novel | ナノ



「久しぶりだね、承太郎」

「!」


3月中旬。日本では学生達の春休みが始まるこの時期に、空港で友人、花京院典明を待っていた承太郎は驚いた。
最後に見た花京院は、瀕死の重体だった。かろうじて意識はあったものの、承太郎達はそんな彼を置き去りにして、日本へと帰国したのだ。
日本で待つホリィとリンダの安否をこの目で確認したい事、そのために一足先にエジプトを立つ事を許して欲しいと告げたジョセフに、淡く微笑み肯定した姿。
全身を管に繋がれていたあの姿を見たのが最後だ。
そのため、承太郎は定期的に財団員から彼の容態について尋ねていた。
徐々に回復しているとの報告を受けていたものの、先日彼の病状を詳しく聞いた際には、とてもではないがこうして普通に再会を果たせるとは思っていなかった。
良くて車椅子、悪くてストレッチャーに乗る花京院の姿を予想していた承太郎は、以前と変わらぬ凛とした出で立ちでこちらに向かってくる彼の姿に、一瞬偽者かと考えた程だった。


「花京院お前…起き上がる事も出来なかったんじゃあ…」

「先日まではね。ふふ、幽霊でも見たような顔をしないでおくれよ承太郎」


そして、「これでも信用できないかい?」と言う彼の背に出現したハイエロファントに、承太郎はようやく、彼が全快した事を理解して安堵から息を吐いた。
手を差し出し、いつかのようにグッと握手を交わし、彼の帰国を改めて喜んだ。


「日本の便に乗る直前にね、リンダさんが駆け付けてきてくれたんだよ」

「あいつが?」


それを聞き納得する。そして、彼女が居てくれて本当に良かったと改めて思った。
DIOとの決戦の後、日本にてあっという間に傷付いた身体を治癒した波紋の力は素晴らしかった。


「波紋もスタンドも、その人柄を表しているようだった」


抉られていた右脇腹をさすり、その時の事を思い出しているのか、花京院が目を伏せて微笑する。


「彼女のおかげで、今こうして立って、歩けている…感謝してもしきれないよ」

「……すまなかったな、花京院…」


いくら彼の意志で旅に同行していたとはいえ、巻き込んでしまったという負い目を、承太郎はずっと感じていた。
イギーは敵のスタンド使いに酷く痛め付けられ、アヴドゥルはその男のスタンドの暗黒空間に飲まれ、帰ってくる事はなかった。
もう二度と、その姿を見る事も、言葉を交わす事も出来なくなってしまった。
花京院も、この友人もそうなっていたかと思うと、背筋が寒くなる。
そう思い詰めて無言になる承太郎の背を、花京院はばしりと痛いくらいに叩いた。


「謝らないでくれよ。僕は始めから覚悟していたんだ。
あの時だって、例え命を落としても、何があっても後悔はないと思って戦いを挑んだんだからね」

「……」

「それに、もし寝たきり生活を余儀なくされても、リハビリして根性で治すくらいの気概でいたさ」


その言葉に、この友人が繊細そうな見た目に反して案外大胆で漢気ある男だった事を、承太郎は思い出した。
旅の間のやり取りも蘇り、思わず笑みがこぼれる。


「それよりも、君の事を教えてくれよ。アメリカに留学するんだって?」


そう言ってにやりと意味深に笑う花京院に、承太郎はお決まりの言葉を返した。







進路の選択。
高校在学中に幾度も問われ、筆記を求められるその用紙を、承太郎はいつも白紙で提出していた。
当時、頭の中に「進学」という選択肢は無かった。
勉学に励む理由も、目指す物も無いまま大学に進む事は、あまりにも無駄に思えたからである。
かといって、高校を卒業してからの予定は未定だった。
強いて言うならば、日本一周、世界一周でもしようかと考えていたくらいでーーしかし、それは突然降り掛かった災いによって、奇しくも達成されてしまった。
世界ではなく、日本からエジプトまでの地球半周、たった50日間の出来事だったけれども、承太郎にとっては一生に二度とない、辛く険しく、それでいて最高の旅だった。
得たものも多ければ失ったものも多く、価値観は変わった。
後悔の無いように生きようーーそう思った時ふと、「大学進学」という選択肢が浮かび上がった。
旅の中で惹かれた物事を学ぶため、そして、改めて自覚した思いを遂げるための、選択だった。
アメリカでの進学を提示したのは祖父ジョセフであったが、それは既に候補の一つに上がっていた。
何しろ、日本では決して手に入らない存在が、その地に居たからだ。


