novel | ナノ



8月。長期間世話になったジョセフの自宅に別れを告げ、リンダと承太郎は引っ越し先のマンションで片付けに追われていた。
「行くなリンダー!」と泣き付くジョセフと、「何時でも帰ってきていいのよ!」と言うスージーを思い出すと名残惜しいが、そう甘えてばかりもいられない。
気持ちを切り替えて、今は新生活に備えなければと、リンダは意気込んでいた。


「だいたい終わったかな…あ、承くんも終わったの?」


荷物の整理を大方終えて一息ついていたリンダの元に、今日から同居人ではなく隣人となった承太郎が、様子を見にこちらにやってきた。


「手伝う事は……無さそうか」

「うん、大丈夫」


手伝いに来てくれた承太郎には悪いが、女の腕では動かす事が困難な大きな家具や電化製品等も、波紋使いであるため楽に運べるのである。
後は小物や衣類の整理が残っているが、それを彼に手伝わせる訳にもいかない。


「じゃあ、買い出し行くか」

「そうだねー」


ジュニア・カレッジまで徒歩5分、更には、食品等生活必需品を購入出来るスーパーまで徒歩2分というこのマンション。
流石不動産王、ジョセフがリンダと承太郎に選んだだけあって、立地条件は素晴らしかった。


「仕度するから、5分程待っててくれる?」

「おう」


そして早速、食料調達のためにそのスーパーに買い出しに行こうとしていた。
両親からの仕送りと、以前ベビーシッター等のバイトで稼いだ金銭。そして、押し問答になりながらジョセフからほぼ無理矢理渡されたお小遣い(札束)。
それらがあるため生活には困る事は無いのだが、なるべく宅配等は取らずに自炊しようと、リンダは思っていた。
(ちなみに承太郎は例の小遣いを「もっとくれよおじいちゃん」などと言って、かなりの額をジョセフから有難く頂戴している)


「ごめん、お待たせ」


玄関を開けると、通路に背を預けていた承太郎が煙草を咥えながらこくりと頷いた。リンダが側へ寄ると、彼は残り短くなっていたそれを摘み、最近購入したという携帯灰皿へと捨てていた。


「…着替えたのか」

「うん、ちょっと汚れちゃってたから」


先程と服装が違う事を確認しているのか、上から下へとじぃっとと見つめられる。
そんなに変な格好だろうかと何と無くそわそわすると、彼はふいと視線を逸らして、「行くか」と言って歩き出した。
首を傾げつつ、その後を追う。エレベーターを降り、外へと向かいながら何気ない話をしていると、リンダはふと、承太郎が歩くペースを遅くしている事に気がついた。
歩幅を合わせて、ゆっくりと歩いてくれている。そこで漸く、ヒールを履いている自分に気を配ってくれているのだと察した。
こっそり彼を見上げると、心なしか緩んでいる口元が目に入る。その穏やかな表情を見て、リンダは近頃の彼の雰囲気が柔らかくなった事を、改めて感じていた。

以前の承太郎は、何故か決まって外出時に機嫌が悪くなっていた。特に、旅から帰ってきた直後の日本での彼は酷かった。
今日のように食材を買いに付き合ってくれた時、リンダ達がアメリカへ帰国する際に空港に見送りに来てくれた時も、空条邸に居る時とは違ってピリピリしていた。
周囲を警戒しているというよりは、集まってくる人目に苛立っているようで、うっかり触れでもしたら噛み付かれそうな程に荒々しい雰囲気、向けられればそれだけで竦み上がる程の鋭い眼光を、帽子の下に秘めていた。


「(毎日あんな感じだったら…それも仕方ないのかな)」


承太郎は、身内の贔屓目無しで見ても美しい。それでいてワイルドで魅力的な男性だ。
高い身長、体格の良い身体、はっきりとした目鼻立ち、白い肌に、エメラルドグリーンの瞳ーー
日本では、町中でもスーパーでも空港でも女性達の熱い視線を独り占めにし、一歩足を進める度に声をかけられていた。
世の男性が聞けば羨ましい事尽くしであるが、しかし、当の本人はちっとも嬉しそうではなかった。寧ろ、苦虫を噛み潰したように顔を歪めていたのをリンダは目撃している。


「(それが減ったからかなぁ…)」


日本は自国と比べれば本当に安全で、整った風紀と環境を持つ素晴らしい国だ。
しかし、何処の国や地域でもある事だが、自分達とは違うものを特別視する傾向が少し強い国でもある。
リンダですら青い瞳をじろじろと見られたり、見た目が完全に外国人である母は指を指されて、コソコソと何事かを囁かれた事もある。
そこにあるのは悪意ではなく好奇心だけなのかもしれない。けれども、そうした注目を幼少より浴び続けてきた承太郎にとってはおそらく、鬱陶しいものでしかなかったのだろう。
良くも悪くも目立ち、好意の数だけ悪意を向けられてきたのかもしれないーー。


「おっと、すまんね兄さん、前を見てなかった」

「いや、大丈夫だ」


しかし、此処は人類の坩堝、自由の国だ。様々な人種、人間が入り乱れ、普通ではない事が普通であり、違う事は個性の一つである。
190pを超える人間は沢山存在し、黒が一般的な日本では考えられないほど、様々な色で溢れているのだ。
木を隠すには森の中と言うけれども、まさに承太郎には適した環境なのではないかと、リンダは考える。

現に、今承太郎とぶつかった中年男性は承太郎より身長が高かった。その横を通り過ぎたカップルも、女性の背丈は190cm近くあり、パートナーらしき男性は2mを超えている。
前からやってくる少年は彫りが深く、見た事も無い程綺麗なグレーの瞳をしている。レジにいるバイトの青年は承太郎と負けず劣らずのハンサムな顔立ちで、女性客にスマイルを送って楽し気に接客している。

そして承太郎はというと、買い物カゴを持ったまま、棚の前で商品を真剣に眺めている。
その長身にぎょっとされたり、女性達が容姿に惹かれて集まり身動きが取れなくなる事もなく、落ち着いて思案している。


「見た事ねぇやつばっかりで、目移りするな…」

「そうだよね。私も日本のスーパーで売ってる物全部珍しくて、全然決められなかったな」

「そうか」


何を選ぼうかと商品を見るその瞳は幼さを感じさせ、そんな穏やかな様子の彼を見ていると、リンダの頬は自然と緩んだ。
彼に対する異常な注目が起きず、こうして平穏に過ごして欲しいと、心から願うばかりである。


「たくさん買ったねー」

「ああ…ってお前…その見た目でその量持つな…」

「え?波紋の呼吸してたらこれくらい大丈夫だよ」

「貸せ、俺が持つ」

「あ」


リンダから荷物をひょいと取り上げて、承太郎は歩いていく。
その後姿は本当に伯父によく似ていて、思わず飛び付いてしまいたくなる程広く、逞しい。けれどもやはり歩幅は合っていて、リンダは何だか嬉しくなった。
彼とこれから、こんな何でもないような、けれどもとても貴重な日常を送れる。
同じ国、同じ州、同じ街、同じ学校、同じマンションで、制限時間などなく、毎日その存在を近くに感じながら。


「どうした?」

「ううん、何でもない」


夕日に照らされ、穏やかに笑う彼の表情があまりにも綺麗で、胸が少し熱くなった。






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