彼を見て目頭が熱くなった。知らず知らずの内に、彼を裏切ってしまった自身の行いを悔いるしかない。


「ごめんね…勝手に無かったことにして、傷付けて、ごめんなさい」


ぼろぼろと涙を流すリンダの頬に、承太郎がそっと手を添えた。











『君はいつも僕と誰かを重ねていたね』


それは衝撃の言葉だった。凍りつくリンダに元恋人は怒る訳でもなく、出来ればその誰かと幸せになってくれたら良いと優しく言って、去っていった。
好きだったのは確かだったのに、彼の口から告げられた言葉を否定出来ない自分自身に嫌気がさした。


「(気付かれて、た)」


そしてきっと、傷付けていたのだろう。そう思うと、恋人として彼と過ごした日々を振り返る事すら苦痛となった。
考える暇を無くすために波紋の修業に打ち込み、連休の度にイタリアまで出向いては没頭していた。

しかし結局、その後日本で承太郎と再開を果たした事でリンダは自身の罪を再確認する事となる。
男らしく成長した姿。けれども此方を見つめるエメラルドグリーンの光は昔と変わらず美しいままでーーその瞳をみた瞬間、昔の承太郎の姿が鮮明に蘇った。
長身で細身、色白で、あちこちに跳ねる癖ッ毛な黒髪が愛らしくて、控えめに微笑む顔がとてもキュートな青年だった。
ーーそして、元恋人もそうだった。高い背、日陰で焦茶から黒へと変わるくしゃりとした柔らかな髪、日向でヘーゼルからグリーンへと変化した優しげな瞳ーー。

ふとした瞬間、彼等はとてもよく似ていた。だから自然と目で追っていた。
その後彼自身の人柄に惹かれた事は嘘では無いけれども、きっと無意識に承太郎と重ね合わせて彼を見ていた。
それは彼に対しても、承太郎に対しても失礼極まりない事だった。


「ごめん なさい…っ」


そんな自分自身がやはり許せなくて、彼等に申し訳が立たなくくて、もう二度とそういう対象で承太郎を見てはいけないと思った。
また、承太郎もリンダを親戚としか見ていないと思ったのだ。ジョセフやホリィに対してもそうだったが、彼はリンダに対しても淡白だったから。
けれども家族思いだという事を表に出さなくなっただけで彼は変わらず優しかった。だから親戚として上手くやっていけると思った。

ーーそれが、ここまで自分達の関係を拗らせ、承太郎を追い詰めてしまうとは、思いもしなかったのだ。


「ずっと狡くて…ごめんなさい…」


どうか幻滅してくれと思いながら、リンダは自身の罪を洗いざらい告白していた。


「…そう、だったのか…」


しかし、承太郎が安堵したように息を吐いたためリンダは戸惑った。
何故そんな安心したような声色と表情をしているのだろうと。


「なんでそんな…、私…貴方を裏切って、傍に居た人を都合よく代わりにしてたのに…?」

「きっかけは俺だ…。…悪かった、裏切ったなんて言って」


此方を見下ろしてくる彼のその瞳からは、蔑みも、怒りの感情も伺えなかった。
嵐が過ぎ去った後の海のように凪いだ光を、彼は灯していた。


「お前に対して言葉が足りず、誤解されるような態度をとった昔の自分に腹が立つぜ…」

「そんなこと…」


今から思えば、当時思春期に突入していた承太郎にとってリンダは扱いにくい対象だったのだろう。
第二次性徴を迎え、精神も肉体も変化し不安的になる時期に、彼にとっては将来を約束した相手が無防備に自宅で寝泊まりしていたのだから。


「それに、俺も似たようなもんだ…いや、もっと酷えかもな」

「…そうなの?」

「お前に男が出来た事を、お袋が電話で話しているのを盗み聞いてから…」


その頃から荒れ始めていた承太郎は更に荒れ、非行に走る事となるのだが、それはリンダが知る由もない。


「ヤケになって…適当に女を作った」

「…そう…」

「だが…どうしても、目につくのはお前に似たやつばかりだった」


辛そうに、彼の表情がくしゃりと歪む。


「逆に全く似てない女を選んだ事もあるが…結局、どんなやつと居ても、抱いても、虚しいだけだった…
お前とでしか、俺は満たされないと思った」


それは、酷い殺し文句だった。ここまで求められていたなんてと、どくりと胸が高鳴る。
承太郎の熱い眼差しが、身を焦がすようだった。
しかし、喜びを感じるのと同時に、心の奥で抱いていた罪の意識に、リンダは苛まれた。


「…っ」

「泣くなよ…」


此方をまっすぐに見つめて、彼はやれやれといつもの口癖を呟いた。


「なあ、俺はお前じゃなきゃダメなんだぜ…だったら、責任取ってくれよ、リンダ」

「責任…?」

「ああ、俺の女になってくれ。
代わりの男なんて考えられねぇくらい、傍にいる…絶対に離さねぇから…



ーー愛してるんだ、リンダ」


頬がぼっと熱くなった。与えられる想いが大き過ぎて、じわじわと感情が溢れてくる。
声も出ない程の衝撃だった。動揺するあまり、暫く視線を彷徨わせる事しか出来なかった。
けれども、此方を悲痛な面持ちで見下ろしてくる承太郎の表情が目に入り、リンダははっとした。
強気な発言とはウラハラの悲しい瞳。懇願するような、今にも泣き出してしまいそうなその眼差しに、彼の本気の告白に真剣に向き合わなければならないと、リンダも腹を据えた。


「承くん…」


太い首に手をのばし腕を回すと、彼がびくりと反応し、息をのむのが伝わってきた。再び密着した事で心臓が忙しなく動いているのを感じながら、リンダはそろりと、彼の癖っ毛な髪を撫でる。
耳元に唇を寄せ、そして、今の自分の正直な想いを、はっきりと伝えた。


「ーー…」


嗚呼、と、彼が感嘆の声を溢す。少し震えながら、ぎゅうと抱き締めてくる。
強く、強く。思わず上げてしまいそうな呻き声を堪えながら、リンダはその骨が軋む程強い抱擁を受け入れる。

やがて、力を緩めて身体を離した承太郎が、涙の滲んだ瞳でじっと見つめてきた。
耐え切れず照れ笑いをしてしまうと、彼がまるで少年の頃に戻ったように破顔したので、真正面からそれを目にしたリンダは真っ赤になった。





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