「良いキャンパスライフを!」

「ああ、てめーも残りのガクセー生活、確りやれよ」

「承太郎元気でねー!パパ達に宜しくね!」

「おう」


そうして日本を旅立った時は、まさか祖父母によるサプライズで早々に彼女と再開を果たすとは予想していなかった。
彼等の自宅で暫し居候の身になり、アメリカでの暮らしに慣れてから、大学へと通う。
そこで夢にまで見た彼女との学生生活を送り、離れていた期間の時間を埋められれば良いと思っていた。
しかし、その計画は前倒し、というよりも祖父の手により破綻したのである。


「これからよろしくね。分からない事があったら、何でも聞いてね」


まさか手順をすっ飛ばして、彼女と一つ屋根の下に暮らす事になるとは、思ってもみなかった。
慣れない内は風呂上がりの彼女に遭遇したり、居眠りする無防備な状態を見てしまったりと、ハプニングが続いた。
フラストレーションが募り、夜の街に飛び出す日もあったが、次第に彼女が同じ空間にいる事に慣れると、承太郎はこれはチャンスだと逆に考えるようになった。
茶化してくる祖父は鬱陶しい事この上ないが、少しずつ距離を縮めていこうと。




しかし、現実はそう上手くはいかなかった。


「ただいま承くん」

「おう」

「あ、伯父さんただいまー」

「おー!お帰りリンダ〜」

「……」


まず、彼女のアメリカ人からすると控えめで、日本人からすると少し激しめの挨拶、所謂スキンシップが、承太郎には一切行われなかった。
目の前で毎日、出掛ける際や帰宅の際に交わされるキスやハグ。
祖父母だけならまだしも、見慣れぬ男と親しげに抱き合われた際には、額に血管が浮かび上がる程の怒りが込み上げたものである。
直後その男は屋敷のガードマンの一人だとリンダから紹介されたが、承太郎はその後、男が彼女に近付こうものなら、それだけで殺せそうな程の鋭い視線を送るようになった。


「承太郎にはせんのか?」


ある日、相変わらずハグをスルーされる承太郎を見兼ねて、ジョセフがリンダに尋ねた。
彼女を抱き締め、その肩越しにこちらを見てニヤリと笑いながら、である。
腹が立ったが正直気になっていた事なので、無表情を装いながら返答を待つ。


「え?だって、承くんはこういうの嫌いだから…」


困ったようにそう言ったリンダに、ハっとした。
彼女はただ、過去に自身が告げた事を、律儀に守っていただけだった。
だからこその振る舞いで、決して避けられていた訳ではなかったのだと。


「伯父さんだってしてないじゃない」

「あ〜…そうじゃな、ワシだって戯れたいがな〜旅の間に怒られてのぉ」


シクシクと泣き真似をする祖父に「やっぱりそっかー」などと言って頷くリンダ。
その様子に、承太郎はようやく己の振る舞いに問題があると自覚した。
彼の考えとしては、空条邸からあの旅に立つ前に交わした抱擁で伝えたつもりだったのである。
無事に帰るという決意は勿論の事、昔避けていたスキンシップはもう平気である事も。

ーーしかしながら、アメリカ育ちの人間に空気を読め、雰囲気で察しろ、というのは難しかった。
日本人ですら、そういった事に鈍い人間には、言葉で伝えなければ理解出来ないのだから。

それに加えて、承太郎の態度は誤解を生み易かった。
リンダが駆け寄ってきてもポケットに手を突っ込んだままの仁王立ちスタイル。
リンダからしてみれば、どう見ても友好的には見えず、寧ろ近寄るなというオーラすら出ているようにも見える。
ほっぺにキスでもしようものなら容赦なくブン殴られそうである。
実際にはそんな事は無いのだが、リンダは彼のその態度を見て、物理的な接触を控えていたのだった。

つまり、承太郎がハグを求めて手を広げて受け入れ体制を取るか、何らかの方法でもう大丈夫である事を伝えられれば、問題は解決するのだ。
しかしながら、彼は母ホリィという、彼の考えを察する事の出来る人間によって育てられ、空気を読むのが得意な日本人が多い国で過ごしている。
気持ちは言葉にして伝えるよりも、察して欲しいという、いかにも日本男子的考えの持ち主であった。


「承太郎、今のままじゃと難しいぞー」


そんな悩める承太郎の肩へ手をポンと置き、ジョセフが耳元で小さく告げた。


「リンダにはちゃあんと言葉で伝えんと、通じんぞ?」


少し真剣な顔をしてそう言った祖父に、承太郎は顔を歪める。
分かっていると呟いて、その手を払ってぬしぬしと歩き出した。


「どうしたの?」

「…ちょっと来い」


心配そうに見上げてくる彼女の細腕を掴み、承太郎は歩きだした。


「いたた…」

「……」


焦燥からか、力が入り過ぎていた。
小さく謝罪してリンダの腕を握る力を緩めて、足早にその場を後にする。
そしてある部屋へと入り、戸惑う彼女をソファに座らせ、隣に腰掛けた。


「本当にどうしたの?」

「…」


しかし、先程「言葉にしなければ伝わらない」と悟ったばかりであるのに、承太郎は中々口を開かなかった。
否、開けなかったと言うべきか。
勢いでやってきてしまったのは、此処数日寝起きしている、祖父から与えられた自室である。
ソファの直ぐ側には、彼のために取り寄せられたキングサイズのベッドまである。
そんな密室へリンダを連れ込んでしまい、彼は何時もの冷静さを失ってしまった。
最強のスタンド使いも、好いた女の前では形無しである。


「ごめん、何か気に障った…?」


不安そうな彼女の顔を見て、承太郎は漸く平静を取り戻した。
ふぅと深呼吸し、息を整える。


「……俺はもうガキじゃねぇ。昔みてぇに、女に触られたって、どうって事ねぇんだよ」


だから余計な気遣いはやめろ。
承太郎はそう告げて、帽子の鍔を掴んでクイと下に下げた。


「そうなの…?良かった、トラウマ克服できたんだね」

「そんな深刻なもんじゃねぇよ。むしろ俺は……」


彼にとっては、一度リンダの手を払い除けてしまった時の、あの傷付いた表情の方がよっぽどトラウマだった。


「え?」

「…いや、何でもねぇ」


首を振ってそう返すと、彼女は暫し戸惑った表情をしていたが、やがてぱっと顔を輝かせた。


「じゃあ、もう大丈夫なら、今日からちゃんと挨拶してもいいの?」

「…おう」


そう答えたが、次の瞬間胸に飛び込んできたリンダに承太郎は固まった。
首に腕を回され、彼女の顔が間近に迫り、頬と頬が触れる。
更に、すりとその頬同士が擦りあったかと思えば、ちゅ、というリップ音。
しっとりと水分を含んだ唇が、頬に当てられている。
ついでに言うと、身体も密着した事で彼女の柔らかな双丘も、当たっている。


「ーー」

「じゃあ、また後でね」


ぱっと、何事もなかったかのようにリンダが離れる。
彼女はそのまま立ち上がって、あっさりと扉を開けて出て行ってしまった。


「…………」


あまりに突然の出来事に、承太郎は暫く放心していた。
自室の時計が18時になった事を告げる音を鳴らした時、ようやく正気に戻った彼は顔を掌で覆い、いつもの口癖を呟く。
しかし、耳は赤くなり、頬に、ついでに下半身に集まった熱で身体中が沸騰してしまいそうだった。
夕飯の時間までに収めなければ、そう思い、承太郎は頭を冷やすためにもシャワーを浴びる事にした。







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